2―7・終わりを望んだ少女
「__________終わりたいの?」
丁重ながらも、抑揚と感情のない、怜悧な声音。
深い漆黒の瞳の双眸が此方をただ迷いもなく見詰めている。
軈て黒の少女は屈んだ状態で
うつ伏せに倒れ伏せているフィーアをただ見下ろしているだけだ。
虚空を彷徨うフィーアの眼が茫然自失とした後に
少女を捉えた瞬間に徐々にある感情が芽生え、込み上げてくる。
双眸が揺らいだ。
(__________怖い)
人間が怖い。
それは幼い頃から隔絶された世界で、限られた人と関わらず、
暗闇の地下という鳥籠で育ってきたフィーアにとっては、初めて出会う人。
人は自身を傷付け、傷付けられる。その原理を受け付けられてきた。
(…………信用が、出来ない)
彼女にとって、人間は、”恐怖の象徴“だった。
自身に近寄ってくるのは、暴力を働く者だけ。
その瞬間に心が冷めていき、何かされるのではないかという恐怖心が
フィーアの心をじわりじわりと侵食し支配していく。
恐怖心故に後退ろうとも
動かぬ足だけではなく、否。それ以前に身体が動かない。
それに気付くと同時に徐々に意識が遠退いている事に気付いた。
しゃがみ込んでいる目の前の少女は相変わらず無言だ。
事をを荒げる事もなく、手を下す訳でもなく、呆然自失と
不思議そうな眸で自分自身を真っ直ぐに見詰めている。
ただ、その眸は何処となく、虚ろで遠目だ。
彼女は死にたいのかと疑問に思ってきたけれど、
言われなくとも、このまま自分自身は死ぬのだろう。
体力も気力も残っていないのだから。
……………いいや、一層の事、その方が良い。
こんなにも狭くて、
辛く苦しい世界とはお別れした方が良い。
そうしたら自由な世界に行けるかもしれない。
それが本望だ_____と思いながらフィーアは眼を閉じた。
アルビノの少女が眼を閉じた瞬間、
風花は目の前の彼女の手首を取ると静かに眸を閉じて
暗闇に耳を傾けて済ます。
一定の音が聴こえてくる。……脈がある証拠だ。
弱いが、浅い呼吸もしている。
透き通る様な白い肌。それに似合わぬ赤柴の痣達。
くすんでいるが波打つ様な、柔く長い綺麗な髪。
顔立ちは可憐な雰囲気を残しながら端正に整っていて、
端から見れば人形の様だ。
(……………生命力が強い。良かった)
どうやら彼女は気を失っているだけの様だ。
にしても衰弱が激しくその身体は痣だらけ。
風花は何処かで曖昧が確信へと変わり、脳裏で推測しながら、
少女の身体を抱き抱えると、そのまま歩き出した。
彼女は異様に、体が軽い。
腕や脚は折れてしまいそうな細く
髪には煤や埃がこびり着いていて、せっかくの原石をくすませてしまっている。
(___綺麗なのに)
灼熱の暑さに汗が滲んだ。
この身も焦がれてしまう様な炎天下だから、
早く家に連れて帰ろう。
次期当主であるという身が
大概の成す事は承諾され、許されるというのは
というのが最大の利点だろうか。
風花は少女を抱えたまま、平然とそのまま家に帰った。
しかし表では明らかになってしまうので裏口から入り、
もうひとつの私部屋として与えられた
奥の部屋へと足を運ぶ。
此処は、基本的に無人部屋だ。
一旦、畳に少女を横たわらせると、布団を引いて寝かせる。
次に自身の教育係であるジェシカを呼んだ。
ジェシカは驚きを隠せないでいた。
風花が連れて帰ってきた。
見るに耐えない痣と傷に包まれた少女が、
布団の上で、眠り姫の如く少女が横たわっていたのだから。
「…………誰なの、この子」
訝しげに、尋ねる。
自由気ままな少女は時折に大人を愕然とさせる。
痣だらけの少女を見てそう言う。
痛々しい痣とまだ癒えない生身の傷の少女は、
見るに耐えなくて思わず目を背けてしまいたくなった。
それを視界の片隅で見詰めていた風花は
(………ジェシカにはあって、私には喪ったもの)
と思い眸を伏せる。
顔を見るに、知らない少女だった。
だからこそ、
風花が家まで連れてきた意味が分からない。
(………何があったの?)
