榛色の髪の女性5
前中後編から通しNo.にしましたm(__)m
「レイ! あなたって人はもう!」
メイリの怒声に私は身を小さくした。彼女の学友になって三ヶ月。メイリのこの声も何回も聞いているけど慣れることはない。
彼女がメイリと宥めるように名を呼んでいるのに肩で息をしている目を吊り上げている人はキッと私を睨み付けてくる。
いつもの個室。今日は王太子殿下は公務で学園に来ていない。トータス様と彼女の弟は王太子殿下の護衛で、唯一学園に来ているモイヤ様は特別授業中で、男性陣は誰も個室には来ていなかった。だから、メイリの独壇場になっていた。
「なんで堂々としてるだけも出来ないのよ!」
盛大に叫ばれても出来ないものは仕方がないじゃない。だって、彼女たちの視線、怖いのよ! 刺すような視線、馬鹿にした視線、蔑んだ見下した視線、あの継母が私を見ているようで。体が足が竦んでしまう。震えて身を小さくするしか出来ない。
「あんたがそんな態度だとバカにされるのはウインなのよ!」
そんな、そんなこと言われたって、出来ないものは出来ないから仕方がないじゃない! 私はあなたたちのように強くないのよ!
「ウインや私は睨み付けれる癖に」
ギクリとして視線を床に移動させる。だって、あなたたちは怖くないもの。あんな目で見てこないもの。
「メイリ、直ぐには…」
宥める彼女にもメイリの怒りを飛び火させてしまう。けど、申し訳ないとは思わない。彼女の学友にならなければメイリに叱られなかったのだから。
「ウイン、直ぐじゃないでしょ。前から言っているのよ! それに良くなるどころか、ウインの後ろに隠れるようになったのよ!」
だって、あの視線を遮るのにちょうどいいのだもの。半分は彼女の学友になったせいだからいいじゃない。
「それに甘やかしてもレイのタメにならない。魑魅魍魎だらけの貴族社会、何があっても堂々と。それが出来ないと一瞬で潰されるだけ」
そ、それは分かっているけど、怖いものは…怖い。それにどうせお飾りの侯爵夫人になるだけ…。
「とにかくどんな時も堂々と。あんたが文句言ったり睨み付けるのは無理なのは分かってるから」
そ、それ、どういう意味よ。私も言うときにはきちんと言えるわよ、きっと…。
「レイ、周りを気にする必要はないわ」
彼女が取り成すように言ってくれるけど…、そう簡単に言うけど、それが難しいのよ! こちらの気も知らないで。言うだけは楽なのだから!!
「あんた、家でもあの派手な継母に言われてるんでしょ」
そ、そうよ。昨日、お茶会に出た継母から嫌味を言われたわ。格下の家から学園での態度を揶揄されたって。侯爵家に泥を塗るつもりかって。あの継母に茶会で恥ずかしい思いをさせられるのならそれもいいかもと思ったわ。
「あの継母は、あんたのお祖父様の前侯爵やあんたのお母様の教育が悪かったと言い訳してるのよ」
「メイリ!」
人差し指でメイリに指差されて言われたことに愕然とした。そして、叱責するようにメイリの名を呼んだ彼女を見た。
昨日のお茶会には彼女も参加していたはず…。
私と目が合った彼女は小さく息を吐いてから口を開いた。
「…、私が席を外している時に話題になったようで。恥ずかしいからお茶会に参加させられないと仰っていたそうよ」
「な!」
お茶会に参加させないのは継母の方なのに。それに作法がなっていないのは異母妹のほうよ! 母はしっかり礼儀作法を教えてくれたわ。
「訂正してくれたわよね?」
私は彼女に確認した。祖父と母が悪く言われるのは許せない。違うと王太子殿下の婚約者である彼女が否定してくれたなら…。
彼女は困ったように眉を下げている。
「後から知って…」
「それでも後からでも訂正してくれたら!」
「はあ? なんでウインがそんなことしなきゃいけないわけ? ウインがいない時に言われたこと、ウインにはどうにも出来ないわよ」
叫ぶように言うとメイリから思いっきり馬鹿にした声で返された。分かっている。終わっている話題を余程でなければ蒸し返せないのは。だけど、祖父が、母が、貶められたままなんて。
「それにあんたが学友で堂々としていたら、その場にいた令嬢が庇ってくれたかもしれないけど」
そう言われてグッと奥歯を噛み締める。悔しい。言い返せないのが悔しい。礼儀作法の授業でも注目されると失敗ばかりしてしまっているから。
口を開くと恨み言しか出ないから、私は個室を出て図書室に向かった。
帰り、馬車止めに馬車が無かった。屋敷で使うことになり帰ってしまったそうだ。連絡があったから急いで帰る準備をしたのに。これじゃあ、帰れない。彼女やメイリに頼むのも今日の今日じゃあ頼みにくい。
「ねぇねぇ、あれ…」
「そうあの方の…」
クスクス笑いながら、誰かが後ろを通っていく。嫌だ。怖い。
「わたくしだったら…」
「…ですわー」
少し離れた聞こえるか聞こえないかの距離で立ち止まったのが見なくても分かる。蔑んだ目で見られているのも。
嫌だ、早く帰りなさいよ。あなたたち、帰るためにここに来たんでしょ。
「あれ、レイ?」
パタパタと音を立てながらメイリが近づいてきた。
私を見ていた視線も消える。御機嫌ようと声が聞こえて、馬車に乗り込む音が。
ふぅと息を吐いてしまった。震えてはいけないと我慢していたけど、手を見るとブルブル震えてしまっている。怖かった、あの視線が、聞こえてくる声が。
「お祖父様とお母様の汚名を雪げるのはレイだけだよ」
走り出す馬車を見ながら、メイリがボソッと言ってくる。そうしたいけど、無理なの!
