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静寂が聖堂を包み込む中、首席裁判官が杖を軽く叩き、神殿会側に目を向けた。
「神殿会の立場を代表し、何か申し述べる者はおるか?」
一瞬、誰も応じず、空気が張り詰める。だが次の瞬間、聴衆の視線を背にして、堂々と一人の男が前に進んだ。
黒い法衣を翻し、厳格な面持ちのまま立つのは、コンラートである。彼の瞳は冷たく光り、場の空気を支配するかのようだった。
「……私、神殿会を代表し、ここに立っております、コンラート=フォン=レーヴェンタールでございます。」
その声は抑えられているが、明瞭で、否応なく廷臣たちの耳を捉えた。
「まず、申し上げます。今回の神託と、帳簿に関する一連の疑義について、我々神殿会は全く不正を働いた覚えはございません。神託は正しく伝えられたものであり、神託審理官として神託の管理も適法に行われております。」
場に漂う緊張は、彼の言葉によってさらに深まった。だがコンラートは、まるでそれを計算していたかのように、次の一手を打つように口を開いた。
「……とはいえ、今回提示された書類や証言により、ローゼンベルク家に不利益を与える形となったことは遺憾でございます。神殿会としては、いかなる意図もなく、誤解が生じたことを深くお詫び申し上げます。」
コンラートは一礼し、視線を廷臣に巡らせた。殊勝な態度で謝意を述べる彼の姿は、彼こそが黒幕であると知る我々にとって、何とも言いようのない不気味さを漂わせていた。
首席裁判官が静かに杖を叩いた。
「神殿会として謝意を表明したのは理解した。しかし、提示された証拠の前において、神託が改ざんされ、帳簿が偽造されていた事実を聞き、何か申し開きはあるか?」
コンラートの唇がわずかに動く。言葉を選ぶその間、廷中の空気は再び張り詰める。
彼が次に口にする言葉こそ、この裁判の行方を左右しかねない、聴衆全員の注目が一身に集まった。
コンラートはゆっくりと前に進み、静かに声を上げる。
「我々は、神託そのものを捏造したのではありません。帝国の聖女より授かった神託を、私の判断で陛下にお伝えしたまでです。なにせ、聖女がかつてこのような神託を授かっていたことは、今日、初めて知ったのですから。」
廷臣たちは息を呑む。私は握りしめた羊皮紙に目を落としながらも、冷静に聞き入る。
首席裁判官が静かに口を開く。
「なるほど。つまり、神託の正当性そのものではなく、伝達の過程や解釈の問題である、と主張するわけだな。」
コンラートはゆっくりと頷き、淡々と続ける。
「その通りです。決して、ローゼンベルク家を貶めようとしたのではありません。」
しかし、彼の声にはどこか計算された冷たさが漂い、廷内の空気は微かにざわめく。疑念は、ローゼンベルク家から、伝達経路や解釈に焦点を移そうとするコンラートの策略を敏感に察した。
言葉の端々に、聖女リアナへの疑いを巧妙に向けさせようとする意図が透けて見える。
その計算高さに、私は思わず拳をぎゅっと握りしめた。
怒りが体中を駆け巡る。
――この悪意に満ちた策略を、必ず暴いてみせる。
廷内の空気が再び緊張に包まれる中、私は震える心を抑え、深く息を吸った。
怒りと決意が混ざり合い、冷たい静寂の中で私を燃え立たせる。
「……神託は解釈を誤れば、多くを惑わし、無用の混乱を招く。よって、ここで確認しておきたい。なぜ神殿会は、この時期に神託を持ち出すと判断したのか。神託審理官としての見解を述べなさい。」
廷臣たちの多くも同じ疑問を抱いていたのだろう。私の問いに、人々の視線が一斉にコンラートへと注がれた。
だが、彼は動じることなく口を開いた。
「神託とは、一度告げられれば永遠の指針となるもの。すぐに成就するとは限らない。むしろ時を経て、その真意が明らかになることも多いのです。ゆえに――幼少の聖女リアナ様が告げられた神託も、今こそ顧みられるべきだと判断したに過ぎませぬ。」
彼の声は落ち着き払っていて、揺るぎがないように聞こえた。
「加えて申し上げます。当時の聖女リアナ様はまだ幼く、神託の全てを理解するには至っておられなかった。その不足を補い、帝国と皇帝陛下の安寧を守るために、我ら神殿会が然るべき形で進言した――それは決して不正ではないのです。」
コンラートの主張に場がざわめく中、首席裁判官は静かに杖を叩いた。
「……この件については、聖女リアナ殿ご本人の証言も必要であろう。」
廷臣たちの視線が一斉に動く。数名の廷臣が選ばれ、証言を取るため、聖女の居所へ向かうことになった。
「ただちに向かわせよ。」と首席裁判官の声が響く。
廷臣たちが退出すると、聖堂内には一瞬の静寂が戻る。
聖女の到着を待つ間、裁判の焦点は一時的に神殿会側への追及から離れた。
そのかわり、オスヴァルトが関わった書類改ざんの背後にいる外部の人物――誰が関与していたのか、という議論が自然と持ち上がる。
「オスヴァルトが何者かと繋がっていた可能性は高いな。」
ある廷臣が声を上げると、周囲が頷きながら言葉を重ねる。
「彼は使用人の妹を人質に取るほどの強硬な人物と接触していた。その者の意図を無視して書類を改ざんすることなど、到底考えられぬ。」
「しかし、オスヴァルトはすでに亡くなっている……。その事実が、何よりも重大ではないか。」
ある廷臣が静かに言い、周囲も頷く。
