ウインダリナ11
家に宿った灯りが現れては後ろに流れていく。馬車は屋敷に向かって走っていた。
『バカが』
窓の外をぼんやり見つめながら、黒髪の青年は思わず呟いた。
同じように馬車に揺られている金髪の青年も深い悔恨に囚われていることだろう。ここにいる黒髪の青年と同じように。
遅い、遅すぎるとしか言いようがなかった。金髪の青年が己を取り戻したのも黒髪の青年が動いたのも全てが遅すぎた。大切な者を喪ってからだ。だから、もう取り返せない、取り戻せない。
『若様、お嬢様を襲った犯人のことは・・・』
従者の言葉に黒髪の青年は小さく息を吐いた。
マダラカ公使節団を襲ったのは一応賊ということになっている。関係者にはそのことに関しての沈黙魔法がかけられ、真実が語られることはない。それでも使節団の代表である王太子とその側近が何処で何をしていたのかは広まっており、憶測として国内外で様々なことが囁かれていた。
『あいつも分かっているさ。騎士見習いばかりだといえ、妹が死に至るような怪我をさせられる者が何人いるかぐらい』
真実を知らない従者は首を傾げている。それだけの実力者たちを思い浮かんでもそれをしたとは思わないのだろう。
他の国で囁かれている″王太子による婚約者暗殺説″は、″王太子の花″が信じられているこの国では起こり得ないとほとんどの者が思っている。王家の威信を守るにはその思い込みは幸いしているが、真実を知っている黒髪の青年は苦い思いを飲み込んだ。言いなりになっていても命だけは奪えなかったと思うべきなのだろうが、どんな理由があろうとも赤い髪の女性を傷つけたことは許せなかった。その後も気にかけることなく過ごしていたことも。
『それに若様、あの花は・・・』
従者は半年前に公爵に雇われ、黒髪の青年付きになった。だから、あの花を見たのは初めてだった。赤い髪の女性の誕生日が終わる、日付が変わる直前に届いた一輪の花。珍しい色をした大輪の百合の花。その色に聞き覚えがあった。だから、誰かが王太子の婚約者である赤い髪の女性を慰めるために作った模造なのではないかと従者は何件もの花屋を巡った。沢山手に入れば主たちを慰められると思い探したが一本も見つからなかった。
『あれは、王太子しか咲かせられぬ花。王太子が己の未来の妃に送る花。操られていても花を贈ることは忘れなかったようだ。陛下にお願いしてある。妹の葬儀の日までは殿下のために王太子でいられるようにと』
従者は目を見開いた。舞踏会で婚約者以外の女性に入れ込んでいるように見えた王太子がそれでも婚約者の誕生日にそれを贈っていたことに。舞踏会で王太子が女性に宣言した言葉に。噂は一時の気の迷いであり、婚約者死亡になってしまったけれど、やはり″王太子の花″で二人は結ばれていたのだと安心していた。
黒髪の青年は従者の心情を感じとり、再び小さく息を吐く。
この国の民の″王太子の花″に対する思いは強い。先王の孫とはいえ、″王太子の花″に選ばれていない正妃の血を引く黒髪の青年が王太子として簡単に受け入れられるとは思えない。黒髪の青年以上に濃く王家の血を引く者がいないことが分かっていても多少の混乱が起きるだろう。
黒髪の青年はスペアとして教育されてきたが、王位など関係ないつもりで生きてきた。支えたい者たちがいて、一生をかけてその者たちを支えるつもりだった。それが…。
屋敷に着くと黒髪の青年は真っ直ぐに赤い髪の女性が眠る部屋に向かう。
冷たい頬に手を当てる。腐敗を防ぐために氷魔法をかけられた体は朝よりも冷たい。
「ウイン、ハラルドがあの花を贈ると言っていた」
良かったな。と言っていいのかどうか。あの花を貰って喜ぶ顔はもう見られない。
城で何が行われているか黒髪の青年は知らない。だが、己を取り戻した金髪の青年はもう間違えないと信じている。
「父上は?」
城から戻ってきているだろうか? いや、金髪の青年たちが城に向かったことを知っているなら戻っていないだろう。
「奥様と城にいらっしゃいます」
「第二夫人と?」
あの女に何をさせるのか? 赤い髪の女性が死んだことを知るなりこの部屋に罵りに来たあの女に。
「さようでございます」
それ以上は執事も知らないと首を横に振っている。
「父上が戻ったら連絡してくれ」
黒髪の青年は、隣の部屋の机に向かった。
こんな時でも仕事ことはある。それが有り難かった。
夜遅くに父であるフアマサタ公爵が戻ったと連絡があった。
黒髪の青年は椅子に体を預けグラスを傾けるフアマサタ公爵を見つけた。その姿はいつもより小さく老いたように見えた。
『お前も飲むか?』
黒髪の青年は空のグラスを掴み、フアマサタ公爵に差し出す。空のグラスはあと二つ用意されている。今夜は祝い酒になるはずだった。
『エンドール、すまなかった』
黒髪の青年は何故謝られたのか分からなかった。
