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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
1/39

2つのプロローグ

***プロローグ:1476年 ワラキア郊外


 大きな嵐が近づいていた。

空を見上げれば低い黒雲が立ちこめ、遠く雷鳴が響いている。時折走る稲妻が雲の影を鮮明に描き出す。天を突く杉の木立が気まぐれな風に煽られて人のざわめきのような音を立てる。太陽の光は地上に届かない。湿った風が敵兵の血に濡れる頬を撫でた。ヴラドは足元に転がるトルコ兵の骸を見下ろした。その周辺には自分に付き従った忠臣たちの骸も転がっていた。ここで切り伏せたのは10人、12人か。仲間は4人失った。ヴラドは胸で十時を切り、仲間のために祈った。トルコの軽騎兵の足音が近づいてきた。ヴラドは父より譲り受けたドラゴンの紋章を刻んだ剣を握りしめ、森を駆ける。


森が開けた。しかし目の前に待つのはトルコ軍の小隊だった。ヴラドは包囲されていた。

「ヴラド・ツェペシュ、観念せい」

 豊かな髭の老将軍が剣を突き出す。ヴラドはそれでも構えを解かない。

「兄上、もう終わりですよ」

 シルバーに金細工を施した美しい装飾の甲冑を身につけた男が目の前に立った。実戦向けではない、体の線を演出する繊細なデザインだった。背後で指揮を執る上位の将軍なのか、鎧は全く汚れを帯びてはおらず、顔が映るほどに磨き上げられていた。兜を取った男の顔を見て、ヴラドは刮目した。

「貴様、裏切り者が」

「裏切っているのはあなたです。ワラキアの民はオスマン帝国に服従し、平和が訪れるのを望んでいる。それを無駄な抵抗により戦を引き延ばしているのは愚かな兄上なのですよ」

 色白の肌に金色に光る髪。端正な顔立ちをしているが、美しい深緑の瞳を細め、口元には残忍な笑みを浮かべている。

「服従の果ての平和は偽りでしかない」

 ヴラドは無数の剣を突きつけられている。しかし、全く怖じ気づく様子は無く、毅然とした態度を崩さない。

「あなたは裏切られた。同国の貴族たちにね。そして民の信頼も得ることはできなかった。愚かな君主として、後生に語り継がれる」

「ラドゥ、貴様はこのワラキアを売り、お前自身も魂を売ったのだ」

 ヴラドは剣をラドゥの喉元に突きつける。ラドゥと呼ばれた白銀の鎧の男は動じない。

「さようなら、愚かな兄上」


 ヴラドを囲むトルコ兵たちが一斉に婉曲した軍刀を振り上げる。ヴラドはそれをすり抜け、1人を切り伏せた。返す刀で横にいたもう一人の首を削ぐ。鎧が血飛沫を浴び、紅く染まる。ヴラドは脇腹に鈍い衝撃と熱を感じた。横から伸びた長槍が腹に突き立てられていた。槍は兵たちの隙間を縫って、1本、また1本と飛び出し、ヴラドの体幹を貫いてゆく。軍刀を持ったトルコ兵が力を失ったと見えたヴラドに剣を振りかぶった。ヴラドは瞬間、顔を上げ兵を袈裟懸けに切り伏せた。足下には自分の体から流れる血だまりができている。次第に体温が失われてゆくのがわかった。体を貫いた槍が引き抜かれ、ヴラドは支えを失い、大地に倒れた。

「最期までしぶとい男だったな。安心してください、兄上。その首はスルタンメフメトの元へ届けてあげますよ、ああ、もう聞こえていませんね・・・」

 ヴラドの返り血が頬を濡らしているのに気がつき、ラドゥは美しい刺繍のハンカチでそれを拭い、忌まわしいものを扱うように投げ捨てた。ヴラドの血は大地を染めてゆく。


-誇り高き英雄よ、その血を受け取った お前に力を与えよう


 それは天からか、大地からか、ヴラドの脳裏に声が響いた。遠い昔に聞いた父の昔話が蘇る。ワラキアには古くからこの地を守る龍がいる。祖国が危機に瀕したとき、その力を受け継ぐ者が国を守ることができる。そんなのは嘘、と隣にいた小さなラドゥは言った。ヴラドも笑っていた。

意識が大地と同化していく。そしてすべてが闇に包まれた。


 ヴラドの遺体を前にしたトルコ兵たちが動揺し始めた。母国の言葉で神に祈っている。足下にヴラドの体から流れ出す赤黒い血が迫ってくる。ラドゥは後ずさりした。体中を串刺しにされ、膨大な出血をしているのは確かだった。だが、こんなにも血が広がってくるなんて。

