介護
またしても3週間ぶりになってしまいました。最低月2回、と思ってましたけど、この調子だと11月中にもう1本は厳しいかもしれませんが、引き続きよろしくお願い致します。
今回は、雪姉の直面している難題に雅哉が関わる場面が出てきます。描写は控えめにしたつもりですが、食事時は避けていただいたほうがよろしいかと思います。
2学期以降の定期テストでも、俺は全教科満点にこそならなかったものの、好成績を維持していた。もちろん、中間も期末も学年トップだ。
「さすがに、生徒会活動や勉強会をやりながら、これだけの成績を残せるとは、おとうさんも思っていなかったみたいだよ。まあ、どっちの家の子なのかわからなくなりそうだ、なんて言ってたけどね。」
俺が下校してすぐに由美乃の部屋に行っていることは、特に隠そうとはしなかったから当然だが、親父やお袋に知られるところとなった。勉強会のことは話してあったが、由美乃の家庭教師をしていることは話していなかったので、親父になぜ言わなかったのか問いただされはしたが、2学期も中間、期末と連続で学年トップの成績を出したことで、やめろとは言われなかった。そういう約束だったから、当然ではあるが。
「まー兄、雪姉ちゃん、最近どうしてるの?」
由美乃から、夏休みが終わってから、雪姉が由美乃の家に来ることがなくなったと聞いた。的場さんも、仕事の関係でちょくちょく出入りはしているみたいだが、由美乃と会う機会は減ったらしい。由美乃の母親は経理担当なので、これまでは由美乃がいる事務室に頻繁に来ていたらしいから、何か変化があったんじゃないかと思ったようだ。
「うーん、学校ではいつもと変わらなかったかな? 最近はおかあさんの具合が悪いのか、帰る時間が早くなっているみたいだよ。」
雪姉は俺に、高校には行かないと言っていた。花嫁修業だなんて言ってたが、いくら的場さんがいたとしても、祖父の世話とかもあるし、何より入院が長期化している母親の治療費などを考えると、進学する余裕は多分ないんだろう。
「雪姉ちゃんのおかあさん、早く治るといいね。」
由美乃の言うとおりだとは思ったが、俺はそれを口に出せなかった。なぜなら、元々の俺は、雪姉の母親が退院できないばかりか、祖父がじきに亡くなることを知っていたからだ。
* *
「もう、おじいちゃん、何やってるのよ!!」
2学期の終業式を目前に控えたある日、朝から雪姉の怒鳴り声が響いた。
「あらあら、おじいさん、また粗相をしたのね・・・ 雪ちゃんもよく頑張ってお世話してるみたいだけど、とうとう我慢できなくなっちゃったかな?」
お袋はそう言うと、隣の雪姉の家に入って行った。そう言えば、もともとの俺が中学生の時にも、こういったことがあったことを思い出した。雪姉が最近、帰宅するのが早くなっていたのは、祖父が原因だったのだ。
「お隣のおじいさん、どうやらボケちゃったようだな・・・」
年末になると、的場さんがうちの親父を訪ねてくるのが毎年の恒例になっているが、今年も2~3日前に来ていたらしい。俺が学校帰りに由美乃の家に直接向かっていたこともあって、俺とは顔を合わせていなかったのだが、その時に親父は、雪姉の祖父のことを聞いていたらしい。お袋が当たり前の様に雪姉の家に出向いたのも、あらかじめこうなることを知らされていたからだろう。我が家でも以前、1週間程度ではあったが、ボケた祖母(父の母親)を預かった事があり、お袋がかなり苦労していたのを目の当たりにしたことがある。
「雪姉、大丈夫かな? 俺も様子見に行こうか?」
「おかあさんが行ってくれたから大丈夫だろ? お前がいくら頭のいい生徒会長様でも、年寄りの面倒まではみられないだろ? こういうことは、身内や経験者に任せておけばいいんだよ。」
確かにそうかもしれないけど、雪姉が怒鳴るなんてこと、これまで見たことがない。認知症老人の介護がどれだけ大変なのかは、元々の60歳の俺なら容易に想像がつく。しかも、まだ老人介護がそれほど世間的な問題となっていなかった頃の話だから、ノウハウもなければ理解者も少ないだろう。お袋は自分の経験上、それをよく知っていたから、迷わず雪姉を助けに行けたんだろうな。
ちなみに、老人介護問題がクローズアップされたのは、中1の俺がいる時代から2年後に「恍惚の人」がベストセラーとなってからの話だ。
「やっぱり俺も様子見に行くよ。学校に行けるかどうか聞いといた方が良いかもだし。」
「お前がそう言うなら構わないが・・・」
親父は俺をあまり関わらせたくないみたいだったが、自分の母親の面倒を1週間だけだったとはいえお袋に任せっぱなしにしていたことに後ろめたさを感じていたようで、関わるなとまでは言い出せなかったみたいだ。
俺は雪姉の家には、玄関からではなく裏口から入った。雪姉の家に入るのは、これが初めてではない。最近はすぐ追い出されるとぼやいていたが、英治がよく雪姉の家に出入りしていて、何回か一緒に入ったことがあったのだ。
