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王太子の花 咲く前と咲いた後  作者: はるあき/東西
27/61

ウインダリナ9

 扉の向こうでまだ騒いでいるが、黒髪の青年はベッドで眠る赤い髪の女性の方が大切だった。


「ウイン、大丈夫か?」


 頬に手を当てる。かかる重みにホッとするが、閉じられた瞼が濡れているのに黒髪の青年は気がついた。


「気にするな」


 遠ざかる声に怒りが湧く。こんな時でも害にしかならない第二夫人(おんな)に対して。


「私がいる」


 思わず口にする。

 手の重みが増したような気がする。色を失った口角が少し上がったように見えた。


『お兄様、ありがとう』


 黒髪の青年は、赤い髪の女性がそう言っているように感じた。



 それから黒髪の青年は時間が許す限り赤い髪の女性の側で過ごした。屋敷の者たちは、黒髪の青年が仕事が出来るように赤い髪の女性をそっと広い部屋に移し、机を準備し、ベッドが見える位置に成人男性がゆっくりと横になれる長椅子を用意した。


「サーチマア侯爵令息モイヤ様からです」


 侍女が大きな花束を持って部屋に入ってきた。


「四日も開けずに贈ってくださるわね」


 侍女たちが古い花と入れ換えている。

 黒髪の青年は新しく届いた花を見ていた。深緑の髪の青年だけが自分たちの行動がおかしいと気が付いている。


「離宮との連絡はどうなっている?」


 黒髪の青年の従者が答える。


「三日に一度、エンダリオ様の物を届けております」


 ならば、他の二家も同じような頻度だろう。

 黒髪の青年は口元に手を置き考えた。今一度、クラチカ伯爵令嬢が持ち込む物を調べる必要がある。サーチマア侯爵が何度も手に入れようとして出来なかった物をどうやって手に入れるか?


「モイヤ殿に礼状を」


 届いた花束に礼状を送るのは当たり前だ。あのことでほとんど城に詰めているフアマサタ公爵に代わり、今は黒髪の青年が花束の送り主に向けて礼状を書いて(したためて)いた。今でも毎日数通書いて(したためて)おり、赤い髪の女性がどれだけ皆に慕われていたのかそこにいる誰もが実感していた。


『この前のお話、実物を見られるよう手配願いますか?』


 真実を書くことは出来ない。これでクラチカ伯爵令嬢が持ち込む飲食物を調べたいということが分かってもらえるだろうか? 結果が白だったにも関わらず疑っている深緑の髪の青年なら、意味を読み取りきっと何かを渡してくれるだろう。離宮にいる者たちの中で唯一花を贈ってくる彼ならば。


「もし、モイヤ殿から何か受け取ったら、サーチマア侯爵に渡してくれ」


 書いた(したためた)礼状を従者に渡し、離宮に持っていくように指示する。城にいるフアマサタ公爵とサーチマア侯爵、ゼラヘル伯爵にその旨を手紙を書いた(したためた)

 後日、屋敷に帰った(よった)フアマサタ公爵から『調べている』と聞いて、やはり深緑の髪の青年だけは自分を見失っていないように感じた。


 何の手立ても出来ないまま日にちだけが過ぎていく。


「今は少し安定されているようです」


 医師の言葉に黒髪の青年の心は決まった。


「ウインに魔力を渡しても大丈夫だろうか?」


 黒髪の青年の言葉に医師は腕を組んで考えこんでいる。

 未だに塞がらない傷は赤い髪の女性の体力を奪い続けている。


「この腹部の傷に治癒魔法が効けば…」


 医師の言葉に黒髪の青年は、赤い髪の女性の手を持つとゆっくりと少しずつ魔力を流し始めた。

 痛みが黒髪の青年を襲う。最初はチクチクした物に全身が触れているような痛みだった。それが全身強打したような激痛に変わっていく。赤い髪の女性の顔も苦悶に歪み、顔に脂汗が浮かんでいる。


