女神像
転移魔法を行使して王城を脱出した私は、そのままサムさんとの約束の場所まで移動していた。
(初めて発動させたけど、うまくいって本当に良かった……)
元々、私は神聖魔法以外は使えなかったのだが、女神Dさまが「転生任務では何があるかわからないから、転移魔法と生活魔法だけは覚えておきなさい」と教えてくださったのだ。
村の仕事斡旋所では仕事には必要のないこの二つの魔法は敢えて記載しなかったのだが、今思えば正直に書いたほうが良かったのだろうか。
まあ、今さらな話ではあるが。
私にとって、誤算だったことは二つ。
一つ目は、軟禁されていた部屋では魔法が発動できなかったこと。
おそらく、何らかの対策が講じられていたのだろう。
二つ目は、贈られた指輪に探知魔法が仕込まれていたことだ。
部屋の外に出るときは必ず全て身に着けさせられたのだが、ある時うっかり侍女が指輪だけを忘れたのだ。
その日は三日に一度だけ許されていた王城内の散策の日で、私は侍女と護衛騎士たちを引き連れて、ぞろぞろと広い庭園内を歩いていた。
このときに転移魔法で逃げようと思えばいくらでも逃げ出せたのだが、もしそうなった場合、彼らにお咎めがいくのは自明の理。何の罪もない人たちが罰せられることは望んでいないので、私はおとなしくガゼボでお茶を飲んでいた。
そこへ、突如血相を変えた四人が現れたのだ。
何事かと首を傾げる私の顔を見るなりホッとした様子で、その後五人でお茶を飲んで一緒に部屋まで戻った。
その日以降、私一人だけで部屋の外へ出ることは禁止され、常に指輪だけは装着しておくようにと言われた。
そこで、ようやく私は気づいたのだ。
それから、私はずっと考えていた。
関係のない人を巻き込まず、且かつ、指輪を外して転移魔法で逃げる方法を。
指輪だけ外せば怪しまれるため、全員の目の前で全ての装身具を順番に外していかなければならない。
もし途中で怪しまれたときは、とりあえず指輪をしたまま王城を脱出し、指輪を外した後、また別の場所へ逃げようと思っていた。
ともかく、高価な装身具は私には不要で、すべてお返しできて良かったと思う。
これで、ようやく無事に帰ることができそうだ。
私に転移魔法を教授してくださった女神Dさまには、最大限の感謝を捧げたい。
◇
(サムさんのメモに書かれた場所は、ここだけど……)
私は、隣国にある大きな建物の前に立っていた。
それは大聖堂と言ってもおかしくないくらいの規模で、司祭らしき人たちや信者と見られる方々がたくさん出入りしている。
場に適わない豪華なドレスを身にまとった私は明らかに浮いていて、物珍しそうに見てくる人々の視線が痛い。
(本当は着替えたかったけど、場所がなかったの!)
心の中だけで言い訳を叫んだあと、旅の恥は搔き捨てとばかり気にせずに教会の中へ入る。
ちょうどミサが終わったばかりのようで人が押し寄せてくるが、私は人の流れに逆らって歩いていく。
続々と教会を出て行く人の波が途切れたところで、私に気づいたサムさんが目を丸くした。
「エルさん、心配してたのですよ! とにかくご無事で何よりです。それで、その恰好は……」
「逃げ出してきました」
「……はい?」
「厄災が収束してから、ずっと王城内に軟禁されていましたので」
「!?」
サムさんは「まさか、軟禁とは……」と、しばらくの間 驚き固まっていた。
◇
私が好奇の目に晒されていることに気づいたサムさんが、着替え用の部屋を用意してくれた。
着替えも準備するという彼の申し出は断り、異空間に収納していた服に着替えた私はようやく息を吐く。
あんな窮屈な恰好をずっとしている『人の女性』は本当に大変で、私は女神で良かったと心から思う。
「サムさん、ありがとうございました」
「お疲れでしょう? お茶を用意しましたので、どうぞ」
サムさんと向かい合って座っていると、なんだか落ち着くし、お茶も美味しい。
王城内の部屋にいた時には、毎日誰かのお茶会の相手をさせられていたが、美味しいはずのお茶もお菓子も味気なく感じていたのだ。
私は、今まであったことを話した。
厄災を収束させてから、王城へ連れて行かれたこと。
軟禁されていた部屋には、魔法が使用できない対策が取られていたこと。
五名の婚約者候補を決められ、『聖女』の認定と婚姻をさせられそうになっていたこと。
贈られた装身具の中に、探知魔法が付与された物があったこと。
非のない人たちに累が及ばないように、今日まで逃げ出す機会を窺っていたこと。
「何と言えば良いか……とにかく、大変でしたね」
私の話を聞き終えたサムさんの表情は複雑だ。
