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 何十もの視線が、私の一挙手一投足に注がれていた。中央学院の春暁の式典。今年の学徒総代として、私が壇上に立つ。


 一年前は、皆がディートヘルムを見上げていた。けれど今、その視線は私に向けられている――。あのときと同じ壇上に立っているのに、景色はまるで違って見えた。


 見慣れた学び舎の講堂。その奥に、春の光が差し込んでいた。整然と並ぶ生徒たちの顔。その間に交じる、いくつか見知らぬ顔――新たに編入した者たち。


 その中に、ひときわ目を引く少女がいた。


 まるで最初からそこにいたかのように、静かに立っている。琥珀色の瞳が、まっすぐ壇上の私を見上げていた。



(……聖女リアナ。)



 彼女は微笑みもしなければ、目を逸らしもしなかった。まるでこちらの心を測るように、静かにその存在を主張していた。まるで氷のように澄んだ瞳が、こちらをじっと見据えている。


 胸の奥に、かすかな緊張が走る。


 けれど、深く息を吸い込み、私は前を向いた。

 


「本日、こうして春暁の式典を迎えられたことを、心より嬉しく思います。」



 静寂を破るように、声が講堂に響く。



「出会いと別れが交差するこの季節、私たちはそれぞれの歩みを進めていくことになります。先を行く方々に敬意を、そして新たに加わる方々に、心からの歓迎を。――それが、私たち中央学院の誇りであり、伝統です。」



 言葉を区切り、私は再び視線を正面に戻す。その先にあるのは、未来。そして、その中に確かにいる、もうひとつの「主役」。



「今年度、学徒総代として、この場に立つ責を与えられたことを光栄に思います。これから始まる一年が、皆様にとって実り多きものとなりますように。」



 一礼し、降壇するその刹那。あの琥珀の瞳が、ほんの僅かに細められたように思えた。



(――始まったのね。原作とは、違う形で。)









 教室に戻ると、リディアとエミールが私の元に駆け寄ってくる。他の級友たちは、昨年と同様に一線を引いたままのようだ。



「アンネリーゼ、素敵なスピーチだったわ。」


「うん、本当に。かっこよかったよ~。」



 この二人はまっすぐな言葉で人を褒めるので、いつもこちらが照れてしまうばかりだ。



「ありがとう。なんだか照れくさいわ。」



 小さく礼を言って、三人で着席する。教師が来るまではまだ十分時間はある。私はどうしてもエミールに確認しなければならないことがあった。


 ゲーム原作の通りならば、聖女リアナが最初に出会うキャラクターがエミールだからだ。エミールは、ゲーム内では攻略対象ではなく、プレイヤーがシナリオを進めやすくするための脇役だからだ。



「そういえば二人とも、聖女様にはもう会った?」


「式典の途中で少し見かけたけれど、やっぱり今年から編入したのね。」



 グラウヴァルト帝国で聖女が誕生したのは約五十年ぶりだと聞いている。リアナは平民出身の聖女で、元は修道院で暮らす孤児だった。先代の聖女が老衰で天寿を全うしてから、すぐにその聖女の力が覚醒したと言われている。


 ゲームシナリオでは、リアナは神からの神託に従い、自発的に中央学院で学びたいと希望したという設定だったが、実際は違う。


 お父様から聞いた話によれば、教会は神託を大義名分に、強引に聖女を送り込んできたというのが、宮廷内での見解だ。


 理由や経緯は異なるが、シナリオ通りに聖女は編入してきた。であれば、やはり原作同様にエミールと一番最初に接触していてもおかしくない。



「実は僕、昨日会ってるんだよね~。」


「まあ、エミール様。どこでお会いになったの?」



 エミールの答えを聞いて、 一瞬にして心が冷える。私が問い返すより先に、リディアが興味津々と身を乗り出した。



「音楽室でね。演奏の練習してたら、急に扉が開いて……。迷って入ってきたんだって。」


「迷って?」


「そう。先生の誰かを探してたらしいんだけど、僕の方が先に声をかけちゃって。そのあとしばらく話したんだ~」



 やはり――原作通り。


 リアナは入学初日に迷って音楽室に立ち寄る。そのとき最初に出会うのがエミール。彼の優しい言葉と音楽に癒やされ、心を許すきっかけとなる重要なシーンだった。



「聖女様は、どんなご様子だった?」


「話してみると思ったより普通の女の子だったよ?静かで柔らかい音って感じかなぁ。」


「そう……。」



 (タイミングは少し違うけれど、ここまでは予定通り。でも――。)


 私は思わず手を強く握りしめた。今はまだ、歯車が確かに既定路線の上を回っている。だが、それがいつ軋み始めるかは分からない。


 私が動けば、世界が少しずつ変わる。変えてしまうのだ。



「けど、さっき大講堂で見たときは、なんだか様子が変だったんだよね。」


「様子が変?」


「うん。昨日までの音が嘘みたいに何も聞こえなかった。魂ごとぎゅっと箱に押し込んじゃったみたいな感じ?」



 エミールの言葉に、リディアが小首をかしげる。



「……それって、つまりどういうことです?」


「うーん、上手く言えないけど……。昨日は、きちんと“そこにいる”って感じがしたんだよ。でも今日は、どこか遠くに引っ込んじゃったみたいで……。同じ人とは思えないっていうか。」



(何かが――変わった?)



