1.
「レシフォーヌ・クロリーク!!
貴様は我が婚約者ラスピーヌ・ナタシオン侯爵令嬢を気に食わないからとイジメを繰り返し、ついには毒殺したな?!証拠は揃っている!潔く罪を認め罰を受けるがいい!!」
「…………え、ええええ~?!」
連れてこられた王宮でのパーティーで、知り合いも皆無、婚約者はいるけどどこにいるのかわからない迷子のレシフォーヌが困り果てているといきなり空から声が降ってきた。
天の助け?!と顔を上げたはいいがその人はシャンデリアではなく壇上の上にいた。
この国の王子様、いえ王太子のブルコック・オルゲストル様だ。
なんか強そうな名前だ、と思ったくらいで他に感想もなく接触することもないだろうとぼんやりとしか見てなかったのだけどその王太子がわたしを睨み付けている。
何で?!しかもどこかのお嬢様を毒殺?!!何かの間違いでは?!とマナーも忘れて口をあんぐり開けた。
「そして私はクロリーク辺境伯令嬢スカラファを新しい婚約者……いや妃として迎えようと思う!!」
呆然としているところで更に追い討ちがかかりレシフォーヌは震えた。王太子の横にはいつの間にやらスカラファ様が立っている。そのことでも驚き目を瞪った。
嘘でしょう?!だってあなたは。あなたが好きな人は……!!
◇◇◇
「レシフォーヌ・クロリーク様。どうか私と一曲」
「クロリーク嬢、どうか私と踊る権利を」
「いやいや、僕の方が先だろう?」
「クロリーク侯爵令嬢レシフォーヌ様。あちらで私とお話しませんか?美味しいデザートがあるのです」
「あ、あの、」
キラキラと流星のような煌めく笑みを携えた見目麗しい男性達が一人の女性を囲んでいた。顔は優しげだが行動はやや強引で女性は引いてしまっている。
引きつった笑みを浮かべながらも勇気を出して声を上げれば争っていた男性達がピタリと止まった。
「わたしには婚約者がいるので……」
目も合わせず早口で答えるとその女性は一礼して脱兎の如く逃げ出した。
「スカラファ様ぁ~っ」
その女性が泣きついた先には似た髪の色、似た髪型、同じ化粧、色違いの同じ仕立て屋のドレスの女性が立っている。
ただし相手の彼女の方がより美しい宝石のネックレスを身につけていた。そして女性もうっとりするような花の甘い匂いをふりまきながら半泣きの女性に微笑んだ。
「あらあら。レシフォーヌお義姉様。そんなに慌ててどうなされたの?」
友人達と話していたスカラファは優しくレシフォーヌを迎えると義姉の手を握った。
手袋から伝わってくる温度と柔らかな感触にホッとしたレシフォーヌは先程あったことを話した。
「お友達と見ていましたわ。わたくしの見立て通りになったでしょう?お義姉様は元が良いのですから磨けば光るのです。そんなお義姉様を男性は放っておきませんわ」
「わ、わたしには勿体無さすぎる方々ばかりです。それにジョケルド様にも申し訳ないし」
しょんぼりするレシフォーヌにスカラファは自分も痛そうに眉をひそめ、もう片方の手を握っているレシフォーヌの手の上に乗せた。
「ファーストダンスすら踊ってくれない冷たい婚約者のことなど相手にしなくていいわ!お義姉様の良さをわかってくださる殿方は他にいるはずよ!」
「ス、スカラファ様ぁ~……」
義妹の後ろでプッと吹き出している声には気づかずレシフォーヌはスカラファの言葉に感動して涙を浮かべた。
「お義姉様はもっと自信を持っていただかないといけませんわ!わたくしが見立てでこれほど美しくなれたのですもの!!