「ウイン、がまん、して、くれ」


 治癒魔法を使える者たちが一斉に赤い髪の女性の腹部に向かって魔力を放つ。魔法を重ねがけしてもその効果はほとんどない。奪われていく魔力の中で少しでも治癒魔法が残るようにと何重に魔法をかけているだけだ。


 黒髪の青年の体から大量の魔力が抜けたと感じたら、ビクンと赤い髪の女性の体が大きく跳ねた。


「エンドール様、お止めください」


 慌てた医師の言葉に黒髪の青年は魔力を止めた。体が怠い。四肢に力が入らない。側にあった椅子に倒れ込むように座る。


「な、に、が?」


 声を出すのも億劫なほどの疲労感がある。


「…」


 赤い髪の女性を診ていた医師が首を横に振る。


「ウインダリナ様の魔力が一気に失われています」


 その言葉は何を意味するのか…。


「若様、離宮が光っており空に虹が出ていると」


 家令の言葉に耳を疑う。日は既に沈み闇が支配する時間になっている。離宮が光るはずも()()()()()はずもない。ならば何故離宮が光り虹が空に出ているのか。答えは分かりきっていた。高等魔法が離宮で使われた。使ったのは…。


「くっ、そっ」


 黒髪の青年は力の入らない手を握りしめる。その手を振り上げ何かに叩きつけたいのにそれをする力さえない。


「また、ちょうし、のよい、ときに」


 医師は悲痛で顔を染め、首を横に振った。


「これ以上はウインダリナ様のお身体が持ちません」


 何故と目だけで問う。


「ウインダリナ様の魔力では足りなかったのでしょう。繋がっていたエンドール様の魔力を無理矢理引き出された。お身体に馴染まない強い魔力を流されたウインダリナ様のお身体に負荷がかかりすぎました」


 今こうして息をされていることが奇跡と…。

 医師は最後まで言い切ることが出来ず、肩を震わせて俯いてしまった。


「…。あり、がとう。これ、からも、出来る限りのことをしてくれ」


 嘘だと怒鳴り付けたい衝動を抑え込み、黒髪の青年はどうにかそう言葉にした。医師も無力感を味わっているのだ、黒髪の青年と同じように。


 ゆっくりと確実に赤い髪の女性は目に見えて弱っていく。


「ウイン、誕生日おめでとう」


 今日は赤い髪の双子が生れた日だった。いつもなら、夜に行われるパーティーのために慌ただしい屋敷も今年は静かに…、いや途切れることなく届く贈り物のためにいつもと違う忙しさがあった。

 絶え間なく届く花。赤い髪の女性の部屋に一旦持ち込まれては大広間に運ばれ、床を埋め尽くしていく。王都中の花が集められたかのような量だ。次に多いのは飲食物。有名店のお菓子が何箱も届く。高級な茶葉やジュースはもちろんのこと、成人の年のためかお酒も数多く届く。詩集や本、絵画などももちろんある。

 全て赤い髪の女性の誕生日を祝うために贈られてくる。

 黒髪の青年も誕生日のために帰ってきていたフアマサタ公爵も来訪者たちへの対応に追われていた。


 送り主ご本人にも代理の者にも丁重にもてなし礼を述べ見送りをする。その回数が多くなればなるほど、虚しさが込み上げてくる。溢れるほどの贈り物が届いていることを見ることが出来ない赤い髪の女性を思うとやるせなかった。


 夕暮れには屋敷を訪れる者もいなくなり、屋敷の門は固く閉じられた。

 黒髪の青年は届いた贈り物に視線を走らせた。届くはずの物がまだ届いていない。今すぐにでも取りに行きたいがそれは出来ない。それがすごくもどかしい。夜が深くなっていき、誕生日が終わる時が近づいてくる。

