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住宅営業『斎藤』の物語

『田中、おめでとう!』



事務所内に響く大きな声で大場店長が言った。



『いやー店長のサポートのお蔭です!ありがとうございました!』



満面の笑みを浮かべながらもちょっと赤くした顔で田中さんが店長に応えた。



『いやーにしても、今月もう2件だぞ!この3か月だけで言えば、今回の契約で田中が全店舗トップになったぞ!



うちの店舗にきてくれて本当に助かったよ!



これに懲りずにまだまだジャンジャン売ってくれよ!』



『はい!分かりました!頑張ってジャンジャンいきます!』



頑張れー、おめでとうー



そんな声援が事務所では溢れる中、俺は一人取り残されていた。



来場予約があった日から早3か月。



あの予約は、現調にいった次の週にキャンセルが入り、破談になったので、俺と田中さんのコンビはそこで解消された。



その後、営業活動に専念した田中さんは、絵に描いたような調子で、どんどん成果をあげ、



気が付けば前事務所でもトップの成績を上げていた。



そんなクラスの中心のような人物に俺がなれる訳もなく、成果もあげられず、田中さんの活躍をただただ黙ってみているだけだった。



自分と田中さんは違う、俺はいつもクラスの端っこにいるだけの人物なんだ。



そんな思いと共に、学生時代の嫌な思い出が顔を出す。



素直に田中さんを称える気分にはならなかった。



『よし!今日はめでたい日だ!俺のおごりでランチに行くぞ!』



えー飲みじゃないんですかー?ランチってちょっとけち臭くないですかー?



興奮した店長の一言に、皆が応え事務所の空気は沸き返っていた。




『斎藤君もランチ行くよね?』



そういって声をかけてきてくれたのは田中さんだった。




『えっと、俺はいいです。自分で作ったランチあるんで』




『えー。店長のおごりだよ?もったいないじゃん!いこういこう!




