追憶1.アシスと影の精霊クオン
カクヨムでの投稿作品。5話程度での完結予定になります。
今日もボクは影の中に潜る。それが、サーヤ様に与えられた、ボクの使命なのだから。影の中は、どれも暗くて凍えるように冷たくて寒い。
「暖かい影もあるかもしれないわよ」
微笑みを浮かべて言ってくれたサーヤ様を思い出す。でもそれは気休めであって、そんな影があるとは思わない。
日の光が当たらない世界が影なのだから、暖かい影なんて存在するわけがない。そんな影があれば、この世界の理に反してしまう。
ボクのいるアシスという世界には、様々な種族や精霊がいる。そして万物は、火·水·地·風·光·闇·空·無の八つの属性で成り立っている。
万物は火·水·地·風の四属性で姿形が形成され、光·闇·空·無の四属性がそれに性格を加える。それがアシスを創造した神々が作り出した、この世界での絶対の理であり、それに反する理は存在し得ない。
ボクは影の精霊クオン。
地と水の属性から成り、闇と空と無の属性を与えられた。ヒト族の少女のような姿をしている。そして自慢なのは影の精霊らしい、吸い込まれるような真っ黒で艶やかな黒髪。この黒髪だけでも見惚れてしまうのに、ネコ耳がついている最強のコラボ。
そしてボクの使命は、異世界から迷い込む厄介者の転移者を始末する事。この世界には異世界からの転移者が訪れると、希に違う世界の理をアシスへと持ち込んでしまう事がある。アシスには存在しないイレギュラーな異世界の理は、アシスを破綻させる可能性がある。
サーヤ様は、そんなイレギュラーを持ち込んだ転移者の事を色々と教えてくれたけど、ボクには難しくて理解出来なかった。歪みとか変質とか言っていたと思うけど、それを理解してもしなくてボクの役目は変わらない。
ボクはアシスに混ざり込んだ異物は排除する為だけに存在している。そしてイレギュラーを持ち込んだ転移者を見つける為に、影の中に潜るという単純な作業を繰り返す。それには難しい知識は必要ない。
転移者は幾ら見た目が変わらなくても、影の中に潜ればイレギュラーな存在は一目瞭然。例え火の属性や光の属性を強く持っていたとしても、影の世界には暗く冷たい世界が拡がる。その世界に何かが存在するだけで、イレギュラーな転移者である事の証になる。
今日も幾度となく影の中に潜るが、異世界から来た者を見つける事は出来ていない。年に数人いるかいないかの転移者の中でも、さらにイレギュラーを見つけるのだから、簡単には探し出せない。
「疲れた。サージ様、本当に暖かい影の世界なんてあるの?」
誰も聞こえないような小さな声で呟いてみる。ボクはいつも1人ぼっちで、喋れる事も滅多にない。だからなのか、時折の自身の存在を確かめたくなって声を出してみる。ボクのような存在がいる事は、絶対に知られてはいけない。だから人前では、黒猫の姿をしている。
これは影の精霊のスキルの1つの”擬態”。触れた影ならば、どんな動物の姿にでも擬態出来る。しかし、植物や建物に擬態する事は出来ない。大きさが関係しているのかもしれないけど、今までに巨人族や竜種のような大型の魔物にも会った事がないから、詳しくは分からないけど、自慢のネコ耳を消すなんてボクは耐えれない。
そしてここは、ボクが声を出す数少ない場所の1つになる。この街の人通りの多い通りの中でも、一際活気のある食堂。その屋根の上で黒猫の姿に形を変えて、日の光を全身に浴び影の中で冷えきった体を温める。それにボクの放った言葉は、喧騒に掻き消されて誰にも届く事はない。
でもここには、日向ぼっこだけをしに来ている訳じゃない。ボクの自慢のネコ耳で、周囲の情報を集める。これはボクだけが持っているスキルで、他の影の精霊は持っていない。誰がどんな会話をしているのか、不審に動く音はないのかを聞き取る。体は休めても頭の中は常にフル稼働している。
食堂の裏口の扉が開いた音する。
「まだ来ていないのかしら?置いておくわよ。気まぐれ黒猫さん♪」
そして、カタンッと木の器の置かれた音がする。それはボクの事を呼ぶ、この食堂の看板娘のアージ。黒猫を不吉の象徴と呼び嫌悪する者も多いが、アージだけはボクに興味を示し、裏口にそっと食べ物を置いてくれる。
魔力を糧とする精霊は食事を摂る必要ないが、食べる事は出来る。そして器から立ち込める匂いにボクは、何故か惹き付けられてしまう。