失われた記憶
60才の自分に戻ってきましたが・・・
「いったい何が・・・ 君は由美乃、由美ちゃんなのか?」
「おとうさん、何、寝惚けてるの? 私が由美乃じゃなかったら、この状況、浮気ってことになるわよ? もしかして、しばらく御無沙汰だったのは、そういうことなの?」
由美乃はベッドの上から、床に落ちた俺に向かってそう言った。その拗ねたような顔つき・・・ そうだったな、由美乃って、本気で怒らすと怖いが、ちょっと拗ねる程度だと凄く可愛いのだ。もちろん、笑顔はそれ以上だが、こういう表情を見たくて、ちょっとした意地悪をわざとしていたことを思い出した。
俺はベッドに戻り、由美乃を抱きしめた。
「そうか、俺はちゃんとやれてたんだな。由美ちゃんにつらい経験をさせずに、これまで守ってこられたんだ・・・」
「ち、ちょっと、おとうさん、いったいどうしたっていうのよ?」
やはりタイムリープしたのは、由美乃とやり直す為だったのだ。あの時、由美乃の両親の前で20才になったら迎えに来ると宣言した上で、もともとの俺が進めなかった国立高校に合格したということが、由美乃との未来を確定させたということなんだろう。だから、もともとの俺の時代、60才の俺に戻されたということか。
すると、今、俺が抱きしめているのは、57才の由美乃ということになる。今の俺にとっては、泣いていた10才の由美乃を落ち着くまで抱きしめた、あの時以来の由美乃の感触・・・ 俺はずっとそれに捕らわれていた。もう一度、こうしたいと願っていた。今の由美乃はその時から47年後の姿だろうが、今の俺にそんなことは関係ない。由美乃は由美乃だ。
「由美ちゃん・・・ 由美ちゃん・・・」
俺は自分の感情が抑えられなくなり、由美乃を抱きしめながら嗚咽を漏らしていた。
「・・・まー兄、大丈夫だよ。私はここにいるから。私にはまー兄と一緒にいられることが、一番の幸せなんだから。」
俺は由美乃の顔を見た。年相応に老けてしまったが面影はそのままだ。俺はゆっくりと由美乃の唇に自分の唇を合わせた。きっと37年前の、由美乃が20才になった時に、俺達はファーストキスをしていたんだろうが、今の俺にはその記憶はない。俺にとっては、まさに今がファーストキスなのだ。そして、由美乃から先ほど今日が休みだと言われていたことを思い出し、そのまま由美乃の服を脱がしていった。
* *
「まー兄、こんな情熱的でエッチなまー兄は久々だよ。私は嬉しいけど、何かあったの?」
もともとの俺は60才独身だったわけだが、60才になったからと言って、性欲がまったくなくなるわけではない。さすがに、風俗通いをするほど持て余すなんてことはなかったが、目の前に半裸の、しかもそれがずっと追い求めていた女性がいれば、自制しろと言うのは無理難題だ。
だが、年甲斐もなく、と言われても仕方ないかもしれない。俺はあの後、昼過ぎまで由美乃を求め続けたのだ。
「ちょっとぉ・・・ なんか珍しくお取り込み中だったみたいだから遠慮してたけど、いつまでやってるわけ?」
俺達の部屋のドアを叩きながら、少し怒ったような感じの若い女性が部屋に入ってきた。
「あっ・・・ みゃーちゃん、ごめんね?」
「もう、いい年して何やってるのよ? 夫婦仲が良いのは何よりだけど、娘の存在を忘れてもらっちゃ困るわよ? もう10年若かったら、グレてやるところだよ?」
「男女の仲にはいろいろあるのよ? みゃーちゃんも早くお相手見つけなさいな。」
この娘が俺達の娘? そう言われてみれば、拗ねた感じが由美乃に似ている。それに俺は常々、もし娘ができたら「雅」と名付けたいと思っていたから、「みゃーちゃん」というのが娘の愛称だということにはすぐに気づいた。
「みゃーちゃんって、雅は今何才だ? いつまでもそんな呼び方をするってどうなんだ?」
俺はさりげなく情報を引き出そうとしたが・・・