そこには、半裸の祖父がお袋に引っ張られて風呂場に入れられようとしている姿があった。
「まーくん、いいところに来たね。おじいちゃんを洗うから、風呂場に入れておくれよ!」
「えっ? 朝から風呂沸かしてたの?」
「お湯は雪ちゃんが今、用意してるところさ。嫌がって抵抗されてるけど、こんな状態で放ってはおけないだろう?」
見ると、祖父はいろいろ漏らしているばかりか、糞尿をあたりにまき散らしていたのだ。
「こりゃ酷いな・・・ とは言え、冬のこの時期に水風呂はさすがにないし、風呂沸くまで待つのも厳しいか・・・」
俺が普通の中学生なら、間違いなく見て見ぬ振りでやり過ごしただろう。だが、俺の中身は60歳のおっさんだし、こういう場面に遭遇したこともないわけじゃない。俺は制服を脱いで祖父を風呂場に誘導して雪姉を待った。
「さすがに臭いな。でも冬場で良かったかも。」
祖父は抵抗を止めず、俺に罵詈雑言を吐いてもいたが、俺は柳に風とばかりにやり過ごした。60歳の俺が、中学生男子の体力を持っているのだから、そんなことではくじけないのだよ。
「あっ・・・ まーくん?」
大き目のたらいにお湯を目一杯張ったものを、雪姉とお袋が持ってきた。雪姉は俺が祖父を取り押さえているのを見るとバツが悪そうに顔をしかめたが、そんなことを気にしている場合ではない。
「まーくん、来てくれてありがとうね。さあ、おじいちゃん、雪ちゃんが綺麗に拭いてくれるんだからおとなしくしなさいね!」
俺はお袋と交代に風呂場を出て、お袋に拘束された祖父の身体を雪姉が拭いている間に、祖父が床にまき散らした汚物を片付けた。いくら60歳の俺でも積極的にはやりたくない仕事ではあったが、ここまで関わっておいて今更何もしないで帰ろうとは思えなかったからだ。
一通り片付け終わった頃、的場さんが訪ねてきた。
「おや? 雅哉君? もしかして、じいさんに何かあったのかい?」
いつもなら、雪姉が登校する時間に的場さんがやってきて、祖父(的場さんにとっては父親だが)の世話を交代するんだとか。
「なんか漏らした後、そのまま家中を徘徊していたみたいですよ?」
「それを雪ちゃんが見つけたってことか・・・ 俺がもっと早く来ていれば・・・」
「今、うちのお袋と一緒に、おじいさんを洗ってます。俺は、家の中を片付けましたけど、後でもう一度確認してくださいね。」
「わかった。ありがとう。雅哉君にはいろいろ世話になってるのに、なにも返せなくて悪いね。」
「別に、そんなこ気にしなくていいですよ。それじゃ、礼はお袋にでも言っておいてください。」
俺は自分の家に戻り、服を着替えることにした。制服の上は脱いだので無事だが、それ以外は着替えないと異臭を感じる。当時の家風呂は蛇口をひねるだけではお湯は出てこないし、風呂は基本追い焚き式なので、お湯になるまで時間もかかる。とは言え、水風呂でもないよりかはいいと思った。
「雅哉、学校には連絡しておいたから、風呂に入って着替えてから行きなさい。」
驚いたことに、俺が出ていった後に、親父が風呂を沸かしていたらしい。昨晩の残り湯がまだ少し暖かかったこともあって、俺が戻った頃には適温になっていた。
「へぇ・・・ 親父にしては気が利いてるな・・・」
思わず60歳の俺の本音が口に出てしまい、俺は一瞬焦ったが、親父はそれについては何も言わなかった。
「雅哉、お前、本当に変わったよな。本当にあの雅哉なのか?」
うん、やっぱり不自然だったよな。学校での成績やら活動やらが元々の俺の中学時代と比較しても、全然別人だし、隣同士だとは言っても、よその家の家庭事情に立ち入るなんて、おおよそ普通の中学生らしくない。そう思われてもそりゃ当然か。
「もしかして、的場の言ってた通り、お前って未来から来たのか?」
的場さん、もしかして競馬のことも話したんじゃないよな?
本作では、雅哉が中1の頃にはまだ一般的には使われていなかったと思われる「認知症」という表現をしていますが、これは「痴呆症」という言葉を敢えて避けたためです。作者自身の祖母も同じくらいの時期に同じ症状が出て、親戚中をたらいまわしにされていました(祖母が1週間いたというのは実話です)ので、その時代でも「認知症」は珍しいものではなかったと思います。だからこそ、(作中ではこの2年後に)有吉佐和子さんの「恍惚の人」がベストセラーとなり、老人介護に関する法整備や老人ホームの環境改善などが画期的に進んだ印象ですが、それでも十分ではなかったと思っています。
なお、雪姉の祖父の話は、作者の中学生時代に隣に住んでいたゆき姉ちゃんに実際にあった話で、その後、ゆき姉ちゃんは心の病にかかり引っ越してしまいました。作者にはもはやどうにもならないことではありますが・・・




