赤みがかった金髪の女性3
「どれくらいだ?」
王太子は静かな声で聞いている。
どれくらい? なにが?
彼女には、王太子が何を聞いているのか分からない。
「あまり残されておりません」
静かに告げられた答えに周りが息を呑んだけど、彼女には何のことか分からない。何かがもう少ししか残っていないということしか。
「二人は?」
「苦痛を伴いますが、時間をかければ抜くことが可能かと」
たぶん医者だと思う人の答えは彼女には全く分からない。
抜くって何を? 物でも刺さっていたのかしら?
「そうか」
納得したように頷いた王太子はこの場所に来て、初めて彼女の方を見た。彼女も縋るように必死に彼を見た。
知らなかったの。お茶にお菓子に薬が入っていたなんて。
声は出ないけれど、必死に口を動かして王太子に訴える。手を胸の前で組みたいけど、それが出来ないから一生懸命王太子を見つめた。
こんなことになってごめんなさい。だけど、ほんとに知らなかったの。だから、だから、許して。
王太子は、フッと笑うと顔を前に国王の方へ向けた。
彼女は焦った。確かに王太子は彼女を見ていた。だけど、その視線が彼女のと合ったように感じなかった。
わたしを見ていたのになんで? なんで目を合わせてくれないの?
けれど、王太子の眼差しは優しく愛しむものであった。だから、彼女は湧き上がる焦燥感をどうにか抑えようとした。
大丈夫。王太子の運命の人なのだから。この髪は王太子の色なのだから。
「父上、いえ、陛下。叶えていただきたい願いがあります」
王太子の静かな声。彼女は願いを込めて、王太子を見つめた。
彼女を庇ってくれる、守ってくれると祈るように信じて。
「申してみよ」
国王の答えに彼女の期待は大きくなる。大切な王太子の願いを父である国王は叶えるはずだと。
「私の婚約者ウィンダリアの葬の日まで、王太子として生を繋げられるよう願い申し上げます」
彼女は、目の前が真っ暗になった。
なぜ? と王太子に問いただしたい。彼女のことを一番にお願いしてくれないのか。あの女性のことなんかどうでもいいのに。
「ウィンダリアの葬を王太子妃として行うように願い申し上げます。
それから・・・」
王太子が言い淀んだことに彼女は光が見えた。
赤い髪の青年は魔力を失い、誰かの手が無いと生きられなくなった。
栗色の髪の青年は″おうりょうざい″という犯罪に手を染め、罰せられることになった。
深緑の髪の青年は″きんだんしょうじょう″が出て、たぶんもう普通に戻れない?
三人とも彼女が仲良くしていた人たちだ。彼らがそんなことをしたのもそうなってしまったのも(お茶に薬が入っていたのは知らなかったのだから)、彼女のせいではないんだけれど。だけど、三人のことがあるから、王太子は国王に頼みにくいんだ。
「申してみよ」
国王であるお父様もそう言っているのだから、大丈夫。
彼女は王太子を心の中で応援した。
「クラチカ伯爵令嬢の勧めでウィンダリアに繋がる品を処分してしまいました。どうか彼女に繋がる物を」
えっ・・・。なんで? なんで! なんで!!
彼女は声は出なかったけれど、大声で叫んでいた。
なんで、わたしのことじゃないの? わたしは知らなかったのに。お茶に薬が入っていたなんて知らなかったのに。
それにあの女性との思い出の物なんて必要なかったでしょ。わたしが恋人なんだから。捨てて当たり前なのに、なんで今さら欲しがるの?
「ウィンダリア嬢の葬は王太子妃に準じるものにする。それまでそなたの命が保つよう尽力させよう。最後は、そなたがウィンダリア嬢に行った仕打ちを思うと叶えられぬ」
彼女は国王が再び口を開くのを待った。自分のことを王太子に聞くのでは無いかと。言いにくいことだから、言えないだけだから、聞いてあげてほしいと願っていた。
「ご慈悲、ありがとうございます」
王太子が膝をついて礼を言っている。
早く早く早く。王太子から自分がどんな存在なのか国王に説明して欲しかった。王太子妃になるのはあの女性、赤い髪の女性ではなくて彼女なのだと。
「休むがよい。国葬となると日を要する」
この場所に来て初めて聞く国王の優しい声。
「しかし・・・」
王太子が子供のように頭を振っている。
そうよ。まだわたしのことを言っていないのだから。
「気になるのは分かっておる。だか、禁断症状が酷くなれば、そなたの生が縮む。そなたの願いが叶わなくなる」
彼女は国王の言葉が望んだものでなかったので、がっかりしていた。だから、言った内容など考えなかった。
さっき言った王太子の願いなど叶わなくていいのに。本当の願いを、お願い聞き出して!
