灰色の髪をした侍女
彼女は三番目の主人を睨み付けた。
この主人に忠義を尽くす必要はない。彼女に与えられた仕事は、主人が逃げないように死なないようにある時期まで生きさせること。それは、来月で終わるかもしれないし、二年、三年続くかもしれない。
彼女はそれが出来るだけ長く続くことを祈っていた。
彼女の最初の主人は、お姫様だった。孤独なお姫様。
お姫様の母親は他国の王女様。両国の和平のために嫁がれてきたけれど、この国の王子様には既に『王太子の花』が贈られたお相手がいた。正妃として扱われていたけれど、男の子を生むことを望まれないお妃様。そのお妃様がたった一人お産みになったお姫様が彼女の最初の主人。彼女の乳姉妹。
王女として扱われていたけれど、明らかに側妃の子だと差別されていたお姫様。だから、年頃になるとすぐに降嫁された。
彼女はお姫様に付いていった。嫁ぎ先の公爵家は城の生活よりずっと良かった。お姫様は公爵夫人として、お世継ぎ様もお産みになられ幸せになられたと思っていた。
ある日、悲劇が起こった。お世継ぎ様が懐いていた侍女が牙を向いた。お姫様の母君の国をよく思わない者たちの仕業だった。お姫様は、まだ小さかったお世継ぎ様を庇って亡くなられた。
目の前で仲の良かった侍女に刃物を向けられ、母君を亡くされたお世継ぎ様は心を閉ざされてしまった。
公爵様は、お世継ぎ様のために後妻を娶られた。
公爵が娶られた後妻が最悪で、彼女は大嫌いだった。お世継ぎ様は後妻に懐かれることはなく、後妻は自分の息子をお世継ぎ様以上に育てようとしていた。
そんな後妻だが、一つだけ良いことをした。あの方をお産みになったことだ。後妻から見捨てられたあの方は、お世継ぎ様にとても懐いた。お世継ぎ様も戸惑ってみえたが、無垢な赤子から向けられる好意に絆されていった。
今でも思い出せる。やっと自由に動けるようになった体でお世継ぎ様を追いかけるあの方を。姿が見えなくなって大泣きするあの方を困った表情で隠れた場所から現れたお世継ぎ様を。その姿を見て必死に伸ばしているあの方の小さな手を掴むお世継ぎ様を。お世継ぎ様の頬がゆっくり緩む瞬間を。今でもはっきり彼女は思い出せた。
あの方が『王太子の花』を贈られ王太子の婚約者になられた時、お世継ぎ様から彼女は頼まれた。
あの方に城での仕来りを教えてほしいと。そして、あの方は彼女の二人目の主人となった。
あの方もとても良い主人だった。頑張り過ぎる姿にお世継ぎ様と何度も振り回された。あの方のフォローにお世継ぎ様が奔走されると小さくなって謝られる姿がとても可愛らしかった。
そしてまた悲劇が襲った。
お世継ぎ様が祖母君の国に行かれている時にそれは起こった。あの方が襲われたのだ。誰から見てもそのお命は僅かと思えるほど酷い怪我をされて、あの方はお屋敷に帰って来られた。
お世継ぎ様もすぐに戻られた。あの方を付きっきりで看病されていた。苦痛を我慢しあの方に魔力を渡そうとされていたが、あの方のお体が耐えられなかった。
あの方の誕生日の翌日、夜遅くに届いた花を飾った。彼女はその花を忌々しく睨んだ。あの時この花さえ贈られなければ、あの方はこんな目に遭われなかったのに。
意識を取り戻されたあの方はお世継ぎ様と少し話をされて再び眠りについた。
あの方の右手を両手で握り額に当てていたお世継ぎ様の肩が震えていたのに彼女は気付かないふりをした。
あの方は、学園の修業終業の日の早朝、公爵様とお世継ぎ様が見守るなか静かに息を引き取られた。
弔いの鐘が鳴らされた。
その音に何人の者が涙したか分からない。
その日の夜、お世継ぎ様は真っ黒な衣装に身を包み、学園に向かわれた。
そこで何が起こったのか彼女は知らない。
彼女は翌日あの方の母親、後妻の世話をするように言われた。ただ逃げないようにしたらよい、後妻の息子が生きている限りは生かしておけばよいと公爵様から言われただけだった。
彼女は新しい主人の世話をする。魔力が十分回復するようにしっかりと健康を管理する。長くそう出来るだけ長く後妻の苦痛が続くようにだけ願っていた。
人物紹介
お世継ぎ様 エンドール
あの方 ウインダリナ
他国の王女 エンドールの祖母。和平のために先代国王に嫁いだ。立場上、正妃となったが男児を産むことを許されなかった。毒殺も噂されているが公式には病死。
お姫様 エンドールの母親。現国王の姉。幼い息子を庇って死亡。
後妻 ウインダリナの母親。フーラル。
侍女 お姫様の乳母の娘。
誤字報告、ありがとうございますm(__)m