プロローグ
ここは、女神の国と呼ばれる場所。
季節の変動はなく一年中花々が咲き誇り、天気の移り変わりもなくずっと晴天が続く……そんな世界に、二十六名の女神が住んでいる。
彼女たちは命を受け、時折『人界』と呼ばれる世界へ降り立ち、『人』の願いを叶えたり、救済する任務を行ってきた。
これはその中の一人、とある女神の話である。
◇
「女神Lよ、おまえに新たな任務を授けよう」
女神の中でも最上位に君臨される女神Aさまは、今日も翡翠色の瞳で私を睥睨される。
私がまだ新人女神だったころはその瞳が大層恐ろしく、一睨みされただけで生きた心地がしなかった。
しかし、数々の任務を熟していくうちに、私は女神Aさまが本当は心優しい方だと知ることになる。
厳しい態度は、私たち新人を鍛えるためだとようやく理解した私は、彼女に心酔した。
今は末永くお仕えできるよう、日々研鑽を積んでいるところだ。
「次の任務は、どのようなものでしょうか?」
「彼の国へ行き、近々王都で起こる厄災から人々を救うのだ」
「かしこまりました。して、それはどのような方法で?」
「おまえを『村娘L』として転生させ、王都近郊の村へ送る。しばらく村で生活をしておれば、王都から迎えがやってくる。それに従うのだ」
「仰せのままに……」
(やった! ついに転生の任務だ)
心の中で思わず叫んでしまった。
これまでの(主に遺失物探しで培った)経験と実績を積み重ねようやく掴んだ憧れの転生任務だけに、さっそく準備をしなければと気もそぞろな私はあれこれ考えを巡らせる。
ついつい綻んでしまう顔を必死に取り繕っていると、女神Aさまがゴホンと咳をされた。
「転生すれば『人』の体となる。女神と違い、ケガをしたり病気にもなるだろう。まあ、自分で治せるが……とにかく注意するのだぞ」
浮かれている私に、女神Aさまは注意喚起することを忘れない。
彼らには私たちの姿が認識できないため、転生しなければ人と交流することはできないのだ。
しかし、その分危険も高まる。
もし万が一死んでしまったら女神Aさまのお手を煩わせてしまうことになるので、十分に気を付けなければならない。
「はい、気を引き締めて任務にあたります!」
以前、女神Sさまから任務中の話を聞いた私は人の生態に興味を持ち、彼らについて書かれた書物を読み漁った。
しかし、話や書物だけでは理解できないこともたくさんある。
『百聞は一見に如かず』
私は期待を胸に、新たな任務へと旅立った。
◇
私が降り立ったのは村近くにある森の中で、ここから徒歩で村へと向かわなければならない。
(もうすぐ日が暮れてしまうから、急がないと……)
慌てて森から走り出たところで、男性とばったり出くわす。
私はいきなり『男その一』と出会ってしまったようだ。
「あなたのような若い女性が、こんな時間にこんな場所で何をしているんだ?」
若い男性である『男その一』は訝しげに私を見ているが、彼の行動を非難することはできない。
こんな人気のない場所から、いきなり私が飛び出してきたのだから。
女神Kさまからは「第一印象は大事よ!」と言われていたのに、私はさっそくやらかしてしまったらしい。
これ以上疑われないためにも、ここは何としても挽回しなければ。
「私はタビビトなのですが、道に迷ってしまいまして」
緊張と焦りからか言葉の発音がおかしくなり、しまった!と思っても後の祭り。
仕方ないので、ここはお淑やかに微笑みごまかすことにする。
「笑顔は『人』と交流する上での大切な手段である」とは、女神Rさまのお言葉だ。
「旅人? あなたは一人で旅をしているのか?」
「はい。この近くに村があると聞きまして、そこを目指しておりました」
「……そういうことか。もうすぐ日暮れだから急いだほうがいい。俺も村に帰るところだから案内しよう」
「ご親切に、ありがとうございます」
『男その一』は、どうやら『村人その一』だったようだ。
どうにかごまかせたことに安堵した私は、ペコリと頭を下げると『村人その一』に付いて行くことにした。
『人界』には、以前にも別の時代や同時代の他国へ遺失物探しで何度か降り立ったことはあった。
その時代・国ごとで、市井の様子や習俗が異なることは大変興味深かったが、その時は女神の姿のままなので、観察はできても『人』と触れあうことはできなかったのだ。
他の女神さまからは「『人』は、善人もいれば悪人もいる」と繰り返し教えられてきたので、私なりに『人』を見極めたつもりではある。だから、初めて会話を交わした『村人その一』は悪い人ではないと思う……多分。
背の高い彼の背中を見つめながら、私は自分の『見る目』に根拠のない自信を持っていた。
◇
目指していた村は、想像していたよりもかなり規模が大きかった。
初めて目にする建物や、書物でしか読んだことのなかった物の実物が目の前に広がっていて、ついキョロキョロしてしまう。
色や大きさ・形など、やはり本物は違うのだなと改めて実感した。
それにしても、この村はもう町と言っても過言ではないくらい大勢の人がいる。
最初は、人を見かけた順番に『村人その二』『村人その三』……と個体を確認していたが、『村人その百二十七』あたりで音を上げた。
「俺は『サム』というのだが、あなたの名は?」
『村人その一』は『サム』という名だそうだ。
そして私は、自分が名乗っていなかったことに今ごろ気づく。
「申し遅れましたが、私は……Lと申します」
女神のときは『女神L』と呼ばれているが、『人』のときは名の前に『村娘』は付けないと教えられたので、ここではただの『L』と答えなければいけない。
「エルさんは、今日の宿は決まっているのか?」
名を聞かれたので『(村娘)L』と答えたら彼から『エルさん』と呼ばれたが、初めて聞く呼び名になんだか不思議な気分になってしまう。
『村人その一』に倣って、彼のことはこれから『サムさん』と呼ぶことに決めた。
「宿? ああ、いえ……まだ決まっていません」
そういえば、今夜寝泊まりする宿をどうするのか、何も考えていなかった。
いろいろと必要な事項が頭から抜け落ちているようで、これから大丈夫なのかと自分でも心配になってくる。
「よければ……宿を紹介するが?」
「本当に、何から何まで申し訳ありません。大変助かります」
サムさんはとても親切な人で、私の宿が決まっていないことを知ると、女性一人でも安心して泊まれる所を紹介してくれるという。
やはり、私の『人』を見る目に間違いはなかったようだ。
サムさんは宿で私の希望に沿った形で値段交渉もしてくれ、私はただ宿の人へ長期滞在することを告げただけだった。
◇
「いろいろとお世話になりました。ありがとうございました」
感謝の気持ちを込めて宿の前で深々と頭を下げると、サムさんは「気にしなくていい」とにこやかな笑みを浮かべ立ち去ろうとした……が、振り返り少し逡巡したあと、再度口を開いた。
「その……俺が言うのもなんだが、あまり見ず知らずの男について行くのは止めたほうがいいと思う」
「どうしてですか?」
「あなたのような若い女性は狙われやすいんだ。特に……あなたは美しい人だから」
「美しい……私がですか?」
『美しい』とは、『人』の男性が女性を褒める言葉だと書物には書いてあった。
しかし、ようやく転生任務を受けられるようになった女神Lの私は、女神の序列でいえば『中の中』。つまり、現在の私は『普通』なのだ。
上には私よりもっと素敵な『美しい』女神さまたちがたくさんいらっしゃるから、彼からそんなことを言われても全くピンとこない。
「本人に自覚がないのか……これは危なっかしいな」
首をかしげている私を見て、サムさんは困ったように眉間に皺を寄せた。