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3


 軽めの昼食を終えたころ、エミールとソフィエが、困惑顔のカイを連れて戻ってきた。



「あの、これはいったいどういう集まりなのですか?」



 応接用のソファに腰掛けたカイが、恐る恐るといった様子で口を開いた。言いながら彼の視線は、私の隣に座るディートヘルムに注がれている。



「詳しいお話もせず連れてきてしまって申し訳ないわ。…実は、貴方に解読してほしい本があるの。」



 私は、お母様の古文書と辞書を取り出して、カイの前へそっと置いた。


 彼は本を手に取ると、ページをめくりながら、興味深そうに呟いた。



「…ずいぶん珍しい本をお持ちなんですね。」


「やはり、貴方には読めるのね。」



 カイは一目で、この本が古代語で書かれているのが分かったらしい。



「私も、その辞書を使って読み解こうとしていたのだけど、どうしても上手くいかなかったの。」



 古文書を閉じながら、カイは小さく息をついた。そうしてもう一冊の辞書の表紙を指さすと、古代語について詳しく話をしてくれた。



「皆さんご存知かとは思いますが、かつてこの帝国や周辺諸国も含めて一つの国家として治められていました。その時に広く使われていたのが古代語です。その中心地である我がグラウヴァルト帝国にも古代語で書かれた文献などが残っています。それらを読み解くには、この辞書は有効でしょう。」


「…でも、アンネリーゼは上手くいかなかったんだよね?」



 エミールの問いに、私は頷き返した。単語の意味は調べられても、上手く文章にならないものがほとんどで、正確に読み取れた箇所の方が少ない。



「それは、この本が古代語ではなく、南方のカルドリア公国で使われていたカルディック語だからですよ。」


「…カルディック語?」



 黙って話を聞いていたディートヘルムがハッとしたように顔をあげた。



「カルディック語は古代語によく似ていますが、語順や文法が独特なんです。同じ単語でも意味が少し違ったり、逆に全く別の意味になっていたりします。だから古代語の辞書では正しく訳せないんですよ。」 



 それを聞いて、私は胸の奥に引っかかる感覚を覚えた。――お母様は、この違いをご存知だったのだろうか。



「…では、こちらの文書も同じくカルディック語で書かれているものなのか見てもらえる?」



 私は、ゲオルク様から預かった、外交文書の控えを取り出した。古代語を用いた暗号が使われていると言っていたが、もしこれがカルディック語で書かれているのだとしたら、カイには読み解けるだろう。



「…こちも、カルディック語で書かれていますね。」



 カイが静かに呟くと、手元の古文書と辞書の隣に外交文書を丁寧に並べた。



「この古文書は表向きカルドリアの戦史をまとめた記録ですが――実際は、地名や人名を使って別の意味を隠してあります。」


「別の意味……?」



 カイは古文書の一節を指でなぞった。



「たとえば、ここに『第三の城壁が崩れ、赤き槍が運び込まれた』とあります。これは、港町を経由して槍形の武器が持ち込まれたことを意味しています。カルディック語特有の隠語ですね。」



 私は息を呑んだ。そんな読み方があったなんて。


 カイはさらに、外交文書の方を指さしながら説明を続けた。



「これもカルディック語で書かれています。表向きは香辛料や絹布の取引ですが……古文書の文章と同じ置き換え規則が使われています。」



 彼は二つの資料から、文章を抜き出して紙に書くと、同じ言葉が出てくる箇所にしるしをつけていく。



「この『赤き槍』という表現。古文書では戦記の一部として書かれていますが、この外交文書では品目の欄に記されています。――つまり、これは同じ組織が作った暗号だ。」


「……お母様は、それに気づいていたのね。」



 私の声は震えていた。もしそうなら、お母様は密輸の事実を知ってしまったことになる。

 

 その時、黙って聞いていたディートヘルムが、ゆっくりと口を開いた。



「もしエリーザ様がその暗号を解いてしまったのなら……それは、命を狙われる理由として十分だ。」



 重苦しい沈黙が部屋を覆った。


 私の胸の奥に、小さな確信が芽生える――母が手にしていた古文書とあのメモ。



《この本はレーヴェンタール家に返すこと。彼はこれが"鍵"だと知らない》



 このメモの”彼”がいったい誰を指していたのか、今ならわかる。恐らくコンラートの息子、アーヴァインだ。



《これが"鍵"だと知らない》



 つまり、アーヴァイン自身は暗号の存在すら把握していない。彼は、ただ家の蔵書の一冊として受け取るだけ……そう信じていたのだろう。



「……お母様は、彼を巻き込まないために、あえて返そうとしたのかもしれない。」



 自分でも驚くほど小さな声が漏れた。



 ディートヘルムは黙って私を見つめ、そして机上の古文書と外交文書を軽く叩いた。



「だが、今この二つが揃ってしまった。つまり、暗号を解く条件が整ったわけだ。」



 部屋の空気がさらに重く沈んだ。


 母が守ろうとしたものを、私たちは今まさに暴こうとしている――それが、黒幕の喉元に刃を突きつける行為であると知りながら。



「カイ。……貴方に、折り入ってお願いがあるの。」


「……なんでしょう。」



 私は彼の目を真っすぐに見据えた。



「詳しい事情は話せないけれど、この二つの資料は、ある裁判で非常に重要な証拠になるの。――どうしても、貴方に解読を頼みたい。」



 詳細は話せないのに、何も聞かずに手伝ってほしいと頼むことは虫が良すぎることもわかってる。けれど、この件はローゼンベルク家、光冠の神殿会、そして皇族までもが絡む裁判だ。無闇に巻き込み、命の危険にさらすわけにはいかない。