お義姉様から声をかけたらどんな男性もイチコロですわ!」
「イ、イチコロ……!」
どんなに着飾っても目の前のスカラファより美しい女性はいないと思うが尊敬する義妹が言うのだから間違いないだろう。
ならばエスコートはしてくれたものの、その後はずっと放置したままの婚約者も振り向いてくれるかもしれない。ダンスを踊ってくれるかもしれない。
「わ、わたしでもスカラファ様のようになれるでしょうか?」
「ええ!きっとうまくいきますわ。だって、」
全部わたくしと同じですもの。
王子達と話している婚約者を見ていてたレシフォーヌの耳には義妹の笑みも言葉も届いていなかった。
◇◇◇
社交シーズンも後半に入り、学園も長期休暇に入った。だけど早く領地に帰りたいレシフォーヌは憂鬱だった。
去年は『王都だと息が詰まるだろうから』とレシフォーヌだけ先に帰らせてくれたのに、今年はなぜか『王都にも工房を作ったからそこで土を捏ねればいい』と言って引き留められている。
王都は嫌いじゃないけどここに居ると物凄く疲れやすくて何もしたくなくなるからあまり居たくないんだよね。
「……と、言いつつも土を捏ねるんだろ?お前は」
「あれ?!グノー!!来てたの?」
領地にあるレシフォーヌ専用の工房とは色合いも配置も置いてあるものも何もかも違ったが、新品特有の美しさと匂い、それから新しい窯にワクワクしてしまって落ち着かないと思いながらも土を捏ねていた。
そしたらいきなり声がして出入り口を見ると、逆光でよく見えないが呆れた顔をしている青年が此方を見て立っていた。
彼の名前はグノー。初対面では『俺は地の精霊だ!うまいものを寄越せ!』と山賊みたいなことを言う変な子だった。
その出会いも工房で、それからほとんど毎日わたしの様子を見に来ては『お前は土をわかってない。もっとこうしろ』とか『その土よりもこっちの方が火の通りがいいぞ』とか此方のことなどお構い無しに口出ししてきた。
言われてることは大体合ってるのでその通りにしているけど、態度が大きいのは好きになれなかった。
早くどっかに行ってくれないかなぁと思ったこともあったが、ある時チラリと盗み見したらわたしが捏ねる土を見ながら嬉しそうに微笑んでいるのを見てしまい、言いたかった言葉が全部消えてしまった。
「あれ?前会った時よりも育ってない?」
前に会った時は私の胸くらいの身長だった気がする。今はどう見てもわたしより大きいし、なんなら顔も大人っぽく見える。
そんな顔をすればグノーは長い長い溜め息を吐いてから「お前はそういう奴だよな」と残念そうに肩を竦めた。
「成長期というやつだ」
「おおっ成長期!!」
そんなに伸びるのか!凄いね!と感心すればグノーは遠い目をしてから入室の許可を求めた。
「初めてそんなこと言われた」
「ここはお前の工房だろ?一応敬意を払わないとな」
「一応敬意(笑)」
今までは何も言わずに入ってきてはわたしに絡んでたのに。身長が伸びたから大人になったんだねぇ、と叔母のように褒めれば髪をぐしゃぐしゃにされた。
「あーもう!手が泥だらけなのに!」
髪の毛が落ちないように纏めてヘッドキャップに入れてたのに!工房暑いから髪が顔に貼りついて気持ち悪いよぉ、と嘆くとグノーは驚いた顔で固まっていた。
「なんだその髪。まるで砂のような色だぞ」
「砂って……これは金髪。まあスカラファ様よりもくすんでるけど、夜だとわりと似て見えるのよ」
「レシフォーヌの髪は赤土と似た赤褐色だっただろう?何でこんな色にしたんだ」
「何でって…スカラファ様がこっちの方が本物の姉妹に見えるから髪色を変えましょうって」
髪色を変えるのはそこまで難しくはない。魔術師に頼めば髪色を変える薬を作ってくれる。ただちょっとお高いので変える人はあまりいないけど。
辺境伯令嬢のスカラファ様はそれはそれは出来た御方だった。見た目もさることながら声も知識もマナーも気品も全てが完璧だった。
その上養女になったわたしにも優しくしてくれ、『わたくしはもう着ないから』と気遣う言葉と一緒にドレスを何着も譲ってくれた。
元子爵令嬢だったわたしには一生かかっても手に入れられない華やかなドレスは気後れするほど美しかった。
しかし眺める分にはいいが着るには分不相応過ぎて怖じけずいているとスカラファ様が一言。
『なら、わたくしと同じになればいいのよ!』
お上品に可愛らしくポンと手を打つスカラファ様にわたしは無理だと咆哮した。
背丈は同じでも何もかもが違いすぎて同じになんかなれるわけがない。そんな恐れ多いことできません!と訴えたがスカラファ様は優雅に微笑んで、
