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 特に進展はなくとも時は進んでいく。リアナとはあれから何度か話をする機会はあったが、どれも短いやり取りで終わってしまう。やはり彼女に避けられているのだ。


 私一人では、会話が長続きしないと分かってからは、リディアやエミール、時々ソフィエも交えて話をしたが、やはり核心には触れられない。上手くいかない現状に心は疲弊していた。


 そんなある日、珍しく帰宅したお兄様から、明日の休日にディートヘルムが会いたがっていると知らされた。


 いつもは誘いの手紙が事前に送られてくるが、今回は急ぎの要件なのだろう。



「殿下が直接こちらに迎えに上がるそうだから、準備だけして待ってろよ。」


「わかったわ。…お兄様、あまり顔色が良くないわ。」


「…詳しくは言えないが、今後帝国内で大きな動きがある。最近はその対応に追われていてな。」



 お兄様は目を伏せて深くため息をついた。眉間に深く刻まれた皺が、日々の忙しさを物語っている。


 私は、近くに控えていたフリーデに合図して、紅茶を用意させた。劇的な効果はないかもしれないが、快眠を促すと言われている隣国産の茶葉だ。



「失礼いたします。ルーカス様、こちらをどうぞ。」


「フリーデ。しばらく見ないと思っていたが、こっちに来ていたのか。…ヘルミーネは領地に戻ったんだったな。」


「はい、先月から。ようやくアンネリーゼ様の専属侍女となりました。」



 二人は元々宮廷内で顔を合わせることもあったそうだが、お兄様がこの邸でフリーデに会うのは初めてだった。ミーナの教育を終えて、ローゼンベルクの本邸に帰ったヘルミーネに代わり、フリーデがこの別邸に来てくれることになったのだ。


 皇太子妃教育の頃から、彼女を母や姉のように慕っていたので私は嬉しく思っていたが、彼女もまた同じように喜んでくれているようで安心した。



「お兄様がお忙しいのはよくわかりましたけど、たまにはゆっくり休まないとダメよ。」


「…わかっているさ。」


「アンネリーゼ様は、いつもルーカス様を心配されていますよ。事情は分かりますが、ご無理もほどほどに。」



 私とフリーデの両方から釘を刺されて、お兄様はバツの悪そうな表情をしていた。フリーデと目が合って思わず笑いがこみあげる。 


 久しぶりのお兄様との時間は、重く疲れた私の心をほんの少し軽くしてくれたのだった。



 翌朝、自室で支度をしていると、ミーナが私を呼びにやってきた。



「お嬢様、ディートヘルム殿下がいらっしゃいました。」


「ありがとう。今、行くわ。」



 鏡の前で身だしなみをもう一度整え、私は足早に階下へと向かう。



「ごめんなさい、お待たせしてしまって。」


「気にしなくていい。急に押しかけたのは、こちらだ。」



 応接間に入ると、ディートヘルムは窓辺に立ち、外の景色を眺めていた。私の気配に気づいたのか、ゆっくりと振り返る。



「何を見ていたの?」


「あぁ……あそこの花壇。あれは、君が?」


「え?」



 彼の視線の先を辿ると、私が世話をしている花壇があった。暇を見つけては少しずつ手を加え、今ではかなり広くなっている。



「そうなの。今年は、新しく二種類の花を植えたのよ。」


「……君は、相変わらず花が好きなんだな。」



 ディートヘルムはそう言って、穏やかに微笑んだ。


 その瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。


 ――相変わらず、って。


 私はこの趣味の話を、彼にしたことなんて、一度もなかった。今も、そして……逆行する前にも。



「……どうして、それを?」


「君がよく、私の私室に花を届けてくれていただろう。」



 (――ああ、そういえば。)



 思い返せば、あれは確か、侍女の勧めで始めた習慣だった。宮廷で粗相のないよう、形式ばった贈り物のひとつとして、季節の花を小さな花瓶に挿して届けていた。けれどそれは、ただの飾りで、あちらにとっては気にも留められていないものだと思っていた。



「……覚えていたのね。」


「机の隅に、いつも置かれていた。香りが控えめな花ばかりで……妙に、君らしかった。」



 彼の声は淡々としていた。けれど、その響きの奥に――言葉にはならない、何かぬくもりのようなものが宿っているように感じて、私は思わず視線を逸らした。



「……ただ、義務感でやっていたわ。誰かに言われて。」


「そうかもしれないな。でも、君が選んだ花には、君らしさがあった。」



 息を呑んだ。


 彼は、あの頃の私のささやかな選択を、自分のために選ばれたものとして受け取っていた。そして今、それを懐かしむように語っている。


 ずっと冷たいと思っていた。私を顧みない、形だけの婚約者だと――思っていたのに。



「……私、ずっと誤解していたのかしら。」



 思わず零れた呟きに、ディートヘルムは答えなかった。ただ、その目だけがじっと私を見ていた。まるで、今になってようやく、お互いの言葉がすれ違わずに届きはじめたような、そんな静けさだった。



