髪がない男
その男は、己の丸い腹を豪快に叩いた。今から起こるだろうことが楽しみで堪らない。
地主の暴走から畑を失ってしまったのは大きな痛手だが、それまでにたんまり稼ぐことができている。それに次の畑が出来あがるまでの在庫は十分にある。暫くは大人しくする必要があるかもしれないが、それも数ヶ月の我慢だ。あの国の監視はすぐに緩む。あの国があの王太子をすんなり認めるはずもなく、内政が落ち着かないところに戦も始まることになる。うまくいけばこの国の領土を増やすことも出来るかもしれない。
男は、こんな小国の主で終わるつもりは無かった。そのためには、多額の資金が必要だった。次に必要なのは強い力。だから、あの小娘は惜しいことをした。少々無茶をしても手に入れるべきだったと今さら思う。外見だけでも良い商品になったのに、あの国一と言われる魔力持ち、よく躾ければ強力な戦力になっただろう。まあ、手に入らなかったものは仕方がない。あの小娘を手に入れるにはリスクが高すぎたのも確かだ。敵として立ち塞がることが無くなっただけでもヨシとしておく。
男にとってどの国も目障りでしかなかった。商業国家として成り立つ男の国は独立はしているが、とても小さく、とても力が弱かった。だから、不安定でいつ周りの国に取り込まれるか分からない。そのため各国と婚姻を結び縁戚となり国を保ってきた。まあ、血の繋がりなど有って無きものと切り捨てることも多々あるが、それでも有効な手段だ。
だが、一国だけそれが全く通用しない。魔の国とも呼ばれ、強い魔力持ちが多く剣技にも優れたあの国は血の繋がりなど必要としない強国だった。だから、王族に″王太子の花″などという奇妙な風習が受け継がれている。先王の時に泥沼化しそうな戦を終わらせるため、敵国から王女を妃にと娶ったが、その奇妙な風習に囚われ冷遇したと聞く。なまじ拮抗する武力だったため、戦となれば双方の被害は甚大となる。王女を差し出した敵国は抗議文を送り続けたが改善されず煮え湯を飲まされ続けたようだ。敵国にどれだけの恨み辛みが溜まっていることやら。
男はこの機会を逃す気はなかった。今から荒れるあの国に王女を差し出した国は必ず干渉するはずだ。あの国の王太子となる予定の者は冷遇された王女の血を引くのだから。この国にとってもとてもいい取引先となるだろう。恩は過大に売り付けておいたほうがよい。取り戻せるのだから。
「主様、おいでになられました」
その声に男は、軋む椅子から体を起こした。椅子の上で横に広がっていた腹の肉が重力に従い今度は下に下がる。
男は、どっぷりとした体を揺らしながら、城門にゆっくりと足を向けた。
「ようこそおいでくださった」
男は馬を降りるグラシーアナタ国先王に声をかけた。
あの国と唯一対等の戦力を持つグラシーアナタ国。魔力持ちは少ないが高い戦闘能力と戦術を持ち、″魔法″というものがなければこの世界で最強の国。その国の先王は獅子王の異名を持ち、王位を退いた後も各国に強い影響力を持つ者。
外套のフードを脱ぐとハラリと銀髪が現れる。
「マダラカ公、しばし世話になる」
グラシーアナタ国先王には、成人した孫がいるはずなのにまだまだ若々しく猛々しかった。強い輝きを持つ瞳は威厳があり、男に畏怖を感じさせる。
後退りしそうになるのを叱咤し、男は動揺を隠して歓迎の笑みを浮かべた。が、視界に黒いものが映る。城門の外にまだ人がいるようだ。黒い外套とフードを被った者が城門の外の石畳にしゃがみ込んでいる。
あの場所は確か…、あの小娘が立っていた…。
「ん?」
グラシーアナタ国先王も気がついたのか、開いたままの城門の方を見るとその者に声をかけた。
「門を閉めるそうだ」
その声が聞こえたのか、しゃがみ込んでいた者はゆっくりと立ち上り門の中に入ってきた。門が鈍い音をたてながら閉じられていく。男はグラシーアナタ国先王を案内するため反対側を見ていたため、城門の外、しゃがみ込んでいた者がいた場所が赤く光ったのに気づかなかった。
「お疲れでしょう、すぐに部屋に案内させます。準備が整うまでごゆっくりなさって下さい」
グラシーアナタ国先王にそう言いながら、男は城門の外が何故か気になった。
男はあの国以外の隣国を招待した。
あの国に王女を嫁がせたグラシーアナタ国、あの国と小競合いをしているナルニアマルシタ国、あの国で栽培されていた麻薬の被害にあっているミルタニ国とレベラタカ国。
