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  【ヴァレンシュタイン家・離れの書斎】



 帝国騎士団の拘束から逃れた私は、ローゼンベルク家の邸に戻ることはせずに、ヴァレンシュタイン家の離れを使わせてもらっていた。友人たちやディートヘルムたちの出入りを考えると、本邸よりも子の離れの方が都合がいいと考えたからだ。本邸と比べ人も少なく、静かなこの場所は仲間たちとの話し合いには最適である。


 ノルトハイム領の礼拝堂でノエルと話してから数日が経っていた。準備に時間がかかると言っていた通り、手はずを整えるのは容易ではないらしい。


 その間に、リディアたちは研究員の兄から記録保管庫の情報を手に入れてくれていた。



「…あの神官様からは、まだ連絡ないんだね?」



 エミールは声を落としながらため息をついた。私は、静かに頷き返す。



「…聖女が動いても、即座には通らないのね。」



 ソフィエがため息交じりに呟きながら、机の上に広げられた手描きの図面を指でなぞる。



「それにしても、これがその“記録保管庫”……。想像よりずっと入り組んでるわね。」


「過去に兄が研究員として一時的に出入りしていたことがあるの。図面も、記憶をもとに再現してくれたものだけれど……信頼できるわ。」



 そう言ってリディアは胸を張ると、淡い筆跡のメモを一枚、皆の前に差し出した。



「神殿会本部の東にある塔の形をした建物。地上は普通の塔と変わりないけど、その地下が保管庫として広がってる。入り口には警備の騎士が何人か立ってるみたい。通常は高位神官と、管理担当の神官しか立ち入れない。外部から入室する場合は、高位神官の許可証と印章、神殿会の神官が立ち会わなければいけないみたい。」


「彼の話だと、印章はリアナも持っているらしい。しかし、許可証に関しては他の高位神官のものが必要だと。」



 沈黙が落ちた。神殿会の中でも、敵味方の区別がつかない今、私たちのは手の出しようがない。すべてはノエルに任せるしかないのだ。



「……でも、リアナ様が本当に協力する気なら、少なくとも入室までは正規の手続きを踏んで通してくれる。問題は、そのあとね。」



 アンネリーゼは図面に視線を落とした。


 そこには、複雑に枝分かれした通路と部屋の配置が、簡潔ながらも克明に描かれていた。



「保管庫は、大まかに四つのブロックに分かれているそうよ。」



 リディアが指で順に示していく。



「第一資料室は、過去の神託に関する公式記録。これはおそらく表向きのもの。第二資料室は、神殿内の医療記録や治療報告書。レオポルトの記録があるとすれば、ここ。第三は立入禁止扱いで、“未分類資料”や“処分待ち”とされている箱が積まれているらしい。そして最奥が“特別閲覧室”――特定の高位神官のみが出入りを許された、本来なら誰も触れられない場所。」


「……レオポルトに関する内部報告書があるとしたら、最奥のその部屋かもしれないわね。」



 そう言ってソフィエは卓上の紙を指し示しながら言う。その言葉に皆の表情が引き締まる。



「問題は、どうやってそこまで辿り着くかよ。入室後、リアナ様がついてきてくれるならともかく……。」


「……あの方は、“見て見ぬふり”を選ぶでしょう。」



 私は静かに言った。


 皆が黙る。


 それでも、誰も口には出さなかったが――

 もう後戻りはできないことだけは、全員が感じていた。



「とりあえず、ノエルからの連絡を待つしか…。」



 そのとき、扉の外から足音が近づく音がした。控えの侍女かと思われたが、ノックと共に中へ入ってきたのは、使用人の少年だった。



 「アンネリーゼ様、ノエル様からお届けものです。封書と……この包みをお預かりしております。」



 受け取った封筒には、丁寧な筆跡で“ヴァレンシュタイン家離れ宛”と書かれていた。私はすぐに封を切った。中には詳細な手配内容と、リアナの同行が確定したこと、そして――。



 「……高位神官の許可証が、手に入ったわ」



 一瞬、部屋の空気が止まったような気がした。



 「……本当に? あの短期間で?」


 「ノエルがやってくれたのよ。どうやって説得したかは書かれていないけれど……リアナは、私たちが誰かまでは知らないって。神殿内では変装して動くことになってる。」



 ディートヘルムが腕を組んだまま、わずかに目を細める。



「……警戒は必要だが、進むしかないな。時間は限られている」



 私はゆっくりと頷き、机の上に広げられた地図へと視線を落とした。今やるべきことは、ただ一つ。



 「必ず――証拠を見つけるわ。絶対に見つけ出してみせる。父と兄の潔白のためにも。」









  計画決行の日。朝靄に包まれた離れの一室で、私は鏡に映る自分の姿を見つめていた。


 ヴァレンシュタイン家から借りた落ち着いた色味の修道女の服――神殿内の見習い神官が着るものとよく似ている。髪はすべて隠し、飾り気のない黒いヴェールを頭から被せられていた。