「彼が暗殺されなければ、偽の書類は押収できたかもしれない。誰かが彼を排除したと考えるのが自然だ。」
「つまり、書類の改ざんとオスヴァルトの死は、同じ黒幕による仕業の可能性がある。」
廷臣たちは低い声で推測を重ね、聖堂内には緊張が張り詰める。
私は手元の羊皮紙を握りしめ、耳を澄ませた。頭の中には、オスヴァルトを暗殺に至らせた者――その影が鮮明に浮かぶ。
すべての黒幕は、あそこに立つコンラートだ、と叫び出したい衝動が胸を突いた。けれども、この場で声にするわけにはいかない。裁判の場で感情に任せることなど許されないのだと、自分に言い聞かせる。
それでも心の奥底で、怒りと憤りが渦巻く。
オスヴァルトの死、偽の書類、そしてローゼンベルク家を貶めようとした意図――すべてを仕組んだ存在は、あの男以外にありえないのだ。
私はぎゅっと羊皮紙を握り直し、深く息をついた。
それと同時に首席裁判官は静かに私たちを見渡した。
「この、改ざんされた書類について、何か証拠や証人はあるのかね?」
その問いに応えるように、ゲオルク様が手を挙げた。
「その件に関しまして、レオンより、オスヴァルトが何者かと密書を頻繁に交わしていたことが証言として取れています。」
首席裁判官は、その言葉を受けて、証言台に居たままだったレオンに発言を促した。
「……オスヴァルトさんは頻繁に屋敷を離れ、夜に馬車を走らせることもありました。しかし、私は差出人の名を知りません。ただ、彼がその人物に極めて従順だったのは確かです。」
レオンが証言している間、私は傍聴席のコンラートに目を向けた。彼は驚くほど冷静で、まるで自分のことが語られているとは微塵も感じていないような落ち着きぶりだった。
話を聞いていた廷臣が口を開こうとしたとき、ユリウスが「発言をお許しください。」と前に進み、声を落ち着けながら説明を始めた。
「その密会の相手について、重要な手掛かりがございます。」
廷臣たちの視線が一斉に彼に集まる。
「皇太子ディートヘルム殿下の命により、オスヴァルト暗殺について私ユリウスと、内務局とで調査を進めておりました。そこで、オスヴァルトの暗殺に使用されたのは、かつてアレクシス殿下が暗殺された際と同じ種類の神経毒であることが、調査により判明しております。この神経毒は、西部教会で押収された輸入品であり、管理していたのは当時神官を務めていたレオポルト=シュタウファーであることも確認されました。」
廷内にざわめきが走る。
誰もが低く息をつき、暗殺と書類改ざんが結びつく事実の重大さを噛み締める。
ユリウスは続けた。
「つまり、オスヴァルトの死と偽造書類は、偶然ではなく、誰かの意図による計画の一部であった可能性が高い、ということです。」
廷臣たちは顔を見合わせ、深刻な表情を浮かべた。
聖堂内の空気はさらに引き締まり、事件の背後に潜む黒幕の存在が、より鮮明に意識され始めるのだった。
首席裁判官は少しの間思案した後、ユリウスに質問を返した。
「その、レオポルト=シュタウファーという男は、現在どうしているのかね。」
「既に、病気で他界しております。」
ユリウスの返答に聖堂内は落胆した雰囲気に包まれた。しかし、私たちには切り札がある。コンラートの名が書かれた、レオポルトの手記。これがあれば、コンラートが黒幕であると証明できる。
私は壇上にいるディートヘルム殿下と視線を交わした。
冷たい瞳の奥に、揺るがぬ信頼が宿っている。私の胸の奥でうずく怒りも、不安も、すべて理解してくれていることを、彼は知っている。
深く息を吸い込み、私は手元の羊皮紙を握りしめた。今こそ、ローゼンベルク家の名誉を取り戻すため、そして黒幕を裁くために立つ時だ――。
私は深く息を吸い、手元の羊皮紙を廷に差し出した。
「次に、私から証拠を提出いたします。」
廷臣たちの視線が一斉に私へ注がれる。皇帝陛下も書類から目を上げた。
「この羊皮紙は、レオポルト=シュタウファーが生前に記した手記です。手記には、アレクシス殿下暗殺事件の真実を知ったことによって、ある男に脅迫され、以来数々の罪を重ねさせられたことが記されています。」
廷内はざわめき、皇帝陛下も眉をひそめた。
『ある男に私の所業も、敬愛すべきあの方の正体も、すべて知られてしまったのです。 私はその男の脅迫に屈し、以来、彼の命ずるままに数々の罪を重ねてきました。この身に巣食う病が、もはや癒えぬものであると悟った今、 犯した罪への最後の責任として、この手記を残します。私を脅迫していた男の名は、コンラート=フォン=レーヴェンタールです。』
聴衆は息を飲む。手記には、オスヴァルトの暗殺や偽造書類に直接触れてはいない。しかし、背後に黒幕が存在したこと、そしてその男の意図によって数々の事件が繋がっていることは明白だった。
私は胸の奥で怒りを燃やしながら、静かに言葉を続ける。
「この手記が示す『男』――コンラート=フォン=レーヴェンタール――が、すべての黒幕です。」
聴衆の視線が、自然とコンラートへ向かう。彼は一瞬、僅かに動揺を見せたが、すぐに冷静を装う。
首席裁判官は重々しい声で言った。
「なるほど……これは、無視できぬ証拠であるな。」
私は拳を固く握る。ついに、黒幕を法廷の場に引きずり出す瞬間が来たのだ。
聖堂内の視線が一斉に私に注がれる。息をひそめる廷臣たち、固く俯く者、そして、冷静さを装う黒幕
――そのすべてが、今、決着への幕開けを告げていた。