黒髪の青年の母が殺されたことなのか、殺した侍女を雇ってしまっていたことなのか、娶った後妻が母親の役割を果たさなかったことなのか、それとも…。
『父上。私はウインとエンダリオの兄になれて良かったと思います』
それは黒髪の青年の本心だった。二人とも手のかかる妹と弟だった。黒髪の青年をいつも振り回していた明るく活発な赤い髪の女性、本当は引っ込み思案でいつも背中を押してやらなければならなかった赤い髪の青年。兄として慕ってくれる二人は彼の大切な兄弟だった。
『ウインダリナはいつも願っていたよ』
フアマサタ公爵の言葉にグラスを持つ黒髪の青年の手に力が入る。
最後まで黒髪の青年が幸せになることを望んでいた赤い髪の女性。彼女が幸せに笑う姿が彼の幸せだったのに。それはもう叶わない。
『エンドール、お前は誰よりも幸せにならなければいけない。ウインダリナのためにも』
黒髪の青年はその言葉に頷くことが出来なかった。だから、話題を変える。知りたいことに。
「…。どうなりましたか?」
城に向かった彼らがどうなったのか、それも知りたかった。
フアマサタ公爵はゆっくりとグラスを机に置いた。深く息を吐き、目を閉じた。
「ウインダリナの葬は、王太子妃に準じたものになる」
公爵家の令嬢として送り出すことが出来ない。
「そ、それは!」
黒髪の青年は抗議の声を上げる。
「ハラルド殿下は陛下に三つの願いをされた」
三つも? そんなにも願う権利があるのか?
「その一つだ。ウインダリナを国葬で送りたいようだ」
確かに赤い髪の女性には相応しい葬なのかもしれない。けれど黒髪の青年は妹として屋敷から送り出してやりたかった。
「あとの二つは?」
「ウインダリナの葬の日まで王太子でいること。最後の一つは陛下が却下された」
最後に愚かな願いでもしたのか、聞き入れなかったのなら。
「ウインダリナに繋がる物が欲しいそうだ。全て処分されたから」
すぐに側にいるようになるから、と全て処分させたと聞いている。その願いは今さらだとは思う。けれども″縋る物″が欲しいのも分かる。
「エンドール、渡してはならぬぞ。陛下が決めた罰なのだから」
フアマサタ公爵に釘を刺される。黒髪の青年は二人の共通の物はと思い浮かべていた。
「国葬とはいえ、早く行うことになりそうだ」
その言葉の意味は…。
「そこまで…」
「もう手遅れ、だそうだ。殿下とモイヤ殿は」
黒髪の青年は視線を落とした。舞踏会では二人ともそんな感じは微塵もしなかった。
「モイヤ殿は今夜か明日か…。苦しまないよう魔法が施された」
フアマサタ公爵の吐く息が重たい。いつ訃報が届いても可笑しくない状態なのだろう。
「皮肉なことだ。一番薬に侵されていないのがエンダリオとは」
お茶もあまり飲まず、甘い物が苦手な赤い髪の青年が一番薬の影響が少なかったようだ。それでも件の令嬢の言葉のみが正しいと思い込まされ、その望みを叶えようとしていた。
「エンダリオもそう長く生きられぬ」
軟らか過ぎる骨、その体を支えるだけしかない魔力、それだけでは指一本動かすことが出来ない。生を繋ぐことなど出来ない。赤い髪の青年の死も見えていた。
「フーラルにエンダリオの世話をさせる。魔力を受渡しさせ、出来るだけ長く生きさせる」
だから、あの女を城に連れて行ったのか。
黒髪の青年は何故屋敷にあの女がいないのかが分かった。それがあの女に対する罰なのだと。
相性の合わない魔力の受渡しは全身が悲鳴をあげているかと思えるほど辛かった。それでも黒髪の青年は赤い髪の女性のためなら何度でもそれを行うつもりだった。それをあの女が出来るのか?
「エンダリオがその生を終えるまで止めさせぬ」
静かな声で告げられた言葉は、それだけフアマサタ公爵の怒りと悲しみが深いことを示していた。
「トータス殿は?」
「一介の兵としてナルニアマルシタとの国境に送られる」
貴族籍を剥奪され、一般兵として国境警備につくようだ。今回のことで隣国がどう動くか分からないが、ナルニアマルシタ国との衝突は避けられないだろう。
「クラチカ伯爵は?」
「一族郎党、極刑となった。調べねばならぬからすぐには行えぬがな」
クラチカ伯爵領で栽培されていた麻薬の入出経路を調べなければならない。マダラカ公領の商人が関わっているのは分かっているが論となる確証がいる。
「マダラカ公はもちろん、麻薬の被害のあるミルタニとレベラタカも可笑しな動きをしていると報告があった」
黒髪の青年は眉を寄せる。赤い髪の女性は平和を願っていた。それを守りたい。
「我らは静かに死を悼むことも出来ぬようだ」
フアマサタ公爵はまた大きく息を吐いた。
「エンドール、ウインダリナが静かに眠れるようにするぞ」
その言葉に黒髪の青年は力強く頷いた。
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m