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補遺:ジークベルトの決意――エリーザの死と影



 夜も更け、館内が静まりかえる頃。私は一人、応接室の扉をノックした。



「……入れ。」



 中にいたのは、ヴァレンシュタイン家の当主・ゲオルク殿だった。エリーザの従兄であり、今やこの名門をまとめる責任を担う男。年齢は自分よりも幾分上だが、眼差しの鋭さは、今もなお衰えていない。


 机の上には一杯の琥珀色の酒。手元のグラスを揺らしながら、ゲオルクは黙って私を見た。



「夜分遅くにすまない、ジークベルト殿」


「いえ……。」



 軽く頭を下げると、ゲオルクは静かに視線を外し、窓の向こうの闇へと目を向けた。



「今日、先代とも話をした。アンネリーゼ嬢は……良い子だ。確かに、エリーザの面影がある。」


「……ええ。似ているところも、違うところもある。それでも、やはり、母娘ですね。」



 ふと、二人の間に、長い沈黙が落ちる。やがてゲオルク殿が口を開いた。



「……ジークベルト。エリーザの死に関して、お前は、疑問に思ったことはないか?」


「……どういう意味ですか?」



 問い返す声に、自然と力がこもる。彼は、グラスを机に戻すと、低く、しかしはっきりとした声で続けた。



「彼女は、確かに身体が弱かった。妊娠・出産には大きな危険が伴うと。そしてそれは神殿会の医師も理解していた。それでも本人が望んだ以上、止めることはできなかった。——そうだな?」


「……。」



妊娠が判明してから、何度も医師の診察を受けた。どの診断も同じで、出産は諦めるべきだという結論だった。私も説得しようとしたが、彼女は頷くことはなかった。



「先代から受け継いだ書類の中に、エリーザに関する調査記録があった。縁を絶った後も、君たちの動向をずっと見守っていたのだろう。」



 それも当然のことだろう。彼にとってエリーザは唯一の孫であり、口に出すことはなくとも心の奥では常に彼女のことを案じていたに違いない。



「その書類の中に、気になることが書かれていた。」



 差し出された書類を受け取る。


 

「実はあのとき本来、手配されていた医師団は、到着が不自然に遅れたんだ。」


「……それは、予定が早まったからでは?」


「当初予定されていた医師や助産師の一部が、別の診療任務に回され、急遽、交代になった。理由は、神殿会関係の要請が優先されたから、だと記録にはある。」



 その言葉に思わず反応してしまう。



「神殿会……。」


「名指しはできぬ。だが、つい最近、別の家門から証言があったからだ。あのとき、誰かが“あえて手配を遅らせた”可能性があると。」



 言葉が、重くのしかかる。ジークベルトはゆっくりと視線を下げた。



「……そんな話を、なぜ今になって?」


「アンネリーゼ嬢が、皇太子の婚約者となったからだ。あの子が、この帝国の未来に立つ位置にいるなら——我々もまた、彼女を支える責任がある。隠しておくわけにはいかない。」


「……あの子には……。」


「話す必要はない。今はな。」



 ゲオルク殿ははっきりと首を振った。



「まだ幼い。しかも、これから先、皇族としての責任と立場を背負ってゆかねばならん。その子に、母の死の裏に陰謀があるかもしれぬなどと伝えてどうする?」



 それだけではない。アンネリーゼは未来の記憶を持っている。それに、まだ私に話していない”何か”を抱え込んでいる。これ以上あの子に重荷を背負わせるわけにはいかないだろう。



「……分かっています。……だからこそ、私が、知っておかねばならない。」



 ゲオルク殿は頷いた。



「いずれあの子が大人になったとき、真実に向き合う力が備わったら、伝えてやればいい。だが、それまでは——お前が守れ。ジークベルト殿。」


「……はい。」



 重い沈黙の中、二人でグラスを傾けた。




 彼女を―――、エリーザを失った日の事は今でも鮮明に思い出せる。



 静寂に包まれた室内で、彼女は薄く汗ばんだ額を手で拭いながら、荒い呼吸を繰り返していた。



「エリーザ様、頑張って……。」



 助産師の声は優しくも緊張を帯びていた。


 もともと体が弱かった彼女にとって、出産は命懸けの決断だった。激しい痛みの中、彼女はまるで自分の魂を子に託すように、最後の力を振り絞っていた。



「産まれたわ……。」



 誰かがそう囁く。生まれたばかりの産声が、静かな部屋に響いた。


 その瞬間、エリーザの目にはかすかな安堵の光が宿ったが、同時に深い疲労と悲しみも見え隠れした。医師が急いで彼女の傍らに駆け寄った。しかし、その表情は次第に険しくなり、部屋の空気は重く沈んだ。



「どうか……この子を……。」



 エリーザはか細い声で呟いた。だが、その声は次第に弱まり、やがて静かに止まった。その時、そばにいた私は、初めて彼女の命が危ういことを理解した。妻の最後の姿を見つめ、胸が締めつけられるような痛みが走った。


 彼女は愛しい我が子をこの世に残し、静かに息を引き取った。






 彼女を失った痛みは、一生癒えることはないだろう。


 だが、その悲しみを胸に刻みながらも、私は前を向かなければならない。あの子の未来のために。あの子が歩むべき道のために。


 エリーザの意志を繋ぎ、守り抜く――それが、今の私に課せられた使命なのだ。


 静かな夜の中、私は深く息を吸い込み、決意を新たにした。


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