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 翌朝、空はうっすらと曇っていた。まるで、これから踏み込む先の行く末を映しているかのように。


 ディートヘルムと共に、私はひと気のない道を馬車で進んでいた。向かう先は、ノルトハイム領の外れにある古い礼拝堂。


 私たちはノエルと連絡を取り、指定された時間にそこへ向かうことになっていた。今朝早く、彼から差出人不明の文が届いたのだ。細く整った筆跡で書かれていたのは、短い一文。



『人払いはこちらでする。第三鐘が鳴る前に来てほしい。』



「罠でないことを祈るしかないな…。」



 ディートヘルムの声には、わずかな緊張がにじんでいた。だが、それでも彼は隣を歩き続けてくれる。

 その存在が、何よりも私を支えていた。


 今回の件について、私たちはリディアたちに後方支援を依頼した。リディアは兄に連絡を取り、保管庫の構造や過去の出入り記録の調査を進めてくれている。ソフィエはエリーザの医療記録と照合できそうな古い断片の洗い出しを、エミールは神託審理官周辺の動向をまとめてくれていた。


 私はもう、一人ではない。――だからこそ、恐れずに進める。



「ディートヘルム。……少しだけ話しておきたい事があるの。」



 馬車の中で、私はディートヘルに昨日感じた違和感の話をした。



「昨日、ノエルが現れたとき、貴方を見てこう言ったの。」



『…こうして話すのは、初めてだったか? いや――やっぱり、少し変わったな、お前たちは。』



「……ああ、私も気になっていた。あの言葉は、ただの挨拶や皮肉以上の意味があるように感じた。」


「そうよね。まるで、私たちの過去を知っているかのような言い回しだった。」



 ディートヘルムは少し間を置いてから、低く呟く。



「逆行前と違うこちらの動きを、彼は理解している、という事か。」


「……私たちと同じ記憶を共有しているのかもしれないわね。」



 私はそう言って小さく息を吐いた。



「恐らく、ノエルはこの話をするつもりだ。だが、――慎重に見極めなければならない。」



 ディートヘルムがそう言うと、私は頷いた。



「ええ。今は信じるしかないわね。でも、覚悟はしておくべきだと思う。」



 彼の手がそっと私の手を握り返す。



「どんな真実が待っていようと、君と共に歩む覚悟はできている。」



 私は胸の奥に湧く決意を感じながら、薄曇りの空を見上げた。



「さあ、ノエルが待つ礼拝堂へ行きましょう。」









  【ノルトハイム領・礼拝堂】



 鐘の音が、遠くで静かに響く。第三鐘の時刻が近づいている。


 馬車を少し離れた路地に停めて、歩いて礼拝堂へ向かう。扉の前に差し掛かると、ちょうど次の鐘の音が鳴った。


 すると、扉の奥からカチッと何かが外れる音がして、ゆっくりと扉が開いた。



「…入ってくれ。」



 扉の陰から、ノエルの声がした。護衛についてきたレオンハルトを礼拝堂の外に残して、ディートヘルムと共に中へと入る。


 ステンドグラス越しにわずかに差し込む光が、色彩を帯びて床の石畳に滲むように広がっていた。祈る者の気配がないと、空気はどこか張り詰めたように感じる。



「二人揃って来たという事は、昨日の提案は受け入れたという事だな?」



 ノエルの言葉に、私たちは頷く。



「ええ。私たちはあなたを信じると決めました。」



 私がそう答えると、ノエルは小さく目を伏せ、微かに笑った。



「……そうか。それを聞いて安心した。」



 その笑みは、ほんの少しだけ寂しげにも見えた。けれど、それが何を意味するのかまではまだ分からない。



「ただし、条件はひとつある。」



 ディートヘルムが言葉を継いだ。



「リディアたちには、この件の詳細を伝えるつもりはない。彼女たちは後方支援に回ってくれている。巻き込むわけにはいかない。」



 それを聞いたノエルは、深く頷いた。



「それでいい。むしろ、そちらの判断の方が正しい。……この件に深入りすれば、誰もが無事で済むとは限らない。」



 ノエルの声音には、どこか覚悟のようなものが宿っていた。



「昨日、貴方が言った“少し変わったな”という言葉――どういう意味か、お聞しても?」



 私が問いかけると、ノエルは静かに目を閉じた。



「……そうだな。お前たちはもう、かつてのお前たちじゃない。それは、希望でもあり、警鐘でもある。」



 彼の瞳が開かれ、まっすぐに私たちを見据える。



「世界が同じように見えても、選ぶ道が違えば、結果もまた違う。……それを、俺は身をもって知っている。」



――その言葉は、確かに“知っている者”の口ぶりだった。



 私とディートヘルムは目を見合わせる。やはり彼も、過去を知っている――記憶を持って、この世界にいるのだ。


 ノエルは続けた。



