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 その後も滞りなく式は続き、最後にささやかな拍手が聖堂の中に広がった。控えていた貴族たちが順に祝辞を述べる中、後方の席にいた領民たちが小さく微笑み合っているのが見えた。当時の私はまだ子供で、周りを見る余裕なんてなかったけれど好意的に受け取ってもらえているようで安心した。


 領民たちからの祝福の声の中、聖堂を後にする。この後は侯爵邸に戻り、婚約パーティーが開かれる。陛下たちは参加されずに皇都へ戻られるので、次にディートヘルム様にお会いするのは、皇都へ移住した後だ。


 貴賓たちはそれぞれの馬車へと向かった。皇帝陛下とディートヘルム様は、皇室の紋章が掲げられた漆黒の馬車に乗り込まれ、先に出発された。


 私は侯爵家の紋章が刻まれた馬車へと向かう。ふと振り返ると、彼の馬車がゆっくりと門を出ていくのが見えた。



(また、きっと……皇都で)



 馬車の中、私はそっと目を閉じて、彼との再会の余韻を胸に抱いた。






  【ローゼンベルク領・侯爵邸】



 邸に戻るとすぐに自室へ連れられて、ミーナの手によってあっという間にパーティー用のドレスに着替えさせられた。



「お嬢様。殿下と会われてみて、いかがでしたか?」



 ミーナは身支度の手は止めずに、今日の様子を聞いてくる。出発前、かなり意気込んで着飾ってくれたのでディートヘルム様の反応が気になるのだろう。



「そうね、式の後少しだけ話すタイミングが合ったんだけど。…ドレスが似合ってるっておっしゃってたわ。」



 馬車で見送る際に、ディートヘルム様は私のところまで駆け寄ってご挨拶してくださったのだ。



「まあ!殿下の見る目は確かですね!」



 自分のことのように喜んでくれるミーナに感謝しつつ、先ほどの出来事を思い出す。



   『……そのドレス、君によく似合ってる。』



 そう言って、少し照れながらも今日の姿を褒めてくださった。記憶の中ではそのような会話をした覚えがなかったし、行動を起こしてからの初めての変化だ。



「…よし、準備が出来ました!お嬢様、パーティーでは私も近くに居りますので、なんでもお申し付けくださいね!」


「…いつもありがとう、ミーナ。」



 





 天井の高い大広間には、煌びやかなシャンデリアの光が天井から降り注ぎ、親族や領地の重鎮たち、古くからの家臣たちで賑わっていた。中央には立食のテーブルがいくつも並べられ、料理人たちが腕を振るったごちそうが色とりどりに飾られている。

 

 今夜の宴は、ローゼンベルク家の内々の祝賀。皇帝陛下とディートヘルム様は、式が終わった直後に皇都へ戻られたため、主賓不在の気安さもあってか、会場の空気はほどよく和らいでいる。


 私は会場の片隅から、ゆっくりと視線をめぐらせた。自分のために開かれている宴なのに、まだどこか夢を見ているような心地がする。


 やがて、壇に進み出たお父様が、静かに杯を掲げる。その傍らにはお兄様の姿があった。



「本日は、娘アンネリーゼの婚約を祝し、こうしてお集まりいただき、感謝申し上げる。」



 低く響くお父様の声に、会場のざわめきがすっと静まり返る。



「娘はまだ幼く、未熟な点も多くございますが、どうかこれからも温かく見守っていただければ幸いです」



 その口調は落ち着いていて、けれど、どこか私に近寄らないように感じられる。顔には何の表情も浮かんでいない。「娘」と呼ぶその声にも、表情にも、父親としてのぬくもりは感じられなかった。

 

――そんな気がして、胸の奥が少し痛んだ。



(やっぱり……。)



 わたしのせいで、お母様は……。言葉にしなくても、その思いは心の中にしこりのように残っている。だからこそ、お父様のまなざしがこちらを向くたび、無意識に視線を逸らしてしまっていた。


 けれど、そのすぐ隣に立つお兄様の表情は、以前とは少し違っていた。形式的な微笑みの裏に、どこか迷いのような、戸惑いのような色が見えた。ふいに私と視線が合うと、お兄様はわずかに目を見開き、それから――ほんの少しだけ、微笑んだように見えた。



