改革 その4
「お見事でございました」
「お世辞はいい」
執務室で書類に囲まれてため息をつくアスタロトに、爺――クァベラ・ロバートが声をかける。
「ったく、貴族らめ…これまでの略奪行為を咎める文書を書くのも、謹慎令を出すのも、謹慎中の代理に命を出すのも結局全部俺なんだぞ。仕事増やしやがって」
「ですがその御歳とは思えぬ手腕、お見事です」
「証拠をありありと残す馬鹿が多かっただけだ。巧妙に隠蔽されていたらこんなに簡単にはいかなかった」
「ご謙遜を」
「ただの事実だ」
実際、貴族の反感を買うのはよろしくない。絶対王政においては王族と貴族が一体となって安定した政治を執り行うのが最善で、つまり王族にとって貴族の権威は無視できないものであることがわかる。
これからは、何かしら貴族が不正を行う時は水面下で行うようになるのだろう。それはそれで面倒だが、だからといって堂々と行われる不正をわざわざ見逃す理由にはならない。
「とりあえず貴族から巻き上げた金で少しは持ちそうか…次は市民への配給だな」
「炊き出しでも行いますか?」
「いや、公共事業を興す」
「はい?」
社会の中で金を回すという点でも、そして税金で還元させるにも、まずは国民が金銭的余裕を持たなければ進まない。
そこで、道路の整備やスラムの開発・修繕などの事業に政府が自腹を切って、労働者階級に給与を渡す。その資金ももともと貴族から巻き上げたものだから、大した痛手でもない。
「短期事業だろうが関係ない。まずは金を回すことが重要なんだ」
問題は事業を任せる企業だ。国外の会社に頼んだら本末転倒、しかし国内にこんな一大事業を任せられる会社なんて――
「……あ、いや、違うな」
***
「…そんなわけで、これらの事業を貴殿らに一任したい」
「は、はぁ…」
流れる汗を必死にハンカチで拭き取る父を物陰から見ながら、クレアもまた必死に頭を回していた。
(なんで?わざわざ、つい最近不正を起こした貴族に、こんな重要な事業を任せに来たの?)
「正直なところ、私も頼みたくはない。つい最近コソ泥だと発覚した家だ、中抜きが無いとも言い切れない」
「……」
「でも、一回痛い目を見たからこそ、貴殿に頼みたい」
「…はい、陛下。それは一体……」
「他の貴族も頭が残念な気がしてならないんだ。一斉に粛清を行ったとて、所詮は他人事。王族を舐め腐っていた輩だ、若輩者の私の扱いなんてたかが知れている」
その言葉を聞いて、たしかになるほどとクレアも納得した。
実際、粛清前のこの家は王族を舐めていた。と、いうより、「王族は寛大だから許してくれる」「このくらいなら大丈夫」という認識が先代、先々代と刷り込まれていたのだ。
貴族の中でも最高位の公爵ですらこうなのだから、他の貴族がどう思っているかなど火を見るよりも明らかだ。
「それが無くとも、国内の会社はグダグダのボロボロ、個人事業ばかりで大事業はほぼ無い。国外の企業もこんな貧しい、しかも成長の余地も見えない、利益どころか大赤字待ったなしの国に来ているわけもない。人件費は発展途上国のくせに割高だし、貴族・王族が目を効かせているから安易に踏み込めないしな」
と、しばらく黙っていれば、本当に為政者なのかと疑いたくなるほど悪口が出てくる。紙の音を背景にあらかた愚痴を続けて、こほんと軽い咳をして話を戻した。
「…だから、おたくら公爵を中心とした貴族で、公共事業を請け負ってもらいたい。結果を出せば賠償金も減らすし、そもそも利益が入るから賠償金の支払いも楽になるだろう」
「…あの、陛下、いくつか質問をよろしいでしょうか」
「許可する」
父と少年の関係は、遠目から見てももう疑いようのないほどに『部下と上司』だ。今代の若き国王様は厳しいばかりだと思っていたけれど、どうやら規律を重んじた愛国主義者らしい、とクレアは印象づけた。
