ウインダリナ13
国王の執務室から声がした。いや、普通の話し声では壁と重厚な扉で遮られ廊下まで普通は聞こえない。その者はかなり大きな声で話しているようだった。
「陛下! お考え直しください」
黒髪の親子は扉の近くで足を止めた。
「次の王太子殿下のことです!」
声の主は分かる。先代キマーダナハ公爵だ。爵位は息子に譲っても老臣としてまだまだ活躍しており強い発言力を持っている。キマーダナハ老公と皆呼んでいる。
「何故、あの者を?」
黒髪の青年は小さく嘆息する。こう言われるのは分かりきったことだった。それでも血の濃さからして、黒髪の青年が一番の有力候補であるのも間違いない。
「″王太子の花″を贈られた妃から生まれた血筋ではないのに」
扉を守る護衛たちは二人の姿を認めると、一人が扉に手をかけた。すぐに中に通すよう指示されていたようだ。それにより声がはっきり聞こえ中の様子が見えた。
フアマサタ公爵は眉を寄せ顔をしかめている。
「次期王太子は、″王太子の花″を贈られた妃の子孫にすべきです」
国王の前にある机に鼻息荒く手を置いたキマーダナハ老公。その後ろには彼の息子キマーダナハ公爵と懇意にしている貴族たちが立っていた。
「エンドールも父上の孫だ。先々代の″王太子の花″を贈られた妃の曾孫になる。何が問題だ?」
国王は書面から視線を外し、キマーダナハ老公たちを一瞥している。国王の言うことも正しい。黒髪の青年の祖母が″王太子の花″を贈られた王妃でなかっただけで、その夫である先王は″王太子の花″を贈られた妃が生んだ子であった。
「それにキマーダナハ老公、そなたの父君がしたことを忘れておるのか」
黒髪の青年は、キマーダナハ老公がギリと奥歯を噛み締めた音が聞こえたような気がした。
「彼の国はたった一人の王女を和平のために我が国に寄越した。我が国も王族の血を引く娘を彼の国に送るはずだった。直近の王弟を祖とする貴族はすでに血が薄いと断った」
「…、姉上には婚約者がいました。妹はまだ幼かった」
黒髪の青年が初めて聞く話だった。確かあの戦で勝敗は決まらなかった。お互い疲弊することだけが分かっていたからこその終戦であり和平であった。彼の国からは王女、ではこの国からは誰を差し出した? その誰かを黒髪の青年は聞いたことがない。
「その代わりに生贄になった者にも婚約者がいたことをそなたなら覚えているだろう?」
国王の言葉にキマーダナハ老公の顔が険しくなっていく。
「だから、幼い妹はフアマサタ家に…」
「陛下」
キマーダナハ老公の言葉を遮るようにフアマサタ公爵が国王に声をかけた。
国王はちらりと二人を見ると、キマーダナハ老公たちに手を振り彼らに退出を命じる。
「陛下!」
なおも引き下がろうとしないキマーダナハ老公に国王は冷たい視線を向けた。
「血が薄く王族とは言えない。姉上より前に臣籍降下したキマーダナハ家がそう申したことには礼を言おう。臣籍降下した王族の血を引く全ての者たちを候補にせずにすんだのだからな。直系、傍系も入れるとどれほどの人数になることやら。そこにいるフアマサタ公爵もシーシリン家とキマーダナハ家、それ以前の臣籍降下した王族の血も引いておる」
つまり臣籍降下した王族の血を引く者を候補にすると必然的に黒髪の青年もその中の上位に入ることになる。
今度ははっきりと黒髪の青年に聞こえた。キマーダナハ老公が奥歯を噛み締めた音が。
「それに…、先王と彼の国の王女とは和平のための政略結婚だ。臣籍降下した王族の者たちのほとんどが政略結婚と同じく。エンドールとそなたの孫たち、同じ政略結婚の子供だ」
国王はそう締めくくり、部屋に控えていた従者に早くキマーダナハ老公たちを外に出すように命じた。
国王の最後の言葉にハッと息を呑み、キマーダナハ老公は息子に促されて部屋を出ていった。だが、最後に黒髪の青年を睨むのは忘れていない。その視線に黒髪の青年は再び小さく嘆息するしかなかった。
「待たせてすまぬ」
国王に促され、近くのソファーに腰かける。
「いえ、これから毎日でしょうな」
フアマサタ公爵の言葉に国王は呆れたように息を吐く。
「そのうち納得するであろう」
そうだろうか? 黒髪の青年が″王太子の花″を咲かせない限りずっと言われることだろう。いや、″花″を咲かせても何かしらの難癖を言われるかもしれない。それに黒髪の青年は己が″花″を咲かせられるなどと思っていない。そもそもあの″花″がどうやって咲くのかさえも分かっていないのに。
「で、呼んだのは他でもない。明日からイーマダス国王が来る。エンドールは王太子として相手をしてほしい」
「御意」
イーマダス国。二十年前、王弟の一人が突然兄王と兄弟、その家族全てを殺害し王位を簒奪した。簒奪者の王弟は位の低い側妃の息子だった。第二王子であったのにも関わらず生母が下位の貴族であったため、継承権は兄弟・その子供たちよりも下であった。だから、王となるには、兄弟の子供も殺さねばならなかった。しかし、皆殺しにしたとなっていた兄王の子供たちが密かに生き延びており、悪政を敷いていた王弟を打倒した。それが約十年前の話だ。
だが、来訪の予定などあっただろうか? 急に決まった来訪? なんのための?
