ウインダリナ17
ゴクリと喉を鳴らして、橙色の髪の青年が口を開く。
「お、お、お、お目通りをゆ、ゆるして、いいいたただき、あ、ありがとうございます」
黒髪の青年は律儀なことだと思った。あの約束が無くなったことを伝えにきたのだろう。
「お、お、お約束を、お、お覚えでし、しようか」
もちろん覚えている。あの時は赤い髪の女性の力になるのならと承諾した。だが、状況が変わってしまった。
どう断ってくるのか続きの言葉を待っているが、橙色の髪の青年はあっ、うっと言葉を詰まらせている。口巧者だと聞いていたが間違いなのだろうか? それとも緊張で?
ともかく立場の上の者に言いにくいのかもしれない。
その約束は気にしないでほしいと黒髪の青年が言う前に覚悟を決めたように赤茶色の髪の青年が口を開いた。
「至らぬところばかりですが精進いたしますので、よろしくお願い致します」
頭を下げた赤茶色の髪の青年に見て、慌てて橙色の髪の青年もお願いしますとそれに倣っている。
黒髪の青年は思ってもみなかった言葉に思考が止まる。
何を言った?
二つ並んだ旋毛を凝視してしまう。
今、黒髪の青年の下につくということがどういうことか分かっているのだろうか?
「い、いま、から、わ、わたしたちが、で、できる、ことはありますでしょうか」
頭を上げ覚悟を決めた四つの瞳が黒髪の青年の指示を待っている。
どう応えるのが正解なのか。赤い髪の女性が育てほしいと言ってきた二人なのだ、彼女が望んだ通りに立派に育て上げたい気持ちはある。だが、自分の下につくと将来を潰してしまう可能性もある。
「ウイン、ウインダリナは死んだ。君たちがその約束を守る必要はない」
「わ、わ、わたしたちがそれを望んでいます」
間を置かずに応えがくる。それが正しいかどうか判断もせずに。
橙色の髪の青年の言葉に隣に立つ赤茶色の髪の青年も大きく頷いている。
どう断るべきか思案していると、黒髪の青年の側に控えていた人影が動いた。
「では、書庫でここに書かれた書類を持ってきていただけますか?」
「「はい!」」
幼い頃から黒髪の青年に仕えている初老の従僕が二人に紙を差し出していた。
黒髪の青年が慌てて止めようとするが、橙色の髪の青年は受けとると茶色の髪の青年と頷き合って「失礼します」と部屋を出て行ってしまった。
「…、ジョン」
どういうつもりだ? と黒髪の青年が睨み付ければニッコリと返されてしまう。
「ウインダリナ様ご推薦の身元もしっかりされた方々です。ただでさえ人手不足なのです。手伝っていただけるのなら、手伝っていただきましょう」
だからこそ、将来を潰したくないのだ。しかるべき場所でしっかり学んでほしいと願っているのに。
「エンドール様は彼らを一人前に育て上げる自信がないのですか?」
付き合いが長すぎて、こちらの心情も分かっているだろうに嫌なところを突いてくる。
黒髪の青年は拗ねたように視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「書類を持ってこられなければ、サーチマア侯爵に託す」
「そうされるのが一番でしょう」
当然のように返される言葉にそれがどれほど難しいことだと分かっているのか? と問いただしたくなる。
書庫を管理しているのは、一癖も二癖もあるご老人たちだ。気に入らない者には、書庫に近づくことさえ許さない。どうしても必要な書類がある時は書面にそれを記し申請し、老人たちの立ち会いの元ようやく申請した部分のみ見ることが出来る。その場で他の書類が見たくなってもまた申請し直さなければ見せてくれない。
幸いにも黒髪の青年は気に入られているのか、申請をしなくても直接足を運べば書類を見ることが出来るが、持ち出すのは毎回苦労させられている。老人たちがここで仕事したらよいと引き留めるからだ。
そんな老人たちが相手だ、学園を卒業したばかりの若者が、黒髪の青年の代理だと証明出来るものを持っていない二人が書類を借りられるはずがない。
彼らに決して受からない試験に挑ませた。それが正しいことなのだと黒髪の青年は思うことにした。
「気になられるのなら、書庫に行かれますか?」
初老の従僕の言葉に慌てて視線を扉から書類に戻し、黒髪の青年はまた最初から書類を読み直す。
門前払いならもう戻ってきてもよいはずだ…。そのまま帰ってしまったのなら…、いや、彼女が選んだ者がそんなことをするはずがない。
やはり行ったほうがと黒髪の青年は読みかけの書類を机に置いた。書庫で問題を起こされると困るからだと言い訳を思いながら。
「遅くなりました」
扉を叩く音がして、二人が部屋に入ってくる。二人とも腕に幾つもの書類を抱えて。
「も、申し訳ありません。ラルノー川のしか借りられなくて…」
空いている場所に書類を下ろし、橙色の髪の青年は悔しそうに言葉を吐き出す。
赤茶色の髪の青年は黙々と書類を幾つかに分けていた。
ほう、と書類を確認している初老の従僕が小さく声を上げて、書類を手に取った。
「ラルノー川の工事記録、ラルノー川中流にあるクーポア地区とそこと取引があるテーサセ地区…」
