深緑の髪の青年
彼はいつも思っていた。
自分はここにいて良いのかと。
彼の主は、金色の髪を持つこの国の次期国王となるお方。その主を支えるのは、赤い髪を持つ双子の男女と栗色の髪を持つ騎士。彼の自慢の人たちだ。彼を友と呼び、仲間に入れてくれた。
彼らは彼と違ってとても優秀だった。彼の主はもちろんのこと主を支える者たちも秀でていた。
赤い髪の双子、男性の方は魔法の才に優れ、まだ学生だというのに高難度の魔法を易々と使いこなす魔法使い。女性の方はこの国一番の魔力持ちであり、思慮深く心優しい人。何より主の婚約者でもある。
栗色の髪の騎士は剣技に優れ、学生ながら騎士団にも所属し主の護衛を努めている。
それに比べて彼は何も持っていなかった。しいていえば真面目で勉強が出来るくらい?
けれど、赤い髪の女性は本をよく読むだけなのに彼を博識だと言い、書いた書類が読みやすく分かりやすいと誉めてくれていた。その時だけ、彼はそこにいてもいいのかな? と思えた。
ある日、学園で不思議な女性に出会った。貴族の礼節も柵も知らない赤みがかった金色の髪を持つ女性。型に填まった貴族社会でそれはとても新鮮だった。
赤みがかった金色の髪の女性ー彼女が淹れるお茶は不思議な味がしたが、彼にホッと出来る時間を作った。
彼女は彼と一緒だった。平民の母を持っていた。彼よりも彼女のほうがマシだったけれど。だから、貴族社会から弾き出されている彼女を不憫に思った。まあ、貴族の礼節を覚えない彼女も悪いけど。
彼は彼女のお茶を飲む度に、彼女のお菓子を食べる度に、彼女と仲良くなった。友達だけど。
だから、彼女を主たちに紹介した。貴族としての振る舞いが最低だったから彼は躊躇したけれど、彼女のお茶を飲んだら主たちに紹介するのは当然だと思えた。
いつの間にか赤い髪の女性が主の側から姿を消した。当然のように主に寄り添うのは、彼が紹介した彼女だ。
いいのかな? と彼が思うことは多々あった。けれど、彼女のお茶を飲んだら大丈夫と思えた。
間違っている! と彼が感じることも多かった。だけど、彼女のお菓子を食べたら正しいと感じた。
主も仲間である友たちも同じだった。
彼女の言葉だけを信じ、彼女の願いを叶えている。だから、いいのだと彼は思った。彼は従っていくだけで良かったから。
赤い髪の女性の姿がないことに中々慣れなかったが、主たちが気にしないので良いことだと彼はどうにか思うようにした。
彼が笑いたくなることもあった。
彼女が主の正妻になると真剣に言った時だ。
彼女には絶対に叶わないことだと知っていた。それは、学園に通う者ならみんなが知っていることだから。
彼が怖くなることもあった。
騎士団に扮した賊の討伐の時だ。みんなの様子がおかしかった。
赤い髪の魔法使いは嬉しそうに魔法を使い、主と栗色の髪の騎士は弱い賊たちを恍惚な表情で斬っていた。彼も剣を必死で振るった。けど、賊といえ命を奪うのは怖かった。
彼は信じられないことを聞いた。
主たちが赤い髪の女性の罪を暴き、婚約を破棄しようと計画したこと。それが無理なことは、主たちも分かっているはずなのに。それに赤い髪の女性がそんな卑劣なことをするようには思わなかったし、思えなかった。けれど、彼女のお茶を飲む度に彼は婚約破棄が出来ることだと、赤い髪の女性は悪なんだと思うようになった。
学園の終業を祝う舞踏会で、主は赤い髪の女性を探していた。大勢の人の前で赤い髪の女性は裁かれるべきだと彼女が言ったから。
赤い髪の女性の代わりに出てきたのは、赤い髪の女性の兄でもある黒髪の青年。主に次ぐ貴い人。
彼には、黒髪の青年が恐ろしかった。大きな鎌を持った死神に見えた。
黒髪の青年は、やはり死神だった。
まず、赤い髪の魔法使いが見えない鎌で刈り取られた。
次に栗色の髪の騎士。
自分の番だと彼は勇気を奮い立たせた。もう彼しか主と彼女を守る者がいなかった。
何を言っても正論で返される。
おかしい、おかしい、おかしい、彼女が間違っているはずがないのに。
『国王陛下も宰相殿も殿下と妹が共に公務を果たされたと思われていました。何故虚偽の報告をされたのですか? サーチマア侯爵令息殿』
虚偽? 身に覚えがなかった。
彼はそんな書類を出した覚えはなかった。黒髪の青年が言う書類は最初に作成したものだ。主は体調不良で山荘で療養とした書類を作り直して提出したはずだ。