『わたくしはお義姉様と本当の家族になりたいの。金糸の髪色もきっとお義姉様に似合うわ』
とスカラファ様は侍女を呼んでレシフォーヌの髪色をあっという間に赤褐色からくすんだ金色の髪に変えてしまった。
鏡に映った自分は違和感しかなく、あまり似合ってないような気がした。自分なのに不気味だと思っていたら義両親や使用人にも不評だった。
でもスカラファ様は気に入ってくれていたのでそれでいいやと思っていた。
だけど嫌そうに顔をしかめるグノーを見てレシフォーヌは動揺した。こんな不機嫌な顔をするグノーは初めてだ。
髪色を変えるのはダメだったのだろうか。胸がきゅうっと痛くなった。
「……あの赤い髪が良かったのに」
動揺して手を洗っていたからグノーの寂しそうな声を聞きそびれてしまった。
とにかく隠さなくてはと手を乱暴に拭いて急いで髪の毛をキャップの中に隠した。似合わないと言われるかもとは思ったけど、グノーがこんな不機嫌になるほど嫌がると思ってなかった。
両親から譲り受けた髪色を変えてしまったことを今になって後悔した。
「これは新しい皿か?」
無言で中を見回るグノーを視線で追いかけているとレシフォーヌが作った作品に目を止めた。
「う、うん。そうよ。まだ試作品だけどね」
「同じのが沢山あるんだな」
「うん……お義父様から同じ皿を沢山作るようにと言われてるの」
「ふーん……」
そう言ってグノーは興味なく視線を外した。あれはお眼鏡に適わなかったようだ。
グノーに気に入ってもらえればもう少しやる気になれたのだけど仕方ないか、と視線を下げた。
わたしだって同じものをずっと作り続けるのはつまらない。でも義父に言われたのだから作るしかない。工房を作ってもらったから恩返ししたいもの。
「お前、まだその腕輪つけてたんだな」
次にグノーが目を付けたのはレシフォーヌがつけている腕輪だった。かなりの年代物のようでとても重いがこれのお陰で腕の筋肉は随分ついたように思う。
「う、うん。へ、陛下にいつも身に付けておきなさいって言われてるから……でも、ドレスでもないのにこれだけキラキラしてると目立つし眩しいよね」
とても高価な腕輪だそうだから汚さないためにも普段は金庫や宝物庫に仕舞いたいと訴えたのだけど『あなたの功績を称える勲章なんだよ』と言われてしまい外す機会を失ったままになっている。
「ふーん。そんなのつけてお前嬉しいわけ?」
「うーん。恐れ多い感じかな。でもこれはグノーと一緒に作ったお皿が認められた証だからそういう意味では嬉しいよ」
「ぅぐ、」
睨むようにこっちを見ていたグノーだったが何かが喉に詰まったような声を上げ、フラフラっと壁に手をついた。
「何でコイツは無防備なところにいつもどでかいものを落としてくるんだ……くそっドキッとしたじゃないか!」
なんてブツブツ言っている。ああ、壁を叩かないで。新しいのにヒビが入ったら義父に申し訳がたたない。
「し、仕方ねーな!その皿にも加護をつけてやるから全部出せ!」
真っ赤な顔で叫ぶグノーに驚いたけどレシフォーヌは首を振って断った。確かにグノーに儀式をしてもらえたらご利益がありそうで嬉しいけど。
「まだ試作品だし、どうせならグノーにちゃんと認めてもらってから儀式をしてもらいたいの」
「いや儀式ってほどじゃないんだけど……まぁ、いいけど」
そこまで大層な話じゃないんだが、とグノーが口の中でモゴモゴと返したが、わたしもグノーも納得してないものに〝お墨付き〟を貰うのはちょっと違うと思うの。
「グノーもいいって思えたものが作れたらその時お願いするね」
「ああ。楽しみに……つーか、次はそんなダサい腕輪より絶対いいブレスレットプレゼントしてやるからな!」
それだけグノーの儀式は大切にしたくて笑みを向けると途中までは笑みを返してくれたがいきなり豹変してそんな腕輪外してしまえ!と邸に帰るまで騒いでいた。
陛下からいただいたこの腕輪、そんなに似合わないのかな?とちょっと不安になった。
今でこそ工房に自分専用の窯があるけど前は違っていた。
最初は家の手伝いと趣味を兼ねての作品作りだった。
実家は所謂陶芸を売りにしていて貴族や個人を対象に日用品を作っていた。
器用な方だったわたしは淑女教育を受ける傍ら父親達に混じって陶芸の勉強もしていた。
母親にはいつか嫁ぐのだからあまり泥だらけにならないようにと言われていたけど陶芸の世界は思った以上に難しく、思った以上に楽しかったのでなかなか母親の言うことを聞けなかった。
そのうちグノーと出会い、彼に言われてからメキメキといい作品を作れるようになった。