 たった一晩で、リアナの中で何が起きたのか。単なる緊張か、それとも。


 あの子がこの場に現れたこと自体、教会の意向によるもの。原作と同じでも、過程は歪んでいる。ならば、彼女自身にも何らかの負荷や矛盾が生じていてもおかしくはない。



「……ありがとう、エミール。とても参考になったわ。」



 私の声に、彼はいつものにこやかな笑みで応えた。



「どういたしまして。まあ、あくまで僕の“耳”の話だけどね。」



 軽く肩をすくめるその仕草に、リディアが「また詩人ぶってるわ」と笑う。けれど、私は視線を落としたまま、微かに眉を寄せた。



(――リアナ。あなたは、いま何を感じているの?)



 春の陽射しが、窓の外で眩しく揺れていた。





  【皇都・ローゼンベルク家別邸】



 その日の夜、執務室でお父様と今後についての話し合いがあった。


 ディートヘルムが学院に居ない今、リアナと直接話ができるのは私だけだ。彼は、ローゼンベルク家がが処刑されるに至った例の神託について、私とお父様に話してくれた。




『帝国の中枢にて、誇り高き家門が信を裏切り、腐敗を受け入れ、帝国に災いをもたらすであろう。

その血は高貴にして深く帝に繋がりしもの。されど、かの家の影に根を張る罪はもはや隠せぬ。』




 この神託が皇帝陛下に伝えられた直後に、オスヴェルトがローゼンベルク家の帳簿や不審な手紙などの証拠を持って、密告に来たのだという。


 神託と証拠。


 そのふたつが重なった瞬間、ローゼンベルク家に対する疑惑は「確信」へと変わった。たとえ、それが誰かの企みだったとしても。

 

 それを証明できる頃には、すでに首が落とされている――そんな世界が、私たちの生きる帝国なのだ。



「神託の言葉……あれが本物であれば、確かに我が家は標的にされるに足る条件を備えていると言える。」



 お父様が静かに口を開いた。



「我がローゼンベルク家は代々、帝家に忠誠を誓ってきた名門だ。皇室に連なる血を引く家門であり、中央においても一定の影響力を持つ……。」


「それゆえに、ですか?」



 問いかけると、お父様は目を細めてうなずいた。



「……誇り高き家門。帝に繋がる血。信を裏切り、腐敗を受け入れたという断罪。その文言のすべてが、我が家に通ずるよう仕組まれていたとしたら――誰かが、我が家を陥れるために神託を利用した可能性があるということになる。」


「ディートヘルムも、そう言っていました。あの神託は“加工された”ものかもしれない、と……。」


「神託が“加工された”だと……?」



 ディートヘルムとこの神託について話していた時、私たちの婚約式で目にした聖女の力の事も話していた。



「覚えていらっしゃいますか?皇都での婚約式の事…。あの時降り注いだ光は、確かにリアナの手から授けられたもの。つまりは、聖女の力は本物だということ。」


「つまり、神託の内容を捻じ曲げた何者かが存在するということか。それが事実ならば、神をも欺く大罪だ。……問題は、聖女がそのことを承知していたのか、というところだな。」



 お父様の言葉は、そこから先へ進まなかった。重く、苦い沈黙だけが執務室に降りた。


 リアナ。あの神託を口にした聖女は、どこまでを理解していたのだろう。彼女自身が、偽りの言葉を告げたのだとしたら。


 それとも、彼女もまた誰かに“神託”を与えられたにすぎなかったのだとしたら――。



「……やはり、リアナ様と直接話してみる必要がありそうですね。」



 思わず口にしていた。彼女は何かを知っている。知っていて、沈黙している。もしくは、知らないふりをしている。



「アンネリーゼ、お前……。」



 お父様の瞳が揺れる。



「危険かもしれません。それでも――。」



 私は正面から、お父様の目を見つめた。



「あの最悪の未来を迎えないために、私自身が真実を知る必要があります。もう……何も知らないふりは、したくないのです。」



 父と娘の間に、しばしの沈黙が落ちる。

 