どうしてこうなったのか分からず彼は主の方を見るが、主は黒髪の青年を睨み付けてこちらを見ようとしない。
主に寄り添う様に立つ彼女の姿が目に映った。大丈夫、彼女がいるから大丈夫。後で彼女のお茶を飲めば大丈夫。彼はそう思えた。
その彼女が黒髪の青年の護衛に押さえ付けられている。彼は助けたかった。だけど、護衛たちに睨まれて動けなかった。
黒髪の青年の鎌は、主にも襲いかかっていた。
それは、間違いなく正論であるけれど、彼女が言ったことは望んだことは間違っていないはずだった。
『ウインダリア様は私を虐めていたの』
彼女の言葉にもう一度彼は頑張ろうと思った。
けれども何を言っても返される。彼の味方をする者もいない。
『それに証拠は? 確かなる証拠や証言があって、公爵令嬢である妹を貶めているのであろうな?』
黒髪の青年の鎌が彼の喉に当たっているような感じがした。
『ミミア嬢が、虐められていたミミア嬢の証言で』
そう、彼女の言葉は正しいのだ。だから、間違っていない。
彼はそう思うのに黒髪の青年を納得させる言葉が出てこない。
だから、彼はこう言うしかなかった。
『ウインダリナ嬢は、公爵令嬢という身分を使ってミミア嬢を虐げていた』
悪いのは赤い髪の女性。彼女がそう言うのだから。彼女がそうであると望むのだから。悪いのは赤い髪の女性なのだと彼は思おうとした。厳重にかけた″蓋″を確認して。
会場にいた者たちが責めてくる。主を、彼らを。
全員が黒髪の青年ほどの大鎌ではないか、小さな鎌で切りつけてくる。
主が彼女の側から離れた。何故? 彼女を守れるのはもう主しかいないのに? 縋り付こうとしている彼女を主は振り払っている。何故?
『ミミア、私に付いてきてくれるか?』
主の言葉に彼はホッとした。主は彼女を選んだのだと。
だけど、それはすぐに間違いだと分かった。
主は、主も彼女も罪人だと言い出した。
主が、彼女が、いつ罪を犯したのか分からない。
彼女が拘束され、助けようとした彼も衛兵に腕を捕まれて動けない。
『私は国に対し大罪を犯した。よって罰せられ王族でなくなる。そなたは、私を誑かした罪人として罰せられる。それだけだ』
主の言葉に取り返しのつかないことをしてしまったのは分かった。けれど、それが何なのかが彼には分からなかった。だけど、彼はもう″蓋″をしなくていいと思った。
彼は彼女が淹れたお茶を今すぐ飲みたかった。そうしたら″大丈夫″だと思えたから。
城に連れて行かれた。
彼は赤い髪の魔法使いの言葉をただ聞いていた。
彼は、騎士団の扮した賊は本当の騎士団だったことを知った。
何故だろう? と彼は思った。彼女の言葉が間違っているはずがないのに間違っていたのは。
彼女は麓の町の人から聞いたと言っていたけど、彼女は町民と話す機会はなかった。それに彼女の側には必ず誰かが付いていたから、彼女と一緒に聞くはずなのに。彼女はいつ知ったのだろう?
栗色の髪の騎士は、父であるゼラヘル伯爵に責められていた。
横領?
彼はボーとしてきた頭で何のことか考えた。
彼が彼女のお茶を飲んでから時間が経っている。彼女のお茶が欲しかった。けどもうお茶は飲めない。何故かそれは分かっていた。
だから、気分転換に彼は横領の意味を考える。
お金を目的以外のことで使った? マダラカ公の旅費を彼女の誕生日パーティーのために使う。横領になる?
彼はゆっくり考えた。いつもならすぐに分かるのにゆっくりじゃないともう考えられない。
それは横領になる。そのお金は彼女のために準備されたものではなかったのだから。けど、彼女は大丈夫と言った。だから、大丈夫なはずだ。じゃあ、何故大丈夫じゃないと言われている?
『その″恥″の塊が正しいだと?』
聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。
だから、彼は叫んだ。確かに貴族としての礼儀はで出来ていないけれど、″恥″の塊なんかじゃない!
『この方は″恥″ではございません!』
黒髪の青年も彼女を″恥″と呼んだ。礼儀を覚えないから、公務を疎かにさせたから、お金を使い込んだから、たったそれだけのことで?
たったそれだけのこと? たった? そんなに軽いこと?
主の声がした。
『あぁ、こうしてないと気が保てない』
主の方を見ると右手から血が滴り落ちている。
痛みがないと気が保てない? そこまで酷くなっていた?