ランチも冷蔵庫入れておけば、夜でも食べられるよ!』




『あ・・・ほんとにいいです。それよりも田中さん早くいかないと皆行っちゃいますよ?』




『え?本当だ!主役置いていくってどういうこと!もう、斎藤君も来てよね!』




そういって嵐のようにまくしたてたあと、田中さんは急いで外に出ていった。




駅前のステーキ屋だからね!玄関の外からも田中さんの声が聞こえた。




*********************




皆がいなくなった後の事務所。



いつもは狭く感じる事務所も、誰もいないとこんなに広いんだ・・・・



『えっと・・・・ちなみに私もいますからね』




後ろから聞こえる声にびっくりした俺は、びっくりした猫がするそれのように、すごい勢いで後ろを振り返った。



そこには、給湯室からお茶を持って出てきた北野さんがいた。




北野さんとはパートタイマーの女性で、平日の昼間にのみ出勤をしている人だ。




この事務所の事務的なことを一切に引き受けており、出来る女って感じの人だ。




髪は長く、いつもはシュシュを使ってポニーテールにしている。



黒髪で正しくアジアンビューティーな風合いで男性社員から人気があるが、



結婚しており、お子さんが小さいため、正社員ではなく、パートタイマーとして働いている。



実は入社時期はほとんど同じで、俺の1か月前の入社で、田中さんと合わせて、3人の同期として扱われることが多い。



ただ、田中さんと同様『出来る』ので、もっと昔からいるかのような扱いを受けている。



そんな少し低いが通りがいい声がいきなり後ろから聞こえたものだから、びっくりしてしまったのである。




『わ!!!』



そういって俺がすごい勢いで振り向いたことにびっくりした北野さんが、



もっていたお茶をひっくり返してしまった。



あっつーい!そういって給湯室に駆け込む北野さんがいた・・・・




**************




『どうもすいません・・・・』



北野さんのこぼしたお茶を雑巾で拭きながら俺は謝っていた。




『いいのよ。私がびっくりさせちゃったんだし。それに拭いてくれてありがとう』



お茶をこぼした手に氷の入ったハンカチを当てながら、北野さんは言った。



『いや、本当に皆行ったと思っていたので、びっくりしちゃって・・・・』



『いやいや、皆はむりでしょう。電話番は誰かいなくちゃ。それに私パートだから、昼休憩ってないんだよね』



『え!?そうなんですか?パートさんでも休憩くらいあるでしょう普通。』




『そうね。パートでもフルタイムだったらあるかもね。私は時間が決まっていないし、


今日は3時間勤務だから余計にないかもね』




『へーそんなもんなんですね・・・・でもお昼も食べられないってなんだかうちってブラック企業ですね』



『・・・・斎藤君、あなた美香と喧嘩したでしょ?』




『美香?美香って誰です?』




『田中 美香よ。ほらちょっと前にあなたの教育係やってた』




『あぁー田中さんって美香さんって言うんですね。知らなかったです。



でも喧嘩なんてしていませんよ。そもそもそんな仲ではないし、俺は田中さんにとってどうでもいい人間でしょうしね』




『ハハハ!ほんとに美香の言う通り。斎藤君って本当にこういう人なのね』




『は?突然笑うんですか?俺なんか言いましたっけ?』




『違うの。私と美香って学生の頃からの付き合いで、もう20年以上の付き合いなの。



だから、色々な話をしているんだけど、ちょっと前に美香がすっごく落ち込んでいた時期があってね。



その原因が、あなた。



斎藤君だったって話。』




『・・・なんとなく分かります。教育係になった時のことでしょ?



確かに不甲斐ない所ばかりだったから、そんな奴の教育係になったのが本当に嫌だったんでしょ?』




『・・・・なるほどね。美香が落ち込んだ理由が分かる。本当に美香にそっくりなんだ。あなたって』




『は?田中さんと俺がそっくり?



何言っているですか。



あんな絵に描いたようにみんなの輪の中心にいるような人と、こうやって輪に入ることも出来ない人間が似ているわけないじゃないですか。



田中さんはしっかりと自分の意見を持っているし、知識も愛嬌もあって、本当に強い女性だと思います。



何を言いたいのか分かりませんが、もしそう見えているとしたら、あなたの目は節穴です』




『そうね。今の美香しか見ていないから、そう思えるかも。



ただ、美香ってそんなに強い人間じゃないよ?』




『どういうことですか?』




『このままだと美香が可哀想だから、話をするね。



皆帰ってきちゃうし、ご飯食べながら話しよっか』



そういって北野さんはお弁当を持って俺の机の隣にきた。



北野さんは俺の手のひらに収まるくらいの小さなお弁当箱に、彩りよく詰まった



お弁当を食べながら語り始めた。



************************



『美香と出会ったのは、小学生のころ。



2学期の途中から東京から転校してきた子がいて、それが美香だった。



当時の美香との記憶はほとんどないの。



私は違うグループがもうできていて、それもあんまり明るいグループじゃなかったから、



東京の子と遊ぼうなんて思わなかったの。



でも、美香はいつも一人でいた気がする。



本人に聞いたこともあるけれど、本人も覚えていないって言ってるけど。



そこから中学生までは、知ってはいるけれど、特に興味がある子ではなかった。



さっきあなたが言っていたような、クラスの真ん中にいるような子でもなかったし、



どちらかと言うと、クラスの端にいる背も小さい目立たない子だったよ。



それがある事件があって、私達は親友になった。



その事件はちょっと重たいから言えないけれど、まあそういったこと。



そこで被害者になった私を助けてくれたのが美香だった。



でも勘違いしないでね。



重たいとはいったけれど、本当にヘビーなことじゃないから。



ただ、女子にはよくあるグループでの話しってレベルのことだから。



で、そこからは君が求めているような特別なことは無く、中学、高校と同じ学校で育っていった。



あなたが言う、クラスの端っこの人間としてね。



それで、美香は大学進学で東京へ、私は地元で就職へ。



そこから4年間はほとんど連絡も取らずにいたの。



美香の実家はそもそも東京だし、浜松には親の仕事で来ていただけだしね。



私はそのまま、美香は帰ってこないと思っていたの。



東京で生きていくんだろうなーって思っていたんだよね。



それが、大学を卒業する年に久々に連絡があったの。



浜松で就職したいから、良い会社しらないかって?



当時は景気も良かったし、仕事も大卒ならいくらでもあったから、浜松なんか来ることないよって言ったんだけど、それでも浜松が良いって言うから、一回こっちきなよ、しっかり話そうってことになったのね。



それで4年ぶりに美香を見た時、全てを納得した。



美香は女の私から見ても、綺麗な顔をしているし、スタイルも良いじゃない?