「皆の者、すまなかった」
王太子は立ち上がると頭を深々と下げていた。
なんで王太子が謝るの? 国王と王妃の次にエライはずなのに。なんでも叶えられる力があるはずなのに。なんで?
王太子は、医者だと思う人と一緒に部屋を出ていってしまった。彼女の側を通った時も彼女の方をチラリとも見ることをせずに。
なんで? 恋人ではなかったの? 運命の相手ではなかったの?
彼女は残された者たちから自分に向けられる冷たい視線の中で身を小さくして震えていた。
「クラチカ伯爵」
彼女の父親の名が呼ばれた。国王の声は再び冷たいものになっていた。
「へ、陛下。私は知らなかったのです。引き取った娘がこんな恐ろしいことをしていたなどと」
えっ?
彼女は父親が言ったことが信じられなかった。学園でお茶会を開くように彼女に命令したのも、使う茶葉を準備したのも全部父親であるクラチカ伯爵なのに。
「あの天使の囁きは大変高価な物だ。市井で暮らしていた娘が簡単に手に入れられる物ではない」
彼女の父親は、顔を真っ赤にして彼女を睨み付けてきた。その顔は凄く恐ろしい。彼女は弱々しく首を横に振るしか出来ない。
「引き取る前にすでに市井で知り合った者に唆されていたのでしょう」
やっと彼女は父親に切り捨てられたことに気がついた。全部彼女のせいにして自分は罪を逃れるつもりなのだと。
彼女こそ知らなかったのに。お茶に薬が混ざっていたなんて。そのお茶を王太子たちに飲ませていたなんて。
「では、そなたの領地で栽培されていたのは何故だ?」
国王の問いかけに父親の顔色が変わった。赤から青へ。
「そんなはずはありません!」
国王の方を向いて否定した父親が再び彼女の方を向いた時、顔色は青から赤黒く変わり、憤怒の表情で彼女を睨み付けた。もし、鬼というものがいたなら、正しく彼女の父親がそうなのだと思えるくらい恐ろしい顔で。
「お前が手引きしたのか?」
彼女は何のことか分からない。
てびき? なにそれ?
彼女はクラチカ伯爵領が何処にあるのか知らない。″天使の囁き″が何から出来ているのかも。草なのか、木なのか、菌なのか、苔なのか、それさえも知らない。栽培と言ったから、動物じゃないと思っただけで。
「″天使の囁き″は五年経たねば使用出来ぬ。栽培で薬として使えるものが採れるようになるのに三年、それを保管し薬とするのに二年。五年我慢すれば、毎年薬が出来る」
五年前は、彼女はまだ母親と一緒に暮らしていた。父親のことなど知らなかった。父親が生きていると知ったのは、ほんの一年前だ。
「クラチカ伯爵、十数年前の飢饉でそなたの領地は大打撃を受けた。もうしばらくかかるだろうと言われておった借金を三年前に返し終えたと聞く。何処から工面した? 特許した産業や特産品の話は聞こえておらぬが? 農作物も例年と変わらぬ収穫量だ」
彼女はコロコロと変わる父親の顔色を無情に眺めていた。彼女を騙していて、悪くなったら罪を被せようとして、とんでもない父親だった。極刑になろうと彼女はもう庇う気持ちなんか微塵も残っていなかった。ただ、自分が騙されていただけで、無実なことを早く訴えたかった。
「へ、陛下、それは・・・」
「そこを管理している者の話では、そなたの命で十年近く世話をしていると。最初の一・二年はうまく育たなかったともな」
彼女の父親は、力なく床に膝をついていた。不気味な呻き声が父親の方から聞こえる。何か言いたくても言葉にならないのかもしれない。
「今頃、綺麗な焼き畑になっておるところだろう。保管庫も屋敷にあった物も全て処分させてもらった」
父親の頭がガクリと床を向いた。衛兵たちが父親の側に来て、縄をかけていく。父親は項垂れたまま衛兵たちに連れられて行った。
彼女はザマァミロと父親を見送っていた。彼女を騙し、罪を被せようとしたんだ。ここでもっと酷い目にあってもよかったのに。とも。
だけど、彼女を見つめる冷たい視線に体を震わせる。
みんな考えたら分かるはずなのに、彼女が父親に騙されていたことが。彼女に罪がないことが。けれど、視線はますます冷たく鋭くなっている。
わたしは悪くない。わたしは知らなかった。わたしは騙されていてだけ。わたは、わたしは・・・。
パチン
何かが弾け飛ぶような音がした。
「わたしは、悪くない。知らなかったの。騙されていたの」
彼女はそう叫んでいた。