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 お茶会から数日が経ち、ようやく邸にも落ち着きが戻ってきた。

 

 今日は特別な予定もなく、久しぶりに穏やかな一日を過ごしていた。花の手入れを終えて戻ると、ハンスが厨房の方で忙しそうにしている。



「ハンス、今日は何か特別なお料理でも?」


「あぁ、今日はルーカス坊ちゃんが帰ってくるんで、その準備をね。」



 ハンスの言葉に、私ははっとする。


「お兄様が……?」


「急な話ですけどね、いい加減に帰宅を促されたそうですよ。夕方にはお戻りになるとか。」



 思わず胸が高鳴る。前回顔を合わせたのは、いつだったか。宮廷勤めを始めたお兄様は、かつてのお父様のように宮廷で泊まり込みの日々だ。帰ってきても私とは入れ違いでの出入りが多かった。



「……なら、花を生け直さなきゃ」


「お嬢様らしいな。坊ちゃんも喜びますよ!」



 ハンスはおかしそうに笑った。


 彼は相変わらず創作料理に凝っていて、その甲斐あってか、昔に比べてお父様の食の進みが良くなったように思う。時々ローゼンベルク領から送られてくる、皇都にはない食材を見ては目を輝かせて厨房へ籠りきりになる。



「そういえば、ミーナが探してましたよ。」


「本当?なにかしら…。」



 今朝お茶を淹れてくれたあと、見かけていないけれど。何か頼み事でもしてあっただろうか。



「ありがとう。とりあえず部屋に戻ってみるわ。」



 ハンスに礼を言って厨房を出ると、ちょうどヘルミーネが前を通りかかった。



「ヘルミーネ、ミーナはどこかしら?」


「図書室で書類整理をしていますよ。最近、司書官の推薦をいただいたとかで。」


「まあ、すごいじゃない。相変わらず真面目ね。」



 ヘルミーネは、私とミーナが皇都に来て以来、執事のオスヴァルトとともに、ずっとこの別邸を支え続けてくれた大事な存在だ。長い間ミーナの侍女教育をしてくれていたが、それもこの夏で終わる。入れ替わりで宮廷からフリーデも来てくれることになっているので、近々ローゼンベルク領へ戻る予定だ。



「今日、お兄様が帰ってくるらしいのだけど…。」


「はい、伺っておりますよ。ハンスが朝から張り切っておりました。」



 そう言ってヘルミーネは後ろの厨房を見ながら、呆れ顔を浮かべる。二人の関係も相変わらずだ。



「せっかくだから、新しい花を生けようと思って。」


「まあ、素敵ですね!では、倉庫から何点か花瓶を見繕っておきます。」


「ありがとう、よろしく頼むわね。」



 倉庫へ向かうヘルミーネを見送って、二階の図書室へ向かう。すると階段の方からレオンが降りてくるところだった。



「お嬢様、どうなさいました?」


「今から図書室へ行くところなの。」



 小間使いだったレオンは、もうすっかり青年の姿へと成長していた。初めてあった時は、まだ身体つきも小さかったが、今年で18歳になる彼も、背がかなり伸びて体格もよくなっている。今は、オスヴァルトに付いて従僕として働いてくれている。



「そういえば、ブルーノは邸に来ている?門のところに居なかったけれど。」


「厩舎におります。馬の世話のあと、少し様子を見に行くと言っていました。最近、馬の具合がよくないとかで。」


「そう。ブルーノがいるなら安心ね。動物には彼が一番信頼されてるもの。」



 ブルーノは昔から無口だが、忠実な人物だった。父の信頼も厚く、私にとってはどこか“屋敷の空気の一部”のような、静かで安心できる存在だった。


 ……だからこそ、今、時折その空気に微かに混じる“濁り”が気になっている。気づいたのは、ほんの些細なことからだった。

 

 レオンの態度が妙によそよそしい。いつも以上に周囲を気にしている。声をかけても、視線を泳がせ、ぎこちなく言葉を濁すことが増えてきた。


 今も、話しているのに目が合わない。彼のような気の弱い性格の者が怯えている時――それはたいてい、誰かからの圧力を受けている時だ。



(……オスヴァルト)



 最近、妙に彼の姿を見かける機会が少ない。姿を消す時間帯もある。お父様が宮廷からよく帰るようになってからは、邸内での仕事も前よりは落ち着いているとはいえ、いったいどこで何をしているのか。


 どうにも、あの人からは人を冷ややかに観察する気配を感じる。



(まるで、すべてが計算された目線)



 表向きには丁寧で、礼儀も完璧だ。けれど、どこかに“真心”のようなものがない。任命したのは父だと聞いているけれど、ヘルミーネとの相性も悪いままだ。



「あの、急ぎの用がありますので、失礼いたします。」


「えぇ、引き留めて悪かったわね。」



足早に去っていくレオンの後ろ姿を見て、思わずため息をつく。彼はいったい何を抱え込んでいるのか。一向に話してくれる気配もないし、考えても仕方がないのは分かっている。しかし、彼の言動が気になってしまい、私の心が何か嫌な予感めいてざわつくのだ



(とりあえずは、様子を見るしかないわね。)