だからきっと東京にいってあか抜けているんだと思ったの。



ただ、実際には違った。



髪は整っていないし張りもない。



背が低いのに、更に猫背になって、140cm位にしか見えなかった。



服装もお世辞にもオシャレとは言えないし、何よりも21にもなるのに、化粧はまったくしていなくて。



同じ21だとは思えなかった。



悪意を持っていえば、40代くらいの人に見えたの。



それを見て、あぁこの子は東京になじめなかったんだって悟ったの。



それからはしっかりと浜松での就職を手伝った。



あと、服装やお化粧もせめて人並みにって・・・




ただ、美香は就職出来なかった。



いい大学を卒業するんだから、それなりの会社もエントリーできたし、ある程度の時期なったら、中小の企業にも声をかけてみた。



でも駄目だった。



理由は、格好ではなくて、心の問題。



美香は自分は駄目で何もできなくて、いても意味が無い、そんな人間だと自分を思っていたところがあって、それを私にはあまり見せないんだけれど、知らない人の前だと緊張して、それが出てしまっていたんだ。



でも、美香なりに頑張って頑張ってってやっていたら、美香の心が壊れちゃって・・・・



根は馬鹿が付くくらいの真面目人間だから、止められなかったんでしょうね。



私ももっと早く気が付いてあげれば良かったんだけれど、人の前に出ると自分を守るために、極端な自己否定を始めるようになって、そのうちアルバイトも1週間すら続かないようになって・・・・



最終的には入院したの。



1年くらいかな。



今でも、美香お薬飲んでいるんだよ。



じゃないと、もしかしてって思うと怖いみたい。



そんな美香が、今のような美香になったのは、今の店長。



昔は大場課長だったんだけど、あの人のお蔭なの。



美香はSFホームに来る前は、同じような住宅会社で事務として働いていたのね。



そこで営業課長をやっていたのが、大場さん。



実は私もそこで経理をやっていたの。



大場さんと美香は営業と事務だから特に接点があるわけでもなかったんだけど、ある時に社内的な問題で、営業さんが大量辞職ってことがあったの。



当時、課長だった大場さんの責任とも言われたけれど、それはそれでおいておいて、単純に人員がたりなくなったから、美香が営業としてかりだされたの。



美香は全力で断っていたよ。



でも、じゃーって言ってすぐに求人掛けても人が来るわけではないし、だからと言って、来てくれるお客さんの対応をしなくてはいけないし。



そういう状況で美香は、残った営業さんと大場さんだけでは、物理的に無理があるから、会社の命令で無理やり営業にさせられたの。



でも、当時の美香は今みたいな子じゃなかったし、実際には君のような子だったの。



良い意味で真面目でしっかりしてて、でも頭が固くて、どこか自分に自信が無くて。



そんな子だったし、付け焼刃の営業スキルじゃ営業をしていても成果はほとんどないし、そのせいで余計に落ち込んで、そのせいでもっと成果が出なくて・・・・



そんな悪循環に陥っていたの。



しまいには自分の価値なんてないなんて、皆の前で平気で言っていたの。



そんな状況を見ていた、大場さんが・・・・



そうね今でも覚えている。



私も見せてもらったんだけど、一枚のDVDを展示場のTVで見せてくれたの。



その内容は、今まで美香が接客をしてきた人達が映っていて、美香のことについて話を聞いている。



そんな10分程度の内容だったの。



当然、契約もなにもしていないお客さんだから、最初は皆意味わからないみたいな顔で映っていたんだけど、大場さんが美香ってどうでした?良い接客をしていましたか?って聞くとこういってくれてたの。



『田中さんは頑張ってくれた。』



『本当に頑張っているのがヒシヒシと伝わっていた。』



『今回は別の会社にしたけれど、知り合いがいたら紹介しても良いと思っている。』



『確かに拙い営業だったけれど、その頑張りは本当にうれしかった』



『勉強になったし、良い時間を過ごせた。』



そんな会話のあとに一言。



皆から『ありがとう』って・・・・



それを見た美香は、ずっと泣いていた。




それを大場さんは何も言わず、DVDを最後まで見終わるまでずっと黙ってみていたの。



そして、DVDが終わってから、こうやって話始めたの・・・・



田中。お前が頑張っているのは俺だけじゃない、こうやってお客さんも知っているんだ。



そしてお前は契約を取れないことに落ち込んで、自分の仕事に意味がないとまで言ってきた。



だがな、それは違う!



