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5


 あの話し合いの日から、慎重を期すためにリアナへの接触を減らしていた。学業以外の空いている時間は、ノエルや神殿会の調査に充てていたので、必然的に友人たちと過ごす時間も減っていた。


 お茶会や、エミールの演奏会を楽しんでいた日々が、はるか遠い昔のように感じて少し心が重くなる。 



「アンネリーゼ、ちょっといい?」



 そんなことを考えていると、ソフィエが廊下ですれ違いざまに声をかけてきた。



「最近、カイ=エーデルフェルト君があなたのことをよく聞いて回ってるみたいよ。」


「カイ=エーデルフェルトが……?」



 彼女の口から出た予想外の名前に困惑する。



「私だけじゃなくて、リディアやエミールにも話を聞きに行ったみたい。」



 なぜ彼がそんな行動をとるのか分からない。彼とは話したこともないし、前にリアナとの会話を聞かれていたくらいしか接点がない。



「嫌な感じはしなかったから、いくつか質問に答えておいたけど、そのうち直接声を掛けてくるかもしれないわよ。」


「…そう、わかったわ。教えてくれてありがとう!」


「最近忙しそうだけど、ちゃんと休めてる?落ち着いたら、またお茶会しましょうね。」

 

「えぇ、もちろん。必ず誘うわ。」



 ソフィエに手を振って別れたあとも、私はその場にしばらく立ち尽くしていた。なぜ彼が、私のことを聞いて回っているのか。理由はわからない。けれど、そんな他人の関心にまで思いを巡らせる余裕は今の私にはない。


 気持ちを切り替えるように、私は足を進めた。


 午前の講義が終わった後、私は図書棟の奥にある閲覧室で、ふたたび資料と向き合っていた。


 ノエル=サリヴァン。その名が記された神官名簿をたどり、後見人として名が挙がっていた司教――レオポルト=シュタウファー。皇都管内の白衣修道会で補佐司教を務めていた。



「……五年前に、病死。享年68歳。記録に不審な点は、なし。」



 指でなぞった筆跡は古く、几帳面に整えられた文字からは、何も読み取れなかった。数日前から調べてはいたけれど、有力な情報は何一つ見つからない。すでに死亡していることもあって、関係者に話を聞くこともできない。


 彼の所属していた白衣修道会は、皇都の上級貴族や、地方貴族たちが利用する医療機関だ。機密性が高く、侯爵家の地位を以てしても、情報開示をしてもらえる可能性は極めて低い。



「……どうすれば辿り着けるの?」



 ぽつりとこぼした独り言に、思わず肩を落とす。焦りが、少しずつ胸を侵食していた。逆行したことで運命を変えられるはずなのに、手を伸ばすたび、真相は逃げていく。



「ローゼンベルクのお嬢様も、そんな顔するんですね。」



 背後からかけられた皮肉交じりの声に、私は反射的に振り返った。そこに立っていたのは、軽く肩にかかった黒髪と、涼しげな眼差しをたたえた少年――中央学院が誇る“平民の天才”、カイ=エーデルフェルトだった。



「……貴方、カイ=エーデルフェルトね?」



 つい先ほど話題に上がったばかりだったので、私は戸惑いを隠せず、彼の名を口にした。



「学徒総代のアンネリーゼ様に知っていただけてるなんて、光栄です。」



 彼の瞳は真っ直ぐで、鋭いがどこか子供らしい純粋さも感じられた。



「珍しい顔をされていたので、興味がわきまして。何かお困りですか?」


「……あなたには関係ないことよ。」



 突き放したつもりだったが、声の端がわずかに揺れた。


 するとカイは、どこか躊躇うように言葉を続けた。



「……正直に言うと、以前は、貴女のことを少し誤解していました。」


「誤解?」


「はい。家柄や立場に守られているだけの人かと、勝手に思っていたんです。けれど……リアナと話しているところを、偶然聞いてしまって。彼女がああいう態度をとるのは珍しくて。」



