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  【グラウヴァルト帝国・宮廷応接間】



 ディートヘルムの私室から、レオンハルトの案内で宮廷応接間へと移動した。もちろんディートヘルムも一緒にだ。室内に入ると、すでにお父様やお兄様はとうちゃくしていた。その横には今回協力してくれたヴァレンシュタイン家当主のゲオルク様と曾お祖父様の姿まであった。


 今回のオスヴァルトの捕縛は他家の貴族たちには内密に動いていたため、姿が見えないのは納得がいく。しかし宮廷内で起きた事件であるのに、皇帝陛下の姿がないのはなぜなのか。



「陛下は……表立って動くつもりはないようだ。教会の件が絡めば、事は帝国全体の信頼に関わる。」



 不思議に思っていると、ディートヘルムが後ろから小さく囁いた。背後に教会が絡むかもしれない以上、皇帝陛下が不用意に関わると政治的な炎上につながるというわけだ。



「また後で話そう。」



 ディートヘルムに背中を押され、家族の元へ駆け寄る。入れ替わるように内務局の士官がディートヘルへ声を掛けていた。



「アンネリーゼ。」



 こちらに気づいたお兄様が手招きしてくれる。お父様はゲオルク様や曾お祖父様と話をしている最中だった。



「お兄様、いったいどうなってるの?」


「分からない。父上たちは何も知らされず呼ばれたらしい。これから内務局に事情を説明してもらうところだ。」



 ディートヘルムへの報告が終わったのか、内務局の士官が着席を促した。すれ違い様にゲオルク様と目が合い、小さく頷き返した。混乱している今、さりげない労わりに心が救われる。曾お祖父様も、私の背にそっと手を添えてくれた。そのままお兄様と曾お祖父さまの間に座る。


 重苦しい空気のなか、先ほどとは別の内務局の士官が硬い足音を響かせて入室した。


 彼は一礼ののち、手にした封筒と数枚の書類を胸元に抱えながら、静かに口を開いた。



「オスヴァルト=クレーマーは、本日未明、死亡が確認されました。」



 部屋が一瞬、凍りついた。



「……死亡?」



 お父様が低く問い返す。士官はうなずき、手元の報告書を広げた。



「今朝六時の時点で、健康状態に異常はありませんでした。彼は中央内務局の地下監房にて、厳重な監視のもと拘束されていました。ですが、午前中の尋問の後、巡回で意識を失っているのが発見され、直ちに治療が試みられたものの……既に手遅れでした。」


「死因は?」



 ゲオルク様が唸るように尋ねた。士官は静かに一枚の紙を取り出す。



「司法薬務室の初見では、『遅効性の毒』。体内から検出された成分は、一般には出回っていない希少なもので、摂取からおおよそ八時間後に心肺機能を停止させるものと推測されます。」


「毒……誰がどうやって?」



 お兄様が声を荒げる。士官はその問いに、慎重に言葉を選ぶように答えた。



「彼の所持品、また食事や水、看守に不審な点はありませんでした。ですが、衣服の内側――襟の裏に縫い込まれていた指輪状の小型容器に、同成分の残留が確認されています。おそらく、拘束時に着ていた衣服の一部が見逃されていたものと……。」


「つまり、自殺……?」



 私は思わず口をつぐむ。しかし、士官は首を横に振った。



「確定はできません。彼が自らの意志で毒を摂取した可能性も否定できませんが、何者かに操られていた、あるいは死をもって口封じをされた可能性も視野に入れております。」


「……その“何者か”が、まだ我々の見えぬところにいる、と?」



 曾お祖父様の声に、士官は静かに頷いた。



「はい。オスヴァルトの死により、最も重要な証言者を失ったことになります。現在、接触履歴の調査と内部関係者への聴取を急いでおりますが、黒幕の特定には至っておりません」