「だからこそ、今度こそ……正しい未来を選びたい。リアナも、君たちも、誰一人として失わずに済むように。」



 彼の言葉に、私は心の奥に小さな光が灯るのを感じた。


 この協力は、単なる取引ではない。互いの“願い”を重ねることで、ようやく開かれる道なのだ。


 礼拝堂の奥、色づいた光が静かに揺れる中で、ノエル――否、アレクシスはゆっくりと口を開いた。



「……なぜ、協力を申し出たのか。その理由を知りたいと思っているんだろう?」



 私とディートヘルムは黙って頷いた。彼はその反応を確認して、少しだけ目を細めた。



「俺は、前も同じようにリアナの側にいた。ローゼンベルク家が断罪され、宮廷内の粛清とディートヘルムの暗殺が完了した後、コンラートによって皇帝に俺の生存が告げられるまで。」



 それからアレクシスは、過去に何が起きたのかを話してくれた。


 皇帝はすぐにアレクシスに第一継承権を与え、立太子させたらしい。コンラートはそれを確認すると、あっさり皇帝をも殺害した。



「……あのとき、俺は“皇帝”になった。けれど、何の力もなかったよ。周囲はコンラートの息がかかった者ばかり。軍も、神殿会も、リアナさえも……あいつの支配下にあった。」



 アレクシスの声に、かすかに自嘲が混じる。



「リアナは聖女として、国を救う“希望”として崇められていた。でも実際は、神託を口実にした生贄のようなものだった。俺もリアナも、使えるだけ力を引き出されて、そのうち消耗品として処分された。」



 ディートヘルムの顔が険しくなる。私は胸の奥が締めつけられるような思いだった。


 恐らく、コンラートは最初からそのつもりで二人を自分の手元に置いていたのだろう。ローゼンベルク家を陥れたのも、ディートヘルムや皇帝陛下を葬ったのも、全ては自分が帝国を支配するためだったのだろうか。


 

「このままでは、また“あの未来”になる。……いや、もう、そうはならないかもしれない。お前たちはすでに、選ぶ道を、自分たちで変え始めているから。」



 思わず息を呑んだ。ノエルのまなざしは、過去の闇を見つめるように遠くを見ている。



「だからこそ、権力が必要だった。皇帝として頂点に立つことで、誰にも操られず、誰にも奪わせない力を手に入れる必要があった。それが、俺の逆行の理由だった。」



 彼の声に揺らぎはなかった。ただ、静かに、真実だけを語っていた。



「けれど、お前たちの行動ですでに“俺の知っている未来とは違っている”。本来なら、ローゼンベルク家の断罪はもう少し先のはずだ。だが、時期が早まった。」



 アレクシスは、わずかに視線を伏せる。



「そして、気づいた。コンラートが動き出している。混乱に乗じて、リアナと俺を“処分しよう”としていることに。」



 その言葉に、私は凍りつくような衝撃を覚えた。



「奴は、いつだってそうだ。表では聖職者の仮面を被りながら、裏ではすべてを駒として扱う。……リアナが、あの優しさを持ったまま彼と共にいる限り、いずれ殺される。俺も同じだ。だから、今動くしかなかった。」



 彼はまっすぐにこちらを見た。もう隠してはいなかった。



「信じてくれとは言わない。ただ、お前たちとなら“あの未来”を越えられる気がした。それだけだ。」



 言葉の終わりとともに、礼拝堂の静寂が戻る。私は、少しだけ俯いたあと、静かに言葉を返した。



「……ありがとう、ございます。話してくれて。」



 そして、私はディートヘルムと視線を交わし、小さく頷き合った。



「兄と、呼ぶべきだろうか。」


「……いいや。お前にそう呼ばれる資格は俺にはない。それに、お前たちに協力すると決めたときに、アレクシスの名は捨てた。あのときの俺は、リアナも、帝国も、救えなかったからな。」



 少しの沈黙の後、私は口を開いた。



「……リアナ様は、今の状況をどう思っているのですか?」



 私の問いに、ノエル――は、ふと目を伏せた。その横顔には、ほんのわずかな痛みが走る。



「シスターが亡くなった後、彼女はコンラートの庇護下に置かれて育った。ずっと……あいつの事を信じて神託を授けていた。」


「それって……。」


「神託が操作されていたと、気づいてなかった。いや、気づくには、あまりにも幼すぎた。そして気づいた時にはもう……遅かった。」



 ノエルの声は低く、どこか憐れむようでもあった。



「彼女は、恩義すら感じていた。庇護され、生かされ、“聖女”として必要とされていたから。それがすべてだと思い込まされていたんだ。」


「けれど、コンラートの本性を知った時、リアナは――混乱した。」



 彼のまなざしが遠くを見つめる。まるで、今でもそのときのリアナの表情が焼き付いているかのように。



「もし、コンラートが偽りの神託を周囲に語っていたのだとすれば、それを信じて何も言わなかった自分も、加担していたことになる。彼女は、自分の存在意義が崩れることを……心の底から恐れた。」


