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王太子の花 咲く前と咲いた後  作者: はるあき/東西
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栗色の髪の弟

残虐なシーンがあります。

 昔から雨の日は嫌いだった。

 雨の日の特別訓練は、濡れる、汚れる、疲れるで最悪だった。

 泥の中を走らされ、視界の悪いなか模擬試合、訓練が終わると泥まみれの服は体に張り付き気持ち悪くて仕方がなかった。風呂も片付けに手間取ったら泥だけの湯船に浸かることになる。おまけに最後の者たちには泥まみれの大量の服の洗濯もついてくる。

 だから、雨の日は大嫌いだった。

 騎士でなくなった今も雨の日は嫌いだ。

 傷痕がジクジクと痛む。もう無いはずの手の指先も痛むような気がする。

 そしてもう二度と会えない人の背中を思い出す。

 だから、雨の日は大嫌いだ。



 昔から兄上には勝てなかった、剣も魔法も。

 だから、剣を向けられてもうダメだと分かっていた。

 仲間たちはすでに地面に伏せて、苦悶の声をあげている。

 侮蔑の籠った目で俺を見ながら、口元に歪んだ笑みを浮かべて兄上は剣を振り下ろした。

 剣を持っていた腕が無くなったのが分かった。一瞬きた激痛は冷たさに変わる。傷口が凍ったのが分かる。

 ウインダリナ様の治癒魔法。地面に転がった腕も凍っているんだろう。救助が来たときに結合出来るように。

 それでも腕を切り落とされたんだ。痛い。痛くて堪らない。傷口近くを押さえて地面をのたうち回る。

 そんな俺を踏みつけて、兄上は手に持った俺の腕を見せてきた。薄い氷に包まれた腕。医者に見せたら、元通り動かせないかもしれないけどくっ付けてくれるだろう。

 口元を歪めて笑いながら兄上は俺の腕を剣に刺して…、魔法で焼いた。楽しそうにこれで腕は戻らない、と。


『弟に化けたお前が悪いんだ』


 腹を蹴られて咳き込む。剣に刺さっていた()()()はボロっと崩れて地面に落ちた。俺の腕だった物が。

 また蹴られ、今度は頭を踏みつけられる。

 なんで? なんで俺が分からない?


『動けないようにしてやろう』


 再び剣を振り上げる兄上。

 なんで? なんで、こんな目に?


『トータス、戻るぞ』


 王太子殿下、なんで? なんで、俺たちを襲った? 婚約者(ウインダリナさま)がいるのに。


『そうですね。ミミア嬢を長時間一人にしておくのも心配ですし』


 ガツンと腹に衝撃がきて目の前が真っ暗になった。



 目を開けると見慣れた天井が見えた。


「…、み、みず」


 喉が渇いた。水が欲しい。


「ル、ルミート様」


 見慣れた顔が覗き込んでくる。屋敷の侍女だった。


「旦那様と奥様にお知らせを!」


 侍女は慌てて行ってしまった。水が飲みたかったのに。

 体を起こそうとするがすごく重たくて怠い。それになんか可笑しな感じがする。片方の手に力がまったく入らない。

 なんでだ?


「ルミート」


 母上が飛び込んできた。


「は、は、うえ」


 喉がカラカラで喋りにくい。

 母上が連れてきた従者の手を借りて状態を起こす。水を少し飲んでから、おかしな感じがする手の方を見た。


「う、うわぁああ」


 痛い、痛い、痛い! なんで、なんで、なんで?

 腕が無い。肘より少し下からペッタンこの袖。


「ルミート、ルミート、もう大丈夫。もう痛くないから」


 母上がギュッと抱き締めてくれるけど、痛いんだ! 苦しいんだ!

 パッと光が舞ったと思ったら、目の前が真っ暗になった。



 目を開けると父上と母上の顔があった。


「ルミート、私が分かるか?」

「ちちうえ」


 父上は頷いた。体を起こそうとすると手伝ってくれた。自分の右側が見れない。


「父上、俺は…」


 今はいつだろう?

「お前は十日間意識が無かった」


 十日間も。みんなは?


「ウ、ウインダリナ様は?」


 父上は顔を逸らした。母上は嗚咽を堪えるように口元に手を置いている。


「意識が戻られていない」


 えっ?