 空気が、さらに沈む。


 確かに、オスヴァルトの証言さえ得られれば、黒幕への道は大きく開かれたはずだった。けれど、その道は――今、毒によって断ち切られた。


 ふと、先ほどのディートヘルムの話が蘇る。相次ぐ不審死の中にあった毒殺……。同じものが使われたのだろうか。


 喉の奥が詰まりそうになる。誰よりも近くで私たちを見ていた彼が、何を思って死んでいったのか。それを知る術は、もう失われてしまったのだ。



「……何か、遺書や書き残したものは?」



 お父様の問いに、士官は首を横に振った。



「破られた紙片がいくつか見つかりましたが、原形を留めておらず、内容の特定は困難です。今後も鑑識を通じて復元を試みます」



 それは希望というには、あまりにも薄い糸だった。報告を終えた士官は一礼し、ひとまず口を閉じた。


 重苦しい沈黙の中で、ディートヘルムがゆっくりと椅子から身を乗り出す。その金の瞳が、報告を反芻するように揺れた。



「……この中には、知っている者もいるかもしれないが。」



 静かながらもはっきりとした声だった。皆の視線が彼へと向けられる。



「私の兄が亡くなった際に検出されたのも、同じ毒だった。」



 その言葉が、波紋のように広がっていく。



「当時は事故と処理されたが……あれもまた、誰かの手が加えられていたのかもしれない。」



 応接間の空気が一層冷たくなった。目を伏せたままのお父様、唇を引き結ぶお兄様、厳しい顔をしたゲオルク様。他にも、年配の内務局の士官たちは何かを飲み込むように黙って俯いていた。



「アレクシス様の件は、宮廷内でも限られた人間しか知らないはず。糸口はそこにあるかもしれんな。」 



 ディートヘルムの言葉に微動だにしなかった曾お祖父様が低く、唸るような声で言った。



(アレクシス。その名前、どこかで――。)

 


 胸の奥がざわついた。まるで、霧の向こうから誰かがこちらを見つめているような、不思議な感覚。思い出せない、でも確かに知っている。


 その違和感が、次の瞬間――一気に雪崩のように、記憶の底から蘇ってきた。



(アレクシス=ツー=グラウヴァルト……!)



 そうだ。私――桐原杏奈は、その名前を、確かに見たことがある。攻略対象の一人。けれど、ゲーム内でははっきりとした情報は出てこなかった。『隠しルート』――メインルートとは別に用意された、解放条件が不明瞭な、特別なルート。彼の姿がチラリと映るだけで、正体も、立場も、何もかもがベールに包まれていた。


 でも――それは、「生きている」からこその、隠しルートだったのだ。


 つまり……アレクシス様は、死んでなどいなかった。彼は今も、どこかで生きている。そして、私たちが知らない何かを知っているはず――。


 けれど、このことをどう口にすればいいのだろう?誰にも知られていないはずの情報を、私はどうして知っているのかと、問われたら……。


 ただの直感。けれど、それだけでは片づけられない確信が胸に宿っていた。



(私が、桐原杏奈がここに来た意味……もしかしたら、この“隠された兄”に辿りつくためなのかもしれない。)



 重苦しい沈黙が応接間に満ちる中、ディートヘルムがゆっくりと立ち上がった。



「本件に関しては、内務局が全力を挙げて調査にあたれ。特に、アレクシスに関する記録と人脈、過去に遡って徹底的に洗え。」


「はっ。」



 士官たちが一斉に頭を下げる。



「ルートヴィヒ殿、貴方にも後ほど意見を伺いたい。今はこれで、解散とする。」



 それを合図に、内務局の面々が静かに退出していく。お父様もお兄様も、わずかに肩を落としながら立ち上がり、ゲオルク様と共に廊下へと出て行った。曾お祖父様も無言のまま、最後に私に一瞥をくれて、扉を閉める。


 気づけば、部屋には私と、彼――ディートヘルムだけが残っていた。


 あの名を聞いたときの心のざわめき、そして呼び覚まされた記憶の衝撃がまだ収まらない。何かを、どうしても確かめなければならない気がして、私はそっと彼に向き直った。



「……ディートヘルム、少しだけ、いいかしら?」



 彼は静かに頷いた。



「あぁ。今なら、誰にも邪魔されない。」



 そう言って彼は、私の隣に腰掛けた。さっきまで大勢が詰めかけていた応接間は、今や嘘のように静かだった。まるで、互いの過去と真実だけが、この部屋に残されているかのように――。