 やがて、お父様はそっと目を閉じ、そしてゆっくりと頷いた。



「……わかった。だが、慎重にな。」


「はい。」



 こうして私は、次にリアナと顔を合わせる日を――ひとつの覚悟と共に、迎えることとなった。








 その日は意外にも早く訪れた。


 学院の中庭。午前の講義が終わり、貴族の生徒たちが三々五々集っている芝生の一角に、彼女の姿はあった。


 白金の髪が陽光を受けて柔らかく揺れ、制服の上に羽織った白いカーディガンが風にたなびく。周囲の生徒たちは彼女に一歩距離を置きながらも、ちらちらと憧憬を込めた視線を送っていた。


 ――リアナ。


 あの夜、処刑の記憶と共に脳裏を離れなかった姿が、そこにあった。


 私はゆっくりと歩み寄る。彼女は最初、気づかないふりをしていた。けれど、私の気配に気づいたのか、ゆるくこちらに振り返った。



「アンネリーゼ様……お久しぶりですね。」



 声は穏やかで、言葉遣いも丁寧だった。だが、その笑みには温度がなかった。



「はい、婚約式の時以来になります。…覚えておられましたか?」


「もちろんです。国の未来を担うお二方ですから。」



 優雅に微笑むその顔からは、感情らしきものは読み取れない。けれど、その視線――瞳の奥に、ごくかすかな“拒絶”が見えた。


 視線が私を避けているわけではない。だが、見つめているはずなのに、そこに“私”はいない。あたかも、私の存在そのものが彼女の世界から排除されているような、乾いた冷たさがあった。



「学院での暮らしには、もう慣れましたか?」


「ええ、おかげさまで。……でも、アンネリーゼ様のようなお方には、何もかもがお馴染みなのでは?」



 その言い回しには、どこかとげのような響きがあった。表情は変わらない。声も変わらない。

 

 けれど、彼女は私と話すことを望んでいない――そのことだけは、痛いほどに伝わってくる。



「……リアナ様、もしお時間があれば、後日、改めてお話を――。」


「申し訳ありません。公務と勉学の合間で、時間のやりくりが難しくて。」



 かぶせるように断られた。その声音は丁寧で、少しも非礼ではなかった。けれどそのぶん、明確だった。


 リアナは、私との間に境界線を引いている。それは“立場の違い”ではなく、“意志”としての拒絶だった。


 彼女は静かに会釈をし、ふたたび視線をそらした。



「それでは……失礼いたします。」



 足音も立てず、彼女は去っていく。その背中を見つめながら、私は拳を軽く握りしめた。


 ――やはり、彼女は何かを知っている。

 

 あのときの神託。ローゼンベルク家への処罰。そして、この“拒絶”の理由。簡単には事が進まないのは分かっていたが、彼女の頑なな態度には手も足も出ない。


 なにか話の糸口はないものか。そう考えこんでいた時、鋭い視線が私の背中を刺した。



「…誰かいらっしゃるの?」



 そう声に出してみても、返ってくるのは風の音ばかりだった。先ほどまで確かに感じていた視線は、まるで霧のように消え去っている。


 空気は静かすぎるほどに澄んでいて、木々の葉擦れの音さえ耳に触る。いつから見られていたのか、それとも――そもそも“私”が見られていたのではないのか。



(……リアナ様のほうを、誰かが見ていた?)



 思い浮かんだその可能性に、背筋がわずかに粟立つ。理由は分からない。ただ、先ほどまでの彼女の態度といい、何かが水面下で動いている気がしてならなかった。


 警戒しておくに越したことはない。


 私は制服の袖口を握り直し、気持ちを切り替えるように一歩を踏み出した。


 教室へと戻る途中、すれ違う生徒たちがこちらに目を向ける。けれど、その視線はどれも先ほどのような鋭さではなかった。ただの興味、あるいは噂の続きといった程度のものだ。


 私は背筋を伸ばし、何事もなかったかのように歩き続ける。

 

 教室の扉を開くと、喧騒が一気に耳へと飛び込んできた。談笑する声。椅子を引く音。紙をめくる音。


 その中で、私はふと――自分に向けられる視線の残り香のようなものを感じた。振り返っても、すでに廊下には誰もいない。



 (……やはり、気のせいではなかったわ。)



 ただ、廊下の角を曲がって遠ざかる人影だけが、一瞬だけ視界の端をかすめた。澄んだ黒髪。学院の制服。高等部下級生の――あれは、たしか。


 ――カイ=エーデルフェルト。

 

 一学年下に在籍する、類まれな才能を持つ生徒。平民出身ながら中央学院に特待生として迎えられ、主席として常に注目の的。聖女リアナと同郷という話もある、少しだけ浮いた存在。そして、……最後の攻略対象者。



(なぜ彼が、こんな場所に……?)



 直接問いかける理由もなく、私はその疑問を胸の奥にしまった。

 

 けれど、どうにも引っかかる――視線の残響だけが、しばらく消えなかった。


 私は静かに席に着き、目の前の授業へと意識を戻しながらも、今日のやりとりと“あの目”が、何かの伏線であるような気がしてならなかった。












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