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6


 そこから先は、真っ暗な石造りの通路だった。灯りもないが、私はあらかじめ用意していた小さなランタンを灯し、階段をゆっくりと降り始める。


 ひんやりとした空気。閉ざされた空間特有の、重たい沈黙。


 階段を下るごとに、私の心臓の鼓動が徐々に早まっていく。



 ――この先に、いったい何が隠されているのか。



 そう思うだけで、足が震えるほどの緊張と、得体の知れない恐怖が胸を満たしていた。


 けれど、戻るつもりはなかった、すべてを知るために。私は最下層へと、静かに足を踏み入れた。


 上の階と同じように、古くなった扉を開けると、カビの匂いが、鼻をつく。


 どこか、土と古紙が腐ったような、時間の堆積した空気が充満していた。石壁の向こうに並ぶのは、木棚にびっしりと詰め込まれた書類箱。ランタンの明かりが揺れるたびに、埃がふわりと舞い上がる。



 ――ここが、最下層の資料室。



 見渡すかぎり、名前も肩書きも読めなくなった箱が整然と並んでいる。まるで、誰にも知られぬまま眠る亡霊たちの納骨堂のようだった。


 私は息を殺して歩き出す。


 事前に聞いていた通り、この場所に保管されているのは、”既に亡くなった帝国内の貴族たち”の資料。それも、本来なら各家の要望によって破棄されたはずの記録のはず。



 「……処分されたというのは、建前だったのね。」



 抑えきれないささやきが口をつく。無断で残してあるこの資料を、神殿会が何に使うつもりなのかは知れないが、ここには、封印された真実が、まだ残っている。


 それなら、コンラートの家の事や、母の記録も何かほかに残っているかもしれない。


 私はまず、レーヴェンタール家の名を探す。古びた札が打ち付けられた木箱の中に、それらしきものを見つけた。


 箱を引き出すと、埃が舞い上がった。中には年代ごとに並んだ記録が綴じられており、その最も新しい部分――没落寸前までの時期に、目当ての記録はあった。



 《コンラート=フォン=レーヴェンタール 子息・アーヴィン、馬車事故により死亡》



 「……やっぱり、あった。」



 その記録を素早く抜き取り、私は手のひらでたたんで内ポケットに滑り込ませた。



 ――次は、母の記録。



 私は息を深く吸い、震える指でファイルを戻すと、再び別の箱を探しにかかった。ローゼンベルク家、と記された箱が見つかるまで、それほど時間はかからなかった。


 重たい木の蓋を開けると、見覚えのある紋章が目に飛び込んできた。そこには、祖父、曽祖父の記録に混じって――。



 「……あった。……お母様の……。」



 “エリーザ=フォン=ヴァレンシュタイン”と記された診療録が、一番下に綴じられていた。それをそっと持ち上げると、中には医師による診療記録のほかに、数通の紙片が挟まれている。


 丁寧な筆跡。小さく震える文字。



 《私の名において、すべての責任を告白する。――レオポルト=シュタウファー》



 私は思わず息をのんだ。


 母の資料の中に、その名が、確かにそこにあった。けれど、ページをめくろうとしたそのとき――。



 ギィ……



 静寂を裂くように、背後で扉が軋む音が響いた。私は手の動きを止め、息を潜める。



 ――誰かが、入ってきた。



 扉がきしむ音の直後、かすかな衣擦れが聞こえた。



 ――神官?



 私は母の記録を胸に抱きながら、棚の陰に身を潜めた。足音が一歩、また一歩と近づいてくる。息を詰め、様子を窺おうとしたその瞬間――。



 「隠れる必要はありませんよ。」



 静かで落ち着いた声だった。恐怖を煽るような響きはなかったが、それだけに心臓が跳ねる。


 私はゆっくりと姿を現した。そこには、一人の神官が立っていた。まだ壮年といった年齢だろうか。控えめな金の縁取りがなされた濃紺の法衣をまとっている。見覚えはないが、肩にかけられた刺繍付きのストールは、高位神官の証だった。



 「……貴方は。」


 「私は、第二記録区の管理を任されている者です。名は重要ではありません。」



 男は軽く頭を下げたあと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。



 「あなたが、ローゼンベルク家の……。」



 その言葉に私はぎくりと身を固くした。どうしてこの男が、私の正体を?