「血すらもその執念を貫くか」

 ラドゥは吐き捨てるように言った。

「いや、ラドゥ様、何かが妙です!」

 ヴラドの流す血は広がり続け、徐々に意味のある形を成してきた。馬に乗る兵がそれを見て叫ぶ。

「悪魔だ!悪魔の龍だ!」

 大地に広がる血は羽を広げた龍の形をしていた。兵たちは恐怖に怯え、騒ぎ始めた。


 天を揺るがすほどの轟音が響き渡った。稲妻が大地を貫いた。その瞬間、大地から現れた深紅の龍が曇天を突き、天に昇った。トルコ兵たちの恐怖は頂点に達した。突如、天より龍が現れ軍を疾風が蹂躙した。龍が去り、厚い雲の隙間から光が射す。そこには無数の無残な屍が転がるのみ。


***もうひとつのプロローグ:現代 日本-神戸


 平日の日中、人気の無い商店街のシャッター通りを織田亜希はひとり歩いていた。くすんだアーケードから落ちる気だるい光にも春の陽気を感じられる。乾いた風が肩まで伸びた髪を揺らした。亜希は小さな和菓子屋の店頭に並んでいたきれいなピンク色の桜餅を2つ買った。憂鬱な春だった。


 大学を出て新卒営業としてシステム会社に入社、3年間は続けた。開発の仕事に興味を持ち、プログラマに転向して4年、それからシステムエンジニアとして1年が経ったところだった。大きなプロジェクトに関わりたいと思っていた。しかし、会社の一番の取引先が不況で潰れた。その煽りを受けて会社は人員整理や休職の手立てを取るしかなかった。現在も亜希は休職中で、今後の見通しを聞くために会社に顔を出した帰りだった。あと一月休んでもらえないか、ということだった。その間給料は6割程度保証されている。金銭面もそうだが、会社に必要とされていないと思うと、つらかった。


 亜希は小さなアンティークショップの前で足を止めた。珍しいデザインのアクセサリーや小さな動物の置物などがところ狭しと並んでいる。店内をのぞき込めばエスニック風の美しいランプが天井からぶら下がっていた。亜希はノスタルジックなランプの灯りに惹かれるように店内へ足を踏み入れた。洋風の大きなテーブルや食器棚に花を象ったガラス製の置き物や綺麗な万年筆、アンティークの食器などが雑多にディスプレイされている。こういうものはお店で見て楽しむものだからただのひやかしになってしまうな、と思いながらも狭い店内の非日常な空間を楽しんでいた。ふと、本棚にある一冊の本が気になって目を止めた。


「手に取っても大丈夫や」

 不意に声をかけられた。金縁めがねをかけたおじいさんが店の奥から顔を出した。

「ありがとうございます」

 そう言われると何か買わないとなあ、と思いながら本を手に取った。表紙は革張りで、ズシリと思い。中央に浮かし掘りのように西洋の龍がデザインされている。カリグラフィの文字はアルファベットなのだろうが、何と書かれているのか読めなかった。いかにも西洋ファンタジーに出てきそうな本だった。中身をパラパラめくると、聖書の物語のような騎士や龍の版画風のイラストと文字で構成されている。なんとなく、カッコいいと思った。何より表紙の龍の立体的な加工がなかなかに見事で、文字は読めなくても飾っておくだけでも眺めて楽しめる気がした。でも、こんな立派な本の値段は。


「値札はないんかねえ?」

「そうみたいです」

 おじいさんが手にとって表紙裏を確認するが、値札はない。

「1000円でいいよ」

「え、いいんですか?なんだかすごく古いし、貴重そうな本ですけど」

 亜希は驚いて思わず聞き返した。

「ウチはもう来月閉店なんだよ、欲しい人の手に渡った方がいい」

 それなら、と亜希は1000円を払って本を手に入れた。どうしても欲しい本ではなかったけど、こういうのもご縁なのだろう、と思いながら家路についた。


 夜、夕食とシャワーを済ませて特に何を見るでもなくテレビのBSチャンネルをつけていた。日本のバラエティーを見るよりも、海外の風景をただ流すだけの番組を見ている方が好きだった。ふと、印象的な絵がテレビ画面に映し出された。今日買った本を適当にめくっていた亜希は手を止めた。それは修道院の壁に描かれた絵だった。青色を基調にした絵、天国への階段。そのテイストがまさに今手にしている本のそれにそっくりだったのだ。どこの修道院なのだろう。

「へえ、ルーマニアなんだ」


 ルーマニア、どこにあるのかもよく知らない国だった。テレビで紹介されているのどかな自然の中にある修道院の風景を観ているうちにだんだんと興味が沸いてきた。どうせ時間はあるし、明日調べてみよう。そう決めてふとんに潜り込んだ。

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