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私の姐さん

私は闇雲母が憎かった。

憎くて憎くて仕方がなかった。

私から家族を奪った奴らが、憎くて憎くて仕方がなかった。


「姐さん、どうしたの?怖い顔して??」


シグレが手の下に顔を突っ込んできてそう聞いた。

こうやって無理矢理にでも手の下に頭を突っ込んで撫でてくれと催促するのだ。

体は私を何とか乗せられるくらい大きくなったのに、中身は甘ったれのままで困る。

苦笑しつつその頭を体を撫でてやる。


まだ私が抱きかかえられる大きさだった時に親を失ったのだ。

甘えたい盛りに両親がいなかった。

それを思えば、自分にぐらい甘ったれのままでも構わないだろう。

まんべんなく撫でてやり、軽く抱きしめる。


「家族の事を思い出してた。」


「姐さんの家族??」


「そう。」


「ふ~ん??どこに居るの??」


「コマキ姐さんと一緒にいるわ。」


私の答えにシグレはハッとして、申し訳なさそうに縮こまった。


「……ごめんなさい。」


「どうしてシグレが謝るの?変なの。」


言いたい事はわかっていたが、私は笑ってそれを流した。

シュンとするシグレをただ撫でた。


闇雲母が憎かった。

憎くて憎くて仕方がなかった。

コマキ姐さんだって奴らに殺された。

シグレもコマチも奴らのせいで親を失い、幼い狛犬の双子は短い幼少期を寂しく過ごす事になった。


闇雲母が憎い。

ガシャガシャと群れを成し空を真っ黒に覆い尽くし、巨大なヨクヤミを連れて浮島を襲っては喰らい尽くす奴らが憎い。


でも、あの頃とは違い、私の気持ちは落ち着いていた。

昔の様に憎しみに気が狂って、もがき苦しむ事はない。


だって私はコマキ姐さんに出会えたから。






私の家は村や町から少し離れた林の中にあった。

父が木こりをしていたからだ。

闇雲母が襲来して島を襲った時はいつも地下壕に隠れてやり過ごしていた。

闇雲母も基本的には食べる為に人が集まる街を目指すので、生物がまとまって集まっていない林の中にはあまり入って来ない。

島の守り手である狛犬様の戦いが終わるまで息を潜めて隠れていれば、何とかやり過ごす事ができた。


だけれど、あの日。

親と喧嘩をした弟が家を飛び出し、奴らが襲撃した時にはどこにいるのかわからなかった。

だから父が斧を片手に探しに出た。

私と母は地下壕でじっとしている事しかできなかった。

やがて騒がしい足音と悲鳴、どなり声が聞こえた。

そっと覗き見ると、悲鳴を上げて号泣する弟と、その前に斧を手に立っている父、そして2匹の闇雲母がいた。

1匹は父が斬りつけたのだろう、辺りを穢しながらノロノロ動いている。

もう一匹はガシャガシャと巨大な蜘蛛のようなたくさんの足を鳴らしながら、いつどのように父に襲いかかろうかと家の入り口でタイミングを見計らっていた。


「ーーーっ!!」


母が弟の名を呼んだ。

顔は真っ青なのに、私にお前はここから出るんじゃないと言い残し、地下壕の外に這って出て行った。

そして泣き叫んでいる弟を引っ掴むと、物凄い力で引きずってきて地下壕の中に放り込んだ。

私はそれを受け止め抱きしめたが、その時、母の後ろで闇雲母が父をたくさんの足のようなもので串刺しにして、首元を噛みちぎっているのが見えた。


「中の鍵をかけなさい!!絶対に開けるんじゃないよ!!」


そう言って母は地下壕の扉を閉めた。

その後響き渡る、母の悲鳴。

私は泣きながら鍵をかけ、弟を抱きしめた。

ぬるっとした感覚。

見れば、弟にはもう意識がなく、そして片腕も無くなっていた。


「………っ!!」


言い様のない恐怖。

私は必死に、つけていた割烹着で弟の肩を包んで止血した。

上ではいつの間にか音がしなくなっていた。

父の罵声も、母の悲鳴も聞こえない。

私は歯を食いしばった。

そしてもしもの時の為にと母が出刃包丁を棒に結びつけただけの粗末な武器をゆっくり音を立てないように掴んだ。

そして地下壕の蓋の下に立ち、じっと耳を済ませて立ち尽くした。


ガンッ!!ガンガンガンッ!!