「だから、目を逸らした。疑念に蓋をして、“神の声”に従い続けた。……見て見ぬふりを、な。」



 苦い声だった。



「でも今、彼女は揺れている。――俺のせいだ。」



 ノエルが俯く。だが、それは後悔ではなく、覚悟を滲ませたしぐさだった。



「俺は、リアナを“聖女”としてではなく、一人の人間として見ている。“神の器”じゃなく、“リアナ”という名前を持った一人の少女として。」



 私は言葉を失った。



「彼女はまだ、答えを出せていない。“神の声”と“人の声”のはざまで、苦しんでる。けれど、それでも……あいつは、変わろうとしてる。誰かの命令じゃなく、自分の意思で。」



彼の言葉の中に、希望の火が灯っていた。



「リアナが変われば、奴を止められる。だから、俺は彼女を信じたい。あいつに背を向けることを。」



 その覚悟に、私は目を伏せた。リアナもまた、抗いようのない力の中で生かされてきた一人なのだ。


 だからこそ、今――。



「リアナ様も、あなたも。未来を選ぶために、ここにいるんですね。」



 小さく呟いた私の声に、ノエルはゆっくりと頷いた。


 リアナ様のことを語ったノエルの瞳は、どこか遠くを見ていた。けれど、そこにはかすかに、確かな「意志」が宿っていた。


 その静かな時間を破ったのは、ディートヘルムだった。



「……ならば、貴方に頼みたいことがある。」



 ノエルがこちらを見た。真剣なまなざしだった。


 私も小さく頷き、口を開く。



「私たちは、“ある人物”の記録を探しています。」


「…レオポルト=シュタウファー。知らない名ではないだろう。」



 ディートヘルムの言葉に、ノエルの瞳がわずかに揺れる。



「……レオポルトを?」


「はい、光冠の神殿会の記録保管庫には、様々な記録が保管してあると伺いました。白衣修道会に所属していた神官の記録や、内部報告書なども恐らく保管されていますよね?」



 ノエルが目を見開く。かすかな驚きと、すぐに気配を消した焦りのようなものが見えた。



「その通りだ。それに、あの保管庫には貴族の診療記録、神託審理の下書き、過去の神託の修正案まで、すべてが封じられている。司教の許可と、特別な証明がなければ、扉すら開かない。」



 彼がそう口にしたのは、まるで――自分がそこへ入ったことがあるかのようにだった。



「貴方なら入れるんじゃないのか?」



 ディートヘルムが、やや挑むような声音で問うと、ノエルはわずかに口元を歪める。



「……“リアナ”の名を借りれば、な。だが、入れる場所と、見せられる情報は違う。無断閲覧は重大な背信と見なされる。」


「それでも、必要なんです。」



 私の声は震えていたかもしれない。でも、ノエルはそれを否定しなかった。



「……どうしても、必要なのか。」



 私が頷いた。



「彼が何を考え、何を残したのかを知りたいのです。お母様が亡くなったとき、彼の指示で意図的に医師の到着が遅れた。今はかつてを知る人の匿名の証言でしかないんです。」



 ノエルはしばらく口をつぐんだあと、小さく息をついた。



「……レオポルトは、いい人だったよ。優しくて、誠実で。」



 その言葉には、深い尊敬と、わずかな悔恨が滲んでいた。



「でも、俺のことで……彼は、コンラートに脅されることになった。敬虔だった彼が、“教義に反すること”を命じられたとき、きっと心が壊れたんだ。彼なら、何か記録を残しているかもしれないな。」



 私の胸が苦しくなる。ノエルが語るレオポルトの姿は、ただの共犯者でも、ただの駒でもなかった。信仰と現実の間で、引き裂かれた一人の人間だった。



「エリーザ様の死に、俺は――直接じゃなくても、きっと関係している。……ごめん。」



 ノエルが、私に頭を下げた。その姿に、私は目を見開いた。



「……謝る必要なんてありません。あなたが悪いなんて、思っていない。」


「それでも……謝らなきゃならないと思った。俺が隠れていたせいで、誰かが苦しんだ。その事実は、消せないから。」



 ディートヘルムが沈黙を破った。



「――だからこそ、知りたいんだ。レオポルトは最後に何を想い、何を記したのか。神殿の記録保管庫に、それが残っているかもしれない。」



 ノエルはしばらく目を伏せていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。



「……分かった。協力する。少し準備に時間はかかるがな。」


「ありがとう。心から、感謝します。」



 私の言葉に、ノエルは小さく微笑んだ。



「俺も、何かを取り戻したいだけなんだ。――それが、償いになるかどうかは分からないけど。」



 礼拝堂に戻ってきた静寂は、先ほどとは違う――共に立ち向かうための、決意の静けさだった。






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