栗色の髪の青年
彼は赤い髪の女性に会うのを楽しみにしていた。あの勝ち気な生意気な顔が醜悪に歪むのを頭に描きながら、主の後ろに控えていた。
彼の主は、豪華な金の髪を持ち次期国王に相応しく聡明で慈悲深く素晴らしい方だ。そんな主に仕えられることを彼は誇りに思っている。
その主の隣には、主に相応しい可憐な女性が寄り添っている。その姿を見るだけで彼は幸せだった。心に鈍い痛みがあるけれど、絵画のようにお似合いの二人が一緒にいることで幸福を感じていた。
だが、主の呼び掛けにも赤い髪の女性は出てこない。
代わりに出てきたのは、赤い髪の女性の腹違いの兄、黒髪の青年だった。
『殿下、妹をお探しのようですが何用でしょうか? 妹はこの舞踏会には参加出来ない旨をご連絡してありますが』
黒髪の青年の言葉を聞いて、彼は怒りが湧いた。
赤い髪の女性は逃げ出したのだ、己の罪から。大罪を犯したのに認めるのが嫌でこの場に出てこないつもりなのだ。
『妹の死を悼み、ありがとうございます』
彼はその言葉を信じていなかった。赤い髪の女性は死ぬはずがなかった。何故なら、赤い髪の女性は、○○○○になるはずの人だから。死んではならぬ人である。
彼の友であり仲間でもある赤い髪の青年が車椅子に乗せられようが、赤い髪の女性は生きていなければならなかった。
『ところで殿下、何故妹は殿下の名代としてマダラカ公の所に行かなければならなかったのですか? 殿下の婚約者とはいえ、妹にほとんど王家の血は流れていません。殿下にも名代を立てなければならないほどの用もなかったはずですが?』
黒髪の青年の言葉は、彼にとって鼻で笑う内容だった。彼の主はそれはそれは大切な用事があったのだ。赤い髪の女性は相応しくないのに婚約者の名をいただいているのだ、それくらいの働きは当たり前だろう。
それよりも・・・
『何故騎士見習いの弟がウインダリナの警護につかなければならなかったのだ! そのせいで今も弟はベッドの上だぞ』
彼の弟は右腕を失い、背中に大きな傷を負って戻ってきた。もう騎士になることも出来ない。
『それは、こちらが聞きたい。王太子の代理の者に騎士見習いを警護につけるなど、騎士団はどうなっているのですか? 経費が削られて人数を確保するには手当ての低い騎士見習いをつけるしかなかったと聞いておりますが?』
黒髪の青年から即座に返された言葉に彼は言葉を失った。
経費がなく騎士見習いしか警護につけられなかった? 王太子の公務なのに?
それは、信じられないことだった。あってはいけないことであった。例え王太子の代理でもそれ相応の者で固めなければならなかった。王家の名にかけて、恥にならぬように。
『財務長官に確認しても王家の公務のため十分な予算を取り支払いも済ませていると聞いています。ですが、護衛は人数を合わすために騎士見習い、取られていた宿は王家の者が泊まるとは思えない質の悪い所、手配したの貴殿ですよね? 殿下の警備担当のゼラヘル伯爵令息殿』
そうしなければ金が出来なかった。金が必要だったから、警護と宿泊に使う経費を削った。どうせ主は行かないのだから、代理の者に見栄えのために大金を使う必要はないと判断して。
『おいおい財務長官と騎士団から話があると思いますので、納得いく説明をお願いします』
彼は間違ったことをしたつもりはない。正当な理由で過った使い方をしてはいない。だが、心の奥から溢れ出る罪の意識を消し去ることが出来ない。
『エンドール様、わたしは・・・。きゃあ!』
愛しい人の声で我に返る。
彼の大切な女性が床に押さえつけられていた。
救いだそうと足を踏み出そうとするが、鋭い視線に足が動かない。その視線には明らかな侮蔑が含まれている。
『彼らは職務に従ったまで』
女性を取り押さえている者たちは、確かに仕事をしているだけ。黒髪の青年を守るために信を得ていない者を排除する。
彼に突き刺さる視線は、同じ守る立場にある彼を咎めるもの。何故、貴族の常識を知らぬ者を当然のように側に置くのか。その行動を諌め教育しないのかと。
違う、彼は間違ったことをしていない。
違う、大切な女性は間違ったことをしていない。
違う、ちがう、チガウ、何が違う?
彼には、何が違うのかもう分からなかった。
誰が正しいのか、誰が間違っているのか。
『何故?』『何故?』『何故』
黒髪の青年だけではなく、会場にいる者たちが責めてくる。
そこには彼の弟の婚約者の姿もあった。きつい目で彼らを睨んでいる。
『何故、ウインダリナ様がお亡くなりにならなければならなかったのですか!!』
彼はやっと理解した。赤い髪の女性が死んだことを。
瀕死の状態の弟たちに治癒の魔法をかけ倒れたと聞いていた。
礼を言わなければとも思っていた。弟を助けてくれたことに。
だが、それよりも疎ましく思っていた。それは何故?
