ウインダリナ4
「お兄様、一緒に参りましょう」
赤い髪の少女は玄関にいる黒髪の青年に声をかけた。
王太子が花を咲かせてから五年が過ぎ、黒髪の少年は青年となり、少女は蕾がゆっくり綻ぶように女性に成長しつつあった。
「ウイン、城に行くのか」
まさに扉を出ようとしていた青年は足を止めて、少女が追い付くのを待っている。
「はい、王妃様のお茶会に」
小走りに青年に追い付いた少女は嬉しそうに微笑んだ。青年は眩しそうにその笑みを見て口角を少し上げる。
一緒に馬車に乗り込み向かい合わせに座る。
「そうか、カップを引っくり返さないようにな」
青年はお茶会に招待されていない。王太子の手足となるべく子息は招待されているだろうに。青年は王太子の次に王位継承権を持っているため定期的に城に呼ばれているが、そのような催しには参加したことはなかった。ただ王太子のスペアとして、王族の仕来りを覚えさせられていた。
「もうその失敗はしません」
プウッと頬を膨らます姿はまだまだ幼い。青年は少女がこんな表情を見せるのは一部の者だけだと知っていた。
「お兄様、今度お茶会をしましょう。私、お菓子を焼きますわ」
「では、私は腹痛を治す薬を用意しよう」
もう、と少女は唇を尖らせる。その表情が可笑しくて、青年がクックックと笑う。
「お兄様には、特別なお菓子を用意しますわ」
プイッと横を向いてしまった少女が世間では完璧令嬢と称され始めたのを青年は知っている。だから、青年に見せるこの態度が可笑しくて可愛くて笑えてしまう。
「ウイン、無理をするなよ。何かあれば殿下を頼れ」
「もちろんですわ。ハラルド様に相談して、お兄様には愚痴を聞いていただきます」
婚約者を立てつつ青年を巻き込むつもりでいる少女に笑みが深くなる。少女は青年に孤独を忘れさせる。青年にとって心地よすぎる時間。この時間に終わりがあることを青年は分かっていた。けれど、出来るだけ長くこの時間が続くことを願っている自分がいることも知っていた。
「愚痴ぐらいいつでも聞いてやる。惚気はお断りだがな」
真っ赤になって顔を背ける少女を青年は愛しそうに見つめていた。
城の入り口が見えてきた。青年は光輝く金の光を見つけた。青年に違う笑みが浮かぶ。そわそわ動く金の光が少女を待ちわびているのが分かる。関係が良好そうなのを見てホッとした。
馭者が扉を開ける。青年は先に降りた。
馬車の前で待っていた金髪の少年は明らかに肩を落とした。
「殿下」
青年は扉を押さえ、少年を呼ぶ。
青年の意図が分かった少年は扉の前に走り寄ると手を差し出した。その手に白い手が重なる。
「ウイン、いらっしゃい」
「ハラルド様、ありがとうございます」
少年の視線が斜め上になる。今は少女の方がまだ背が高いのだ。少女に触れていない手が悔しそうに握られている。
青年はその姿を見て微笑ましく思う。
「ウイン、暴れるなよ」
「お兄様!」
二人の邪魔をしても悪いから、青年は別の通路で行くことにする。少し遠回りになるだけで辿り着けないわけではない。
「ハラルド殿下、ウインダリナをお願いします」
少年が頷いたのを確認すると少女の頭を宥めるように優しく撫で青年はその場を去った。仲が良いのを見るのも少し辛かった。
青年は城の図書室から庭を見る。用事は済んだのだが、何か用事があるらしく足留めをさせられていた。時間を潰すため、図書室で本を読んでいた。
庭にはテーブルが幾つも並べられて、沢山の人で賑わっている。その中に赤い髪を見つけた。陽の光を浴びてさらに輝く金の隣に寄り添うように座っていた。問題はないようだ。
少女が王太子の花を贈られても、いや、少女に王太子の花が贈られたからこそ少女はますます狙われるようになった。無視されるドレスを汚されるなど小さな嫌がらせから、命を脅かすものまで大小様々なことが降り注ぐようになってしまった。新しい王太子の花を望む者たち、王太子の花を咲かせない王太子を求める者たちが暗躍している。
「楽しそうですね」
年老いた司書も庭を見下ろし、そう声をかけてくる。
「あなたのお母様もこうして外を見ていらっしゃいました」
つまり青年の母親もこのような催しに参加していなかったということだ。青年にとってそれはどうでもいいことだった。青年が外を見ているのは少女の様子が気になったからで、庭で何が行われているかは関係なかった。
「母は、幸せだったと聞いている。私はそれで十分だ」
司書はまだ何か言いたそうだったが、青年が睨むと頭を下げて去っていった。
寄り添う赤と金にもう一つ赤が加わる。栗色と深緑も。そこに黒が加わる必要などないだろう。色とりどりの世界に色を消してしまう黒は必要ないと青年は思う。
少女がこちらの方を見た。周りに分からないように小さく手を振る。青年も軽く手を上げた。離れているのに青年に気づいてくれる少女。決して青年を孤独にしない。その温かさは心地良すぎて、居心地が悪い。それがあることを当たり前に思ってしまうことが怖かった。