確かに営業という職業の成果は契約になるのは事実だ。



ただ、それは会社での話しであってお前とお客さんとの話ではない。



お前の頑張った努力は、人にしっかりと伝わり、そしてこれだけのありがとうをもらえるじゃないか!



今日出演してくれたお客さんはお前が知っている通り、他の会社で契約をしているお客さんで、お前にこんなことをしても何のプラスもない人ばかりだ。



そういった人から言われたありがとうを、お前は疑うことが出来るか?



お前はいつも自分は駄目だ、自分なんか、自分なんか・・・・



そんな風に言うだろ?



もしお前が本当にそんな人間だったらこんなことが起きるはずはないんだ!



別に契約なんて上げなくても良いじゃないか!



お前の何に関係がある?!



成果だったら気にするな!



俺やお前の先輩で何とかする!



でも、お前はありがとうと言われる人をやめてはいけない!



むしろ、契約なんて無視しろ!



自分が思うお客さんの為の仕事を、今後はもっともっと精一杯頑張れ!



そして、こうやって皆の笑顔を増やしていこうじゃないか・・・・



そういって、出演してくれたお客さんの写真を美香に渡してくれたの。



皆、笑顔だったわ・・・



美香は一生大事にしますって言って、写真を抱えていたわ・・・・



それから、美香の快進撃が始まったの。



胸ぐらいあった長い髪は耳が出るくらいまでバッサリと切った。



お化粧は初めは下手だったけれど、どんどん上手になっていった。



元々素材はいいんだから、薄メークをわたしと一緒に練習したわ。



会話の声も大きくなっていったし、何よりも遠くにいても誰もが聞こえるような、張りがある声になった。



服装もそれまでは、パンツ型のスーツだけだったけれど、スカートになったり、綺麗めな私服での出勤んなんかも増えてきた。



何よりも一番変わったのは、事務所の雰囲気。



大量辞職後暗かった事務所が、美香が変わっていくにつれて、引っ張られるように明るくなって、皆やる気になって、ドンドン契約が取れて・・・・



あぁ、こうやって伸びる会社って変わっていくんだなーって私は外から見ていたね。



ただそれでも、経営者の問題は変わらずで、結局は大場さんが辞めて今の会社に入り、他の営業さんと美香で頑張っていたんだけれど、それも限界が来て、結局倒産となって・・・・



結果、大場課長の・・・いえ、大場店長の紹介でSFホームにきたのよ。



まあ私もおまけって感じで・・・・



正社員にはなれなかったけれどね。




話しが長くなっちゃたけれど、そんな経緯があるから、美香は今の君を見ていると、当時の自分を思い出すみたい。



ほら、そういうのってなんか無い?



当時聞いていた音楽を聴くと昔を思い出すみたいな?



美香は今はああだけど、やはり根はそういう子だから、辛いんだろうね。



しかも、それを自分のせいだって思いこんじゃっているみたい。



そんなわけないのにね。



昔の大場さんみたいにやれたらいいのに、なんてよく言っているけれど、あれは普通の人じゃ無理。



大場さんのような人にしか出来ないことなのよ。



だから、君には気が付いて欲しい。



君はなんのために仕事をしているのか。



誰のために仕事をしているのか。



誰を喜ばせたいのか。



誰に認めてもらいたいのか。



きっと馬鹿じゃなさそうだからわかるよね?



そして、今の事務所は君が思っているようなバリアは存在しない。



皆、君のことはしっかり見ている。



クラスの隅っこにいた自分は誰かに追いやられてそこにいたのか?



きっと違うよね?



自分から隅っこに行ったんでしょ?



それはここでは必要ない。



誰も頑張っている君を弾いたりしないから。



さあ、皆が出てから20分しか経っていない。



今ならまだ間に合うよ?



電話番は一人で十分だから行ってきな。



ここでスタートするんだよ。



君の本当の時間がね。



**************************




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