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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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フネドワラ城 牢獄

「いつも意味深な言葉を残して去っていくの、何が目的なのかな」

 亜希は首をかしげる。怖いという感覚は無いが、正体の知れない女は不安材料ではある。

「私も見た事が無い女性だ。ラドゥと繋がりがあるのかもしれない。そういえば、彼女の英語はややハンガリーなまりがあるようだ」

 いよいよ訳が分からない。危害を加えてくるでも無さそうなので、城の見学に戻ることにした。


 順路に従って進むと、城壁に飾られていたであろう紋章が彫刻された石版が展示されている。

「これは歴代の城主の紋章ですね」

 鷲やライオンなど、強そうな動物が彫られている。フニャディ・ヤノシュの紋章は鷲だとエリックが教えてくれた。針だらけの椅子や臓物を巻き上げる拷問道具が並んだ悪趣味な部屋やチャペルを通り過ぎ、王の間へ出た。大理石の列柱が並ぶホールになっており、天井は教会のようなコウモリ天井だ。公式の式典などがここで催されたと説明があった。

「ドラキュラ公もここでヤノシュに謁見したのかもしれないですね」

 それを聞くとこのがらんとした部屋に中世の空気が感じられる気がした。


 王の間を抜けると、外壁に沿って通路が伸びている。場内に入る順路となっており、暗い階段がつづく。観光客が迷わないように柵がしてあるが、日の当たらないこの場所は、おそらく監獄に使われていたのだろう。天井からぶら下がる電球がゆらゆらと揺れて、昼間でも不気味な雰囲気を醸し出している。亜希は夢に見た苦痛の叫び声を思い出し、身震いした。地上階に出ると、石の渡り廊下がまっすぐにのびている。


「はっ、ここだわ」

 亜希は確信した。この通路を燭台を持った若きシュテファン大公が月明りの元、歩いていた。エリックとシュテファンも固唾を飲む。

「行きましょう」

 エリックが前に進み始めた。等間隔に並ぶ窓、レンガ造りのアーチ状の屋根。先端には部屋があり、黒い木の扉は開け放たれていた。


 部屋は6畳ほどの大きさだろうか、がらんとして、何もない。東側に鉄格子がはまった窓が一つ空いており、外の景色を覗くことができた。亜希は高揚して鳥肌が立つのを感じた。まさに夢で見た部屋だった。この窓の側にドラキュラ公が座って書を読んでいた。

「この部屋に間違いないわ」

「ここに彼がいたのですね」

 エリックも興奮しているのが分かる。

「そう」

「手がかりを探そう」


 他の観光客はまばらで、この長い渡り廊下を通って何もない部屋までやってくる人は少ない。時折、人が入ってくるが、何もないただの石造りの部屋なので、窓の外を覗いて景色を見れば、それで満足してすぐに立ち去っていく。亜希たちが部屋を真剣に眺めている様子は奇異に映っているだろう。

「あのう、何もないですね…」

 亜希が様子を窺いながらエリックとシュテファンに声をかける。二人も石の壁をくまなく探しているが、何もみつけられないようだ。

「確かに何もないね」

「この部屋じゃないのかなあ?」


 龍の紋章の本に浮き出た“知恵と導きを得た場所”の意味に亜希は首をかしげる。通路に突き当たりの部屋、夢で見たのはここだった。それともドラキュラ公に与えられた城内の部屋のことなのだろうか。

「場内ではヤノシュに直接師事していたかもしれないが、亜希の夢によれば彼はこの場所で学んだことをかみ砕いて、それを自分のものにしていったんじゃないかな」

 エリックはこの部屋が“知恵と導きを得た場所”と考えているようだ。

「アキ、他に何かヒントはない?」

 シュテファンの言葉に亜希は夢の詳細を思い出す。


「う~ん、そうだなあ、あとは机と椅子…は今は無いよね。寒い夜で、月の光が…」

「あ、月!」

 シュテファンが興奮気味に叫ぶ。エリックは肩掛けバッグからからくり箱を取り出した。中には片目のレンズが入っている。

「このレンズは本を読むためだけじゃないのかもしれない」

 エリックがつぶやく。片目のレンズで本に隠された見えない文字が浮かび上がった。もしかしたら、この部屋でレンズを使えば何かわかるかもしれない。

「ということは、月が出るまでここにいないといけないってこと?」 

 亜希の問いにエリックはスマホで天気予報を検索している。

「城の開場時間は5時までなんだよ、今日はこのまま天気は良い。日の入りが午後6時すぎで、月はそのあとに昇るから、夜7時くらいにここに来れば調べられますね」

「閉館が5時でしょう…」

 亜希の言葉にシュテファンも頷く。エリックはちょっと考えて、にっこりと笑った。


 警備員の足音が遠ざかっていく。地下の部屋で息をひそめていた亜希たちはふっと息を吐き出した。

時計を見れば、午後6時半を回っている。

「もう安心かな?」

「警備員は閉館後に観光客が残っていないのを一通り見たら、施錠して帰ってしまうはずです。大丈夫でしょう」

 亜希の問いにエリックが親指を立ててウインクした。城の地下、観光客が間違って迷い込まないようにロープが張られていた部屋に亜希、エリック、シュテファンの3人は閉館前から身を隠していた。このままフネドワラ城に夜まで身を潜めて、通路の先の部屋の謎を解きに行く。エリックは真面目な好青年だが、ときどき驚くほど大胆な行動をする。亜希は自称小心者で、警備員の目をかいくぐり隠れて城の中にいることも冷や冷やものだった。