 「変装、完了よ。どうかしら?」



 私が姿見の前でくるりと一回転すると、エミールが一歩下がってじっくりと私を見つめた。



 「うん、貴族令嬢の影も形もないよ~。魂の音以外は!」


 「……それ、褒めてると思っていいのよね?」


 「もちろん。あとは気配まで隠せたら完璧かな~。」



 エミールがにやりと笑うと、リディアとソフィエも横から口を挟む。



 「大丈夫。十分、目立たないわ。」


 「完璧よ。見慣れてる私たちでも、一瞬誰かわからなかったもの。」



 私は胸元の留め具を整えながら、小さく息を吐いた。



 「じゃあ……あとは覚悟を決めるだけね。」



 部屋の隅に目をやると、レオンハルトも身軽な修道会の制服に身を包んでいた。彼は周囲の見張りと、万が一失敗したときに、私たちの脱出ルートの確保を担当する予定だ。


 そして――



 「ディートヘルム、準備は?」


 「問題ない。君より少しは似合ってるかもしれないな。」



 振り返れば、いつもより影の薄い装いの彼が肩をすくめていた。銀の髪も布に包み、誇り高き皇太子の面影はそこにない。今日の私たちは、誰にも見つかってはいけない存在なのだ。


 その時、離れの玄関を控える従者の声が響いた。



 「馬車の準備が整いました。」



 緊張の糸が、再び張り詰める。私は頷き、仲間と視線を交わすと、そっと部屋を後にした。


 ヴァレンシュタイン家の離れを出発した私たちは、中央区のはずれ――神殿会本部にほど近い小さな教会の裏手に滑り込んだ。



 「ここが中継地点だ。ノエルが用意してくれた。」



 ディートヘルムの囁きに頷きながら、私はフードの影で視線を巡らせた。路地裏には人気もなく、扉には“使用停止”の札が掲げられている。誰も、ここから神殿の敷地に入っていくとは思わないだろう。



 「じゃあ、行きましょう。ノエルが待ってるはずよ。」



 重たい扉が、ゆっくりと音もなく開いた。薄暗い通路を抜けた先に立っていたのは、フードを深く被ったノエルだった。



 「よく来てくれた。予定どおり、神殿会の裏側の通用路から入る。通行の確認はすでに済ませてある。」



 ノエルの声は低く、よく通る。



 「リアナ様は?」



 私の問いに、ノエルは目だけでうなずいた。



 「まだ本殿にいる。だが、そろそろ身支度が整う頃だ。私が迎えに行く。君たちはここでしばらく待っていてくれ。」


 「……リアナ様に私たちのことは?」


 「伝えていない。だが、察してはいるだろう。……あとは彼女の判断に任せる。」



 ノエルはそう言って、暗がりの中へと足音も立てずに姿を消した。


 私たちは静かに息を潜め、わずかに湿り気を帯びた石壁にもたれながら、リアナの到着を待った。



 しばらくして、扉の向こうから近づく足音に、私たちは息をひそめる。ノエルが静かに扉を押し開ける。淡い光が差し込む中、控えめな旅装をまとった少女が姿を現した。



 「ご案内します、聖女様。」



 ノエルの一言に、彼女は小さく頷いた。その顔はフードで隠されていたが、間違いなくリアナだ。


 私は一歩前へ出て、深く頭を下げる。



 「……お越しいただき、感謝いたします。」



 彼女は一瞬だけこちらを見たが、何も言わずに視線を逸らした。



 「私ができるのは、記録保管庫への入室まで。…それ以上のことには関われません。」


 「重々、承知しております。」



 私の言葉に、リアナはほんのわずかに表情を緩めた――それは、安堵というより、確認といった色合いだった。



 「互いに、正体を詮索するような真似はしない方がいいです。……お互いのためにも。」



 彼女の静かな一言に、私は頷いた。



 「もちろんです。すべては、真実を明らかにするために。」



 後ろからディートヘルムの声が低く響く。



 「時間は限られている。案内をお願いできるか?」



 リアナはもう一度だけ頷き、ノエルに目を向ける。ノエルがうなずき返し、短く指示を出した。



 「ここからは徒歩で移動する。見張りはついていないが、目立たないように。」



 私たちは再びフードを被り直し、沈黙の中、神殿会の記録保管庫へと向かって歩き出した。





  【神殿会本部・東の塔】



 石造りの厳かな造りの入り口に、黒甲冑を身につけた騎士が鋭い目で私たちを見据えていた。レオンハルトには、万が一に備えて塔の近くに控えてもらっている。


 リアナが先に一歩前へ出て、手に持った高位神官の許可証をゆっくりと差し出す。騎士は許可証を食い入るように見つめ、続いてリアナの傍らに立つ私たちをちらりと視線で追った。