どの国もあの国と因縁があるところばかり。そう、あの国に対して密約を結ぶために招集した。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
盟主である男が挨拶をしてあの国を陥れるための密談が始まった。
「″天使の囁き″は各国が栽培を禁止している植物。知らなかったではすまされぬ」
「それなりの賠償をしてもらわねば」
もっぱら話題になるのは、人を操ることが出来る麻薬のことだ。
「それには、ここに登録のある商家が関係していたようで…」
神妙な顔をして男が申し訳なさそうに言う。
「全ての商人を取り締まるのは無理だ。マダラカ公領が関与していると言い掛るのはどうだろうか」
ナルニアマルシタ国代表の言葉に二国の代表が頷く。
「クックックッ」
グラシーアナタ国先王が楽しそうに笑った。男は背中に寒いものが走る。
「獅子王殿、何が可笑しい?」
ムッとしたナルニアマルシタ国代表が優雅にお茶を飲むグラシーアナタ国先王に声をかけた。
「いや、先に伝えておこう。我が国は協力を…」
惜しまない。とそう続くと男は思っていた。だから、言葉を切ったグラシーアナタ国先王を期待を込めて見つめた。
「しない」
それは、思ってもみない言葉だった。
「な、なぜ、ですか?」
三国の代表たちは顔を見合わせている。グラシーアナタ国が参加してこそ可能になる密約なのだ。小競合いはしているがナルニアマルシタ国との軍事力の差は大きく、マダラカ公領、ミルタニ国、レベラタカ国の軍事力を合わせてやっとあの国より少し上になるかどうかだ。
「する必要がないからだ」
グラシーアナタ国先王は当たり前のように答える。
「王太子になられるのは…」
冷遇された王女、グラシーアナタ国先王の妹君の孫が次の王太子になる。その後押しをするためにも…。
「あれの力で認められなければ意味がない」
男の言葉はばっさりと切り捨てられる。
「では…、なぜ、ここに?」
ならば、来る必要などなかったのでは? 参加すると返事が来たから期待した。だから、そのように段取りもしている。
「身の程知らず、を分からせるため」
身の程知らず? 何が? 何を言っている?
グラシーアナタ国先王は、おもむろに机に地図を広げた。男の国が中心に描かれている地図だ。
「出来るか?」
グラシーアナタ国先王の言葉に側に立っていた者が地図に手を翳す。赤い模様が地図に現れた。魔方陣のようだ。
地図のあの国の方から白い線が現れ、マダラカ公領に入る。二つに分裂し、一つはナルニアマルシタ国との国境近くへ、もう一つはミルタニ国とレベラタカ国との国境近くで止まっている。
「ほう、同じだな」
感心した言葉に男はムッとしてしまう。こんな魔法を見せられても楽しくも何ともない。
「″天使の囁き″の在庫の場所が、我が国が調べたのと同じだ」
ほう、と溜息と共に溢れた言葉に男は慌てて地図を見入った。白い線は、″アレ″の在庫が置いてある場所周辺で止まっている。それにグラシーアナタ国先王は『調べたのと同じ』と言った。グラシーアナタ国にはバレていた? その言葉を″アレ″で被害にあっているミルタニ国とレベラタカ国の代表に聞かれてしまった。
「ざ、在庫だと!」
ミルタニ国とレベラタカ国の代表が地図に釘付けになっている。
「な、なぜ?」
レベラタカ国の代表の口からそう溢れた。
「武器にも兵にも金がかかる。小競合いでも、何故、ナルニアマルシタ国が戦を続けられるか不思議だったのだよ。鉱山が欲しくてちょっかいかけてるのに、ね」
あちらの平和主義に甘えやりすぎたね。
ミルタニ国とレベラタカ国の代表は何とも言い難い顔をしている。信じていいかどうか分からないのだろう。だが、強国グラシーアナタ国先王の言葉だ。男の言葉よりも…。
「まあ、ナルニアマルシタ国も騙された口だろう。旨みがなければ商人は協力しない」
視線が男に集中する。男はどう切り返すか必死に考えていた。グラシーアナタ国は強国だ、あの国と同じ。グラシーアナタ国を相手にするなら、あの国を仲間にしなければ勝ち目などない。
「証拠は?」
証拠など幾らでも捏造出来る。男がいつもしてきたように。
「説明させよう。エイトル」
グラシーアナタ国先王の言葉で地図に手を翳していた男がその場にいた者たちに一礼をした。
「エイトルと申します。国では、エンドール・フアマサタと呼ばれています」
そこには黒髪、黒い瞳の青年が立っていた。グラシーアナタ国先王の一行には黒髪の者はいなかったはずだ。魔法で姿を変えていた?