黒髪の青年もその言葉に目を見張る。
最近氾濫を繰り返すラルノー川に大掛かりな治水工事を予定している。工事を行うに伴い、周辺地区への影響や今までの工事記録を調べる必要があった。だが、書庫を管理しているご老人たちは複数の貸し出しを嫌がり、代理の者なら一冊借りられたらよしとしなければいけなかった。
「必要…かと…」
「ええ、とても必要です。氾濫でクーポア地区に被害があった時、取引先のテーサセ地区の打撃はいかほどだったのかを。
ラルノー川の支流の書類もありますね。これは?」
初老の従僕は分けられた書類の束を確認して、二人に問いかけた。黒髪の青年も答えを期待してしまう。
そこまで気づいて持ってきたなら、将来がとても楽しみな逸材だ。
橙色の髪の青年は、側に立つ赤茶色の髪の青年の脇を肘でつついた。赤茶色の髪の青年はボソボソと単語だけ言っている。
「ラルノー川、工事、支流、水量、影響、被害、対策」
「お前な、文にしろよ」
「エド、お前が」
「お前の知識だろうが」
「おん前なんだぞ」
「見なければいい」
「そっか、そうだな」
二人は小声で言い合っているつもりだろうが、聞き耳をたてている黒髪の青年には聞こえている。だが、何を言い合っているのか分からない。
「理由は?」
初老の従僕の催促に橙色の髪の青年が小さく息を吐いて答えた。その視線はまっすぐ初老の従僕を見ている。
「ラルノー川の工事に、ラクア川、ラハタ川など普段から水量の多く氾濫が起こりやすい支流の対策も含まれていると思います。逆に普段水量の少ない支流ラナヤ川、ラロヌ川は今まで本流のラルノー川が氾濫しても被害がなかったため、対策の対象にはならないでしょう。水量が少なく氾濫の危険性がなかった地区は危機感も低く対策もおざなりです。工事により水量が増える可能性があります。水量の多い支流と同じように対策を行う裏付けを探すために持ってきました」
黒髪の青年は初老の従僕が満足そうに口角を上げるのを見た。彼の中ではもう合格という文字が浮かんでいるのだろう。
さて、どうするのが正解なのか…。にしても、橙色の髪の青年は分かりやすくスラスラ話せていた。今までの話し方はなんだったのだろう?
「エンドール様」
初老の従僕の視線と緊張した四つの瞳が黒髪の青年に集中する。
書庫から書類は持ってきた。だが、指示された全てではない。だが、ラルノー川については必要以上に揃えてくれた。では、どうするか。
「試用期間。試用期間とする」
二人の若者がホッと息を吐いている。初老の従僕は正直ではありませんねと笑みを浮かべている。
これだからやりにくい。
黒髪の青年は小さく息を吐いた。
「では、残りの書類を」
「いえ、今日はもう手一杯です。夕方にはこれらも返却しなければなりません。
エンドール様、それでよろしいですか?」
初老の従僕の言葉に黒髪の青年は机の上に溜まった書類を見た。国王からの呼び出しもいつあるか分からない。
あまり仕事の手を広げられない。
黒髪の青年が頷いたのを見て、初老の従僕は嬉々とした表情で他の者たちに書類を手にして仕事を割り振っている。
「それにしてもよくこれだけの量を借りられましたね」
書類を分けながら労うように初老の従僕に言われ、橙色の髪の青年と赤茶色の髪の青年は顔を見合せ表情を弛ませた。
「ウインダリナ様が紹介状を書いて下さったので学園が長期休みの日は書庫の整理に来ていました」
「紹介状があってもあの方々は…」
「はい、ほとんど控え室の掃除とお茶飲んで話してました」
ははは。仕事してないと橙色の髪の青年は乾いた笑いをして、赤茶色の髪の青年はポリポリと頬を掻いている。
文官の新人は書類の整理と管理。書庫に足を運ぶことも多い。赤い髪の女性は予め書庫の番人たちに学友たちの顔と人柄を売り込んでいたようだ。
「では、エドガー様は…」
初老の従僕が指示を出すのを聞きながら、黒髪の青年は何回目か分からない書類を最初から読み直していた。
『あの二人は?』
二人でお茶を囲みながら、訪問者たちのことを聞く。
黒髪の青年の質問に赤い髪の女性は首を軽く傾けた。
『エドガー様がディービッド様の翻訳機で、ディービッド様はエドガー様の何と言ったらよいのかしら?』
黒髪の青年は眉を寄せる。それでは意味が分からない。
『ディービッド様はとても口下手な方なの。単語しか話されなくなって。口巧者なエドガー様がその単語を文にしてディービッド様が仰りたかったことを教えてくださいますわ』
幾ら口下手だとしても単語だけとは…。城で働くとなると対人関係も円滑にしていかなければならない。大丈夫だろうか?
『挨拶と一般的な日常会話ならされていますわ。ただ、話が具体的になると主要な単語しか仰らなくなって』
赤い髪の女性もどう説明するのが分かりやすいのか、口元に指を当て、考えている。
『二人ご一緒だと、モイヤ様に引けを取らないほどの知識人になりますわ』
つまり二人でモイヤ殿一人と同等? なかなか育てがいのありそうな二人だ。
『お兄様は気に入られると思いますわ』
誤字脱字報告、ありがとうございます。