自画自賛だったものが親達に褒められ、買い手にも喜ばれ、ついには寄親のクロリーク辺境伯の目に止まり、更には国王にもお褒めの言葉を貰った。
『お前が丹精込めた美しい皿に俺が加護を与えてやろう』
みんなに絶賛されたのはグノーが子供染みた儀式をしてくれたお皿だった。
そのお皿には模様があるのだけどオレッキアの貝殻を使っている。オレッキアは見た目はゴツゴツとした岩みたいだけど内側は虹色の光沢があってとても美しいのだ。
あれを食べるのも漁師か地元の者だけなのでとても珍しかったようだ。そしてそれを加工し皿の模様にするというのもレシフォーヌが発案し、成功させた。
本当はオレッキアをアピールしたかったわけではないが、みんなの目を惹くように添えたのは確かなのでそれはそれで嬉しかった。
見た目が美しいそのお皿には毒を検知する効果があるらしく、国王がその皿で命拾いをしたのだそうだ。
全部人から聞いた話なので他人事のように感心したが王宮に呼ばれて賛辞をいただいた時は父親と一緒に緊張で口から胃が出そうな想いをした。
そして話はあれよあれよと進んで感謝の印としていろんな宝石が沢山埋め込まれている腕輪を両手首につけてもらい、気づいたらクロリーク辺境伯の養女になっていた。
他国から流れてきた歴史の浅い子爵の両親は泣いて喜び、お嫁に出す勢いで送り出してくれた。
迎え入れてくれた辺境伯家はとても優しく、わたし専用の工房を用意してくれた。
それから王都にある学園に通わせてくれ、大人になったらちゃんと結婚できるように婚約者まであてがっていただいた。
その相手が公爵令息だと知った時は度肝を抜かれて失神しそうになったけど、スカラファ様に助けてもらいなんとかお付き合いさせていただいている。
婚約者になっていただいた公爵令息はとてもとても見目麗しい方で威厳ある雰囲気が近寄りがたく、それがまた高貴さを感じて乙女心を擽る方だった。
しかし眺めるのはできても面と向かうのはまだ勇気がなく、定期的にあるお茶会では粗相ばかりしてしまい彼と会った後はいつも部屋で反省会をしていた。
わたしにはまだ一度も笑顔を見せてくれないが、遠戚だというスカラファ様にはうっとりするような笑顔を見せられるのだ。
その二人がとても素晴らしく、絵画でも見ているような気持ちで何度も眺めた。
正直わたしよりもスカラファ様の方がお似合いなのでは?と何度も思ったくらい神々しいお二人なのだ。
そんな目まぐるしい生活をしていたせいでグノーに別れの挨拶をしそびれたのを彼がわたしの工房に訪れた時に思い出した。
『お前マジふざけんな!心配し……探し回ったじゃないか!』
と涙目で怒る姿はとても可愛らしかった。そういえば、あの時は腰までの身長だったはず。
それから度々顔を会わせてたけどそれでもまだ二年。こんなにぐんぐん育つものだろうか?
最新のグノーは自分よりも大人に見えた気がして少しドキリとした。
「あいた!」
体が浮いたと思ったら頭をぶつけ目が覚めた。周りを見回せば馬車の中で誰も見ていないことにホッと胸を撫で下ろした。
まぁ、馬車を走らせてる御者しか同乗者はいないのだけど。
「ふわぁ…ダルいし眠いなぁ」
欠伸をかいて窓の外を見ればさっきよりも朝陽が昇っていた。学園に通うようになってから義父の辺境伯からこんな指示が出されていた。
『お前は少し魔力が足りないようだから毎日お祈りをしなさい』
お祈りで魔力が上がるの???と首を傾げたけどわたしよりも人生経験がある義父が言うのだから正しいのだろうと思い承諾した。
それからは毎朝工房になった邸と聖女様が奉られてるらしい礼拝堂、学園、王宮を順番に回ってはよくわからないままお祈りをしている。
学園と王宮は朝が早かったり許可がないと入れないので馬車の中でのお祈りだがこれで魔力が上がるのかわからなかった。
魔法を使うのは魔法授業と―――実技はポンコツになっちゃったけど座学は問題ない程度―――、作品作りだが魔力が上がったような感覚はまだない。
王都の学園に通うようになってからずっと不調なんだけど、下位の子爵家は高位貴族の方々より魔力量がないと聞くし成長の過程で使えなくなる人も稀にいるという。わたしはそちらの方なのかもしれない。
侯爵家に養女として入ったから魔力量を増やしなさいってことなのかな?と一通り終えて工房に入ったところで急激な目眩を感じた。
工房に着いたらまずは掃除から始めるのだがそれすらできないほど体が重く、見える土色に地面だ、と思いながら倒れた衝撃も痛みもわからないまま瞼を閉じた。
◇◇◇