爪の色は? 彼よりも薄い紫色。
『ミミア、クラチカ伯爵令嬢が、クラチカ伯爵令嬢だけが正しいと思ってしまう』
痛みがないと彼女だけが正しいと思う? ああ、もう手遅れだったかもしれない。
『私はいつから考えなくになっていたのだろう』
けど、やっと気が付いた。
「モイヤ」
彼の父が前に立っていた。
「僕の罪は、クラチカ伯爵令嬢を王太子殿下に会わせたことです」
やっと彼は自分の罪を言うことが出来た。
「彼女のお茶を飲むと、彼女の言うことはなんでも正しくなるのです。彼女のお菓子を食べると彼女の望みを全て叶えたくなるのです」
彼は笑った。遅かったのかも知れない。けど、主たちは気がついた。自分達の罪に。
「おかしいのにおかしいと感じないんです」
彼は見えなくなってきた目をすぼめて、少しでも彼の父の顔を見ようとしていた。泣きそうな顔をしている父の顔を忘れないように必死に。
「だから、僕は彼女がお茶を準備する度に粗相をするようにしました。王太子殿下たちはまだ間に合うかもしれないから。彼女のお茶を飲めないように、お菓子を食べないように。それが出来ないときは僕がお代わりをして、お茶もお菓子も独り占めしました。ちがう、あれを飲まないと食べないと僕は僕でいられなくなったから。だから独り占めしていました。
父上、″あれ″からは何が出てきました?」
彼は何が言いたいのか分からなくなってきていた。けれど、分かったように父が頷いてくれたのに満足した。
「お前の睨んだ通り薬が入っていた。″天使の囁き″という麻薬だ!」
吐き捨てるように放たれた言葉に彼はやっぱりと思った。
彼女から隠すようにお菓子をこっそり実家に送った。調べてもらうために。
「時間がかかって済まなかった。早く治療に・・・」
伸ばされた手を掴む前にガクっと彼の体は力を失った。慌てて彼の体を父親が支える。抱き止めた体のあまりにも細さに父親は、顔を歪ませていた。
「僕は許せなかった。ウインダリナ様を悪く言うミミアが。ミミアに従う王太子殿下たちが。ウインダリナ様は、生まれで差別などなされない。卑劣なことなどなされないのに・・・。
一番許せないのは、僕だ! あんなミミアを連れていかなければ、ウインダリナさまは死ななくてすんだ! 僕は僕を許せない!」
血を吐くような告白に反応したのは主だった。
「モイヤ、もう喋るな」
気遣う主の声が聞こえる。今さらと彼は思った。まだ大丈夫、まだ間に合うとも。
「モイヤ、医師のところに行こう」
彼の父が歩きだそうとした時、突然彼の体が跳ねた。
胸を鷲掴みにして、彼の顔が苦悶の表情に変わる。
「禁断症状だ! 急げ!」
バタバタと回りが動き出したが、ビクンビクンと体を跳ねさせながら彼は叫びだした。
「もう遅い。遅すぎた! ウインダリナ様は、ミミアに殺された! ミミアが悪い! ミミア嬢は悪くない! いや、ミミアは悪魔だ。ちがう?」
「モイヤ、モイヤ、しっかりしろ」
彼はもう父親の呼び声にも応えられなかった。
「さむい? あつい? くるしい? かなしい? さびしい? ○◆▽☆□・・・」
もう彼が何を言っているのか彼も周りも分からなかった。彼にあるのは深い後悔。戻れるのなら、戻りたい。あの人の側にいられた頃に。
柔らかな光が彼を包み込んだ。
「眠らせました」
国王陛下の側に控えていた魔術師はそう言った。
「せめて安らかな夢を見られますように」
祈るように告げられた言葉に荒かった彼の呼吸が穏やかになる。
彼が再び目を開けることはなかった。
『娼婦の子』『なんでお前なんかが』『審査員を誘惑したのか』『親といっしょか』『卑しいヤツ』
囲まれて投げつけられた言葉。
彼は俯くしかなかった。
『あら、卑しい方が見えますわ』
明らかに侮蔑の籠った声がした。彼はますます俯いた。いつものことだから、もう少しだからと必死に我慢する。
『勉学では勝てないからと、血で勝とうなどと』
囲んでいる少年たちのほうがオタオタとしだした。
『あら? 唯一勝てるはずの血でも負けておりますわね。その方は紛れもなくサーチマア侯爵家のご子息ですもの』
コロコロと笑う声に顔を上げると炎のように赤い髪の女の子が彼を見ていた。
『血と申しましても我がフアマサタ家も百代も遡れば平民。血に拘るのも器の大きさを示すようなもの』
『不敬だぞ!』
少年の一人が叫ぶ。
『フアマサタ家の家訓でございますわ。平民であったことを忘れることなかれ。ですから、我がフアマサタ家と領民は仲良く出来ておりますの』
ニッコリ笑った女の子には、思わず手を握り締めてしまいそうな有無を言わさない威圧感がある。
囲んでいた少年たちが蜘蛛の子のように散っていく。
『気になさることはありませんわ。俯かず堂々とされるのが一番かと。公平な審査で認められたのですから。
まずは、大賞を受賞されたことお喜び申し上げます。悔しいですわ、わたくしも狙っておりましたのに』
優雅にけれど最後の方は頬を膨らませて悔しそうにする女の子を彼は目を丸くして見ることしか出来なかった。
それが彼と赤い髪の女性との出会い。
彼の初恋だった。
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m
2020.8.25
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