まさか、一国の要職に就いている人たちがそんなことをするなんて、思ってもいなかったのだろう。
「あなたのことが心配だったので、情報を探らせてはいたのです。馬車に乗せられて王城に連れていかれたまま出てこないと聞いてはおりましたが……今ごろ、彼の国ではあなたを捜して大騒ぎでしょう」
「捜さないでくださいと伝えてありますので、それはないかと。あと、ドレスは着てきてしまいましたが、高価な装身具類はきちんと先にお返ししておきました。私には不要の物ですからね」
「ははは……エルさんらしいです」
サムさんからは、私が王都へ行ったあとの村の話を聞いた。
レナさんが私をとても心配していたこと。
ヴィンセントさまが王城に閉じ込められている私を救出するのだと騒ぎ、父である村長から謹慎を言い渡されたことなど。
レナさんへ私の無事を知らせたいと言ったら、サムさんが知り合いを通じてこっそり伝えてくれると約束してくれたので一安心。
お茶も飲み終わり会話が途切れたところで、私は本題を切り出した。
「それで、私に見せたいものがあるというお話しでしたが……」
「はい、そのために態々こちらまでご足労いただきました」
席を立ち歩き出したサムさんの後を、私もついていく。
建物を出て、回廊を通り、中庭を抜け、どんどん進んでいった先にあったのは教会の奥の奥、関係者以外は立ち入り禁止区域だった。
「あの……部外者の私が入って問題はないのでしょうか?」
「はい、エルさんなら大丈夫ですから」
ある建物にたどり着くと、サムさんは扉の鍵を開け私を中へと誘う。
室内は大広間になっており、天窓からは日の光が差し込んでいてとても明るい。そして、広間の中央に教会と同じように女神Aさまの像が安置されていた。
「ここは、『女神の間』と言われております」
「女神の間……」
女神Aさまの像を取り囲むように二十五体の女神像が飾られており、合計二十六体もの女神像が立ち並ぶ様は圧巻で見るものを圧倒する。
「『女神教』は、この国から始まりました。この場所は女神アデルが最初に降り立った地と言われており、信者にとってここは聖地となります」
「神聖な場所に信者でもない私が足を踏み入れるなんて、信者の方々に申し訳ないです」
「ふふ……あなたなら、大丈夫ですよ」
サムさんはさっきから『大丈夫』としか言わないけれど、本当に大丈夫なのだろうか。
(それにしても、ここが話に聞いた降臨……いや転落の地なのね)
口が裂けても言えない、信者の方々の前では口にすることすら憚られる真実。
まだ幼かったアデルさまが遊んでいる最中に足を引っ掛けて転び、その拍子にこちらの世界につながる穴を作ってしまったという逸話。
アデルさまは転んだ勢いのままその穴に突っ込み、転落したのがこの地だったようだ。
せっかくサムさんが案内してくださったので、他の教会には置いていないという私たちの像を見学させてもらうことにした。
村でアデル像を見たときにも感じたが、女神像の顔は一人一人本当に私たちとよく似ている。まるで、本人を模写したかのような精巧な作りだ。
もし、この像に色がついていたら、本人たちと見分けがつかないのではないだろうか。
一つ一つ確認をしながら見て回っていた私は、ある像の前で足を止める。
(『女神L』……私の像だ)
髪の毛は今の私よりやや短いが、やはり顔は同じだ。
自分そっくりの像を目の前で眺めていると、なんとも不思議な気分になる。
「女神像の顔が全て違いますが、これらはどなたがモデルですか?」
「この像の製作者が夢の中で見た女神さまたちだそうです。本人曰く『神の啓示』だと」
「そんなお告げのようなことが実際にあるのでしょうか。私には信じられませんが……」
サムさんの話が本当なら、製作者は私たちを夢で見たことになる。
そして、この像を見る限りそれは事実ということだ。
「私は聖職者ですので、女神の存在やお告げについては否定しません。ですが、さすがに女神さまのお顔は製作者の意図的なものだと思っておりました……ついこの間までは」
「えっ?」
「あなたを案内する前に清めておこうと、私は久しぶりにこちらへ参りました。そして女神像を一つ一つ丁寧に磨いているときに気づいたのです」
サムさんは、ゆっくりと中央のアデル像を見上げる。
「私はこの邂逅を、幸運を、女神アデルさまに感謝いたします」
アデル像に向かって祈りを捧げていたサムさんは、真っすぐに私を見据えた。
その翡翠色の瞳は真剣で、目を逸らすことができない。
「この度は、お目にかかることができて大変光栄です。女神L……いえ、『女神リュシーさま』」
「!?」