 赤い髪の女性が眠る部屋の一角、花が生けられていない花瓶を黒髪の青年は睨み付けていた。


「若様、日付けが変わる直前に門番に届いたそうです」


 早朝、侍女が持ってきたのは一輪の花。黒髪の青年が待っていた物。


「贈ってきたか」


 遅すぎるがそれでも忘れずに贈ってきたことを救いと思っていいのか、黒髪の青年には分からない。


「ウインが見れる場所に」


 侍女が専用の花瓶にその花を飾る。花が無かった花瓶にようやく花が生けられた。


「…。お、にい、さま?」


 弱々しい声が黒髪の青年を呼んだ。


「ウイン、気がついたのか?」


 黒髪の青年は枕元に駆け寄った。


「おにい、さま、おかえり、なさい」


 侍女が慌てて部屋を出ていく。フアマサタ公爵を呼びに行ったのだろう。


「あの、はな、は?」


 赤い髪の女性の視線はさっき生けられた花に注がれている。


「昨日、誕生日にちゃんと届いた」


 赤い髪の女性は花を愛しそうに見つめ、嬉しそうにフワリと笑った。


 何故、そんな目で花を見れるのか?

 何故、そんなふうに笑えるのか?

 裏切られたのに、殺されかけたのに!


「となり、は、おにい、さまの?」


 花瓶の隣に置いてある白い花がかかれた文鎮に赤い髪の女性の視線が移っている。気付いてくれたのが嬉しい。


「ああ、一緒に置いてあるのが父上からだ」


 文鎮のすぐ近くに美しい羽ペンが立ててある。


「たくさん、の、はな…」

「ああ、全てウインに贈られてきた物だ」


 ヨロヨロと赤い髪の女性の手がベッドから離れようとするが、すぐに力尽きてベッドに落ちてしまう。


「ウイン、無理をするな」


 黒髪の青年がその手を両手でそっと持ち上げ握りしめる。


「ふふっ、わたし、しあわ、せ、ですわ」


 痩せこけた頬、青白い顔、色のない唇。それでも赤い髪の女性は美しく幸せそうに笑う。その笑顔を黒髪の青年は眩しそうに目を細めて見つめた。


「私もだよ」


 フアマサタ公爵が黒髪の青年の肩に手を置いた。


「お、とう、さま。わ、たし…」


 赤い髪の女性の顔が曇る。マダラカ公のことを思い出したのだろう。


「何も心配しなくていい。ウインダリナはもっと幸せになることを考えなさい」


 フアマサタ公が安心させるように優しく赤い髪を撫でる。

 優しい言葉に赤い髪の女性は『はい』と小さく答えた。


「お、とう、さまも、おにい、さまも、ハラ、ルド、さま、たち、も、みな、も、もっと、もっと、しあ、わせ、に」


 何故、あの者たちの幸せまで。こんな目に遭わされたのに。


「そうか…、皆が幸せに、と願うか」


 何故、そう思える? 今にも尽きそうな命をしているのに!


 赤い髪の女性は僅かに顔を縦に振り、疲れたのかゆっくりと瞼を閉じた。その表情は穏やかすぎて不安になる。

 弱々しく上下する胸部、力弱く握り返してくる手が生きていると教えてくれる。


「城に行く準備をしてくる」


 フアマサタ公爵は黒髪の青年の肩を叩くと部屋を出ていった。

 黒髪の青年は、骨と皮だけになってしまった赤い髪の女性の手を見ていた。柔らかく温かい手をしていた。今はこんなに痩せ細って冷たい手になってしまった。それが悲しくて悔しい。

 幸せだと笑う赤い髪の女性に怒りを覚えるし、彼女らしいとも思った。

 視線を感じ、黒髪の青年は顔を上げた。赤い髪の女性と視線が絡み合う。


『お、にい、さま、しあ、わせ、に、かな、らず、なって』


 唇だけが動く。


「私は、しあわ、せだ。ウインが、いる、から」


 だから、だから、生きて欲しい…。

 黒髪の青年は、壊さないように痩せ細った手を優しくしっかり握りしめた。

誤字脱字報告、ありがとうございます

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