「まず、他の公爵家の反応が知りたく存じます。これほどの規模となりますと、我が家だけでは無理があります。貴族の中でも高位とはいえ、限界は存在するのです」
「当然の感想だな。しかし、残念ながら直接の交渉はこの家が初だ。だが、部下が駆けずり回っている。貴殿らミクラ家以外の公爵らからは、現時点ではトゥーリ家とウォルター家から悪くない返事を貰っている」
「次に、自分らがこのような重要な案件に関わることについて、他の貴族から何かしら不満は無いのでしょうか」
「無いとは言い切れない。むしろ多いだろう。が、私が黙らせる。家にまで押しかけての勅命だ、文句を言える奴の方がおかしい。少なくとも、この事業に関してのみ、私という後ろ盾があると考えればよろしい」
「それと、事業の内容ですが――」
下手な質問をすれば不敬罪になるかもしれない中ポンポンと質問を繰り出せる父の胆力もそうだが、質問に対する答えを即座に切り返せるアスタロトに、彼女は舌を巻いた。
自分と同年代どころか年下の、成人すらしていない少年が、社会を大きく動かす事業について公爵家当主である父と渡り合っている。どこか夢見心地な景色に、思わず身を乗り出してしまい、ドアの蝶番が鳴いた。
物音に気がついた父とアスタロト陛下が、同時にこちらを見る。
「あ、や、あの、お父様……」
「…うちの娘のような不届き者が、部下や身内に居たら?」
「私から直々に監査官を送る。そうでなくとも、私が直接監査を行う。それとは別に身分を隠して不定期に様子を見に行くから、不正や違法労働があればすぐにわかるだろう」
二人が動揺したのはほんの一瞬で、クレアは少しムッとした。自分の存在がちっぽけなものとして扱われているように感じたのだ。
(ムカつく。将来、私と結婚するかもしれないのに!)
「それとアスタロト様、これら複数の事業ですが、全て並行して行うのは、これらの資金的に少々厳しいかと」
「少々なら国債を発行してでも押し通すが、本当に”少々”か?」
「……すみません、正直、かなり厳しいかと」
「なら優先順位をつけて行う。後日、他の貴族とも話がまとまったら表を送るから、上から、できれば複数並行してやるように」
話は以上だ、と切り上げて、アスタロトとミクラ公爵は握手をした。
「持ってきた書類は予備のだから自由にしてかまわない」と言ってアスタロトは手早く荷物をまとめ、部屋を後にする。
「ああ、そうだ。ミクラ公爵令嬢」
「? はい、なんでしょう」
ぶっきらぼうに返答すれば、「やっぱり失礼な娘だな」と苦笑して、アスタロトは続けた。
「どうせ温室育ちの世間知らずだろうし、公爵家の娘だから見逃していたが――覗き見をするなら、今度からはドレスはやめたほうがいい。ドアの隙間、視界の端でチラチラと揺れるのが鬱陶しいからすぐに気づかれるぞ」
「!!!」
鼻で笑うように言い捨てて、アスタロトは今度こそ家を後にした。
「……お父様」
「どうした、クレア」
「私、あの方とは絶ッ対に結婚致しません」
「え」
(…やっぱり、あの方腹立つ!!!!)
「とりあえず、首の皮一枚か…」
「話がまとまったようで何よりです」
爺が用意した紅茶を飲み、小さめのクッキーを噛む。
小さくため息をつきながら天井を仰げば、目の上に蒸しタオルが乗せられた。
「あとは、ミクラ家の件を添えて他の公爵とも話を進めて、そうしたら下の貴族にも話をまとめて、市民に金が行き渡ったら企業が多少潤うはずだから――はあ、俺が休めるのはいつになってからだか……」
「アスタロト様、ご報告が」
「なんだ…」
疲れた声でタオルを下ろすのを見てから、爺は、少し申し訳なさそうに声を上げた。
「…ラスト国から、使者が来ております。下階で待たせております故……」
盛大に音を立てて、アスタロトが椅子から転げ落ちた。