ウインダリナ12
黒塗りの棺に花を敷き詰める。そこに綺麗に着飾った赤い髪の女性が寝かされた。部屋は相変わらず花に埋め尽くされている。葬儀が行われる大聖堂に移動になるまで続くだろう。
「行くぞ、エンドール」
父であるフアマサタ公爵に呼ばれ、黒髪の青年はその部屋を後にする。綺麗に化粧をされた頬にもう触れられない。
馬車に乗り城に向かう。
花を積んだ荷車と擦れ違ったようだ。開けられた小さな窓から僅かに花が見え香りを運んでくる。フアマサタ公爵がポツリと呟く。
「ウインダリナは幸せ者だな」
荷車の向かう方向には、フアマサタ公爵の屋敷がある。
「ええ、都中の花が集まりそうです」
それだけ慕われていた、誰からも。
「善き王妃になったであろう」
その言葉に黒髪の青年は頷くことが出来ない。そうなるはずだったのに、そうならなかった。胸の奥で燻る気持ちが悔しいのか悲しいのか、叫びたいのか罵りたいのか分からない。戻らない、叶わない、喪失感だけが膨らむ。
回廊を歩いていると声が聞こえたような気がした。黒髪の青年が横を向くと赤と金が見えた。
『お兄様』
赤い髪の女性が髪を揺らして黒髪の青年を呼ぶ。
『エンドール、もうそのような時間か』
寄り添うように立つ金髪の青年が残念そうに呟き愛しそうに隣を見ている。
黒髪の青年は足を止め瞬いた。見えたのは美しく手入れされた庭。さっき見えた赤と金は見つからない。
仲睦ましく二人が歩いていたのを何度も見かけた。偶然なのに必ず赤い髪の女性は黒髪の青年を見つけ、嬉しそうに声をかけてくる。傍らの金髪の青年がたまに眉を寄せ黒髪の青年を邪魔者と睨み付けるのにはいつも苦笑しか返せなかった。見付けるのは、声をかけてくるのは、いつも赤い髪の女性なのに。
もう見られない。もう呼ばれない。
「エンドール」
立ち止まった黒髪の青年を訝しげにフアマサタ公爵が呼ぶ。
黒髪の青年は再び足を動かした。
その部屋に入ると会話がピタリと止んだ。
黒髪の青年はその場にいるほとんどの者が己を見ているのに気がついていた。
いつもの席、フアマサタ公爵の隣に着席する。今の爵位は子爵のため本来なら席は後方になるが、流れる血で公爵位と同じ席に座る。周りがホッとした雰囲気になったのが分かる。
集まった者たちが王太子の失態・醜聞を知っている。それをどうするのか様々な憶測が飛んでいる。その中に黒髪の青年のことも入っていた。
国王が入場し、閣議が始まった。国王のすぐ下段、王太子が座る席は空のままだ。それも最近見慣れた光景になりつつあった。
開会の言葉を述べた後、国王は場内を見回した。
「皆に伝えておくことがある」
小さなざわめきが起こったがすぐに静まり国王の言葉を待っている。
「ハラルドの婚約者、フアマサタ公爵令嬢ウインダリナの喪は王太子妃に準じたものとし、十日後に催す」
国王の声が部屋に響く。
「ハラルドはウインダリナの喪が終わり次第王太子としての任を解き、療養のため塔に住まわす」
小さなざわめきが再び広がる。黒髪の青年に視線が集まる。
「フアマサタ公爵令息エンドール、喪までは執務が出来ぬハラルドの代理とし、ハラルド退任後新たな王太子とする」
ざわめきは細波から大波に変化していく。
「陛下、それは?」
その言葉は国王のすぐ側から発せられた。キマーダナハ公爵だ。七代前国王の王弟を祖とする公爵家だ。
国王に近い席から高位の貴族から順に向かい合うように着席する。それは発言力の強さにも比例していた。同じ公爵家のキマーダナハ家はフアマサタ公爵の真正面に座していた。
「ハラルドは本来ならすでに王太子としての資格を失っておる。ウインダリナの喪までとしたのは我の恩情だ」
「し、しかし…」
高位貴族席から声が上がる。
「我の姉の息子、十分資格はあると思うが?」
国王は問いかける。黒髪の青年以上に濃い血を持つ者がいるのか?