 だが――コンラートを追い詰めるために、この資料は絶対に欠かせなかった。


 カイはしばし黙し、視線を資料へと落とす。そして、ふと口を開いた。



「……僕がこれを手助けすることで、リアナの役に立ちますか?」



 リアナの名を真っ先に口にするあたり、やはり彼の原動力はそこにあるのだと確信する。



「……そうね。少なくとも、彼女は前に進もうとしている。」



 短い沈黙のあと、カイは小さく息を吐き、静かに頷いた。



「……わかりました。僕にできる範囲で、お力になりましょう。」



「…わかりました。僕にできる範囲でしたらお手伝いしましょう。」



 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。気づけば私は、小さく息を吐いていた。



「ありがとう、カイ。本当に……感謝しているわ。」



 私が頭を下げると、カイは少しだけ目を細めて視線を逸らした。おそらく、褒め言葉や感謝を正面から受け取るのが苦手なのだろう。



「……べつに、礼を言われるほどのことじゃありません。」



 傍らで聞いていたソフィエが、半ば呆れたように笑った。



「ちょっと、普通はそう簡単に引き受ける話じゃないわよ? 事情を深く聞かずに動くなんて。」


「だからこそ、ありがたいのよ。」



 私はソフィエにそう返し、ふと隅に座っていたエミールの方へ目を向けた。


 彼は黙って、じっとこちらを見つめると、優しく微笑んだ。



「エミール、ありがとう。貴方のおかげで何とかなりそうよ。」



 エミールは小さく首を横に振った。



「……ううん。突然連れてきても文句も言わないカイがすごんだよ~。」



 私が苦笑すると、エミールがこちらに身を乗り出してきた。



「でも、褒められると嬉しいから、もっと褒めてくれてもいいよ~?」



 わざと子どもみたいに手を差し出すエミールに、思わず吹き出してしまった。



「……はいはい、よくできました。えらいえらい。」


「雑だなぁ~。」

  


 カイはそんなやり取りを横目に、机の上の古文書と密輸文書を整えた。



「……では、まずはこの二つを見比べましょう。どちらも同じ“書き手”の手による可能性が高い。」



 彼の声が、場の空気を引き締めた。こうして解読の時間が始まった。



 カイは机に古文書と密輸文書を並べると、ゆっくりと頁をめくりはじめた。

 

 指先が文字の上をなぞり、時折、帝国語のメモ用紙に短い符号を書き付ける。



「やはり……これはカルディック語ですね。古代語に似てはいますが、語順が完全に異なります。それに……。」



 彼は密輸文書を取り上げ、眉を寄せた。



「……この契約書、表向きは交易記録ですが、文章の区切りが不自然です。単語の頭文字を拾うと……別の文が現れる。」



 カイは古文書を開き、ある一節を指差した。



「こちらの詩文に沿って頭文字を置き換えると……取引品の名称と、運搬経路が浮かび上がります。見てください。」



 紙の上に、見慣れぬ単語が並ぶ。


 その中には、南方でしか採れないはずの鉱石の名もあった。



「……カルドリア公国との密輸の証拠……。」



 思わず声が震える。これこそが、コンラートを追い詰める決定打になる。


 しかしカイは資料から目を離さず、低く呟いた。



「……まだあります。この符号の並び方、どこかで見たことが……。」



 その瞬間、ディートヘルムの瞳が細く光った。



「――やはり、そう繋がるか。」



 私が問い返すより早く、彼は椅子から立ち上がった。



「この暗号の型は、光冠の神殿会が密使との連絡に使うものだ。つまり――神殿会の内部が、この密輸に関与している。」


 

 部屋の空気が一段と冷たくなった。

 

 レーヴェンタール家は元々、神殿会と懇意にあった貴族の派閥だ。当時から神殿会内部がコンラートと密接な関係を築いててもおかしくはない。



「おそらく、末文に出てくるこの名前が神殿会内部にいる関係者でしょう。…僕は見なかったことにしておきますね。」


「ありがとう。神殿会には別で伝手があるから、気にしないで。」



ディートヘルムは私とカイのやり取りを黙って見ていたが、ふと低く呟いた。



「……証拠は、ただの証拠じゃ足りない。誰が見ても揺るがぬ形にしなければな。」



私が問い返す前に、彼は視線を逸らし、別室に待機していた護衛騎士に声を掛けに行った。









 資料の解読には半日を有したが、カイの協力のおかげで証拠として十分使えるものとなった。

 

 解読が一段落すると、カイは静かに立ち上がり、私たちのもとを去ろうとしていた。



「本当にありがとう。何とお礼を言っていいか…。」


「いいえ、僕もいい勉強になりましたから。」



 カイは少しだけ視線を逸らしながらも、真剣なまなざしで言った。



「……リアナのこと、どうかよろしくお願いします。」



 私はその言葉に深く頷いた。ディートヘルムもすっと前に進み、無言で力強く頷く。


 カイは短く礼を述べ、静かに部屋を後にした。


 扉が閉まるその音が、まるで決意を固める合図のように響いた。






 







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