「…今日は、例の件について話がある。」



 僅かな沈黙の後、ディートヘルムは話題を変えた。


 例の件とはアレクシス様に関してだろう。曾お祖父様に話を聞いた後、調査を進めてみると言っていた。



「何か進展が…?」


「あぁ、これから詳細を聞く予定だ。君も一緒に聞くだろう?」



 私は静かに頷いた。


 アレクシス様の行方。それが黒幕の正体を探る手掛かりになる。わずかな希望だけれど、オスヴァルトが亡くなってしまった今、その希望に縋るしかない。


 差し出されたディートヘルムの手を取って、私は立ち上がった。



 馬車の中は、驚くほど静かだった。窓の外を流れていく街並みに目を向けながら、私はふと隣に座る彼の横顔を盗み見る。


 何か話しかけようかとも思ったけれど、ディートヘルムは終始無言のままだった。


 眉間に刻まれた影が、彼の心中を物語っているようで――どうしてだろう。胸の奥が、ひどくざわつく。



 (……私、何か気に障るようなことをしたかしら。)



 さっきの会話を思い返す。花壇のこと、花の話、昔の誤解……。余計なことを言いすぎた? それとも、彼の気を悪くさせるようなことを?


 どんどん不安が膨らんでいく中、馬車がゆっくりと止まり、扉が開いた。


 到着したのは、見覚えのある家紋を掲げた荘厳な邸だった。



「ここは、ノルトハイム家?」


「…君には言っていなかったが、ユリウスは私の腹心だったんだ。」



 ようやく彼が口を開いた言葉に、私は肩の力が抜けるような安堵を覚えた。沈黙の理由は、私のせいではなかったのだ。



「複雑かもしれないが、彼は優秀な人材だ。…あれでも、有能だ。」


「分かってるわ。それに、彼とは前ほど関係も悪くないの。」



 私が母の話をしたことをきっかけに、彼の中での認識が変わった。直接謝罪もしてもらっているし、わだかまりは残っていない。



「兄の行方を追うのに、私が直接動くわけにはいかない。今後も兄の件に関してはユリウスに任せようと思っている。」


「貴方が信頼して任せたのでしょう?…であれば、問題ないわ。」


「そうか。」



 中央志向の公爵家の嫡男である彼が、皇太子の腹心として側にいるのは何もおかしい事ではない。お兄様は今でこそディートヘルムの側近として仕えているけれど、逆行前は帝国騎士団に所属していた。その時はユリウスが一番近い側近だったのだろう。



「では行きましょう。」


「あぁ。」



 ディートヘルムの手をとり馬車を降りた。


 荘厳な屋敷の門が開かれると、敷地内には控えめながらもよく手入れされた庭が広がっていた。だが、その落ち着いた佇まいとは裏腹に、私の胸は妙にざわついていた。


 ディートヘルムの隣を歩きながら、無意識に手袋の端を指でいじる。彼が黙っていた理由がユリウスのことだったと分かった今も、どこか落ち着かない気持ちが拭えない。



 (本当に……大丈夫よね。)



 過去の因縁はすでに終わったこと。わだかまりなど、もう――ない。


 そう自分に言い聞かせるうちに、扉の前へとたどり着いた。


 ノックの音と共に扉が開き、私たちは屋敷の中へと案内された。









  【ノルトハイム邸・応接間】



 ノルトハイム家の執事は事前の訪問を聞いていたのか、何も聞かずに応接間へと通された。


 中には既に、ユリウスが待ち構えていた。彼は執事を下がらせると、扉の鍵をかけた。



「ディートヘルム殿下、アンネリーゼ様。本日はご足労いただき、申し訳ありません。」


「いや、構わない。廷内では誰が聞いているかわからないからな。」


「…こちらでも人払いはしてあります。」



 ユリウスに促され、客用のソファに腰掛ける。一緒に来ていたレオンハルトは、入り口近くで立ったままだ。



「…まずは、こちらをご覧いただけますか?」



 そう言ってユリウスが手渡してきたのは、古い羊皮紙と何かの帳簿だった。



「これは…。戸籍と、神官名簿か。」


「ノエル、という男の戸籍ね。」



 ノエル=サリヴァン。元孤児で、十数年前に西部地区にある教会に引き取られたとある。


 ユリウスは、言葉を選ぶように慎重に告げた。



「…結論から申しますと、このノエルという男とアレクシス様が同一人物の可能性が高いかと。」



 (やはり、アレクシス様は生きている―――!)