答える者は誰もいない。
直近で臣籍降下した王族や降嫁した王族はフアマサタ公爵に嫁いだ現王の姉王女しかいない。その前は七代前国王の王弟キマーダナハ公爵まで遡り、その前は十代前国王のシーシリン侯爵に降嫁した王妹、その前になると十三代前国王の王姉となる。それに現フアマサタ公爵の母は先代キマーダナハ公爵の妹であり、前シーシリン侯爵の従姉であった。フアマサタ公爵は七代前の王弟と十代前の王妹の血を引いている。貴族の中ではまだ王族の血が濃いほうとなる。
「ハラルド殿下のご病気が完治されたのなら」
療養と聞いた。それなら、治る可能性があるのだと誰かが声を上げる。
「ハラルドはウインダリナの喪まで持たぬかもしれぬ体。王太子の座は後になるが、今を以てエンドールを第一の王位継承者とする。よいな」
黒髪の青年は刺さるような視線を浴びながらも確認を取る国王に諾以外の答えは許されていなかった。それを不服と思う者たちがどれだけいても。
それぞれの心中を無視して、議題は次へと変わっていく。
クラチカ伯爵領から禁忌とされる薬が栽培されていたことが公表された。十年近く栽培され、その全てが商業国家マダラカ公領の商人に卸されていたことも。そして、マダラカ公領ではクラチカ伯爵と取引のあった商人がすでに拘束されていることも。それは他国に薬がこの国で栽培されていたことを知られていることを示す。クラチカ伯爵を束縛して一日も経っていない。早すぎる対応だった。
「関係諸国は、我が国が″天使の囁き″を栽培させていたとするかもしれぬ」
国王の言葉に場内の雰囲気は重くなる。一貴族が国に隠れて栽培よりも国が隠して栽培のほうが賠償を釣り上げられるからだ。
「すでにその薬で被害が出ているミルタニとレベラタカにマダラカ公から早馬が出たそうだ」
自国の商人が関わっていたことの謝罪だろうが、こちらに責を丸投げにしてくるのは見えていた。
「隠しておけぬこと故に早々に公表し、クラチカ伯爵一族郎党を極刑と処す」
クラチカ伯爵を取り調べしたが、マダラカ公に拘束された商人たちの名が出ただけだった。まだ商いを始めて十数年の新興とされる商会に属する商人たちだった。マダラカ公が切り捨てても痛みはほとんどない。
ガタッと音を立てた者たちが衛兵に拘束されている。クラチカ伯爵と縁があった者たちだ。
「マダラカ公領に兵をやり、拘束された商人たちを調べるように申し付けてあるが証拠は出ぬであろう。逆にこちらに不利となる文書があるかもしれぬ」
国王の吐く息が重たい。
「それにナルニアマルシタも便乗してくるであろう」
ナルニアマルシタ国で″天使の囁き″を使用したような事件が最近起こっている。連合で戦を仕掛けてくるのか、賠償でゴネてくるのか、それは定かでない。
「そもそもハラルドの責で和平の交渉は決裂しておる。ナルニアマルシタとの戦は避けられぬだろう」
重い沈黙が場を支配する。ナルニアマルシタ一国を相手にするのか、複数国を相手にせねばならないのか、これからの外交で大きく変わってしまう。迂闊な行動は出来ない。
どう動くか決まらないまま閣議は終了した。
「フアマサタ公爵、エンドール、後で我の執務室へ」
国王がそう言い残し退出していく。視線がまた黒髪の青年に集中する。
黒髪の青年は小さく息を吐いた。一挙一動が見られている、いや見張られている。これからこれが続くとなると憂鬱になるが堪えていかなければならない。
「エンドール」
フアマサタ公爵の呼び声に黒髪の青年は重くなった腰を上げた。
城の中を歩く。晴天のはずなのに薄暗く感じる。
窓の外、美しく整えられた中庭が見えた。
上を向いて手を振る赤い髪の女性。
白いテーブル、並べられた茶器、お菓子。
向かい合う赤と金。
赤い髪の女性の姿に呆れた笑みを浮かべて見上げてくる金髪の青年。
よく二人はあそこでお茶を飲んでいた。
「ハラルド殿下とあそこでお茶をしていたな」
フアマサタ公爵も立ち止まって中庭を見ていた。
「ずっと(その光景が)見られると思っていた」
黒髪の青年も同感だった。
ふと思う。
城の一室で療養という名の監禁をされている金髪の青年もこの庭を見ているのかと。
金髪の青年にはこの庭がどのように映っているのだろうか?
赤い髪の女性と過ごしたこの庭がどう見えるのだろう?
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m