 カイの言葉に、また杏奈としての記憶が呼び起こされた。確か、カイはリアナの同郷の幼馴染だ。リアナが聖女として神殿会に連れていかれるまでよく遊んでいたという設定だったはずだ。



「それから少し、気になって。周囲の方に話を聞いてみたんです。……努力されてるんですね、貴女は。」



 カイの声に、責める色はなかった。事実だけを、素直に伝えているような響きだった。



「……別に、認められたくてやっているわけじゃないわ。」



「そうですね。でも、無駄だった努力なんて、一つもないと思いますよ。」



 その言葉は、やわらかく、けれど確かに胸に響いた。



「……ありがとう、カイ・エーデルフェルト。」



 私の口から自然に名前が出た。彼はにっこりと笑い、軽く会釈をした。



「呼び捨てで構いません。…では、またどこかで。」



 彼はそう言い残し、背を向けると、奥の書架へと迷いなく歩いていった。その背中には、知を求める者特有の静かな熱が宿っているように見えた。









 カイとお会話で、少し自信を持ち直すことができた私は、引き続き、レオポルト=シュタウファーについて調査していた。


 彼に関する資料を確認すると、以前は西部地方の施療院で、長く神官を務めていたらしい。神殿会の施療院は各地方に設置されており、主に平民たちを対象とした治療を目的とした施設だ。そこでの活躍が認められ、皇都管内にある、白衣修道会へと移動になったようだ。


 偶然にもローゼンベルク領は、この西部地方の管内だ。もしかすると、マティアス大司教と、このレオポルト司教は面識があった可能性も考えられる。


 確かめてみる価値は十分にありそうだった。次の週末にローゼンベルク領に帰って、話を聞いてみよう。少し急だが、お父様を通じて面会を申し出ておけば問題はないはずだ。


 夕食後、お父様にお願いするため執務室を訪れた。扉をノックするが、お父様からの返答はない。どこかへ出かけた様子もないし、就寝するにはまだ早すぎる。


 不思議に思っていると、室内からガラスが割れたような、大きな音が聞こえた。


 何事かと思い、もう一度強めにノックを繰り返すと、少しの間の後、「入りなさい」と、反応があった。



「失礼します。……お父様?」



 中を覗くと、机横の床に散らばったガラスの破片と、小さく傷のついた壁が見えた。音の正体は、机の上にあった水差しが割れた音だったらしい。



「…アンネリーゼ。レオンを呼んでくれるか?少し、手が滑ってしまった。」



 お父様は私と目が合うと、そのまま視線を床のガラス片に向けた。言われた通り、廊下に出てレオンを呼ぶと、急いで破片を片付けさせる。


 その間に、私はお父様の手を取り傷がないか確認した。幸い、指先に小さな傷がついただけで、血が出るほどではないようだ。



「白衣修道会を呼ぶ必要はなさそうですね…。」



 私の呟きが聞こえたのか、お父様の手にわずかに動揺が走った。その反応が気になってお父様の顔を見上げると、そこには見たことがないほどの険しい表情が浮かんでいた。


 怒りを抑え込むように、お父様の手が強く握りこまれる。傷口が開いたのか、指先から赤い血がにじみ出た。



「お父様、どうされたのです…!?」



 明らかに様子がおかしい。いつもの冷静なお父様とは思えない言動。彼をこんな風にした原因は何なのか。


 私はお父様の足元に落ちた書類を拾い上げた。見覚えのない封筒だ。開封され、数枚の紙が無造作に挟まれていた。中を確認すると、古びた修道会の報告書の写しと、もう一枚、手紙のようなものが綴じられていた。