いきなり静寂を破るように、地下壕の蓋が揺れた。

音がするたびに闇雲母の足のような鋭く細い無数の腕が蓋に突き刺さる。

私は震えながらゆっくりと呼吸を整えた。

そして集中する。

こんな蓋、闇雲母が本気になればすぐにこじ開けられてしまう。

人より大きな黒く丸っこい体を自在に変形させ、その体の何倍にもなる長い足のようなものを際限なく出して襲ってくる闇雲母に何の力もない人間が戦って簡単に勝てる事はない。

彼らは異形だ。

理解しがたい力を持つ怪異だ。

だから相手にこちらの姿が見えていない、開けられた瞬間を狙わないと駄目だとそう思った。

そして、蓋がこじ開けられた瞬間、私は無言のまま階段を駆け上がり、中を覗き込もうとした闇雲母を貫いた。


よく研がれた出刃包丁だった事、運良く闇雲母の覗き込もうとしていた大きな目を貫いた事、棒が丈夫で折れなかった事、たくさんの偶然が重なったのだと今ならわかる。

ただ無心に私は闇雲母に突き進んだ。

ガシャガシャと足のようなものを鳴らし、もがくそれをただ渾身の力の限り押しまくった。


「あああぁぁぁ…ッ!!」


知らぬうちに喉から吐かれる咆哮。

ダンっと家の壁にそれを持てる力の全てを振り切って突き刺した。

パリンッと言う微かな音が弾ける。

核が破壊されたのだ。


今考えれば、本当に運が良かった。

そしてそれは動かなくなった。


私は興奮し、そして無心なまま、武器を引き抜こうとした。

しかし壁にしっかり刺さってしまい、抜く事ができない。


私は辺りを見渡した。

そして虚無に陥った。


父が、母が、無残に殺され、一部が食われていた。

もう一体いた闇雲母が瀕死の身ながら逃げようとカシャカシャ音を立てている。

私は無言で父の斧を握った。

斧は出刃包丁をつけた木の棒とは互い、ずっしり重かった。

でも、それで戦う事は出来なくても、うまく逃げる事もできない闇雲母に振り下ろす事は可能だった。

のろのろと逃げようとするそれに、私は無感情のまま、斧を振り下ろした。

何度も何度も、腕が上がらなくなるまでそれを続けた。


気づけば闇雲母は粉々に砕けちっていた。

腕が痛くなり、もう斧を持ち上げる事ができなくなって、私は何の表情も持たない顔で地下壕に降りた。

血まみれの弟を背負い、惨劇の家の床に寝かせる。

弟は辛うじて生きていた。

私にはもう、それしか心の拠り所がなく、必死に手当をし、水を飲ませ看病した。

でもわかっていた。

弟は腕がなかった。

それだけでなく、闇雲母の侵食を受けていた。

毒か呪いのように黒い穢が弟を侵食していく。

どんなに洗い流しても流しきれない。

侵食を受けた傷は治せない。


やがて、私は何の反応もしなくなった弟の前にただ座っていた。

どれぐらいそうしていたのかは覚えていない。


涙も出なかった。


やがて父と母の残っている体を弟の横に並べ、置いてあったござをかけてから手を合わせる。

その時の私の中には何もなかった。

悲しみも苦しみも、感じる事ができないほど心が壊れてしまったのだ。


私はどうにかして壁に刺さってしまった出刃包丁のついた棒を引き抜いた。

そして血と穢まみれの家の中で包丁を研ぎ、はじめと同じように固く棒に結びつけた。


そしてそのままふらりと家を出た。


後の事はあまりよく覚えていない。

心が全て空になった時、ふつふつと気が狂うほどの怒りと憎しみが湧き上がって、私の全てを支配していたからだ。


その後、何をしていたか、どうやって肉体を生かしていたかはわからない。

ただ闇雲母の襲撃があると、林に偵察に来た闇雲母を我武者羅に壊した。


とはいえ、ただの人間がそんな事をしていて長く持つ訳がない。

やがて、出刃包丁も歯がけ、棒も折れた。

死を目の前にしても、それでも私は怒りで叫び声を上げ続けた。


「なんだい?随分うるさい娘だね??」


その時、ふわりと何かが私を包んだ。

体中の傷がほのかに温かくなり、痛みが消えた。


「落ち着きな?怒りに任せたら見えるもんも見えなくなる。隙だらけだよ、アンタ。」


そう言って優しく頬を舐めてくれた。

その瞬間、これまでいくら泣こうと思っても出る事のなかった涙が、止めどなく目からあふれ出してきた。


「よく頑張った。後はアタシに任せな。」


そう言ってそれは空を舞った。

美しく、強く、獰猛だった。


「………狛犬様……。」


私はそれを泣きながら見ていた。

一体倒すだけでもあんなにも苦労したのに、狛犬様は圧倒的な力で何体もをねじ伏せた。


美しかった。


いくら泣いても止まることのない涙。

そこにいらっしゃる、破壊の守護神。


どれくらいそうしていたのかわからない。

私はあまりに泣いたせいなのか、いつの間にか気を失ってしまっていた。


次に気づいた時、私は浄められ、香の焚かれた部屋で何か温かいものに包まれていた。


「気づいたかい??人の娘??」


ハッとした。

私は狛犬様、コマキ様に赤子のように抱かれていた。

慌てる私にコマキ様はいいからいいからと笑った。


「……すまなかったね。アタシの力が足りないばかりに……。」


コマキ様はボソッとそう言って私の顔に鼻を近づけ、慰めるようにグリグリと押し付けた。