『殿下は、私のお誕生日を祝ってくれただけよ! 愛する人の誕生日を盛大に祝って何が悪いの?』
彼の大切な人の声が耳に入る。それは蓋をした記憶を呼び覚ました。
『よろしいのですか』
彼は聞いた、守る人となる女性に。
『公務を優先されるのは当たり前のことです。私は無理を為さらぬよう支えるだけです』
そう言いながらも寂しそうに微笑んでいたのは誰だったか。
急に公務が入ったと約束を後回しにされても仕方ないと悲しそうにしながらも受け入れていたのは誰だった?
『私は国に対し大罪を犯した。よって罰せられ王族でなくなる。そなたは、私を誑かした罪人として罰せられる。それだけだ』
主の言葉に彼の体から力が抜けた。
守るべき立場にあった彼は守れなかった。彼の主に罪を犯させた。罪からも守らなければならなかったのに。
彼は役目を全う出来なかった。
それが何の罪が分からないが、罰を受けることに、罪を償うことに異論はなかった。何故かそれが当たり前と思えた。
主と共に彼らは城に移動した。
彼の大切な女性は拘束され、沈黙の魔法がかけられていた。彼はそれが不当だと思うのに当然だと感じていた。
城に着くとすぐに謁見の間に通された。
そこには各々家族がいた。
彼の両親も腕を失った弟もその場にきていた。
まず、赤い髪の友の家族が口を開いた。予め決まっていたようだ。
友は何故か山荘で賊を討伐した話を始めた。
大切な女性が麓の町で聞いていた話。騎士に扮した賊が麓の町で横暴な行いを繰り返していると。
その賊は、本物さながらの者たちであった。偽物と知らぬ者なら騙されてしまうような完璧にこの国の騎士たちに化けていた。そして、許しがたいのが主の婚約者や弟に扮した者がいた。
『私は魔力から、その一団が王太子殿下の代わりにマダラカ公を訪ねたウインダリナ一行だと分かりました』
赤い髪の友から信じられない言葉が飛び出した。
『ちょっと待て! 俺は弟を切ったということなのか?』
防戦に徹していた賊。弟に化けていることが許せなくて、剣を振るった。
ハッとして彼は家族の方に視線を向けた。
弟が目尻に涙を浮かべ、彼を睨み付けていた。その瞳が真実だと告げている。
彼は膝を突いた。
彼が振るった剣は、傷つけてはいけない者を斬っていた。
『私が愚かだったのだ』
彼の主の声が聞こえた。それは彼のことを言っているようだった。
「ゼラヘル伯爵」
陛下の声に彼の父が前に出た。
彼の父はとても疲れた表情をしていた。母は泣き腫らした目をしている。両親にそんな表情をさせているのは彼のせいだ。
「トータス、何故そんなことをした」
彼は父が何を聞きたいのか分からなかった。
「お前がしたことは横領だ。使われるべきところに金が使われなかった」
横領?
彼はそんな犯罪に手を染めた覚えはなかった。
「マダラカ公訪問に使われるべき金を不当に使った。立派な横領罪だ」
「違う! あれは正しい使い方だ」
彼は胸を張ってそう言えるはずだった。
主が参加しない一団に大金を使う必要などないと。
「何が違う? 王太子殿下の公務なのだ。最高の警備と宿を手配すべきであろう」
そうだ。王太子殿下の公務なのだから、騎士になってもいない者が警備に付くなど許されることではない。安全が保証されない宿などに泊まらせられない。だが、王太子殿下は行かなかったのだから許されていいこと・・・なのか?
