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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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【2】 ドラキュラ伝説

 アパートに帰り、図書館で借りたルーマニアのガイドブックを紅茶のマグカップを片手に読み込む。ガイドブックもブルガリアと抱き合わせで、どちらかというとブルガリアの記事の比率が多い。最初に立ち寄った大手旅行社の抱き合わせパッケージツアーはそういうことか、と思った。

「食べ物は日本人の口にあう、か」

 ルーマニア料理の紹介ではそのように書いてあった。これまでに行ったことのある海外の台湾やハワイは団体ツアーだったので、食事で感動した記憶がない。団体で訪れた客に同時に食事を出すことを最優先に求められているのだから、感動的な料理を出せというのも難しい話だろう、というのは納得していた。そして、ガイドブックに掲載されている“ドラキュラ”というキーワードが気になってきた。

 ドラキュラと言えば吸血鬼の代名詞。もはや吸血鬼そのものを指す単語という印象がある。ルーマニアのドラキュラ城が観光名所だと知ったときは、国をあげてお化け屋敷を演出しているのかと思っていた。だが、どうやらドラキュラは吸血鬼ではなく、実在の歴史人物らしい。亜希は旅立つ前に一応勉強しておこうと、ルーマニアの歴史本とその近くでみつけたドラキュラについての伝記も図書館で借りてきていた。


 ドラキュラ公、本名はヴラド・ドラキュラ。ヴラド・ツェペシュの異名をとる。ツェペシュは串刺し公という意味で、この処刑法を特に好んだためにその異名をとることになった。トランシルヴァニアのシギショアラという街でヴラド・ドラクルの子として1431年に生まれる。祖父にミルチャ老公より歴代ワラキア公を務めた家系であった。当時はヨーロッパ世界は大国オスマン・トルコの脅威にさらされていた。また、国内情勢も不安定で、ヴラドは3度に渡り公位についているのがそれを表わしている。ヴラドは君主の権限強化に努め、国内の経済発展のために多くの施策を行った。

反面、地主貴族と対立し厳しい手段を取るとこもあった。強大なトルコと勇猛果敢に戦った。中でも有名な逸話がある。徹底した焦土作戦と夜襲に疲れ果てたトルコ軍が当時のワラキアの首都、トゥルゴヴィシュテ近郊に到達したときに見たものはヴラドが作らせた数キロに渡る自国の兵士の串刺しの森だった。その恐ろしい光景にスルタンメフメト2世は「このような男を相手に戦って一体なにができよう」と呟き、軍を返したという。

ヴラドは3度目の治世に現在の首都ブカレスト近郊で敵の刃に倒れた。トルコについた実弟ラドゥの陰謀による証拠が残っている。その後、ヴラドの首はスルタンのいるコンスタンティーノープルへ送られ、城門にかけられたと伝えられている。

 亜希はヴラド・ドラキュラの物語に引きこまれた。気が付けば夜中2時を回っていた。吸血鬼として名前を知っていた人物がまさかルーマニアの小国の君主だったとは。しかもその数奇に満ちた人生は有名な吸血鬼小説よりもドラマチックだった。小説「吸血鬼ドラキュラ」はイギリスの作家ブラム・ストーカーが1897年に書いた怪奇小説だ。当時、移民問題に悩まされるイギリスの人々の不安と、得体の知れぬ侵入者である吸血鬼ドラキュラの恐怖が重なって人気を博し、ドラキュラは今もなお有名なモンスターの一人である。ストーカーはその恐ろしい吸血鬼の名前を15世紀のワラキアの君主から取った。ドラキュラというどこか不気味な印象を与える響き、人々を震え上がらせた串刺し公の伝説が自身の考えたモンスターにぴったりだと考えたのだ。皮肉にも、ルーマニアの小国ワラキアの君主の名前は吸血鬼として世に広まってしまったのだ。


 亜希は眠る気になれずにパソコンを開いた。一通の電子メールが届いている。今日話をしたイーストトラベルの河合からだった。

「仕事が早いなあ」

 もう旅程ができたのだろうか、ドキドキしながらメールを開いた。メールの添付ファイルを開くと、日中打ち合わせしたとおりの旅程が組まれていた。亜希はガイドブックを手にそれぞれの観光地を確認していく。ブラン城とシギショアラ、この2カ所がドラキュラ公に関連しているようだった。伝記によれば、ブラン城は実は関わりがないとされているようだが、シギショアラはドラキュラ公の生まれた街だ。さっき本で知ったばかりの街の名前だが、亜希は感激した。やっぱり何としても行こう、そう思った。