私は、震える指先を組んで、そっと口を開いた。



「アレクシスという名を聞いたとき、突然、頭の中に記憶が流れ込んできたの。……誰の記憶なのかは言えない。」



 私の言葉に彼は小さく驚いた。うまく説明できないが、あの名前がただの偶然でないことは、胸が確かに告げていた。



「私、まだ貴方に話していないことがあるの。お父様にも、まだ誰にも話せていない…。」



 しかし、彼は問い詰めることはしなかった。


 「……そうか。」と、ただ短く、静かに返すだけ。


 私は思わず彼の顔を見た。そこにあったのは疑念ではなく、静かな理解と、少しの寂しさだった。



「君がその名を知っている理由を、いま訊くつもりはない。きっと、話せない事情があるのだろう。」



 その言葉に、私は胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。



「……ありがとう。そんなふうに、信じてくれるなんて。」



 ディートヘルムは薄く微笑み、目を細めた。



「でも、いつかその時が来たなら……君が話せるようになった時には、家族より、誰よりも先に、私に話してくれたら嬉しい。」



 その穏やかな声に、私は目を伏せ、そっと頷いた。



「ええ……約束するわ。」


「……話を戻そう。君は兄上が生きているのを知っているんだな?」



 その問いに、今度は私のほうが驚かされた。まさか、ディートへルムも彼が生きていることを知っているとは。



「……え?」



 ディートヘルムは私の顔を見つめたまま、ほんのわずかに首を傾げる。



「なるほど、そこまでの事情は知らないんだな。」


「どういうこと?」



 私が問い返すと、彼はわずかに息を吐いてから、静かに口を開いた。



「アレクシス――彼は、父上と、ある侍女との間に生まれた子だ。生母は平民出身だったが、父上は大切にしていたという。しかし……正妃筋の影響力の強い宮廷では、その子の存在は“好ましくないもの”とされた。」



 その声には、言葉にしがたい悔しさが滲んでいた。



「彼の母は早くに病で亡くなった。残された彼は、正式な皇子として迎え入れられることはなく、冷遇され……やがて“事故死”という形で表舞台から姿を消した。」


「……でも、それは本当の死ではなかったのですね。」


「そうだ。あの死体は偽物だった。生き延びた彼は、……正妃、つまり私の母によって、密かに逃がされたんだ。君の曾祖父、ルートヴィヒ殿と母上は、かつて前皇帝陛下を通じて親しい関係にあった。その伝手で、どこかへと匿われたのだと聞いている。」



 私は息をのんだ。



「でも、皇帝陛下は……。」


「父上はその事実を知らない。母上が何も伝えなかったのだろう。真実を知るのは、亡き母上ただ一人。だが……ルートヴィヒ殿が何かご存知である可能性は高い。あの方は、皇室の最も古い記録と血を知る人物だ。」



 ディートヘルムは少しだけ目を伏せると、遠い過去を見つめるように続けた。



「君がその名を思い出したこと――それ自体が、何かの導きなのかもしれない。過去の亡霊たちが、ようやく口を開こうとしているのか。」



 私の中で、いくつもの点と点が結ばれていくのがわかった。


 アレクシス。ゲームの中では一度も姿を見せることのなかった、隠しルートの人物。その名前が今、この現実で、生きた記憶として浮かび上がってくる――。


 けれど、その輪郭はまだあまりに曖昧で、情報も記憶も手がかりも足りなかった。ただひとつ確かなのは、私たちの辿る未来の鍵が、彼の存在と無関係ではないということ。



「ありがとう、ディートヘルム。あなたが話してくれたこと……必ず、無駄にはしないわ。」



 私がそう言うと、彼は穏やかに微笑んだ。


 心に積もる言葉の数々を抱きしめながら、私は静かに立ち上がる。


 外はもう、すっかり夜の帳が下りていた。けれど、その暗さが不思議と恐ろしくはなかった。私たちは確かに、真実に近づいている――。


 





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