「エンドール・フアマサタ?」
男はその名を繰り返した。この場には絶対いない者のはずだった。今ごろは王太子になる準備で忙しいはずだ。
「まず、この魔方陣ですが…」
「我が国にもはみ出している」
グラシーアナタ国先王が憮然として黒髪の青年に抗議している。地図に浮かび上がっている魔方陣は隣国にも多く被っていた。
「国境に合わせて魔方陣を描くことも出来ますが、妹は細かく魔法を使うのが苦手でして…、これでも調整しようとした跡が見られるのですが…」
無理だったのでしょうね。
黒髪の青年は、苦笑いを浮かべながらも愛しそうに″妹″と言葉を紡いでいる。
男は聞いていた。フアマサタ家の兄妹はとても仲が良いと。あの小娘の兄は…。黒髪の青年が刺すような視線で男を見てくる理由は…。心当たりが有りすぎた。表面上は言い掛りをつけられ憤っているように見せているが、背中は冷や汗でビッショリになっていた。
「勝手に魔方陣を描くなどと」
男は憤慨した。そんなことは許されないはずだ。断りも無しに国に魔法をかけるなど。とくに魔方陣は魔法使いが死んでも残る。魔方陣に宿した魔力が尽きるまではその効果を発揮する。解くには、魔法使いより強い魔力を持つか、高度な魔法を使える者だけだ。あの小娘は、あの国一番の魔力持ちだった。それは、世界一の魔力持ちともいえる。そんな魔法使いの魔方陣を解ける者がいるのか?
「あなたが和平交渉に応じなかったから」
黒髪の青年はサラリと言い返した。
「そもそもこの魔方陣は、我が国に兵が来ないようにするためのもの」
グラシーアナタ国とナルニアマルシタ国はあの国と隣接しているが、ミルタニ国とレベラタカ国はマダラカ公領を通るのが一番の近道だ。グラシーアナタ国やナルニアマルシタ国を経由すると時間がかかってしまう。男の国の兵もグラシーアナタ国やナルニアマルシタを経由させなければならない。
「中隊以上の兵にマダラカ公領からの国境を越えさせないようにするためのもの。兵でなければ無害な魔方陣です」
「便利なものだな。我が国が協力しなければ、兵が集まるまでにナルニアマルシタ国を落とせばよいだけだ」
王太子とその婚約者を亡くし、あの国ももう穏便にすますつもりはないようだよ。
黒髪の青年は否定も肯定もしない。その黒い瞳には強い怒りが宿っている。
「そ、そんなの張ったりであろう!」
ナルニアマルシタ国の代表は顔色を失っていた。ナルニアマルシタ国だけではあの国には到底勝てない。
「で、実際はどうなるのだ?」
グラシーアナタ国先王はこの魔方陣がどう作用するのか知りたいようだ。
「結界に阻まれ、国境を越えられません。装備を外し国境を越えたとしても…」
「装備し体制を整えている間に国境警備の者に見つかり捕らえられる、か。もし成功してもしっかりとした援軍が来ない。すぐに殲滅されそうだな」
続いた黒髪の青年は頷いている。
男は魔方陣が浮かび上がる地図を見た。あの国にも魔方陣がかかっている。魔方陣の外に兵を集結させる。それはどれくらいの時間がかかる? その間、見つからずにすむのか?
「もしかして、逆にここに攻めいることも出来ないのか?」
「大伯父、それは書き直したので」
男は茫然とその言葉を聞いていた。
書き直した…。
男の国からあの国へ大軍を送ることか出来ない。それはそのまま。他の国から男の国に大軍が来ることが出来ない。それを書き直した。つまり…、男の国を攻めることが出来る?!
あの小娘が魔方陣を描いた場所は恐らく…、だからあの場所にしゃがみ込んで…。あの小娘も毎日同じ場所に立っていたのは…、魔方陣を…。魔方陣を書き直せる黒髪の青年は魔方陣を解くことが出来るがそれはしない。その理由は分かりきっている。
じわじわと逃げようのない恐怖が男に迫ってくる。
「実は、クラチカ伯爵領、あの薬の畑があった場所からの出荷物には魔法で軌跡が残るようにしてありました」
「だが、その魔法は…」
ミルタニ国の代表に黒髪の青年は口角を上げた。
荷物が無事に届けばその魔法は消えるはずだ。たとえ商品名と実物が違っても荷物の引渡しが無事終了すれば。
「ええ、普通ならば。だが、マダラカ公領にはウインダリナの、妹の魔方陣が描かれているから、私はその魔法が今でも発動させられます」
男は、男のことも男の国のことも考えることがもう出来なかった。
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m
″公主″が中国皇帝の息女を表しているから、″大公″と助言いただきましたが、男にもったいない敬称なので″主″にさせていただきました。
ありがとうございますm(__)m