外交 その3
子どもに対する教育というものは、かなりの苦労を教育者に強いる。
情緒も何もない赤ん坊にマナーを教え込み、読み書きを教え、モラルを守らないようなら叱るなどの罰を与える。当然、子どもは罰を受けたくないから、素直に受け取る…わけもなく。
子どもは未成熟なのだ。当然、自分の思い通りにいかないことには反発する。
始祖還りへの教育では、その反発が一番の足枷になる。地雷とも言えるかもしれない。
子どもの反発だなんて、例えば、大声で泣き叫ぶ、地団駄を踏んで暴れる、積み木を投げる、なんて可愛いものが中心だ(保護者からすれば勘弁してほしいものだが)。
しかし始祖還りとなるとそうはいかない。大声で泣き叫べば窓が割れ、地団駄を踏んで暴れれば建物が揺れて天井が崩れ、積み木を投げれば頭蓋骨が砕ける。実際、現在はかなり達観しているアスタロトも、唾を吐きまくって世話係を軒並み入院させたり、自室で大規模な火災を発生させた時期があった。これが子どもの癇癪として行われるのだからたまったもんじゃない。
幸運なことにアスタロトの性質は「怠惰」で、ある意味その欲求は自身だけで完結するものだった為に両親もアスタロトへの教育を成功させることができた。本人の趣味が読書だったというのも大きい。
しかし、この国ではそうもいかなかったのだろう。
結果、選ばれた選択肢は幽閉だった。
魔力を抑える結界を施し、その中に閉じ込めた。特殊条件の結界の為、うまい具合に始祖還りのみを弱体化させることに成功したのだ。
『…それが、約500年前』
『はい…』
始祖還りとして最古の記録が残っているのは、2000年前の「傲慢」だ。それから誤差はあれど約500年周期で始祖還りという特殊個体が生まれていることから――1000年前の「暴食」を最後に、しばらく記録は途切れていたが――500年前にも生まれていたとなるとだいたいの計算は合う。
…いくら始祖還りと言えど、まさか500年も生きながらえているとは驚きだが。これまで始祖還りは皆一様に悲劇的な結末を迎えており、失墜やら暗殺やらで消えていったが故に明らかにならなかったのだろう。
この世界の平均寿命はせいぜい100年強。それと比べても明らかに異常だ。
『我が国の始祖還りは私の高祖父の叔父にあたります。曽祖母の父の、叔父ですね。自分たちもどうにかしたかったのですが…』
『まあ、妥当な判断でしょう。始祖還りは特殊個体、その実力は計り知れない。最悪国が滅ぶ』
アスタロトが同じ立場でも、同じ決断を下したことだろう。状況と情報を鑑みて、最悪を避けるのは為政者の義務だ。
『…皆様、正気なのですか』
怒りを含んだ声が会話を貫く。
その声をあげたのは、現在の王太子だった。
『アケイディアは貧民国、ましてや恩を仇で返すような人間性を持ちます。上手く丸め込まれて延々と支援金を搾り取られるようになりませんか?』
痛いところを突かれた、とアスタロトは眉根を寄せた。
実はアケイディアは、過去にラスト以外の国から支援を受けていた。それはそれは膨大な額で、そしてそれはラストとの戦時中も例外ではなかった。しかし、アケイディアの勝利とそれによる利権・賠償金を見て、支援を打ち切られたのだった。
正直、相手国も支援打ち切りのタイミングをはかっていたのだろう。友好国という看板とほんの少しの惰性で垂れ流しにしていただけで、支援金はかなり財政を圧迫していたはずだ。
故に、王太子の心配は間違ってはいないのだ。
間違ってはいない、のだが。
『やめなさい、もしそうだとしても金を払って始祖還りをどうにかしてもらえるなら安いものだろうが』
『「まだ教育が足りない」と詐欺まがいのことをされたらわかりませんよ』
『相手を信用することが外交では重要だろう!』
『信用した相手に騙された事例は歴史を見ればいくらでもあります!』
『失礼、親子喧嘩は他所でやってください』
声を荒げて今にも立ち上がりそうな二人に、アスタロトが軽く釘を刺す。自国や自分が罵倒されているようなものだというのに、彼の態度はかなり穏やかだった。
ある意味、社会を知るが故の余裕だ。理論を根底に感情を上乗せして強く意見する王太子の様子を見ても、アスタロトは正直「若いなぁ、青いなぁ」くらいにしか思えなかった。
『すみません、同じくらいの年齢だから、交流も悪くないかと連れてきたのですが…』
『いえ、彼の言うことも十分に理解できますし、何より一理ある。民衆の代表である議会の結論にとやかく言うのは、民主主義国家の王族としては如何なものかと思いますが』
女王の言葉も特に意に介さず、アスタロトは運ばれてきた食事を口にした。毒も薬も効かない生粋の毒使いというのは、毒見役がいらないから便利だ。できたての一番美味しい瞬間を味わえる。
アケイディアと違い豊富にある薬味をふんだんに使った料理は最高に美味しい。アスタロトには少し味が濃いように感じられるが、別に許容範囲だった。
『食事が終わったなら、その件の始祖還りに会いたいのですが、よろしいですか?』
『ええ、もちろん構いませんとも』
父子の言い争いに一切関与せず、なんなら少しあたたかい目で眺めながら、一足先に二人は食事を終えたのだった。