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 リアナがレオンハルトと共に旅立ち、それに合わせてリディアとノエルも神殿会の本部へと戻っていった。


 

「…裁判となれば、証拠だけでなく証人も必要よね。」


「それは、ノエルさんを信じるしかないんじゃないかなぁ。」



 ノエルは去り際に、コンラートが行ってきた神託の改ざんや怪しい行動に関して証言してくれる人に心当たりがあると言っていた。


 今はその言葉を信じて準備を進めるしかない。



「マティアス大司教にも、連絡しなければいけないわ。ローゼンベルク領からこちらに来てた頂くのは大変だけれど…。」


「きっと協力してくれるだろう。」



 ユリウスは既に、父であるノルトハイム公爵との交渉に入っている。私たちもできることをしなければならない。残された手記といくつかの証言を手がかりに、それぞれの断片を確かめに行く。


 けれど、私はそれとは別に、どうしても気になっているものがあった。


 母が遺した本。レーヴェンタール家の印章が残された一冊の本と古代語の辞書。


 私はまだ途中までしか解読できていなかったけど、ローゼンベルクの別邸から見つかった、母が持っていたものには、帝国語での翻訳がかなり書き込まれていた。


 あの本には、何かがある。それに、母の字で書かれていたであろう古いメモ。



 《この本はレーヴェンタール家に返すこと。彼はこれが"鍵"だと知らない。》



 この彼とは、いったい誰を指すのか。この本が一体、何の”鍵”なのか。


 レオポルトの手記を読んでからというもの、その思いは日に日に強くなっていた。


 母の死は偶然ではない。元々身体が弱かったという理由だけではなく、何かが意図的に隠されていた――そんな確信だけが、胸の奥に根を張っていた。


 それを裏付ける何かが、この本の中にあるのかもしれない。



「私、例の本についてもう少し調べたいの。」


「…お母様が遺してたっていう本の事?」



 私はソフィエに頷き返した。



「私一人では解読に時間がかかるから、言語に詳しい方にお願いしようと思っているの。」



 そんなにすぐ、古代語に通じた研究者が見つかるとは思えない。でも、どうしてもこの本の内容を明らかにしたい。母が命懸けで残したかもしれない何かが、そこにあるのなら――。


 私の言葉に、ソフィエもディートヘルムも、少しだけ難しい顔をした。



「古代語は、皇太子教育の一環でかじった程度だ。当時の家庭教師は今は引退しているし……呼ぶとなれば時間がかかるだろう。」


「私も、留学前に少しだけ古文書の講義を受けたけど、先生が古代語まで詳しいかどうかは微妙だわ。」



 それでも、調べなければ前に進めない。どうしたら――と、思い詰めかけたその時。



「――あ、そうだ!」



 ぱっと声をあげたのはエミールだった。思いついた、といった顔で身を乗り出す。



「ピッタリの人がいるじゃない!貴族じゃないけど、中央学院に特別枠で入学してて、アンネリーゼの次に頭のいい人!」


「……もしかして、カイ=エーデルフェルト?」



 ソフィエが目を見開きながら名を挙げると、エミールは大きく頷いた。



「うん、そのカイだよ!平民から中央学院に編入するのは大変だけど、彼は言語学の専門家の推薦で入学したんだ。古代語も独学で読めるって言ってたよ。」



 私は一瞬、目を見張った。そんな人が、身近にいたなんて。



「……でも、協力してくれるかしら。」


「大丈夫だと思う。リアナの名前を出せば一発だよ!」



 あまりに自信満々に言うものだから、思わず笑ってしまいそうになる。



「任せて! 僕が連れてくる!」



 そう言い残して駆け出していく後ろ姿を、私は少し呆気に取られながら見送った。



「…私も行くわ。彼とは面識もあるし、私も少し気になることがあるから。」


「ありがとう、お願い。」



 そう言ってソフィエは、エミールの後を追って部屋を出て行った。


 あの本の真相に辿り着くために――新たな協力者が現れることを、私はどこかで確信していた。










 カイの事はエミールとソフィエに任せて、私とディートヘルムはレオポルトの手記について精査することにした。



「…レオポルトの手記をもう一度確認しよう。」


「そうね。この手記は、コンラートを追い詰めるための貴重な証拠だもの。」



 彼の手記は、皇后陛下との密約についてから語られていた。


 皇后の生家と縁続きであったレオポルトは、彼女からの要請で、教会で押収していた<神経毒>を献上した。皇后はその毒を使い、とある筋から用意した赤子の死体を利用してアレクシスの死を偽装した。レオポルトは、まだ幼かったアレクシスを引き取り、その後孤児として教会で育てた。