「ウインダリナ様は、大丈夫なんですよね?」


 死ぬってことは…ない…はず…。


「……」


 なんで答えてくれない? 大丈夫だと。ウインダリナ様は大丈夫だと。


「旦那様」


 父上と執事がなんか話している。


「城に行ってくる。ルミートを頼む」


 父上に話さなきゃいけない。誰にされたのかを。俺の腕を斬ったのが誰なのかを。


「………」


 話せない。今でも信じられない。俺の腕を斬ったのが兄上だったなんて。


「今は治すことを考えろ」


 父上は城に行ってしまった。生き残った仲間がもう話しているかもしれない。ウインダリナ様を襲ったのが誰だったか。もう十日も経っている。俺が話す必要なんか無いのかもしれない。


「奥様、トータス様からお見舞いが届きました」


 目の前が真っ赤になる。


『弟に化けたお前が悪いんだ』


 侮蔑の籠った冷たい目。歪んだ笑みを浮かべる口元。振り下ろされる剣。


「うわぁあぁ~」


 痛い、痛い、痛い! 止めてくれ、腕を斬らないでくれ!

 剣に刺さって真っ赤に燃える物。

 止めてくれ! 燃やさないでくれ!

 俺の腕、腕が!

 また光が炸裂した。



 目を開けると見慣れた天井が映る。


「お目覚めですか?」


 側にいたのは城の医者だった。


「あにうえ、は?」

「離宮で王太子殿下の護衛をされていらっしゃいます」


 痛ましそうに見る目に誰に斬られたのか知っているのが分かった。


「詳しく調べております。ルミート様はまずはお体を治されることを一番に」


 その言葉に素直に頷けなかった。

 一人でベッドから起き上がれるようになった。

 椅子に座れるようになった。屋敷の中を歩けるようになった。

 聞きにきた役人にあの時のことを出来るだけ詳しく話した。

 …、そして婚約者に会った。


「婚約を解消しよう」


 婚約者は痛ましげに俺の右腕を見ていた。

 こんな体の男と婚姻したくないだろう。俺もなんの処罰も受けない兄上の世話になりたくないから、出家して神官にでもなるつもりでいる。


「い・や・で・す。お断りします」


 婚約者ははっきり言った。俺は承諾してもらえると思っていたから、びっくりした。


「俺はこんな体だ。もう騎士になることも出来ない」


 魔力がもう少し多ければ魔法使いの道も開けた。魔法使いになれるほどの魔力もなく、騎士にもなれない。負担をかけるだけだ。


「私には、()()()()()()()()()()()()()()()()()なのです」


 確かにゼラヘルは伯爵家の中でも上位になる。下手な侯爵家より力がある。


「ウインダリナ様が学園を休まれているのに、後の皆様は堂々といつも通りの生活をされているのですよ」


 悔しそうに婚約者が言う。

 その言葉を苦々しく思う。兄上は何事もなかったように見舞いだと手紙や物を贈ってくる。王太子殿下の側を離れられないからと。公務を蔑ろにしたことも俺たちを襲ったこともまるでなかったように。


「私は王太子妃になられるウインダリナ様のお力になりたいのです」


 婚約者はそのためには力のあるゼラヘルの名がどうしても必要だと言う。


「もちろん、ルミート様にも動いていただきますわ。嫡男の座は失ったとしても王太子殿下の側近としていらっしゃるお義兄様を次期当主として諌めていただかなければなりませんから」


 そう言って、婚約者は優雅にお茶を飲んでいる。


「兄上は、後継者から外されたのか?」


 俺はやっと左で飲むことに慣れてきたカップを落としそうになった。


「先日、お義父様から、伯爵夫人になる決意があるかと問われました。喜んでお受けいたしましたわ」


 父上なら俺の腕を斬ったのが誰なのか知っていて当たり前だ。なら、斬った相手を処罰するのは当たり前。だけど、兄上が当主にはならない? それに俺のこの体で当主は…。


「ルミート様、左で文字を書くのが困難なら私が致します。

 ルミート様が出来ないことを私が行い、私が出来ないことをルミート様にしていただく。それではダメでしょうか?」


 声が震えている。婚約者も不安なんだ。ただの騎士の妻になるはずだったのが、力のある伯爵夫人に変わってしまった。


「頑張ってくれるか?」

「ルミート様、違いますわ。一緒に頑張ろう、ですわ」


 婚約者はにっこり笑った。



 片腕が無い生活に少し慣れた朝早くに弔いの鐘が鳴った。

 ウインダリナ様が死んでしまった。

 悔しい、悔しい、悔しい。

 ウインダリナ様を傷つけた奴らはなんでもなかった顔をしてずっと過ごしているのに!