「マダラカ公訪問に使う金だ。違うことに使うのなら申請が必要だ」
彼はそれが正しいことが分かっていた。だが、申請しても予算はおりないことも。だから・・・。
「王太子殿下が公務を疎かにしたことをお諌めしなかった」
彼は父親が何を言いたいのか聞きたいのか分かるようで分からなかった。彼の主が間違ったことをしたわけがないのに。
「マダラカ公訪問は王太子殿下のお仕事だ。やむ得ぬ事情があっても婚約者のウインダリナ嬢が代理で行かれる必要などない」
そのやむ得ぬ事情が主にも彼にもあったから、赤い髪の女性を代理にしたのだ。マダラカ公領訪問の期間にとてもとても大切な日があったのだ。
「初めて一緒に祝う誕生日だからお願いと言われて・・・」
誕生日は年に一度しかないのだ。その日に祝うべきなのだ。
彼はそう叫んで訴えたいのに口が重く開くことが出来ない。
「何故だ? 王族の方でさえ、公務によって誕生日にお祝いされぬことがあるのに?」
彼は思い出した。
昨年の主の誕生日は、豪雨で災害が出た後であり祝宴は延期された。誕生日当日は、赤い髪の女性と親しい者だけでひっそりとお祝いした。各々がプレゼントを持ちより、ケーキを食べただけの。それでも主は喜んでくれた。温かい誕生日だったと。
「マダラカ公も知っておられる。王太子殿下が女と戯れるために公務を放棄したと。諸外国の者たちにも″恥″として伝わっている」
彼は頭を殴られたような気がした。
彼の主が″恥″として知られてしまっている。″恥″と云われるようなことはしていないのに″恥″ずべき存在だと。いや、彼らは気づいていないだけで″恥″となることを確かにしたのだ。
「クラチカ伯爵令嬢の言葉を鵜呑みにし碌に調べもせず、守るべき王太子殿下と共に賊討伐を行った」
危険な場所に主を連れていったことを指摘され、彼は己の犯していた失態をまた一つ知った。
だが、聞き捨てならぬことを彼の父は言った。
「ミミア嬢、クラチカ伯爵令嬢の言葉は正しい。それを疑うなどと。彼女も誰かに騙されたのだ!」
「その″恥″の塊が正しいだと?」
彼の父は眉を寄せ、彼を侮蔑の目で睨み付けた。
「この方は″恥″ではございません!」
叫んだのは彼のもう一人の友であった。深緑の髪を持つ友は声を張り上げて、大切な女性の無実を訴えている。
「モイヤ殿、それでもトータスは王太子殿下の警備に当たる者として、それが王太子殿下からの情報でも安全のために確認しなければならなかった」
父の言葉が重くのし掛かる。彼も職務を放棄していたのだと。
「お前はどうするのだ」
彼の未来は決まっていた。主を守れなかった者が辿る道は一つだけ。
「自決します」
「ふっ、ふざけるな!」
叫んだのは彼の弟だった。
「簡単に死ぬだと。ふざけるな!」
彼には死して主に償うしかないのに何を言うのだろう?
「ウインダリナ様がどれだけ傷付き、どれだけ大変だったか、分かっているのか?」
血を吐くような怒りが籠った声に彼の肌が粟立つ。
「あんたたちがその女と遊んでいる間、ウインダリナ様は王太子殿下が悪く言われないようずっと尽力されていたのに。兄上、あんたの命で簡単に償えると思っているのか?」
そんなことを彼は知らない。それに赤い髪の女性は彼の大切な人を苛めていた。彼が償う必要があるとは思えない。
「守られるはずのウインダリナ様は俺たちを守りながらマダラカ公訪問の公務をこなされた」
怒りに染まった彼と同じ色の目は、強い光で睨み付けてくる。
「兄上、あんたが予約した宿は最悪だった。食事をとれば体調を崩し、少しでも目を放せば物が盗まれる、落ち着いて休むことなど出来なかった。ウインダリナ様が私財を出して宿を取り直し、頼りない俺たちを労ってくれていた。あんたたちが強請られるままにその女に貢いだせいでな」
彼は知らなかった。ただ安いと聞いた宿を手配しただけでそんな所だとは。
大切な女性の願いはなんでも叶えたかった。そのためには金が必要だった。その金は・・・。
「それに、行程を覚えていたら分かったはずだ。あんたたちが襲ったのがマダラカ公訪問から帰国したウインダリナ様だと」
彼はやっと気が付いた。
賊が出ると教えられた公道は、マダラカ公領から城に帰国する道であったことに。そして、賊の討伐に出た日は帰路でその公道を通る頃であったことを。
「前日に話をしていた。ウインダリナ・・・さま一行にどう紛れこむかを」
そうだ。帰路で近くを通るマダラカ公訪問の一団にどう紛れ込み、公務をこなしたように見せるか話しあった。その翌日の朝だ、騎士団に扮した賊が近くを通ると聞いたのは。
彼の目の端に赤いモノが見えた。
視線を移すと彼の主の姿があった。彼の主は何かに耐えるように立っていた。その右手からは血が滴り落ちている。
「で、でんか」
「あぁ、こうしてないと気が保てない」
彼の視線に気が付いた主が血の滴る右手を自嘲の笑みを浮かべ見ている。
「ミミア、クラチカ伯爵令嬢が、クラチカ伯爵令嬢だけが正しいと思ってしまう」
それはどういう意味なのか? 大切な女性なのだから信じて当たり前なのでは?
「私はいつから考えなくになっていたのだろう」
主の呟きを信じられない気持ちで聞きながらも彼も主と同じように思った。
彼は大切な女性を見た。
真っ青な顔をして首を横に振っている。声が出るなら違うと叫んでいるのかもしれない。
信じたい、だが、信じられない。大切な女性の言葉に従って、大切な女性の要望を叶える度に、彼は大切な何かを失っていくような気がしていた。本当に失っていたのだ。
「生きて償え。俺たちのように騎士になれなかった者の代わりに。この国のために亡くなったウインダリナ様のために」
弟の声が心に突き刺さる。
マダラカ公訪問は、緊張関係にある隣国との戦争を回避するために行われたものであった。それを彼らは・・・。
彼は自分で死ぬことも許されないほどの罪を犯していたことにやっと気が付いた。