その瞬間、また私は涙を流しだした。

コマキ様はそれを時より舐めながら、何も言わずに一緒に居てくれた。


ひとしきり泣いた私に、コマキ様は言った。

力及ばず、家族を失わせてしまったお詫びに、私の願いを聞いてくれると言った。

私はコマキ様の懐に抱かれ、目を閉じた。


「お側に置いてください。コマキ様。そして戦い方を教えて下さい。」


私がそう言うと、コマキ様は少し考えてから言った。


「アンタには……村や街に行って、普通の娘として幸せになれる未来もある。それでもアタシの側にいて、戦い方を学びたいのかい?」


私は頷いた。

縋るようにぎゅっとコマキ様に抱きつく。


「そうかい…狛犬に二言はない。アンタの願い、このコマキが聞き入れた。ただいくつか約束がある。」


「何でしょう?」


「アタシの言う事は絶対だ。アンタが気に入ろうと気に入るまいと、絶対に私の命に従う事。」


「はい。」


「憎しみを捨てろとは言わない。だが、憎しみは目を感を鈍らす。戦いにおいてそれは致命的だ。強くなりたいならそれに惑わされぬ精神を持て。」


「はい。」


「後は……そうだね??コマキ様ってのはやめな。様様言われるほど、あたしゃ偉くも何でもないからね。」


「そんな事はないです!!ですが、ならなんとお呼びすれば良いですか?」


「その恭しい話し方もやめな。そうだね……アタシの事は、姐さんと呼びな。アンタはこれからアタシの世話役兼話し相手だ。報酬として戦い方を教えてやる。それでいいね?!」


「はい……コマキ姐さん……。」


「よしよし、人間だが可愛い妹分だ。狛犬も結構、男社会なのよねぇ~。ちょっと女の話し相手が欲しかったのよ。」


「ふふふっ、コマキ姐さんはそこいらの殿方より、ずっとかっこいいですよ??」


「まぁね?でも、アタシの亭主はカッコイイわよ?!何しろこのコマキのお眼鏡に叶った男だからね??」


「ノグレ様ですか??」


「そっ。ちょっと人見知りの堅物だから中々人前に出たがらないけど、そのうち会わしてあげるわ。」


「楽しみにしています。コマキ姐さん。」


「ん、良い子だ。しばらくはよく食べてよく寝な。体力がなきゃ、戦えないからね?」


「はい。」


そう言って、コマキ姐さんは私を優しく包んでくれた。

コマキ姐さんに抱かれて眠って私は思った。

私は一度死んで、この方の所に新しく生まれたのだと。


怒りと憎しみが消えた訳じゃない。

父と母と弟の酷い最期を忘れた訳じゃない。


でも、私はコマキ姐さんに出会えた。


姐さんが私の全てを救ってくれた。

私の美しく強く気高い神様。


私はコマキ姐さんの真の妹になった。


狛犬は死の間際、その側に血よりも濃いものを分け合う程の弟子がいた場合、己の経験や知識、狛犬としての力を譲る事ができる。

それは狛犬が対と言う二人一組の存在であり、対であるからこそ究極の力を出せる特性がある故、対となった者の力を失わせない為に行う事が出来るのだと言われている。

その後継者に選ばれた者は「魂の兄弟・姉妹」の契を結んだ者として、真の弟・真の妹と呼ばれ、その者と同様に扱われる。

だから私の生き様がコマキ姐さんの評価にも繋がる。

誰よりも敬愛するコマキ姐さんに私が泥を塗る訳にはいかないのだ。


シグレはいつの間にか、私の膝の上に頭を乗せて寝てしまっていた。

こんなに重くなったのに、幼いままで心配ではあるが、同時に愛おしい。

大好きなコマキ姐さんとノグレ兄さんの子供たち。


「コマチ、こっちにおいで??」


そう呼びかけると、奥の部屋からそろそろとコマチが出てきた。

そしてシグレが寝ている事を確かめてから、反対側にピッタリ身を寄せる。

その姿がいじらしくて、少し笑ってしまう。


「コマチも気にせず甘えてくれていいのよ??」


「……だって、シグレが先に姐さんにひっついちゃうんだもん。」


「そうね、なら、今度二人で温泉に薬療しに行こうか??」


「本当?!シグレは来ない?!」


「シグレも流石に大きくなったし、もう私達とお風呂に入る歳ではないでしょ?」


「だよね!そうよね!!」


コマチはそう嬉しそうに笑って、私の腰にグリグリ頭を押し付けた。

気丈故、弟の手前では甘えられないコマチを私はたくさん撫でてあげる。

いつでも強気なのはきっとコマキ姐さん譲りなのだろう。

鼻先が一部ピンク色で、模様は違えどコマキ姐さんによく似ている。


やがてコマチもすやすやと眠り始めた。

まだ撫でてもらいたがる子供とはいえ、体は大きく育った狛犬2匹に囲まれると何だかコマキ姐さんの懐に抱かれているような錯覚に陥る。


コマキ姐さん。

肉体以外すでに死んでいた私に新しい命を吹き込んでくれた、私の神様。

竹を割ったような気性なのに、誰よりも温かくて優しい方。


何よりも愛しい、私の姐さん。


掌で感じる2匹の毛並みは姐さんに似ていて、少し巻き癖がある。

その体毛をゆっくりと撫でる。


シグレとコマチの規則正しい寝息を聞いているうちに、私もいつの間にか眠りに落ちて行った。

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