「フアマサタ公爵。こんな時に悪いのだが…」
「舞踏会は無理ですので、晩餐会でよろしいでしょうか?」
「任せる。派手にしなくてよい。彼の方もそれを望むであろう」
国王は重たい息を吐いた。
「陛下」
従者が国王にスッと近づき、耳元で何かを話していく。
「中に入れろ」
従者は頭を下げて扉の方に歩いていく。
「もたなかったか…」
国王は重く息を吐いた。黒髪の青年の隣に座るフアマサタ公爵の体が強張ったのが分かった。
扉からサーチモア侯爵が入ってきた。
「陛下、恩情を感謝致します」
疲れた顔をしているが何処か吹っ切れた表情で深々と頭を下げた。
「苦しまずに逝ったか?」
国王の言葉で何があったのかが分かる。
「はい、そのまま幸せな夢を見ながら旅立ちました」
深緑の髪の青年が死んだ。薬に抗い必死に正そうとしていた彼が。昨夜、会った時は元気そうにしていたのに。
「三日後に葬を行いたいと存じます」
「イーマダス国王には申し訳ないことになったな」
何故ここでイーマダス国王が関係してくるのか分からない。だが、サーチモア侯爵には分かったようで頷いている。
来訪の目的に関係しているのだろうか?
「で、何を持っている?」
国王はサーチモア侯爵が意外な物を持っていることに気がついた。この国の歴史と王家のことが分かりやすく書いてある子供向けの本だ。貴族に生れたなら、幼い頃に一度は読んだことのある本。
「モイヤの鞄の中にあった物です。件の令嬢に渡すつもりだったのでしょう」
サーチモア侯爵が本を開き、挟んであった紙を取り出した。
『もう一度、よく読むように。モイヤ・サーチモア』
もう一度とある。以前にも読むよう言ってあったのだろう。だが、読まなかった。
「これを読んでおれば…」
フアマサタ公爵か憎々しく呟く。
その通りだと黒髪の青年も思う。そうすれば、王太子の運命の人などという戯れ言を思い付かなかっただろう。いや、思いついたとしても間違いだと気づけた。
「ああ、″王太子の色″を勘違いすることもなかっただろうに。愚かなことだ」
国王は今日何度目か分からない重いため息を吐いた。
「まだ牢で叫んでいるらしい。無実だと…」
黒髪の青年は眉を寄せた。茶葉やお菓子に薬が混ぜられていたことはクラチカ伯爵に隠されていて知りようがなかったかもしれない。だが、それを除いても件の令嬢は罪を重ね過ぎていた。無実には到底ならない。
「その本を渡しに行ってよろしいでしょうか?」
知らなかったことが、いや、知ろうとしなかった、考えようとしなかったことが罪だと教えたかった。
それにこれは深緑の髪の青年の最期の贈り物だ。届けるべきだ。
サーチモア侯爵から本を受け取ると黒髪の青年は牢に向かった。フアマサタ公爵たちはまだ話があるようで国王の執務室に残っている。
牢に着くと件の令嬢は掠れた声で必死に無実を訴えていた。
″知らなかったから無実″だと。
この令嬢のせいで運命が狂ってしまった者が何十人といることを分かっているだろうか? この令嬢のせいで黒髪の青年は楽しみにしていた未来さえも奪われた。
サーチモア侯爵から預かった本を開く。″王太子の花″の部分を朗読する。
『王太子の花
国王または王太子が世嗣ぎを産む女性に贈る花。
国王または王太子にしか咲かせることが出来ない花。
その花の色は、産まれてくる世嗣ぎの髪の色をしており、その色を王太子の色と呼ぶこともある』
令嬢の瞳が大きく見開かれ、ワナワナと体が震え出している。
今まで知らなかったのであろう、″王太子の色″の意味を。だが、知ろうともしなかった。深緑の髪の青年が機会を与えてくれていたのに、何度も知る機会はあったのに、知ろうとしなかった。
黒髪の青年は目を細めてその令嬢を見た。
令嬢の赤みががった金髪。綺麗な綺麗な赤みががった金髪。金髪の青年が赤い髪の女性に贈った花と同じ色の髪。
『お兄様、あの花と同じ髪の女性が学園に来たのよ』
楽しみにしていた。″王太子の色″の髪を持つ子供に会える日を。大切な者がその髪の子供を抱く姿を。
黒髪の青年はその日を本当に楽しみにしていた。
遅くなりました
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m
本当に助かっています