「では、行きましょう」

 エリックについて部屋を出た。昼間は日の光が差し込んでいた地下の階段は真っ暗だ。スマホのライトを頼りに階段を上がっていく。通路の前にやってくると、空は一面紺青色で、流れる雲間から星の瞬きが見えた。日は落ちてしまったようだ。窓から弱弱しい月明かりが漏れている。誰もいない長い通路を静寂が支配していた。亜希はまさに夢で見たその光景に息をのむ。


 エリックが歩きだし、石畳に靴音が響く。亜希とシュテファンもそのあとに続いた。奥の部屋はやはり施錠はされていなかった。何も盗られるようなものはないためだろう。窓から入る月明りにぼんやり明るい部屋の中を見回してみるが、やはり何もない。エリックがからくり箱を開けて片目のレンズを取り出した。ドラキュラ公の座っていた窓際に歩み寄る。


 雲間から見え隠れしていた月が姿を現した。月の光が格子窓から差し込む。エリックが手にしたレンズに光が集まっていく。

「何か起きそう…」

「どうしよう、ゾンビでも出てきたら?“我”って何なんだ?」

 シュテファンがジョークを飛ばすが、割とシャレになっていない。光がレンズに集約し、拡散して部屋を青い光で照らしだした。3人はただ無言でその様子を見守っている。窓際の壁に何かの文様が浮かび上がっている。

「これ、龍の形をしてる」

「本の表紙と同じ龍だ」

 亜希とシュテファンは顔を見合わせた。エリックも壁を見つめる。石の壁の一部に龍の紋章が刻まれていた。エリックがレンズを手の中に隠すと、光は失われ、部屋はもとの月の明かりだけになった。もう一度壁を見ても紋章は消えている。


「このレンズを通した特殊な光の中でしか見えない紋章のようだ」

 エリックが震える声でつぶやく。3人とも、心を落ち着けるのに必死だった。興奮で、叫びだしたい気持ちだ。

「紋章の浮き出た石はここだったね」

 シュテファンが指さす。周りの壁の石と全く変化がない。エリックがバッグからポケットナイフを取り出した。石の際をガリガリと削り始める。

「壁の一部だし、動きそうにないなあ…」

 そういっていると、紋章の浮き出ていた壁の石が一つだけくるりと回転した。

「うわっ!」

 驚いたエリックは思わず声を上げた。亜希とシュテファンがシーっと人さし指を唇に当てる。回転した石の奥に何かが見えた。


「亜希、あれ取れそう?」

 エリックが亜希に尋ねる。亜希は石の奥を覗き込んだ。冒険ものの映画ならここで手を入れたら虫が出てきたり、何かに手を引っ張られたりする。亜希はエリックに渋い顔を向けた。エリックは苦笑いしている。

「ここであきらめるわけにはいかないよね…」

 亜希は勇気を出して石の隙間から手を入れた。すぐに指先に紐のようなものが触れたので引っ張り出す。それは古びたビロードの黒い巾着だった。中に固いものが入っている。亜希は紐を解いて巾着を開けた。


「宝石?」

 取り出したそれは2センチほどの大きさの粗削りな水晶だった。透明な薄いピンク色をしている。3人はそれを見つめて眉根を寄せた。

「これが、“我”なの」

「ここに誰もいないし、そういうことなのかな」

 この際、誰かいて、これを説明してほしい。しかし、得るものがあって良かった。とりあえずこの城から出た方がいいだろう。警備員に見つかったら面倒だ。石は巾着に戻し、エリックに預けた。


「考えるのは後にして、城から出ましょう」

 エリックの言葉に異論はなかった。部屋を出て通路を進む。すると正面に進路を阻むものがいた。月明りが白装束を不気味に照らし出す。

「白装束の男だわ」

 亜希は戦慄した。エリックは亜希とシュテファンの二人を後ろに下がらせて警戒している。白装束の男たちは3人、口元と頭を布で覆い、目だけがこちらをじっと睨んでいる。

「見つけたものを渡せ」

 若い声だった。英語でそのようなことを言っている。

「お前たちに渡さない」

 エリックも英語で返した。メフメトの私兵なら彼らはトルコ人だろう。正面の3人だけで、ラドゥの姿はない。白装束の男たちは胸元から弧を描いた独特な形のナイフを取り出した。じりじりととこちらに近づいてくる。

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