 曾お祖父様のおっしゃっていた通り、名を変えて生き延びていた。そしてやはり、光冠の神殿会〈コロナ・ルーキス〉が関わっていた。



「殿下の申し付け通り、教会関係者の調査から始めました。母の縁を頼り、神殿が管理する神官名簿を入手しました。その中に、生年月日と戸籍登録日に大きな差がある人物が数名おりました。元孤児の中には稀にあることのようですが、このノエルという男には出生証明がありません。洗礼を受けた記録はあるのですが、それも正式な書式のものではないようでした。」



 確かに、神殿に仕える神官で、身元や家柄が明らかになっていないのは珍しい。しかも、洗礼記録はあるのにその前の出生証明がないとなると、あえて“削除された”か、“初めから偽装された”としか思えない。



「戸籍の登録日は、アレクシス様が死亡されたとされる日から一か月後です。ある神父の推薦で急に戸籍が用意されたようで、その神父は、皇后陛下の遠縁にあたる方だと…。」


「…年齢は、24歳か。確かにズレはないな。このノエルという男は今どこに?」



 書類上を調べるのにも限界がある。直接会って話をしてみるのが一番早いだろう。


 ディートヘルムの問いに、ユリウスの表情は一層険しさを増した。



「それが…、現在ノエルは聖女付きの神官となっており、簡単には接触できなくなっています。」


「……っ、まさか。」



 私は驚きのあまり、思わず声に出して立ち上がってしまった。ユリウスの手前、慌てて座りなおす。



 (リアナと繋がっている…?でも、原作のルートを思えば――ありえない話じゃない。)



 だが、よく考えてみれば、アレクシスはすべての攻略対象をクリアした後に出てくる隠しルート。原作の時間軸に入っているということは、二人が接触していてもおかしくはない。



「聖女付きとなる前に所属していた教会で、ノエルについて話を聞くことはできました。教会内や周辺の地域では妙に育ちのいい神官として知られていたらしく、孤児だと聞いて驚いたと皆口を揃えて言っていました。」



 私は戸籍の束をもう一度手に取り、ノエルという名前を見つめた。今もどこかで生きているかもしれない彼が、真実を知る鍵を握っている。


 ――この人に、直接会うことができれば。


 そう思った矢先、ユリウスが口を開いた。



「ノエルの現在の所属先は、聖女リアナ様が拠点としている第二神殿内です。公の場であれば、公務に同行している姿が確認されていますが……私的な接触は、ほぼ不可能です。」


「神殿の中、しかも聖女の近くとなれば……。確かに、簡単には動けないな。」



 ディートヘルムが苦い声で言う。彼もまた、慎重にならざるを得ない立場にある。皇太子として下手な行動をすれば、相手を警戒させてしまう。


 リアナとの接点を利用するのが一番早いが、彼女には学院ですでに接触を試みた。しかし、リアナは私を避けている状態だ。あの様子では、側付きの神官の話なんかをすればますます遠ざけられてしまうだろう。



「では、どうする?」



 ディートヘルムが視線を向けてくる。


 私は少し考えてから口を開いた。



「……奉仕活動に参加するという形ではどうかしら。神殿が主催する慈善事業に協力すれば、自然な形でノエルと接点を持てるかもしれないわ。」



「なるほど。聖女の後援名目なら、不自然には見えない。」



 ユリウスが頷き、腕を組む。



「表向きは“若い貴族たちの模範としての参加”です。アンネリーゼ様一人では目立つが、私も同行すれば体裁は整う。」


 

 ディートヘルムは静かに考え込み、そしてうなずいた。



「それで行こう。だが、あくまで慎重に動け。ノエルが本当にアレクシスであり、そしてその背後に何者かがいるのなら……接触の瞬間を狙われる可能性もある。」


「わかっているわ。」



 私は机の上の神官名簿をそっと閉じた。


 ノエルの正体がアレクシスである可能性が高い今、彼は教会の庇護のもとで生き延びているのだろう。


 皇后陛下が用意した偽の死体に使われた毒と、オスヴァルトの暗殺に使用された毒が同一であることから、これらの事件は同じ組織によって仕組まれた可能性が極めて高い。


 つまり、ローゼンベルク家を冤罪に陥れた黒幕は、光冠の神殿会〈コロナ・ルーキス〉の関係者に違いないということだ。



「アンネリーゼ。」



 ディートヘルムに名前を呼ばれて、ふと我に返る。いつの間にか強く握りこんでいた私の手を彼がそっと解いてくれた。


 リアナの神託も、逆行前の出来事も、今はひとまず脇に置こう。私たちにできることは、目の前にある事実と向き合い、動き出すことだけだ。


 ノエル――アレクシスとの接触。


 その一歩が、この長く暗い謎を解く鍵になるはず。気持ちを引き締めて、私は新たな覚悟を胸に刻んだ。












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