 「……名乗っていません。」


 「いいえ、名乗らなくとも構いません。あなたが手にしているその記録が、それ以上に雄弁です。」



 男の視線が、私の腕の中――“エリーザ”の記録に注がれる。



 「彼女のことを覚えています。礼儀正しく、真っすぐな瞳をした方でした。神殿の者が誰も彼女を救おうとしなかったことを、私は今でも悔いている。」



 男の声音に、かすかに悔恨が滲んでいた。その言葉が嘘でないことを、私は直感的に感じ取った。



 「……助けていただけますか。この記録を……必ず外へ持ち出したいのです。」


 「すでに、貴女の滞在が長すぎるのは明らかです。扉の先に立っている者は、そろそろ不審に思い始めている頃でしょう。」



 男は後ろの扉を振り返った。



「私が今から階段の警備を少しの間引きつけましょう。その間に、正規の通路を通って、上にお戻りなさい。今なら目立たずに合流できるはずです。」



 私は一瞬だけ迷い、そして頷いた。



 「ありがとうございます。……お名前は、本当に教えていただけないのですか?」


 「ここで名を残すことに意味はありません。……ご武運を。」



 そう言い残し、神官は扉を出て行った。私は資料を再び抱え直し、深呼吸してから、部屋を後にした。


 暗く、ひやりとした空気が満ちる最下層の通路を抜け、石階段を一段ずつ踏みしめて昇っていく。


 上階へ向かうたび、足音は堂々と響いていた。これは逃走ではない。――証拠を手にした、正当な帰還なのだ。


 第二資料室のある階まで差し掛かった時、あたりの様子を確認したが、ディートヘルムの姿も、彼が引き留めていた騎士の姿もなかった。


 私はほっと胸を撫で下ろし、第二資料室の扉を開ける。



「アンネリーゼ…!」



 中にいたディートヘルムが私に駆け寄ってくる。



「先ほど、一人の神官が階段を上ってきたが…。」


「えぇ。その方に助けていただいたの。」



 私の言葉にディートヘルムが怪訝そうにするが、今は詳しく話している時間はない。



「……最下層の資料室で見つけたの、母の記録と、それに……。」



 私は手にした書簡を、胸に抱え直すようにして見せた。彼の目が驚きに見開かれたが、それ以上は何も問わなかった。



「もうすぐリアナたちと合流する時間よね。」


「あぁ、急ごう。」



 私たちは第二資料室を出ると、やがて第一資料室の前まで戻った。扉をノックして室内に入ると、ノエルとリアナの姿がすぐ近くにあった。



「聖女様、資料の確認が終わりました。」


「ありがとう、こちらも今終えたところです。」



 リアナは静かに微笑みながらうなずく。ノエルは私にちらりと視線を寄越し、それだけで“どうだった?”と問いかけてくる。


 私は小さく頷いた。答えは、それだけで十分だった。


 ふたりのやりとりに気づかぬふりをして、リアナは同行していた神官に視線を向けた。



「ご案内、ありがとうございました。そろそろ退室したいのですが?」



 神官は丁重に頭を下げる。



「もちろんでございます。では、出口までご案内いたします」



 私たちは再び列を整え、第一資料室を後にする。


 ノエルはリアナのすぐ隣を歩き、私たちはその後に続いた。入室時と同様、騎士たちが扉の脇に控えていたが、神官の同行があるためか、誰も詮索はしてこなかった。


 外の光が、やがて視界に差し込んでくる。


 あの冷たい記録の空間から抜け出し、ようやく人の気配と温度が戻ってきたようだった。


 無事に出られた――そう思った瞬間、初めて胸の奥が緩んだ。


 物陰で待機していたレオンハルトに、成功の合図を送る。彼は頷くと、塔から少し離れたところでこちらと合流した。


 神殿会本部を後にし、リアナとノエルとは人目を避けるために別れを告げた。



「また連絡する。」



 ノエルの声に頷く。リアナは一度もこちらを振り返ることなく静かに去っていき、私はディートヘルムやレオンハルトと共にヴァレンシュタイン家へ向かった。









  【ヴァレンシュタイン家・離れ】



 邸の門をくぐると、ちょうどユリウスが到着したところで、軽く息をついているところだった。



「ユリウス!」



 声を掛けた彼の顔に一瞬警戒の色が浮かぶ。その表情で自分が変装していたのを思い出すと、ベールを取り、彼に顔を見せる。



「殿下、アンネリーゼ様。…ご無事で何よりです。」


「ええ、資料の確認もできたの。中で詳しく話すわ。」



 安堵の表情を見せたユリウスを連れて、私たちは離れへと入った。


 軽く着替えを済ませ、皆が待つ書斎へと入る。


 書斎に入ると、リディアとエミール、ソフィエがすでに揃っており、こちらの姿を見るなり立ち上がった。



「おかえりなさい、アンネリーゼ!」


「怪我はない? 本当に大丈夫?」



 エミールとソフィエが駆け寄るのを手で制し、私はそっと笑って頷いた。



「ええ、無事よ。資料も……これを見つけたの。」



 私は、慎重に懐から一冊の記録簿と、それに挟まっていた数枚の書簡を取り出して机の上に置いた。皆の視線が、無言でそれらに注がれる。



「これは、レオポルトの手記?」



 リディアがささやくように言う。



「中を読んだのか?」



 ディートヘルムが静かに問いかける。



「ほんの一部だけ。これは……レオポルトが、“自らの罪”を告白すると記した手紙。詳細まではまだ読めていないけれど、間違いなく彼は――。」


「後悔していたのね。」



 ソフィエが静かに言った。部屋の空気が一瞬、重く沈む。


 ディートヘルムは、レオポルトの手紙を手に取ると、真っ先にそれを私に渡した。



「君から読むべきだ。」



 その場にいた皆が、こちらを見て頷いた。


 私はゆっくりと頷き、ディートヘルムの手から手紙を受け取った。紙の感触は古く、ところどころインクがにじんでいる。


 深く息を吸い、私はその手紙を読み始めた。


 文面に視線を落とした瞬間、時間が止まったような錯覚を覚える。周囲の気配がすっと遠ざかり、私は言葉ひとつひとつを追いかけた。まるで、死者の声が紙の上から直接心に語りかけてくるかのように。


 やがて、手紙の最後の一文を読み終えた私は、そっと紙を伏せた。


 重く、苦しい吐息が自然に漏れる。



「……まだ、これだけでは証拠としては弱い。でも……この手記が、本当に真実を語っているのなら。」


「必ず繋がるわ。私たちの探している黒幕に。」



 ユリウスが、私の言葉に力強く頷いた。



「殿下。この資料は、いずれ裁きの場に提出されるべきものです。保管と分析は私が責任を持ちます。」


「頼んだ、ユリウス。」



 ディートヘルムの言葉に私も深く頷いた。


 こうして、また一歩、私たちは核心に近づいた。

 

 ローゼンベルク家に向けられた冤罪の影を晴らすために。









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