榛色の髪の女性8
どうしたらいいのか分からず、宙ぶらりの気持ちでいた。それでも時間は過ぎていく。
彼女が祖父と関わりがあったなんて知らなかった。そして祖父をそんな風に思っていたなんて知らなかった。
自慢の祖父だった。大好きな祖父だった。
嬉しい、とても。そして凄く誇らしかった。
「迷、いや、迷う、のは、理、じゃなくて、分かる」
一生懸命、私の分かる言葉で話そうとしてくれるディービット様。何故だかディービット様と会う機会が増え、少し話をするようになっていた。もちろん、リゾベッタ様やエドガー様も一緒にいる。あの時だけ、二人っきりだったのは。
一生懸命私に分かるように言葉を繋げて話そうとするディービット様はなんだかとても可愛いと思ってしまう。そして、その側は居心地がとてもいい。婚約者がいる私が思ってはいけないこととは分かっているのに。けれど、思いは止められない。婚約者と異母妹、あの二人もそうなのかしら?
「時間が経つとますます戻りにくくなりますわよ」
リゾベッタ様が背中を押してくれる。
「足を引っ張るためなら止めろよな」
エドガー様もぶっきらぼうに言ってくるけど、早く戻れと言ってくる。メイリでは煽るだけだから、と。
けれど、私は中々一歩踏み出す勇気がなかった。
ある日、彼女が憂いのある顔を見ていた。それは一瞬、瞬きの間に見せた見間違いと思える僅かな時間。だから、彼女の周りにいた取り巻きたちは誰も気付いていない。いえ、王太子殿下とモイヤ様は気付いてる。王太子殿下は気遣うように彼女をより近くに引き寄せているし、モイヤ様は痛ましそうに視線を下げていた。
そういえばエドガー様も最近イライラしているような気がする。エンドール様に何かあったのかしら?
「リゾベッタ様、エンドール様に何かあったのですか?」
帰りは最近リゾベッタ様の馬車に乗せていただいている。いつもならエドガー様も一緒なのだけど、今日は急用があると言って飛び出すように学園から帰っていった。
「トレンタ地方で大きな土砂災害があったのはご存知?」
それは聞いたことがある。確かその災害で主要な街道が埋まってしまったとか。
トレンタ地方は確かテサメルラ公爵の領土。テサメルラ公爵家自体も過激な反フアマサタ派で知られている貴族だわ。
「慰問も兼ねた視察にエンドール様が行かれて…」
えっ! 確かその地方はグラシーアナタ国との戦で多大な被害があった地区では………。だから、今でもグラシーアナタ国に燻った思いを持つ者が多いと聞いている。
「本当は王太子殿下が行かれる予定だったそうよ。学業が優先だと多くの貴族から反対されて、議会でエンドール様が行かれることに決まったそうなの…」
エンドール様凄く大変そう。とても優秀な方だと聞いているけれど最初から相手が聞く耳を持っていないとしたら…。復興のために早急に対応したほうがいいのに議会は何をしているのかしら。
「おまけに補佐役の方は…、テサメルラ公爵令息クラークス様、エンドール様を敵視しているお方なのでエドが怒りまくってますわ」
テサメルラ公爵家の領土なのだから、縁の者が補佐役につくのは分かるわ。けれど、エンドール様に敵意しか持っていない方だなんて大丈夫なのかしら? トレンタ地方の方を煽っていないといいのだけど。
「今からでも王太子殿下が行かれたら…」
私の言葉にリゾベッタ様は首を横に振る。
「エンドール様を貶めることになりますわ」
そう、なるわね。慰問も視察も出来ない者として挙ってエンドール様を貶め、責任を追求しその地位を剥奪しようとするわね。エンドール様を立ち入らさないだけで終わればいいけど、もしエンドール様に何かあったら大変なのに…。
「それから、暴動のようなものがあり、エンドール様が襲われ怪我をされたという噂も聞こえてきて…」
