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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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幕間―モルドヴァ王の涙

 扉の軋む音にシュテファンは振り向いた。燭台を持つ妻が心配そうな顔をして立っていた。

「あなた、まだお休みにならないのですか」

 穏やかな声にシュテファンは心が安らぐのを感じた。燭台の炎が美しい妻の顔を照らしている。艶やかな髪は年を重ねて銀色に染まり、若い頃よりやや垂れ下がった目元には慈愛が満ちていた。シュテファンは執務机に座ったまま微笑んだ。

「そろそろ休むよ」

 妻はその言葉に安心したのか、夫の邪魔をすることなく何も言わず去って行った。シュテファンは机に広げた伝令文をもう一度目でなぞる。そこにはワラキアのヴラド・ツェペシュがオスマントルコとの戦いに敗れ、戦死したという旨の報告が書かれていた。ワラキア王の後継者は血の繋がった弟のラドゥ、トルコの傀儡政権だ。


 ヴラドとは母方の従兄弟に当たる。父ボクダン2世が暗殺されたとき、トランシルヴァニアのヤノシュ・フニャディを頼った。モルドヴァからの逃亡を助けてくれたのはヴラドだった。ヴラドは感情を押し殺し、彼の父の敵であるヤノシュ・フニャディに師事した。シュテファンも共に学び、ワラキアとモルドヴァ、それぞれの国王就任を支援すること、互いの国が危機に瀕したときには援軍を出すことを誓った。思えば若き誓いだった。


 時が経ち、互いに国の王となった。それは同時に大きなしがらみに支配されることでもあった。ワラキアのヴラドとモルドヴァのシュテファンはヤノシュと共に対トルコ戦を行った。オスマントルコがキリスト教世界の敵であることは明確だったが、それぞれの国の外交政策は全く同じではなかった。ヴラドは徹底抗戦、シュテファンはある程度の宥和政策を行った。モルドヴァの王に即位後間もないシュテファンが取った政策は、ヴラドの目にはそれが裏切りに思えたに違いない。重要な軍事拠点であるキリア支配を巡ってそれがより明らかとなった。


 キリアは黒海沿岸に位置する対トルコ戦における戦略要地であり、通称拠点でもあった。ヴラドはキリアの支配を譲渡するようシュテファンに手紙をよこした。譲渡しない場合は軍事行動も辞さない、と強い言葉で手紙は結ばれていた。即位後間もないシュテファンには国内の圧力もあり、それを呑むことができない。ヴラドの要求を拒絶した。しかし、ヴラドはその返事を受けてモルドヴァへの軍事行動を起こすことは無かった。


 シュテファンは燭台の光が照らすヴラドの手紙を見つめる。彼の性格をよく表わしている几帳面な、力強い文字だ。骨張った指でその文字をなぞった。目頭が熱くなり、静かに涙をこぼした。


 それ以降もヴラドはオスマントルコに対して綱渡りにも見える強気な外交政策を続けた。国内にもトルコと結ぶ政敵が大勢いた。彼は孤独だったに違いない。それでも戦った。シュテファンはヴラドの3度目の即位を支援し、彼は王位についた。それが最後の王位となった。対トルコ戦でのシュテファンの援助は遅きに失しヴラドは戦死した。シュテファンも国内の親トルコ勢力を完全に押さえつけることはできなかったのだ。

 シュテファンは手紙を握りしめ、闇の中ただ静かに涙を流し続けた。


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