「おとうさんがそれ言っちゃうの? もうすぐ大台に乗る娘に、みゃーちゃんは嫁にやらんって、ウザいくらい言ってたくせにっ!?」
雅はそう言うと、頬をぷくっと膨らませた。昔の由美乃もこんな表情をよくしていた。懐かしい気持ちにさせられたが、一方でどうして今の俺に、高校合格からこれまでの42年間の記憶がないんだろうと、やるせない気にさせられた。
「どうして、どうして俺は覚えていないんだっ!? 結果は一緒かもしれないけど、こんなんじゃ俺は・・・」
俺のその言葉を聞いて、雅は首を傾げるだけだったが、由美乃は妙に納得した感じだった。
「そうか、あの時も、まー兄は私が文兄にされていたことを知ってたでしょ? 今のまー兄には、あの時と同じことがおきてるんだね?」
由美乃は俺がタイムリープしていることに気づいている? いや、そんなはずはない。だが、それを打ち明けないと、どうやってもうまく説明ができない気がした。
「由美ちゃん、俺は・・・45年前から・・・」
「言わなくてもわかるよ。今のまー兄は昔のまま、私を由美ちゃんって呼んでくれるけど、昨日まではそんなことなかった。アレだってもう10年近くもなかったんだよ。浮気を疑ったこともあったけど、どうやらそういうわけではなかったみたいだね。」
どうやら、最近の俺は上手くやれていたわけではなかったみたいだ。由美乃が20才になってすぐに結婚していたのなら、37年一緒にいたことになる。どんなに仲の良い夫婦でも常に順風満帆というわけではないだろうが、10年近くもレスだったなんて、もともとの俺からしたら考えられない話だ。そういう意味でも、昨日までの由美乃は決して幸せだったとは言えないかもしれない。もし、結婚38年目からやり直せということなら、今の俺にはそれはできるはずだ。だが、俺は思ってしまった。45年間の空白期間を取り戻したいと。
「俺は、やり直せるのかな?」
「どうしてこういうことになったのかはわからないけど、少なくとも私と結婚するまでのまー兄は、いつでも私のことを考えてくれてた。おじいちゃん・・・いや、わたしのお父さんに反対されることなく結婚できたのも、まー兄が頑張ってくれたからだってことも知ってる。みゃーちゃんが生まれてからは、育児も手伝ってくれてた。今は育児を手伝ってくれるパパさんも増えたみたいだけど、あの当時はかなり珍しかったでしょ? 上司や同僚に頭を下げて、仕事を休んでくれたことも知ってる。でも、みゃーちゃんが成人したあたりから、だんだんと私を見てくれることが減ってきたように思う。名前だって呼んでくれなくなったし。夫婦って、そういうものだって言われて、納得したふりしてきたけど、やっぱり私は寂しかったんだよ? でも、こうなったのは私のせいでもあるんだよね。まー兄にいつも頼ってばかりで、まー兄が苦しんでいることに気が付けなかったんだから。」
「由美ちゃん、それは違うよ。もし、昨日までの俺が以前の俺とは違うんなら、それは俺自身の責任だ。でも、俺には昨日までの・・・」
「戻れるよ、たぶん。」
由美乃が俺の頭を引き寄せて、抱きしめる。
「まー兄が私を助けるために戻ってきたのなら、もう一度、やり直すこともできると思うよ。でも、たぶんもっと大変だと思うけど・・・」
「由美ちゃん・・・」
俺はそのまま意識を失った。
* *
目が覚めると、真っ暗な中、一筋の光が見えた。これはあの時と同じだ。俺はゆっくり起き上がると、隣で寝ていた女性を起こさないように布団からそっと抜け出した。ベッドではなかったし、暗くても隣の女性が誰なのかはすぐにわかった。俺はまた戻って来てしまった。50年前に・・・
一気に42年後の元の自分に戻されたものの、記憶は18才の時のままでした。42年分の記憶を取り戻したいと思うのは当然でしょうが、また10才の頃に逆戻り・・・ いったいどうすればいいんでしょうね?
次回から茨の道が待っている・・・かも?




