ウインダリナ20
黒髪の青年は珍しく困惑を隠せなかった。
二人の国王の会話にも驚かされた。それよりも黒髪の青年を睨み付けていたキーダマス老公が表情を和らげて頭を下げたのには何をされたのかすぐには理解出来なかった。
「出過ぎた真似を申し訳ありません」
二人の国王に頭を下げ、黒髪の青年の方に体の向きを変える。
「エンドール殿下、非礼を深くお詫び申し上げます」
その声に含みなど感じない。誠意が籠った言葉だと感じるが…、何故急に?
困惑が伝わったのだろう、キーダマス老公は苦笑いを浮かべ、黒髪の青年に見えるように胸ポケットから僅かに見えている黒い飾りを軽く触った。
!! あぁ…、また…。
胸が温かくなるのと同時に深い喪失感が襲う。今なお感じるその存在に愛しさと哀しみが溢れそうになる。が、黒髪の青年は感情を圧し殺し真っ直ぐとキーダマス老公を見て口を開いた。
「謝罪を受け入れよう」
この機会に無礼だったと責めることも嫌味の一つや二つ口にすることは出来た。だが今は歓迎の宴の席だ。要らぬ波風を立てぬほうがよい。それに何より哀悼の意を示している者を責めることが黒髪の青年には出来なかった。
キーダマス老公が黒髪の青年に深く頭を下げたのを見て周りがざわめいている。国王から言われたとはいえ、キーダマス老公が謝罪を受け入れられたことに正式な礼を返すとは誰もが思いもしなかった。
そして、この場をおさめる言葉にキーダマス老公の口角が満足そうに上がりすぐに自嘲の笑みに変わったことに気付く者は誰もいなかった。
その後、宴は恙無く終わった。
二人の国王はお互いの親愛を深め友好国であることを宴で知らしめた。ほとんどの者が帰路につくなか、黒髪の青年は父であるフアマサタ公爵と共に国王の私室に呼ばれた。
「エンドール、明日はサーチマア侯爵令息の葬に出てくれ」
そこには宴には出席していなかったサーチマア侯爵の姿があった。疲れた顔をしているがその目には強い怒りがある。
黒髪の青年は葬儀に出るのは構わないが、イーダマス国王の接待は誰がするのか、いやイーダマス国王も葬儀に参加するのか知りたかった。
「明日、新たな後継者を任じます。エンドール殿下には見届人をお願いしたく」
サーチマア侯爵には深緑の髪の青年しか子がいなかった。侯爵自身には伯爵位を継いだ弟が一人いて、その弟伯爵には息子が四人いた。跡継ぎにするならこの四人のうちの誰かとなるのだろう。嫡男は父親の跡を次男は婿養子に出て婚家の跡を継ぐことになっている。まだ騎士となった三男と深緑の青年と同じ年の四男がいるが、三男は騎士として一人立ちしていることから、跡継ぎにするなら四男のほうだろう。だが、その四男には問題があった。
『どうした?』
『モイヤ様から相談されて…』
それは件の令嬢のことであった。
学園に転入生として入ってきたのはいいが、授業態度は悪く成績も良くないのに令息とお茶会ばかり開いている。件の令嬢と同じ平民の母を持つ深緑の髪の青年が親身になって指導しようとしているがうまくいってないらしい。
『お会いしたのですが…、睨まれてしまって…』
久しぶりですわ、あれほどの敵意を向けられたのは。
ふふふ、と赤い髪の女性は笑った。鍛えがいがありそうだと。
『ただ…』
『ただ?』
『クラチカ様のことをモイヤ様に教えられたのがヤキュル様らしくて…、力になってあげたらと仰ったようで…』
赤い髪の女性は腑に落ちない表情をしている。
それもそうだろう。ヤキュルという名の緑の髪の青年は選民意識がとても強く平民を下賤の者と蔑んでいる。爵位が上のファマサタの者にも成り上がりの公爵と侮蔑の視線を隠そうとしていない。件の令嬢も見下し嗤うことはあっても決して助けることはしないだろう。何か企んでいると勘繰っても仕方がない相手だ。赤い髪の女性もそれを心配していた。
『何かあったらすぐに知らせろ』
安心させるように赤い髪にポンと手を置いた。
「姪の息子を養子に迎えます」
「ヤキュル殿ではなくて?」
サーチマア侯爵の言葉にホッとしながらも黒髪の青年は疑問を口にする。何故、四男、緑の髪の青年ではないのか? と。彼では無用の諍いを起こすのが見えていたが、跡継ぎとしての条件は十分備えている。
「ヤキュルは当主の器ではございません。それにあやつは…」
サーチマア侯爵は悔しそうにギリと奥歯を噛み締めた。
「エンドール、モイヤが一度お茶会に出ていたお菓子を調べたと言っていただろう」
国王の言葉に黒髪の青年は頷いた。それを深緑の髪の青年から聞いたのは黒髪の青年だ。
「研究所の記録を調べさせたが、モイヤが持ち込んだと思われる物を調べた形跡はなかった。だが…」