だから、一瞬とはいえ彼女はあんな表情を…。本当は兄のエンドール様が心配で堪らないのに王太子の婚約者として笑みを浮かべていなければならない。
それはどれだけ辛いのだろう。
「だから、エドが討伐に参加すると意気がって急いで帰ってしまったのですわ」
大袈裟でしょう。とリゾベッタ様は苦笑しなから話しているけど、私は討伐という言葉に固まってしまった。
エンドール様は王族籍をぬかれていない。つまり王族。その王族に怪我をさせたら討伐は当たり前。
「あり得るかも」
「レイリア様まで」
エドの熱が移りました? とコロコロ笑われたリゾベッタ様も私の言葉に顔色を失った。
「エンドール様は王族です。ご本人が望まれていらっしゃらないから、殿下と呼ばれていませんが。王族が剣を向けられたとなれば謀反を疑われ兵を出されても仕方がないと思います」
本当に出兵されるのかどうかは分からない。分からないけど、テサメルラ公爵家と王太子殿下の視察を反対した貴族たちに見せしめの形で出兵の準備はすると思う。もちろん民を暴動させたエンドール様が悪いという声があがるけど、グラシーアナタ国に禍根がある地方だから王太子殿下となっていたのに覆したのは議会。日頃から国王陛下は貴族たちのフアマサタ公爵家とエンドール様への態度に憤っていると聞く。今回の議会の言い訳は聞き入れないと思う。
「ほんとうに…、兵を?」
「………、分かりません」
私は首を横に振った。分かるのはこのことでテサメルラ公爵家は確実に力を失うということ。領民が王族であるエンドール様を害したとして。他の貴族への見せしめも兼ねて重い罰になるのではないかしら?
重い雰囲気のままリゾベッタ様に屋敷の裏門まで送っていただき、裏口からそっと中に入る。
玄関の近くの部屋で異母妹が王太子殿下が来るのを待ち構えているから。
私が王太子殿下に送っていただいた時に目に留まるよう準備しているらしい。私なんかが王太子殿下に送ってもらえるはずがないと嘲笑いながらも用のない日は玄関近くで待ち構えているなんて、その行動は理解出来ないわ。
部屋に戻り、部屋着という名の作業着に着替え朝に言いつけられた仕事を片付けていた。
「勝手に怪我をしたのだろう!」
談話室に繋がる廊下の掃除をしていたら、父の怒鳴り声がした。城から帰ってきたようだ。
「あなた、どうしました?」
「トレンタ地方の視察に出来損ないの息子が行っただろ。領民の怒りを買い、怪我をしたらしい」
「あそこはグラシーアナタへの恨みが強いと聞いています。さぞ盛大な歓迎を受けたのでしょうね」
「ああ、それが狙いだからな。だが、怪我をしたことで陛下がお怒りになり…」
父のことだ、率先してエンドール様が行くことに賛成したとは思っていたけど…。やはり、国王陛下の逆鱗に触れたみたいね。
「王族を害したとして出兵を命じられて…、それはどうにか思い留まっていただいたのだが…」
父の廊下に響くくらいの大きなため息が聞こえた。
「トレンタ地方を治めていたテサメルラ公爵家は領地の一部を没収され二爵下の伯爵まで落とされた! 私たち王太子殿下が行くことを反対した者たちには百~千金貨の罰金を。うちは六百金貨の支払いだぞ!」
六百金貨…。大金だわ。しばらく異母妹のドレスは買えないかもしれないわね。けど、それだけで済んだのなら軽いほうではないのかしら?
「それも出来損ないの息子が怪我をしたせいで。あれが王族だと! 認められるか!」
何かが割れる音がする。価値のある物じゃないといいのだけど。
父の怒りはおさまらないみたいだから、手早く掃除を終えて次の場所に向かう。見つかってとばっちりを受けると長くなりそうだから。
月明かりを感じて窓の外を見ると欠けた月が空に上がっていた。
欠けた月に憂いのある彼女の顔が重なった。
お読みいただき、ありがとうございます
誤字脱字報告、ありがとうございます