 一旦、城に行っていた父上が戻ってきた。


「学園の舞踏会にエンドール様がご出席される。そのまま王太子殿下たちを拘束し城にお連れする」


 城に連れて行って欲しいと頼んだ。兄上に聞きたい。なんであんなことをしたのか、なんで平然としていられたのか、ちゃんと兄上の口から聞きたい。



 馬車の中で聞いた話は信じられないことだった。


「婚約を解消する予定だった…?」


 思わず呟いてしまう。

 舞踏会に参加者したエンドール様は、王太子殿下とウインダリナ様の婚約を解消させる予定だったと。

 そんな考えが浮かぶなんて、さすが選ばれていないのに王妃になった女の孫だ。″王太子の花″に選ばれた者が王妃になるのが当たり前なのに。


「フアマサタ公爵も同じ思いで、陛下も理解されておられる」


 はぁ? なんで?


「けれど、ウインダリナ様は″王太子の花″を受け取られておりますわ」


 母上、なんで分かっているような言い方を?


「だが、大切な娘を蔑ろにしていた王太子殿下(あいて)に嫁がせたくなかった気持ちもよく分かる」


 あっ! ウインダリナ様が死んでしまったのは…。

 俺は何も言えなかった。″王太子の花″に選ばれたのだから、王太子妃になるのが当たり前だと思っていた。だけど、あのマダラカ公訪問中の王太子殿下の態度は婚約者に対するものでは全くなかった。そして最後のあの仕打ちは思い出したくもない。思い出すだけで体が震え手に力が入る。


『ウインダリナ様のお力になりたい』


 婚約者が言っていた言葉。

 婚約者から、学園でも王太子殿下とウインダリナ様の仲は酷いものだと聞いていた。だから、婚約者も王太子妃にならなきゃいけないウインダリナ様を助けるために爵位を求めた。学園と同じ状態になっても支えられる者になるために。

 俺は複雑だった。もしウインダリナ様が生きていたら、お二人の婚姻を祝福出来ただろうか?



 謁見の間で見聞きしたことは、ふざけるな! の一言だった。

 ウインダリナ様の弟のエンダリオ様もぶん殴りたくなったし、モイヤ様も無理だったかもしれないけどもっと早く頑張って欲しかった。王太子殿下に対しては、どういうつもりであんな女を側に置いたのか聞いてみたかった。

 だけど、一番ムカついたのは兄上だ。己の失態を認めたのはいいけど、自決、死ぬと言いやがった。こっちは死ぬより辛い目にあったんだ! 何人も騎士に成りたくても成れなくなったんだ! 簡単に逃げるな! そんなの許さない! ちゃんと生きて罪を償えるだけ償え!

 それにこの女! こんな女の言いなりだったなんて! 自分で考えないで、全て人のせいばかりにして、何も悪いことなどしていないと言い張っている。知らなかったから? みんながいいと言ったから? それでもそうするって決めたのは自分だろ? 自分の都合のいい言葉を言わせといてそれに従っただけって、何責任逃れしてんだ? 

 この女のせいでウインダリナ様は、ウインダリナ様が死んでしまった!

 許せない、俺が睨み付けている意味が分からないという顔をしているこの女が!

 悔しい、何も出来なかった自分が!

 許せなくって悔しくって、こんな女にと情けなかった。



 翌日の昼間にモイヤ様が亡くなった。薬の過剰摂取と禁断症状でもうボロボロだったらしい。

 兄上はモイヤ様とウインダリナ様の葬に出たいと言ったが、父上が国境行きの馬車をすぐに準備した。参列する資格はないと言って。


「ルミート、すまなかった。後を頼む」


 見送りに出た俺に兄上は頭を下げて馬車に乗り込んだ。

 馬車が走り出したと同時に雨が降ってきた。

 泣くことを許されない兄上の涙のように感じた。

誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m

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― 新着の感想 ―
[一言] >そんな考えが浮かぶなんて、さすが選ばれていないのに王妃になった女の孫だ。 ″王太子の花″に選ばれた者が王妃になるのが当たり前なのに。 ああ、本当にこれは国中に広がる「呪い」なのだなと思い…
[一言] 国境地帯に向かった脳筋バカは、今何を思っているのでしょうか? 自分のせいで騎士の道を絶たれた弟の分も、前線で戦ってそして惨めったらしく死んで欲しいです(自殺不可)
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