「エンドール殿下」
青年はそう呼ばれることに小さく息を吐いた。青年の母親は降嫁により王族から抜けるはずだったが、祖母の母国がそれを許さなかった。だから、青年は忌ま忌ましいことに今も公爵家嫡男と王子という二つの肩書きを持っている。王太子の花を咲かせられないだろう王子として、王太子の花を信仰する者たちに嫌悪されていた。
「謁見の間に。陛下がお待ちです」
さっきとは違う司書に読みかけの本を渡し、呼びに来た従者の後ろを付いていく。
謁見の間には重鎮たちが揃っていた。青年の父である公爵の姿もあった。
王座に座る国王の前に進み出て、頭を下げて跪く。
「エンドール、楽にせよ」
青年が顔を上げると、叔父である国王の隣には茶会が終わったのか抜けてきたのか王妃の姿があった。
「エンドール、お主の婚約者の件だが」
青年は今年で十七になる。来年、学園を修業した後は父である公爵の仕事を本格的に手伝うことになっていた。
「陛下、よろしいでしょうか」
高位貴族令息の中で婚約者が決まっていないのは、決められていないのは青年だけだった。筆頭公爵家の嫡男、婚約を望む者が数多くいることも知っていた。
「思う者がいるのか? 良い、申してみよ」
隣で王妃の肩に力が入ったのに青年は気がついていた。
「私の婚約者は、ハラルド王太子殿下が妹であるウインダリナとご成婚された後に決めたいと思います。婚姻はお二人に一人目の御子が御生まれになられた後に」
青年は兼ねてから決めていたことを口にした。青年としては一人を貫いても良いのだが、公爵家の嫡男として跡継ぎを残さなければならないことも分かっていた。何より祖母の母国が青年が跡継ぎを残さないのは許さないだろう。
「良いのか? まだ二人は十三歳、婚儀にはまだ五年もあるのだぞ」
肩の力が抜けた王妃と違い、国王は慌てた声で聞いている。
「はい。ですので私の婚約者候補になっておられる方を長くお待たせすることになってしまいます。時期が来たら自ら探したいと思いますので、彼女たちには適切な婚約者を探していただくようお願い申し上げます」
女性の婚期が遅くなると色々口悪く言われるが、男は少々遅くなっても問題ない。難有りとして見られるくらいだ。青年は少女の憂いになることだけは嫌だった。許されるなら、今すぐにでも王族を王位継承権を返上し、少女の兄だけになりたかった。
「分かった。だが、良いと思う者に出会えたなら時期など気にせず婚儀を行うがよい」
「はっ。仰せの通りに」
そんな人は現れないと思いながらも青年は頭を下げ臣下の礼を執った。
謁見の間を出てすぐに青年は呼び止められた。呼び止めたのは、亜麻色の髪を持つ王妃だった。
「どういうつもりですか?」
青年の願いは王妃には分からないだろう。
「私はただ妹が幸せになって欲しいだけです」
青年はそう告げると帰るために体の向きを変えた。
「あっ! お兄様」
聞きなれた声が青年を呼び止める。
「今お帰りですか? ご一緒しても」
青年の元に小走りで来る姿に頭が痛くなるが、口角が上がるのは止められない。
「ウ・イ・ン。走るな」
ピタッと足を止めて、シズシズと歩きだした姿は一応淑女らしく見える。だが、その速度は普通に歩くより格段に速い。
「お兄様」
「ウイン」
青年は隣に来た少女に視線で王妃がいることを知らせた。
「あっ!」
少女は慌てて淑女の礼を執ると、王妃に向かって挨拶をする。
「先ほどは素晴らしいお茶会にお招きいただき光栄に存じます」
王妃はこの答えに満足した。隣には誘わなかった青年が立っているのだ。だが、青年は王妃が想像しなかった表情をしている。青年は模範的な答えをする少女を満足そうに見ていた。
「楽しかったですか」
「はい」
王妃の問いに嬉しそうに微笑んで少女は答えた。
「ウイン!」
そこに金髪の少年と赤い髪の少年が加わる。
「ウイン、急にいなくなるから」
「ごめんなさい。お兄様の姿が見えたから」
シュンとして少女は、金髪の少年に答えている。
「エンドールは今から帰るのか?」
金髪の少年の手が握り締められている。
「殿下、ウインダリナをお願い出来ますか? 私はもう少し用がありますので」
王妃は微かに眉を寄せた。青年にこのあと何も無いことを知っていた。
「分かった。ウインは私がきちんと送り届ける」
青年の言葉に嬉しそうに金髪の少年は頷いた。手から力が抜けている。
「では、妃殿下。失礼します」
青年は王妃に一礼をして、その場を離れようとする。
「お兄様、お帰りをお待ちしています」
少女の言葉に青年は足を止める。
「ウイン、ハラルド殿下にご迷惑をおかけしないように。エンダリオ、頼む」
「お兄様!」
「はい、兄上」
元気な二つの声を聞き、青年はゆっくりとその場を離れた。問い掛けるような視線を背中に感じながら。
誤字報告ありがとうございますm(__)m