メイリが大きなため息を吐いて呆れた目で私を見ていた。
「ウインがもう少しと言うから我慢するわ。けど、変わらなかったらウインが見捨てなくても周りがあんたを見棄てるからね」
メイリの言葉にゾクッとした。もう後が無いのが分かる。彼女の周りには権力のある家の者が多い。特に彼女の婚約者、王太子殿下の一言でカータルヤ家なんか簡単にどうにか出来てしまう。
「ふーん、レイの馬車ないね。じゃあ、一緒に帰ろ」
私の腕を取るとメイリはくるっと体を反転させた。
ちょっと待って、あなたの家の馬車も来てなかったと思うのだけど。
「モイヤ様、今日もお願いしまーす」
彼女とこちらに向かって歩いているモイヤ様に堂々と手を振っている。帰る足がない私は頭を下げるしかなかった。
「テド様には連絡は?」
「ちょっとゴタゴタしているみたいで遅くなるみたい」
どうやらメイリは城に勤めている兄の帰宅用の馬車に乗って帰る予定だったらしい。持ち馬車の数が少ない家がよくすることだ。私の場合はただの嫌がらせだ。父や継母が使用する馬車は別にあるのだから。
私は向かい側に座るモイヤ様を見た。モイヤ様も亡くなったお母様のことで今も何かしら陰口を叩かれている。気にならないのかしら?
「レイリア嬢、どうかされました?」
あっ、じっと見すぎていた。慌てて視線を下にする。
「どうせモイヤ様が陰口をどうして気にしてないか気になっただけでしょ」
メイリが手をヒラヒラ振りながら呆れた声で言ってくる。その通りだけど言わなくていいじゃない!
「気にしていますよ、けれど…」
モイヤ様でも気にしているんだ。じゃあ、私が気にするのは当たり前だわ。
「僕の母が娼婦なのは事実なので、それを言われるのは仕方がないと思っています」
モイヤ様ははっきりと言った。こう言いきれるなんてなんて強い人なのだろう。
「つ、強いんですね」
私と違う。幼い頃から蔑みの視線に晒されていたのに。ううん、幼い頃から言われているから慣れてしまった?
「強く…ないです。聞こえたらやはり気にはなりますから」
モイヤ様は私の顔を見て、照れくさそうにけれどはっきりと言った。
「側に…、いえ、側で支えたい人が出来ました。そのために、僕はやりたいことが、やらなければならないことが沢山出来て、気にしている暇が無くなってしまいました」
彼女だ。見ていて分かる。モイヤ様が彼女を見る目には強い思いが籠っている。けれど、彼女は王太子殿下の婚約者。モイヤ様の思いは叶うことはない。
「すごい、ですね」
叶わない思いのために頑張るなんて…、私には無理。
「いえ、まだまだです。まだまだ未熟で僕はあの方の足元にも及ばない」
あの人が誰かわからないけど、悔しそうに答えたモイヤ様は私の目には眩しく輝いて見えた。
メイリに睨みつけられながらも私は彼女の近くにいた。彼女の近くが一番安全だから。彼女の側にいると嫌な視線は彼女にいくし、囁き声も彼女の話題になる。
逃げているのは分かっている。だけど、私は弱いから仕方がないじゃない。
ある日、息苦しくなって隠れるように一人でいたら、橙色の髪の男子生徒にいきなり怒鳴られた。びっくりしたのと怖くて足が竦んで動けない。
「いい加減にしろよ、お前!」
「エド!」
「リズ、もう我慢がならないんだ」
茶色の髪の女子生徒が必死に止めようとしているが、側にいる赤茶色の髪の男子生徒は面倒という顔をしている。
三人とも顔は知っている。同じ学年で隣のクラスだったはず。橙色の髪の男子生徒は、クッマイヤ伯爵子息エドガー様だ。茶色の髪の女子生徒は、エドガー様の婚約者のオルトレン伯爵令嬢リゾベット様。赤茶色の髪の男子生徒は誰?
それで何故私が怒鳴られなければいけないの?
「ウインダリナ様が嗤われるとあの方まで被害がいくんだ! 名門カータルヤ家の者かもしれないが、学友として相応しくない。とっとと降りろ!」
「エド、鎮。ウインダリナ様、選、誤、無」
「ディービット、余計なことだと言いたいのか?」
えっ、赤茶色の髪の男子生徒(ディービットは名)は何を言ったの? 何故分かるの?
それにエドガー様に何故彼女の学友であることを責められなければいけないの? エドガー様に迷惑をかけていないじゃない。
「エド、落ち着いて。いきなりそんなこと言われて、彼女びっくりしているわ」
「鎮、話、解、変、誤」
「リズ、ディービット、分かったよ」
エドガー様は髪をかき上げてはぁと大きく吐かれて、私を睨み付けていた。
誤字脱字報告、ありがとうございます