 胸に落ちた違和感には見ないふりをして、階段を上る。図書室は階段奥の部屋だ。



「ミーナ?入るわよ。」



 一言断って部屋に入ると、机の上に昨日まではなかった本の山が出来ていた。



「あぁ、お嬢様!こちらからお声を掛けるべきでしたのに、申し訳ありません。」


「いいのよ、気にしないで。それより、二人の時は前みたいで良いっていったでしょう?」


「……はい、でも、やっぱりちょっと緊張しちゃうんです。」



 ミーナは嬉しそうにはにかんだ。


 幼いころからずっと私に仕えてくれているミーナ。ローゼンベルク領から、この皇都へ移り住んだ時も、宮廷での皇太子妃教育の時も、彼女は変わらず私の傍にいてくれた。ただの主人と侍女という関係よりも、よほど深い信頼で結ばれていると自負している。


 ミーナが筆頭侍女となったのは、あのヘルミーネの指導があったからだ。けれど、私の前では、昔と変わらぬやさしいミーナでいてほしいと願っている。



「それよりも、私を探していたんでしょう?何かあったの?」


「そうです!お嬢様、ずっとお探しになっていた本が、見つかったんです!」



 そう言ってミーナは本の山の中から、一冊の古びた本を取り出した。受け取って表紙を見ると、帝国語ではない文字と、見たことのない紋章が描かれていた。



「これが、お母様が読んでいた本…。」



「宮廷で知り合った司書様に、探してもらえるようお願いをしていたんです。今朝、遂に手に入ったと連絡をもらって、取りに行ってきました!」



 ヴァレンシュタイン家にあるお母様の自室にあった日記帳。そこには、この本について熱心に研究していたことが記してあった。少しでも母の事を知りたくて、この本を読もうと思ったが、ローゼンベルク家に嫁いでくる際に、本は手放してしまったようだった。国内の書店や図書館などに問い合わせたが、取り扱いはなかった。


 その話を覚えててくれたのか、ミーナは探し続けてくれていたようだ。



「…ありがとう、ミーナ。」


「とんでもありません。少し時間はかかってしまいましたが…。」


「とっても嬉しいわ。本当にありがとうミーナ!」



 このまま、きっと手に入らないだろうと諦めかけていた。本が見つかったのもそうだ、彼女の心遣いがそれ以上に私を嬉しくさせた。


 思わず抱きしめてしまったが、ミーナはためらわず私を抱きしめ返してくれた。昔から彼女はこうして私の事を温かく包み込んでくれる。お父様やお兄様とは少し違うけれど、私はミーナを家族同然に思っているのだ。



「お嬢様がお読みになったら、ぜひ私にもお聞かせください。」


「…必ずそうするわ。」



 ミーナの温もりと、古びた本の重み。

 そのどちらも、私にとってはかけがえのない贈り物だった。









 夕方になり、お兄様が帰ってきた。



「アンネリーゼ、なんだか随分……綺麗になったな。」


「まあ、お兄様。いつからそんなお世辞を言えるようになったの?」


「お世辞じゃないさ。……帝都での暮らしが、俺を変えてしまったんだ。」



 お兄様の冗談に、おかしくなって笑いがこみあげる。幼いころの諍いなんてまるで感じない二人の会話に、時の流れと、積み重ねてきた絆の深さを思わずにはいられなかった。


 最悪の未来を迎えたあの時の私とは違って、今はお父様もお兄様もいる。少しずつでいい。こうして、取り戻していけたら。



「今日は、ハンスが用意してくれた特別メニューなのよ。」


「あぁ、邸での食事なんて久しぶりだ。」


「…とても忙しそうね。ディートヘルムも最近は険しい顔をしてることがあるの。」



 お兄様は中央学院を卒業した後、皇太子直属の側近として宮廷で働きだした。ディートヘルムが今年で中央学院を卒業して、本格的に皇族としての公務を始める前に、宮廷内の体制や、社会的地盤を固める必要があるため、お兄様は右に左にと休む暇もないそうだ。



「殿下も、学業でお忙しい中、公務の準備に追われているからな。お前がしっかり支えて差し上げるんだぞ。」


「はい、そのつもりです。」



 すっかり役人の顔をしたお兄様を見るのは新鮮だ。逆行する前は帝国騎士団に入団していたお兄様は、今とは違い遠く離れた存在で、政治的な考えなどには疎かったように思う。今は、緻密で冷静、判断力のある頼れる存在だ。



「今度の、アルゼナ王国の外交官との会談にはお前も参加するんだろう?」


「えぇ、その予定よ。他にも、ソフィエ、アウデンブルフ伯爵令嬢も同行してくれるわ。」


「あぁ、王女の…。ずいぶん仲良くなったんだな。」



 思わずいつもの呼び方をしてしまって訂正する。公務の場では、正しくお呼びしなければ。降嫁したとはいえ、外交相手の王女の娘。失礼だと受け取られるような態度は慎まなければならない。



「俺も近くに控えているだろうから、安心しろ。」


「…心強いわ。」



 心の中を見透かされたようで居心地が悪い。しかしお兄様の言う通り、身近な存在が近くにいてくれるというのは安心できる。



「さぁ、ハンスからの熱い視線が痛いから、夕食をいただこう。」


「そうね。おまたせ、ハンス。準備をお願いできる?」



 話がまとまるのを今か今かと待っていたハンスは、声を掛けるとすぐに大広間を飛び出していった。その後ろをヘルミーネが慌ててついていく。――オスヴァルトの姿は相変わらずない。


 お兄様との久しぶりの夕食に、会話を弾ませながら、どことなく不穏な空気を感じていた。邸を取り巻く“濁り”がこれ以上強くならないこと願うばかりだ。



 








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