焦げ茶色の髪の青年
彼は公爵家の長男だった。だが、正妻の子ではなかった。生まれた時はまだ正妻に男児が生まれていなかったため嫡子として引き取られたが、数年後、正妻が続けざまに二人の男児を生んだ。そのため、彼は長男であるにも関わらず公爵家の跡継ぎのスペアにもなれなかった。
それでも彼は公爵家の血を引いていた。だから、どこかの家に婿入りすることが決まっていた。彼は一つ格下の侯爵家に婿入りすることになった。
その侯爵家には二人の娘しかいなかった。前侯爵の娘から生まれた榛色の髪をした姉と後妻から生まれた桃色の髪をした妹。その姉の方と彼は婚約した。
婚約者となった姉はとても有望株であった。未来の王太子妃の友人であり、そのため王太子とも親交があった。出世は間違いないだろう。だが、彼の好みではなかった。彼の好みは才女といわれる美人の姉の方ではなく、可愛く豊満な体の妹の方であった。
それでも彼は榛色の髪の姉の方を妻にするつもりだった。舅となる現侯爵も入婿なのに榛色の髪の姉と一歳も変わらない桃色の髪の妹を作っている。浮気は公認ということだ。妻との間に跡継ぎさえ生ませれば、好き勝手出来るだろう。いや、義父も正妻との間に嫡男を作らなかった。一人子供を生ませれば義務は果たせるということだ。
だが、思いがけないことが起こった。王太子の婚約者、未来の王太子妃が死んだのだ。それを追うように王太子も亡くなってしまった。榛色の髪の姉に価値が無くなってしまった。ならば、婚約者を変えても良いのでは? 桃色の髪の妹も同じ侯爵家の娘だ、無理して好みでない者と婚姻する必要などないだろう。
それには、舅になる侯爵も、姑となる桃色の髪の妹の母親も、桃色の髪の妹も賛成してくれた。
ただ、簡単に婚約を解消するのは面白くなかった。死んだ未来の王太子妃も妻にする予定だった榛色の髪の姉も彼を敬うことをせず、どちらかというと彼を忌避していた。いつも舅が決めた婚約者だからと嫌々接しているのが分かる態度だった。もう榛色の髪の姉に未来の王太子妃はない。一生涯の恥をかかせ、追い出すのが一番だろう。
それに舅も姑も桃色の髪の妹も同意した。特に前正妻が死ぬまで日陰者としてひっそり暮らさねばならなかった姑の恨みは深かった。前侯爵が死ぬまで嫡子として認められず庶子として冷遇されていた桃色の髪の妹の思いも晴らしたかった。
彼は最初から間違っていることに気付いていなかった。舅も認めているから大丈夫だと何も調べず、公爵家の親にも相談しなかった。
だから、自分の公爵家で行われた舞踏会で当然のこととして″ソレ″を行った。
「レイリナ・カータルヤ、貴様との婚約を破棄する! そして、アリナ・カータルヤを新たな婚約者とする」
彼の発言を皮切りに婚約者であった榛色の髪の姉を断罪していく。前正妻の娘だからと侯爵家では傲慢な態度を取り、姑や桃色の髪の妹を虐げていたと。
舅も榛色の髪の姉に絶縁を告げ、侯爵家から籍を抜き平民とすると公表した。貴族の令嬢が平民に落とされて、まともに生きていけるはずがない。現に榛色の髪の姉は顔色を失っている。その友人たちも側で支えるだけで何も出来ない。彼の(父の)方が爵位が高いから。
うまくいったと彼らは思っていた。あの男が現れるまでは。
彼と同じ歳の大嫌いな男。選ばれた者ではなく血筋だけで王太子になった男。死んだ未来の王太子妃の兄。
「レイリナ・カータルヤと婚約を破棄し、アリナ・カータルヤと婚約を結ぶのだな」
彼は頷いた。同じ侯爵家の娘だ、何も問題ないはずだ。だが、男の登場で何かが狂っていく感じがあった。
「カータルヤ侯爵夫妻はレイリナ嬢と縁を切ったのだな」
舅と姑も是と大きく頷いている。
「認めよう。三日間の猶予をやる。カータルヤ侯爵家から出て行くように」
彼らは三日間も! と思った。その間に金目の物が持ち出せ、住む場所も探せるではないか、と。
だが、縋る目で男を見ていた榛色の髪の姉の友人たちが男の言葉に肩を落としている。この場で一番高位の者が認めた。もう覆せない。
「もちろんカータルヤ侯爵家の物を持ち出すことは許されない。個人所有の服は認めよう」
彼らはホッとした。由緒正しいカータルヤ家には幾つもの家宝がある。それが持ち出されることはない。新しいドレスも最近仕立てさせてない。古着屋に売っても大した金にはならないだろう。
「で、これから何処に住むのかな、カータルヤ夫妻とアリナ嬢」
その言葉に舅と姑がギョッとした表情になっていた。
「ど、どういう意味ですか? エンドール殿下」
「カータルヤ侯爵と縁を切ったのであろう? そなたは入婿でカータルヤ家の血を引いていない。そなたの嫡子であるアリナ嬢ももちろん」
彼はやっと一つの可能性に気が付いた。
「だいり、だった?」
舅の顔から色が消えた。
「そうだ。前侯爵は娘の夫、孫の父親としか認めていない。カータルヤ氏に侯爵家当主の資格はない」
「で、ですが、夫は今まで当主としてやってきました」
姑が慌てて口を出すが、論破されてしまう。
「それはカータルヤの血を引く者が成人していなかったからだ。実の″父親″ということで代理が許されていた」
しゃしゃり出てきた男は従者から紙を受け取り、舅に見せている。