 他にホテルのランクや希望があるか、航空券も探せることなどが記載してあった。亜希は早速返信をしたためた。ガイドブックによれば5つ星ホテルは2万円台と普通に高いようなので、3~4つ星で依頼することにした。2つ星になると民宿レベルになるようだ。行ったことのない土地でいきなり民宿はレベルが高い。しかも言葉が通じないとなれば余計に厳しいだろう。ここは身の丈にあった選択にした。航空券も合わせて依頼することにした。旅行社の方が格安航空券の手配をうまくやってくれると考えた。亜希はメールを返信してベッドに潜り込んだ。目がさえてまだ眠れなかった。龍の紋章の本、5つの修道院、そしてドラキュラ伝説。すべてがルーマニアに繋がっている。亜希は出不精ではないが、自分ひとりでこんなに計画を立てて旅に出ようと思ったのは初めてだった。この現状を変えたい、そう望んでいるのかもしれない。明日、もう一度イーストトラベルを訪れてみよう、そう決めて眠りについた。


 翌朝、眠ったのは3時だったが、8時に目が覚めた。会社に行く日なら遅刻だが、今は休職の身、この時間に起きただけでも健康的だと思った。コーヒーにパンで朝食を済ませ、服を着替えてアパートを出た。イーストトラベルが何時に空いているか確認するのを忘れてしまったが、ぼちぼち向かうことにした。9時過ぎに店頭に着いてしまった。ガラス越しにのぞき込むと電気は消えている。営業は10時くらいからだろうか。

「やっぱ開いてなかったか・・・」

 亜希は本当にB型だね、とよく友人に言われるのを思い出した。本能と勘の赴くまま、気分のままに行動するところがある。営業時間くらい調べておけば無駄足にならずに済んだだろう。

「まあいいか、コーヒーでも飲もう」

 商店街には朝早くからやっている近所の人ご用達の喫茶店もあるだろう、そう思って振り向けば商店街に通じる路地を河合が歩いてこっちに向かってきていた。人生アドリブも大事よね、亜希はそう思った。

「おはようございます」

「あら、織田さん、おはようございます」

 鍵を開けて亜希を店内に迎えてくれた。電気が灯り、河合はお湯を沸かし始めた。

「昨日、もう今日ね、ずいぶん遅い時間にメールを返信してくれたのね」

「気が付いたのが遅くて、すぐに返事をしました」

「早速現地の旅行社に連絡しておいたわ、それで今日もルーマニア旅行の話かな?」

「そうなんです、すみませんこんな早くから」

 亜希はやっぱり強引だったかと恐縮したが、河合は全く気にしていないようだった。コーヒーまで出てきてさらに申し訳なく思った。

「もうちょっと話を聞きたくて・・・ドラキュラ公に興味を持ったんです。それで、ブラン城とシギショアラの他に何か観光スポットがないかと思って」

「そうねえ、有名なのはその2カ所なのよ。他に山の上の砦があるらしいけど、ブラン城みたいに立派じゃないみたい。それにあの日程も結構車で走るのよ、だから今回の旅程に入れるのは厳しいとい思うわ」

「そうですか・・・」

 ルーマニアがどんな雰囲気なのか分からないし、それなら無理はしないでおこうと考えた。

「そうそう、航空券はトルコ航空で、トルコ経由の便が安いわ」

「へえ、トルコですか」

「と言っても、トランジット、乗り継ぎだから空港内を移動するだけよ」

「ああ、そうですね」

 トルコか、ドラキュラ公の敵だった国だ。地図で確認すると、ルーマニアとトルコはヨーロッパ圏とイスラム圏のまさに継ぎ目にある。15世紀当時、スルタンがヨーロッパ圏へ勢力を拡大するためにはワラキアを通る必要があり、小国であるワラキアがいかにオスマン帝国の脅威にさらされていたのかが地図を見れば実感できた。敵国を経由してルーマニアへ向かうのか、何だかこれも面白い縁だと感じる。

「航空券、高いですか?」

「出発時期が近いけど、土日を避けて設定したら15万円台であったわ」

 亜希はここへ来る前に自分でも相場を調べていたが、それよりも提示価格は1割ほど安かった。申し分ないだろう。

「あ、ちょうど現地ガイドから返信が来たわ。ホテルの手配も問題ないみたい。金額は・・・ちょっと待ってね~」

 英語ができるドライバーと専用車、ガイドのホテルや食事、自分のホテル、観光地入場料込みで23万円ということだった。仲介手数料を入れれば良心的に思えた。団体ツアーと違い、食事はその場支払いになるそうだが、団体ツアーと変わらない金額なのも納得できた。これなら申し分ない。

「お願いします!」

 亜希はその場で即決した。

「OK、じゃあ書類を作るわ」

 亜希はすぐに近くの銀行でお金を準備した。イーストトラベルへ支払う分と、現地で必要になる費用。店頭に戻り、旅行契約書にサインをした。現金で支払いを済ませ、お礼を言って店を出た。

「やった・・・やってしまったわ・・・!」

 亜希は路地裏でひとり拳を握りしめた。ルーマニアへ行ける。行きたいと願ってから3日のことだった。旅行という高い買い物だが、亜希に後悔は無かった。河合にもらったルーマニアの観光地図やパンフレットを読むのを楽しみに足取りは軽かった。


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