 (……お兄様。)



 驚いたけれど、それはどこか、ほっとする笑みだった。あの冷たい背中しか知らなかったお兄様が、ほんの少しだけでも、心を開いてくれた気がした。


 お父様が祝辞を締めくくり、グラスを掲げる。



「娘アンネリーゼの未来が、光に満ちたものであるように。皆様、どうか、乾杯を。」


「乾杯!」



 幾つものグラスの触れ合う音が、大広間に広がった。私もまた、グラスをそっと掲げた。

 

 お父様の無表情の奥にある本心は、まだ分からない。けれど、お兄様が今、少しでも私を見てくれたこと。それが、今はただ嬉しかった。







 音楽と笑い声が満ちる大広間で、私は次々に声をかけられていた。親類の令嬢たち、古くから仕える家臣たち……皆が今日の婚約を祝福し、形式的ながらも温かな言葉をかけてくれる。けれど、私の心はどこか落ち着かないままだった。



「まぁ、お嬢様……奥様によく似ていらっしゃること。お顔立ちはもちろん、こうして微笑まれる様子まで。お若い頃の侯爵夫人が蘇ったようですわ。」



 そう言ったのは、お母様に仕えていたという老女官だった。やわらかな声に、誰かが頷く。



「……ええ、本当に。あの方がこの場におられたら、どれほど喜ばれたことでしょう。」


「……もったいないお言葉です。」



 笑顔でそう返しながら、私は目の前が少しぼやけた気がした。

 

――“あの方がこの場におられたら”。


 けれど、お母様はもういない。私を産んだその日に命を落としたからだ。



「……失礼します。少し、外の風を。」



 私はそう口にして、軽く一礼すると、人の波からそっと離れた。誰も追ってこないのを確認して、静かにバルコニーの扉を開ける。

 

 外の空気は冷たくて澄んでいて、胸の奥に沈んだものが、少しだけ溶ける気がした。


 ――そして数分後、足音に気づいて振り向くと、そこにいたのはお兄様だった。



「……ここにいたのか。」



 いつもと変わらぬ涼やかな声。けれど、その目元には、どこか陰が差しているように見えた。



「賑やかな場は、あまり得意ではなくて。」


「昔から、そうだったな。……お前は。」



 言葉が一瞬だけ途切れ、お兄様が私の横に立つ。並んで夜空を見上げる私たちの間に、沈黙が落ちた。二人とも話をしたいと思っている気持ちは同じだ。でも何から切り出していいのか分からない。



「…これ、母上のだよな。」


「え…?」



 お兄様の視線の先にあるのは、今朝ミーナにつけてもらった真珠の髪飾りだ。5歳の誕生日の時に、お父様からプレゼントだと渡されたものだった。まさか、お母様が使っていたものだったとは知らなかった。渡された時にもそのような話はされなかったはずだ。



「…知りませんでした。」


「父上から何も聞いてないのか?」



 私が知らなかったことはお兄様にも予想外のことだったらしい。お父様はなぜこの髪飾りがお母様の形見だと教えてくれなかったのだろう。そんな大事なものだとは思ってもいなかったから、以前の私はこの婚約式以降、しまい込んで使っていなかった。



「あれは、お祖母様から頂いたものだと言っていた。」



お兄様はそう言って、小さく息を吐いた。隣で視線を落とした横顔に、少しだけ大人になったお兄様の面影を感じる。いつも遠くに感じていたけれど――本当はずっと、近くにいてくれたのかもしれない。



「……ねえ、お兄様。」


「…なんだ?」


「お母様のこと、もっと知りたい。あのときのことも……お兄様が覚えてること、教えてくれる?」



 しばらくの沈黙。お兄様は空を見上げると、ほんの少し、困ったように笑った。



「……いいよ。全部じゃないかもしれないけど……ちゃんと話す。」



 その言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。うまく言えないけれど、何かが少し、ほどけたような気がした。


 お母様のこと。お兄様のこと。そして、お父様のこと。




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