この娘は、掴めない。
物静かで大人しい外見にそぐわず、
只でさえ神出鬼没で奇想天外な発想を持ち、時に破天荒な行動が目立つ。
だが風花は始終冷静沈着で平然と立ち上がり
ジェシカの元へと来ると静かに耳許で囁く。
「顔見知りなの。
今は………事情を説明して聴いている余地はないわ。
兎に角 一刻を争う状態なの。
早くお医者様を呼んで欲しい。
…………それとお祖父様と
この家の人には絶対に言わないと約束して。お願い」
私と貴女だけの秘密よ。
静かに耳打ちをした冷たい声音。
風花の言葉から友達という言葉を聞くのは初耳だった。
基本的に潔癖症で、人を寄せ付けない彼女が連れてきた少女。
家に連れ込んだのだから、何か理由があるのだろうと感じる。
(…………彼女には、なにかあるの?)
風花が惹かれた理由は、何かがある筈だ。
けれどもそれは聞いてはいけない気がした。
「…………貴女は強引で我が儘ね。相変わらず」
一瞬、ジェシカは躊躇ったが
次期当主の少女の願いを退ける理由はなかった。
また畳に横たわる少女を見て、只事ではないのは分かり切り、
風花の申し出を飲んだ。
真剣な風花に
ジェシカが折れた形で、北條家専属の医者を呼ぶ。
しかし北條家に来るまでは多少、時間を要するたろう。
「待ってて」
「?」
氷水を入れた冷水の入った洗面器と、数枚のタオルを持ってくると
ジェシカは痣のある部分に冷やしたタオルを乗せていく。
俊敏な彼女の行動に、不思議そうに風花は呆然としながら見詰めていた。
「応急処置よ。炎症を起こしているから、冷やすの」
軈て、
専属医が来た途端に、医師も彼女の状態には絶句して、
直ちに診療に当たった。
主に外傷と栄養失調が主な原因だ。
けれど痣や傷の状態も酷く、傷は深く膿んでいる所もある。
箇所に治療を施し、最後に丁寧に包帯を巻き手当てをして、安堵した。
栄養剤の点滴を投与して様子を見ていた医師は
少女の容姿に目を凝らし、指先を顎に当てる。
「この子は___恐らく白皮症、色素欠乏症。____所謂アルビノですね」
「そうですか」
_____アルビノ。
医師の言葉に、
風花は静かに頷き、やはりと納得する。
最初見つけた時からアルビノではないかと、何処かで風花は思っていた。
アルビノの事は本で知識を吸収していたからである。
「それは兎も角、この痣や傷の状態は酷い。
日常的に暴行されていたと推測します」
「そうですか」
深刻に事実を告げる医師。
ジェシカの瞳には涙が浮かび、風花は神妙な表情を浮かべる。
「ところで、風花お嬢様。
この娘様とはどういう御縁で?」
「顔見知りです。塾からの帰り道によく遭遇するので……
そして今日、彼女が倒れていたんです」
「ならこの子に何かあったのかもしれない。
風花、この子から何か話は聞いた?
顔見知りなんでしょ?場合によっては警察に通報を______」
「ジェシカ、落ち着いて」
感情的に早まるジェシカに、風花は宥める。
本当は『塾の帰り道に』という以外は、嘘だ。
それに大事にするのはまだ早いと感じたのは、あの怯えた眸を見たからだ。
彼女に何があったかも、と推測しても、風花には分からない。
けれど嘘八百をついて、
なんとか乗り切れれば良いと思った。
「私達が大騒ぎすれば、お祖父様に知られてしまう。
危ういわ。この子が目を覚ましてから、お話は聞きましょう?」
厳造は北條家以外の人間には冷酷的で
部外者を徹底的に受け入れず、その者の人生ですら潰す癖がある。
彼に見付かってしまったとしたら、この少女だって例外じゃない。
何処か腑に落ちない表情を浮かべるジェシカだったが
一度決めたら頑として意思を譲る事はない少女に、最初から根負けした。
「………そうね。分かったわ。
そういえば風花。この子と会った事があるのよね?
この子の名前は?」
「…………………」
風花は固まる。そこまで考えて居なかった。
けれど______。
「……………フィーア」
脳裏に浮かんだ言葉。
名前も知らない少女に、勝手にそう名付けてしまった。