 その手紙に記された差出人の名を目にした瞬間、息が止まりそうになった。



「……レオポルト=シュタウファー……?」



 思わず、名を読み上げていた。


 お父様がゆっくりと視線を上げる。その瞳には、苦悩と、怒りと、そして深い迷いが入り混じっていた。



「アンネリーゼ……。」



 重く名を呼ばれた私は、思わず背筋を伸ばした。



「…いずれは話さなければ、と思っていた。だが、願わくば……すべてが終わってから、お前には知ってほしかった。」


「…それはどういう意味ですか?」


「……俄かには信じがたいが、エリーザの死に、今回の黒幕も関わっているらしい。」



 その一言で、胸の奥が凍りついたように冷たくなった。私の中で封じてきた疑念が、音を立てて崩れ始める。



「レオポルト=シュタウファーは、白衣修道会の司教補佐だった。所属する医師たちの派遣先や日時を決める、いわば調整役だ。」



 お父様はそう語ると、視線を封筒に落とした。握られた手の中の紙が、わずかに音を立てる。低く、かすれた声だった。



「エリーザの出産に際しては、事前に予定日と必要な人員を白衣修道会に伝えてあった。備えに抜かりはなかった。……だが、あの日、医師たちは予定よりも大幅に遅れて到着した。」



 私は小さく息を呑んだ。


 数年前、お父様から聞いた母の覚悟を思い出す。自らの命を顧みず、私をこの世に送り出した――その決意を、私はずっと胸の奥にしまってきた。



「当時は、出産が予想より早まったせいだと思っていた。不可抗力だと……そう納得していた。」



 けれど、そこには別の理由があったのだ。



「……では、なぜ?」 



 自分でも分かっていた。けれど、言葉にしなければ、受け止めきれなかった。



「レオポルトが、他の貴族への派遣を優先させた。神殿会との関係を深めるために、そちらの家を“上位”と判断したのだ。」



 喉が焼けつくようだった。


 ――たったそれだけの理由で。

 母は、その身を賭けたのに。



「……お母様の命を、軽んじたのですね。」



 声が震えた。だが、お父様はすぐに首を横に振る。



「いや……軽んじたというより、もっと質が悪い。意図的だった可能性がある。」


「……意図的……?」



 心臓の鼓動が、一瞬、遠くへと引き離されたような気がした。



「では……母の命を……?」


「断定はできん。レオポルトは既に亡くなっている。残されたのは、“指示の混乱”と記された曖昧な報告書だけだ。白衣修道会の記録もその後すぐに書き換えられ、当時の関係者は異動、あるいは……消息を絶った。」



 お父様の拳が机の上で小さく震える。



「……なぜそんなことが?誰の指示で?なぜ、我々が狙われた?」



 問いかけるような言葉に、答えはなかった。


 お父様は拳を握りしめたまま、低く続けた。



「だが、これは偶然ではない。神殿会の中枢で、何者かの意志が動いていたとしか思えない。あの日、私たちの知らない“力”が確かに存在していた。」



 私は、息を詰めた。


 そして、気づいてしまった。



「……その“力”が、今も動いているのですね。」



 私の中で、ぼんやりとひとつの線が結ばれていく気がした。


 リアナの神託。アレクシスとノエル。不自然な戸籍と、後見人の名前。エリーザの死。そして、白衣修道会の記録改ざん。


 どれも断片だ。まだひとつの形にはなっていない。けれど、すべてに、光冠の神殿会コロナ・ルーキスの影がある。


 私は、静かに頷いた。



「……お父様。母の死の真相を、私にも追わせてください。」



 お父様がこちらを見た。迷いを帯びたその目は、私の決意を測っているようだった。



「お前には……これ以上背負ってほしくなかった。」


「もう、戻れません。知ってしまったからには――。」



 私は言葉を止め、そっと机の上にあった手紙の封筒に視線を落とした。



「……知るべきだと思います。」



 お父様は、静かに椅子にもたれかかった。そして、ふっと目を閉じる。



「……わかった。だが、アンネリーゼ……深入りしすぎるな。これは、ただの過去の因縁では済まない。今もなお、何者かが裏で動いている。それを忘れるな。」



 私は息をのんだ。お父様がここまで慎重になるのは、きっとそれだけの理由がある。


 ――母の死の陰には、まだ誰も知らぬ“意志”がある。


 その正体に、私は必ず辿り着いてみせる。


 もう二度と、愛する家族を失わないために―――。










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