それらしき物がなかった? そんなはずはない。深緑の髪の青年がそんな嘘をつくわけがない。
だから、黒髪の青年は国王の続きの言葉を待った。
「特殊な薬の使用に不審な点が見つかった。例の薬を特定するのにも使われる薬だ」
毒も取り扱う研究所の薬はとても厳しく管理されている。料理に使う塩さえも研究で使う場合は耳掻きのような匙にすくった量でも管理記録されている。
問題となった薬を使って何かを調べた形跡はあるのにその結果だけが見つからなかった。
「その薬の使用者を辿っていくと、三ヶ月前から研究員一人が行方不明になっておった。平民であったため問題にされてなかったようだ」
学ぶ機会が少ない平民が研究員になることは珍しい。だが、跡継ぎになれなかった貴族令息が多い研究所で平民が長続きするのはもっと珍しかった。平民だからと虐げられ、研究の邪魔をされ、志を折られて辞めていく者が多かった。
改善しようとしているが、貴族研究員の実家が邪魔をして中々進んでいなかった。
「三ヶ月前…」
三ヶ月も前ならば、金髪の青年がこちらの話に少しは耳を傾けようとしていた。まだ間に合ったかもしれない。いや、間に合っていた。
「そうだ、三ヶ月も前だ。その研究員がブランシェ家の者と会っていたのが確認された」
ブランシェ。それはサーチマア侯爵の弟伯爵の家名。そして三ヶ月前、深緑の髪の青年と接点があったと思われるのは同じ学園に通っていた緑の髪の青年となる。
「モイヤが違う者に託しておれば…」
サーチマア侯爵が絞り出すように呟いた。
「薬のせいで真に信の置ける者に託せなかったのであろう」
国王の声も震えている。
薬の影響さえなければ緑の髪の青年なら違う者に託していたと分かるだけにそれが余計悔やまれる。
誰もが何故こんなことにと憂いていた。
誰もが動かなかったことを悔いていた。
誰もが早く分かっていればと思っていた。
それが…。
分かっていたのだ、今より三ヶ月も前に。
その事実に怒りよりも憎しみが沸々と涌き出てくる。
「だが、その研究員は消息が知れず、調べていた結果は全て破棄されており、件の薬が混入されていたと断言は出来ぬ」
それはつまり緑の髪の青年を罪に問えぬと、罰することが出来ないと言うのか。
黒髪の青年は奥歯を噛み締めた。屋敷で眠る赤い髪の女性。冷たい体、もう二度と戻らない温もり。そんなこと許されない。いや、許さない。
「落ち着け、エンドール」
父にポンと肩に手を置かれ、黒髪の青年はハッと全身の力を抜いた。カタカタと鳴っていた部屋が再び静けさを取り戻す。
「他には? サーチマア侯爵、もちろん後継者から外すだけではないのだろう?」
ゾクと肌が粟立つような低い声が黒髪の青年の隣から聞こえた。
四男で跡継ぎになれない緑の髪の青年が爵位を欲しているのは誰もが知っていた。それは無くした。だが、それだけでは到底足りない。
サーチマア侯爵も勿論だと言うように口角を吊り上げる。
「貴族籍を抜き、最下位の一般文官としてデカン部隊に配属させる」
貴族籍を抜く、平民に落とすということだ。
一般文官、平民が最初になれる文官の位だ。その中にも上・中・下とあり、下は文官と名が付くだけで仕事は下働きとほぼ変わらない。
デカン部隊、小競合いが続くナルニアマルシタ国との国境警備についている国防軍の一部隊。今、一番危険な部署といわれている所だ。栗色の髪の青年もそこに送られた。
「担当は?」
「第七小隊だ」
フアマサタ公爵の問いに国王が答えた。
第七小隊、一部の死刑判決が出た罪人や無期懲役の罪人の志願兵で作られており三年間従事したら減刑されることになっている。最も危険な場所の警備を担当し、文官も含め死者が一番多い隊でもある。気性の荒い罪人たちを相手に心を病む者も多いと聞く。
選民意識の強い緑の髪の青年が貴族という特権を剥がされ、そんな場所でどれだけ保つのか。
「薬が抜けたらトータスを(第七小隊の)副長につかせる」
栗色の髪の青年の実力なら当然の地位だ。そして、このことを知った栗色の髪の青年ならどう行動するか…。
緑の髪の青年に二度と平穏な時間など訪れることはないだろう。
「死なせるな、とは伝えてある」
出来るだけ長く苦しみを。
それでもやるせない思いは残る。
重い沈黙を破ったのは国王だった。
「研究所は…」
研究所にもメスを入れなければならない。
「研究所は研究員になる者は貴族籍を抜くこととする」
反発は多く問題も多々残る。が、貴族籍を無くすことで研究員たちは表面上は平等となる。
「報告書の管理は…」
議会に上げるための議論が交わされた。
バレンタインデーに暗い話題です。
緑の髪の青年の家名が出来ました。人物紹介を訂正します。
誤字脱字報告、ありがとうございます。