 その冷たい視線に、一瞬身が硬くなる。


 だが、リアナは穏やかに小さく囁いた。



 「問題ありません。彼女たちは私の随行者です。」



 騎士は再び許可証と印章を見比べ、短くうなずいた。



 「通れ。」



 その一言に、扉がゆっくりと開かれる。


 私たちは背筋を伸ばし、リアナの後ろに続いて厳かな記録保管庫の内部へと足を踏み入れた。


 少し進んだ突き当りの扉を開き、地下へと続く階段をゆっくりと降りていく。冷たい空気が肌を刺し、重厚な石造りの壁が圧迫感を与える。

 

 扉の向こうには複数の資料室が並んでおり、私たちは一度、ノエルとリアナとは別行動になる。



「俺と聖女様は予定通り、第一資料室で資料の調査を行う。お前たちは、第二資料室で貴族の医療記録を確認してくれ。」



 ノエルは、わざと周りに聞こえる程度の声量で、こちらに指示を出す。



「畏まりました。終わり次第またお声掛けいたします。」



 私たちは頭を下げると、二人が第一資料室へ入っていくのを見届ける。扉が閉まるのを確認すると、静かに第二資料室へと向かった。


 重厚な木製の扉をそっと押し開けると、薄暗い照明の下に古びた書物や書類がぎっしりと詰まった第二資料室が現れた。埃の匂いが鼻をかすめ、静けさが重くのしかかる。



「静かに、慎重に……。」



 ディートヘルムの声が耳元で響く。


 私はひとつずつ棚の書類に目を通した。記録は家名ごとに分類されているらしく、まずはヴァレンシュタイン家の書類から調べ始めた。祖父のルートヴィヒの名がいくつか出てきたが、母の名前のものは無かった。恐らくローゼンベルク家の資料と一緒になっているのだろう。


 近くに、皇后の実家の名は見つかったものの、重要な記録はなかった。次に、コンラートの家名であるレーヴェンタール家の名も探したが、こちらも該当の記録は存在しなかった。



「まだ見つからない……。」



 私は心の中で焦りを募らせながら、ローゼンベルク家の名を見つけ出した。


 ページを開くと、そこには私が生まれた日の詳細な診療記録が記されていた。レオポルトが神殿会関係者からの指示を受けて医師たちを派遣し、ローゼンベルク家に向かわせた記録も残っていた。


 しかし、それだけではコンラートとの直接的なつながりを立証する証拠とはならなかった。



「これだけでは足りないわね……。」



 私は小さく呟く。さらに資料をめくると、レオポルトの署名入りのメモが出てきたが、内容はただの業務連絡に過ぎなかった。


 時間は刻々と過ぎ、胸の焦燥感が増していく。



「まだ終わりじゃない。」



 ディートヘルムが、焦る私の肩を軽く叩いた。



「…そうね、例の資料室が残ってる。」



 私は深呼吸し、気持ちを落ち着けた。この階よりもさらに下、最下層に例の資料室があるはずだ。



「リディアのお兄様の話だと、先ほどの地上へ続く階段の他に、もう一つ古い建築時代の遺構があるのよね。」


「あぁ、ここを出た右手に施錠された古い扉があったのが見えた。」



 事前にもらっていた情報に間違いはないらしい。恐らく、扉の鍵が古くなっていて簡単に壊れるという情報も信じていいだろう。


 資料室の扉を小さく開き、外を確認する。


 しかし、施錠された扉は階段近くに立っている騎士の視界の先にある。どうにかして騎士の意識を逸らさなくてはならない。



「騎士の方は私がどうにかしよう。その隙に君は扉の方へ。タイミングを図って下に降りるんだ。」



 私は小さく頷き、壁の影に身を潜めた。


 ディートヘルムは扉の位置を目だけで示すと、ゆっくりと足音を響かせながら階段の方へ歩いていく。そして、何気ない風を装って、ふと足を止めた。



 「――おや、こんなところに。」



 控えめな声が廊下に響く。手にしていた許可証の束をわざとらしく床に落とすと、それが廊下の石にぶつかって、乾いた音を立てた。


 騎士が顔を上げる。



 「……何をしている。」


 「すみません、少々。あの、こちらの記録――第二資料室の目録に誤記があったようなのですが。これは再発行の手続きが必要でしょうか? あるいは上申――」



 実に煩雑そうな事務の話を、丁寧な口調で早口に畳みかける。話し相手に集中させるための、まさに訓練された貴族の技だ。


 騎士はわずかに顔をしかめたが、ディートヘルムの言葉に応じようと体を向けた。



 ――今だ。



 私は音を立てぬように素早く動き、廊下の突き当たりにある古びた扉の前へ向かう。表面に施された装飾はすっかり風化しており、取っ手の下には今にも外れそうな錠前がついていた。


 リディアの兄が言っていた通り、鍵の錆び付きは酷い。私は袖の中から短い金属の棒を取り出し、力を込めて錠前に差し込んだ。軽くひねると、抵抗なく“カチリ”という乾いた音がして――扉がわずかに開いた。


 私は扉の隙間から中に滑り込み、静かに扉を閉めた。






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