「前侯爵の遺言だ。レイリナ嬢が無事婚姻し夫婦でカータルヤ侯爵の家督を継承したら、そなたはゴルダマ子爵となることが出来たのだが…、カータルヤ家と″絶縁″したのだったな」
つまり子爵の位につくことも出来ないと。
「レイリナと絶縁しただけで、カータルヤ家とは…」
舅がしどろもどろで言い訳をしようとするが、最後まで言い切ることは出来ない。
「そのカータルヤ家を継ぐ者がレイリナ嬢だ。レイリナ嬢と縁を切ったのだから、カータルヤ家と縁を切るということだろう?」
男は不思議そうに問い返している。
「ああ、縁を切ったのだからカータルヤの名も使えないのだったな。生家の子爵家に確認を取ってないから、この場だけは元カータルヤ夫妻とお呼びしよう」
平民は姓が無い。カータルヤ家と縁を切り姓を失ったが、今夜だけは温情で使わせてやると男はそう言っている。
「おかしいわ! お姉さまはわたくしたちを苛めていたのに」
そう叫んだのは桃色の髪の妹だった。
「確か毎日下働きのようなことをさせられている、だったか?」
桃色の髪の妹は男に見つめられてポッと頬を赤らめた。男にまだ婚約者はいない。ここで見初められたら王妃の座が見えている。
「その手が下働きのようなことをしていると?」
桃色の髪の妹は手袋もせず腕を出していた。白魚のような手を晒している。桃色の髪の妹は思わず両手を後ろに隠したが、後ろにいた者たちから労働していたとは思えない美しい手が丸見えになったことに気付かない。
男が榛色の髪の姉の方を見た。周りを守るように囲んでいた友人たちが姉が制止する声を無視して、黄ばみがある長手袋を一気に外した。
腕には所々青アザがありガサガサに荒れた手が現れる。
あちこちで息を呑む声が聞こえる。
「着ている物もレイリナ嬢と大きな違いがあるようだが、それでも虐げられていた、と?」
桃色の髪の妹が着ているのは最新のドレス、榛色の髪の姉が着ているのは昨年のデザイン。
「これは、テンヤ様に準備していただいた物で」
桃色の髪の妹が声をあげるが、男が形の良い眉を上げたのを見て言葉を止めた。
「つまり道理を通さず、不義理を通していたと?」
男の声は低く冷たい。
「ふ、ふぎり、など」
彼は声をあげた。桃色の髪の妹に贈り物をするのは当たり前だ。それを不貞を働いていたと言われるのは矜持にも関わる。
「では、アリナ嬢が婚約者の姉からドレスを、いや、婚約者を誑かした盗っ人か」
「盗っ人ですって!? 私はテンヤ様の恋人よ!」
彼の隣で桃色の髪の妹が金切声を上げる。
「ほう、恋人だから不貞を堂々と公表するのは当たり前だと? 道化になりたいとしか思えないが」
彼は違うと答えたかった。けれど、どう言い繕えばいいのかが分からない。婚約者がいるのにその婚約者の妹を恋人にしたのは彼だ。それが悪いことだと思わないし、浮気となるなら浮気される方が悪いと思っている。だが、それをこの場で言うのは僅かに残っていた彼の常識が警鐘を鳴らしていた。
彼は刺すような視線を感じて首を巡らせた。彼の父親がこちらを睨み付けていた。侮蔑の視線を投げつける異母弟たち。
「ともかくカータルヤと縁を切った元カータルヤ夫妻とアリナ嬢は期日までに屋敷を出るように。レイリナ嬢は城で爵位継承の手続きを」
男はそう纏めて、榛色の髪の姉と向き合っていた。
「レイリナ嬢、妹にいつも花をありがとう。飾られる花はあなたが育てたと聞いている」
榛色の髪の姉は僅かでも時間が出来ると花の世話をしていた。それを小さな花束にして来た友人たちに渡していた。彼が屋敷を訪ねたときも汚い姿で下働きをしているか庭にいることが多かった。
「エ、エンドール様、ありがとうございます」
友人に背中を押され、榛色の髪の姉が男に頭を下げていた。周りにいる者たちも。
「ウインに、ウインダリナ様に会いに行ってもよろしいですか?」
「ああ、喜ぶだろう」
彼は間違えたことにやっと気がついた。
男は死んだ未来の王太子妃の兄。榛色の髪の姉と面識があって当たり前だった、王太子となった男と。なら、選ばなければならなかったのは…。
彼は男に慌てて声をかけた。撤回させなければいけない。
「わ、わたしは」
言葉がうまく紡げない。平民と婚姻するつもりなどない。
振り向いた男は不思議そうに首を傾げた。
「テンヤ殿はアリナ嬢と婚約を望み、私がそれを認めた。カータルヤ侯爵家への婿入りで無くなったことは父君とよく話し合いたまえ」
冷たく言われ、男は離れていく。何か言わなければ。
代わりに彼の前に立ったのは、警備の者を連れた彼の父親だった。
「テンヤ様…」
隣から名を呼ばれ、桃色の髪の妹たちを恐る恐る見る。
桃色の髪の妹も舅も姑も縋るような目で彼を見ている。平民となる彼らにとって、彼が唯一の望みとなっているようだ。
「わ、わたしは…」
「向こうでゆっくり聞こう。皆様はごゆるりと」
警備の者たちに囲まれ、彼と桃色の髪の妹たちはその場を後にした。
この日をもって彼の名は公爵家から抹消された。
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m
ルビ(ふりがな)は感じを使わないようにしています。読みにくいかと思いますがご了承下さい。