 それからしばらくは穏やかな日々が続いていたが、ある日コンラートにその秘密を知られてしまう。弱みを握られたレオポルトは、コンラートに言われるまま、数々の悪事に手を貸していった。


―――その中には、お母様の死についても書かれていた。



「まさか、コンラートはこんなことまで…。」



 手記を読み進めていくと、コンラートからの脅迫を受けながら、中央の白衣修道会へ移動したことなど、これまで起きた出来事が淡々と語られていく。そうして手記の最後、彼が自分の死期を悟った頃に書かれたのであろう、誰かに向けての懺悔の言葉に辿り着いた。


 それは他の部分とは違い、文字がところどころかすれて乱れ、震える手で書かれたことが読み取れる。言葉の端々に、深い後悔と赦しを乞う想いが滲んでいた。



「この懺悔は、誰に向けてのものなのかしら……。」



 思わず呟いた私に、ディートヘルムはそっと言う。



「君の母君の事ではないか?」



 けれど私は、首を横に振った。


 お母様の話は手記の冒頭で触れられている。そこには、母や私たちローゼンベルク家、ヴァレンシュタイン家への謝罪の言葉がはっきりと書かれていた。


 この最後の懺悔だけは――それとは違う、より個人的で、痛切な悔いを感じる。


 あれは、もっと近しく、もっと重い何かを抱えた相手に向けて書かれたものだ。けれど、それが誰なのか。なぜその人への想いだけが、こんなにもにじみ出ているのか。


 手記を閉じたあとも、その答えだけは、霧の向こうにあるようだった。



「……考えていても仕方がないわね。今わかることを一つずつ確かめて――」



 私がそう言いかけたその時、部屋の扉が二度、控えめにノックされた。



「失礼する。」



 低く響いたその声に、私は思わず背筋を伸ばす。


 入ってきたのは、ゲオルク様。そしてその背後には、曾お祖父様の姿もあった。



「忙しいところ、邪魔をしてすまないな。……少し話がある。」



 ゲオルク様の声は柔らかかったが、その眼差しは鋭く、私たちが手にしていた手記に一瞥を向けていた。



「この手記についてでしょうか?」


「ああ。先程、ソフィエ嬢から話を聞いた。どうやら、かなりの内容が書かれているようだな。」



 ゲオルク様が静かに頷く。



「少し、我々にも読ませてもらえないだろうか。」



 私はディートヘルムと顔を見合わせた。これまで私たちだけで読み進めていた手記。けれど、私たちだけで抱えておくには重すぎる内容だった。



「もちろんです……。まだ全容は掴めていませんが、それでもお二人の目で見ていただければと思います。」



 私がそう答えると、ゲオルク様は短く「礼を言う。」とだけ口にして、手記を受け取った。曾お祖父様は、そのまま私たちの隣に腰を下ろし、手記を広げた。ゲオルク様もその後ろに静かに立ったまま、手記を覗き込んでいる。


 ふたりの視線の先で、レオポルトの文字が、静かにすべてを語っていた。


 しばしの沈黙ののち、曾祖父様が低く呟く。



「……やはり、エリーザの死には、こやつらが関わっていたのだな。」



 その言葉は、静かに、だが確かな重みを持って部屋に落ちた。


 私は唇を噛む。母が亡くなったのは、私を産んだことが原因だと、ずっとそう思っていた。


 元々身体の弱かった母にとって、出産はあまりに大きな負担だったと――誰もがそう説明し、私も疑わなかった。


 でも、それを最初に疑ったのは、ヴァレンシュタイン家の人たちだった。


 お母様の死に、何か腑に落ちないものがある。そう言って、長年ひそかに調査を進めてきたという話を、私はお父様から聞いてようやく知ったのだった。



「お父様からお聞きしました。……本当に、そうだったんですね。」



 声に出した瞬間、胸の奥から何かがせり上がってくるのを感じた。



「お母様は、ただ体が弱かっただけじゃない。何かを知ってしまって、狙われた……。」


「そのことでお前たちに伝えておくべきことがある。」



 曾お祖父様が静かに言葉を切ると、後ろに立つゲオルク様は受け継ぐように話し始めた。



「君たちに調査を頼まれた後、先代の指示で、独自にコンラートの周辺を調べていた。先ほどようやく、いくつか確実な証拠が掴めたんだ。」


「証拠……というのは?」



 ディートヘルムが身を乗り出す。ゲオルク様は一枚の封筒を懐から取り出し、机の上に置いた。



「奴が過去に行っていた貿易の記録だ。表向きは外交文書として処理されていたが、中身は古代語による暗号で構成されていた。作成者はアーヴァインという男――コンラートの息子だ。」


