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6ー5・言葉の刃



 休憩スペースの自販機。

少女が迷わず選んだのは、ビター珈琲。


 甘さなんて要らない、人生はいつだって苦味があるように

出来ていて瞬時的に甘さを逃避しても、また苦さを

味わうように出来ている。



 椅子に座り、嗜んでいると、

風花は不意にある女性に目に留まった。

ミディアムヘアに質素なワンピース、何処か躊躇う様な(ひとみ)



 気にも止めないのだが、

彼女が立ち止まっているのは、永野圭介の病室である。

その人は病室のスライドドアの前に

立ち止まったまま動かないでいる。



 この人を見たのは初めてじゃない。

時折、同じ事を繰り返しては、

その淋しげな雰囲気を宿した背中を佇ませ、引き摺る様に帰る。












「……栄養を取って、安静にした方が良いって」

「そうか」



(何故、まだ居るんだろうか)



 この馴れ合いを好まない少女なら、

てっきり用件を伝え終わったら、帰ると思って居たのに。

先程、席を外したと思ったら、伝書鳩の様に帰ってきた。



 妹と偽り、保護者の代わりに色々と

手続きを済ませてくれた少女には感謝している。

祖母には連絡は取れないし、此方からもしたくない。



 ただ。



 今は一人になりたい。

目の前が急変して決め付けていた感情が、

天秤の様に揺らいでいる。




 今は、誰かに構う余裕も考えも、無くなっている。




 どうすれば良いのか。



 疲れた心身だが、無性に心は焦っている。

現実問題として この先、祖父は長くはないだろう。


 葬儀の手配もしないといけない、祖母の事もある。

身内がいない以上、責任を負うのは当然、

孫の自分に回ってくるのだ。


 逃げてしまいたい。

けれども現実問題からは逃げられない。



 幼少期から

理不尽な大人の都合を呑み込む役割を担ってきた以上

祖父母に対して良い感情は抱いていない。







 けれど。

此処で再燃した気持ちは、“消えてしまいたい“だった。

あの日抱いていた、感情がそのまま蘇っている。





 ちらり、と少女を見る。


 何をするわけでも無く、

お雛様の如く静かに座っている。

その佇まいは車窓から情景を眺めている、深窓の令嬢のようだ。




 帰ってくれないだろうかと内心思いながら、背を向けた。

けれども脳裏に佇んだひとつの疑問



「___どうして」


「………………」




 どうして。



 ずっと抱いていた疑問。





「あの時、俺を引き留めたんだ…」




 あの時、

身を投げるつもりで、あの地に立った。

少女に引き留められていなければ、今自身はいないだろう。



 けれど圭介にとってずっとそれが疑問だった。

どうして、少女は自身を引き留めたのだろうか。




 風花は、その理由を具体的に語らない。

彼女自身、青年の問いかけに呆然としていたが。




「___あの時の貴方が、生半可だったからよ」




 氷の様に、冷たい声音。

風花の回答の意味が分からない。生半可だった?


 


「……どういう意味だ」

「……そのまま」



(中途半端な気持ちでいられるのが、一番、嫌だった)



 風花の心は、絶望仕切って枯れている。

水すらも枯れた砂漠の如く、熱の冷めた氷の様な冷たさ。



何も希望を持たない。持てない。

欠落した感情も感性も、この人生が苦でしかない思う事しか出来ない。




「知ってる?


 人間はね

本当に何もかもどうでも良くなると、全てに冷める。

感情も何もかも湧いてこなくなる、ただ何も感じず

ロボットのように生きる。………私みたいに。


 何が起こったってどうでもいい。

自分の事でさえも、他人の事だったら、尚更」



 目の前で直哉が殺され、

華鈴の影武者で“北條家の道具“だと悟った瞬間。



 風花は全てを棄てた。



 自分自身の事でさえ、どうでもいい。



 祖父という男に幾度殴られても、

知らない人に強姦された時でさえどうでもよかった。

どうせこの心の持ちようは変わらない。



(傷つくことすら忘れていた)









「貴方が身を投げようとした時、迷ってるように思った。

まだ願望があるうちは、生きていて感情がある証拠。



それに、足が震えていたでしょう?

生半可だと思った。絶望したふりをして

悲劇の主人公に浸っているようにしか見えなかった」


 風花がクライシス・ホームを設立したのは、

絶望に対して生半可な感情を抱く者への、復讐心からなのだと

自覚していた。






 足が震えていた?

馬鹿な。本気で命を投げ出すつもりだった。



「……貴方を数ヶ月 見てきたけれど

そんな感情はもう消えてるように思う。



 私が言いたいことはそういうこと。

一度は、生半可な行動に出たけれど、貴女は生きてる。



 だから。

これから、どうするかは知らないけれど

私が言いたかったのはそれだけ。」


「嘘を言うなよ!」



 圭介は、咄嗟に怒鳴っていた。

いつも冷静な風花が、一瞬怯えて後退る。



「黙ってたら、色々と戯言を述べやがって。

足が震えていた?そうだったろう。けどな。


 あんたが留めなかったら、俺は迷わずに飛び込めたんだ。


 俺は偽善者だと思う。

だいたいその思考が幼稚すぎるよ。

生半可 だとか、口で言えるなら簡単だ。


 けれどな。

引き止めて誰もが助かるとは思わない。

引き止められたからこその苦悩が生きてる限りはある。


あなたは独りよがりだよ。


ある意味 身勝手だ」



 解っている。

こんなの、ただの八つ当たり。

けれど抑えていた感情は止まらず、

自分でもどう対処して良いのか分からない。



「___今更、後悔してるんだ、


あんたに会わなければ、

あんたを無視していれば良かったって。


 今聞いて確信した。

風花がやっている事は

独りよがりのままごとにしか思えない。



 悔やむよ。

あの時、実行出来なかった自分を。



 人一倍苦労して賢いのは知ってるけど、

結局は自分の自己満足の為の為じゃない? 違う?」


「______…………」



 其処まで言って、本気で後悔した。

少女が傷付いた顔をしているのに、気付いてしまったから。

少女の双眸は曇りだし、何処か闇を孕んでいる事を忘れていた。


 我に返ってから言い過ぎたと反省する。



「………そうね」


 不思議と思うと共に、

やはり自身には人としての感情は欠落していると

風花は思わざる終えなかった。



 こんなにも言葉を浴びているのに

何も思わないのは、どうかしている。



 無情。

風花の声音は、やはり冷たい。





「貴方を引き留めたのは、間違いだった」



「………………」


「帰る。あと、気にせず自由にして良いから。

休暇でも退職でも構わない、貴方の好きにして」



 少女は言うと、消える。

圭介は後悔したが、もう遅かった。



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