「息子も密輸に関係が……?」



 私は思わず問い返していた。



「いや。密輸には加担していない。だが、奴は息子を隠れ蓑にして取引を進めていたのだ。」



「古代語というと……。あの本と、繋がっているのかしら。」



 私が呟くと、曾祖父様が目を細めた。



「…かつてエリーザも、南方の取引に関して進言してきたことがある。その本が、エリーザの持っていたものなのだとしたら、恐らく関連はあるだろう。」


「それでは、その結果が……。」



 ディートヘルムは最後まで続けなかったが、言葉にしなくても皆の思いは同じだった。だからこそ、今度こそその手を逃さないようにしなければならない。


 ゲオルク様は封筒と手記を手に取り、少し間を置いて続けた。



「この手記の写しを、信頼できる筋に預けておこう。公にするにはまだ時期尚早だが、いざという時の証拠にはなる。」


「裁判の場で提示する可能性もあります。その際には、ヴァレンシュタイン家としての立場を確認しておきたくて……。」



 私がそう切り出すと、曾祖父様がゆっくりと頷いた。



「裁かれるべき者がいるのなら、我が家はその裁きを妨げることはせん。……エリーザの名誉を守るためにもな。」



 その言葉を聞いて、胸の奥に少しだけ温かいものが灯った。



「ありがとうございます……。」



 私は深く頭を下げた。曾祖父様は何も言わず、ただ静かに私の姿を見ていた。



「もちろん、我々が得た情報もすべて提出する。だが……正面からぶつかれば、コンラートは必ず何らかの手を打ってくる。油断は禁物だ。」


「はい、慎重に事を進めるつもりです。」



 私の言葉に、ゲオルク様は静かに微笑んだ。



「……君は、強くなったな。エリーザも、きっと誇りに思うだろう。」



 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。けれど今は、感情に呑まれている時ではない。



「残された手がかりは、すべて繋いでいきます。どうか、今後ともご協力をお願いできますか?」


「もちろんだ。――ヴァレンシュタイン家として、全面的に支援しよう。」



 その宣言は、これまでの不安をひとつ払ってくれるようだった。


 少なくとも、手元に残された手記と、母が大切にしていた古文書の解読には、私たちの力で取り組める。



「お母様の持っていた古文書に関しては、こちらで解読を進めようと思っています。」



 そう告げると、ゲオルク様は一つ、静かに頷いた。



「――密輸に関わっていた関係者の証言については、引き続き我々に任せてほしい。まだ確保には至っていないが、接触の目途は立っている。」



 その声音には、確かな自信と覚悟が宿っていた。



「……私たちの解読と、ヴァレンシュタイン家が確保する証人が揃えば――きっと、コンラートの過去を明らかにできるはずです。」



 そう言ったとき、隣にいたディートヘルムが、そっと視線をこちらに向けた。

 

 何も言わずとも、彼のまなざしは確かに私の決意を受け止めてくれていた。


 そのやりとりを見ていた曾祖父様が、ふと低く、唇を動かした。



「……すでに没落したとはいえ、その過去の所業を明かさねば、真の意味で清算とはならん。」



 静かな声だった。けれど、その一言には、長年にわたり貴族として国家に仕えてきた者の確信が込められていた。


 レーヴェンタール家はすでに表舞台から退いたとはいえ、神殿会と癒着していた過去や、権力を濫用していた証拠が明るみに出ることで、彼らの「失脚」に対する疑念に終止符を打てる。


 私も深く頷き返した。


 やがて曾お祖父様とゲオルク様は席を立ち、ディートヘルムと私に静かな視線を送ってから部屋を後にした。

 

 扉が閉まると、部屋の中は一気に静まり返る。


 残されたのは、古文書と手記、そして積み重なる疑惑の数々。



 ――必ず、すべてを繋げてみせる。



 胸の奥でそう誓いながら、私は机上の手記にそっと手を伸ばした。












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