赤い髪の貴婦人
「フーラル様、お時間です」
無表情の侍女が彼女を迎えに来る。それは彼女にとって恐怖の時間だった。
「嫌よ、今日はお休みにして」
その言葉が聞き入れられることが無いのは彼女も分かっていた。けれども慣れることない苦痛に逃げたくなる。
「何故、わたしが!」
「エンダリオ様に虚偽をお教えになられたからでしょう?」
冷たく告げられた言葉に彼女は反論する術を持たない。
「事実をお教えになられていたのなら、エンダリオ様は決してウインダリナ様を傷付ずお守りされたでしょう」
淡々と告げられる言葉に彼女は首を横に振るしかできない。
そんなつもりではなかった!
こんなことになるとは思っていなかった!
彼女の体は従者たちに拘束され、彼女の意思は関係なくある部屋に連れて行かれる。彼女の大切な息子がいる部屋へ。
彼女は子爵家の娘だった。父は男爵家の三男だった。三男であるため爵位はないが、強い魔力を持ち出世を期待された騎士であった。父を気に入った祖父が彼女の母と婚姻させるにあたり、持っていた爵位の一つを与え子爵となった。
彼女の母は不満だった。彼女の母はもっと高位の貴族に嫁ぐつもりだった。子爵の妻など望んでいなかった。だから、彼女の母は娘に期待した。娘が高位貴族に嫁ぎ、己も高みに連れて行くことを望んでいた。
芳しくない婚約者探し。彼女の父が連れて来るのは騎士ばかり、彼女の目にも彼女の母の目にも適う者はいなかった。
好機が訪れた。妻を亡くしたフアマサタ公爵が小さな息子のためにも後妻を探していると噂がたった。フアマサタ公爵に釣り合う娘がいなかった彼女の伯父、母の兄は父に似て魔力の強い彼女に目をつけた。
黒髪のフアマサタ公爵は彼女の憧れの人でもあった。彼女は直ぐ様伯父の話に乗った。
父は強く反対した。だから、父が長期の遠征で留守の時に伯父たちと動いた。
後妻でも正妻として嫁げないのは決まっていた。フアマサタ公爵の亡くなった正妻はこの国の王女であり、その座は死しても王女のものであるとされていた。それでもフアマサタ公爵の妻の座は魅力的だった。立てるべき正妻がいない状態だから余計に。
かくして彼女は第二夫人として、フアマサタ公爵に嫁ぐことになった。彼女の魔力が多かったことも有利に働いたが、皮肉にも婚姻を反対している父の娘であることが決め手となった。彼女の父は騎士団で中隊長の地位にあった。実直な性格の父は騎士団でも評判がよく、前フアマサタ公爵とも既知の仲であった。
正妻の遺児が彼女に懐くことはなかったが、お互い距離を置くことでその問題は解消された。
彼女はすぐに懐妊し、その人生は順風満帆に思われた。子を産み落とすまでは。
彼女は男女の双子を産んだ。フアマサタ公爵家の長女と次男の誕生である。二人とも彼女と同じ赤い髪をしていた。
長女の方は、館中に響くような元気な産声をあげていたが、次男は小さな聞こえるか聞こえないかの声だった。
双子の場合、どちらかが病弱なことは希にあることだった。双子を取り上げた医師は、次男をよく診ようと抱き上げた時、その異常に気が付いた。
彼女にそれが知らされたのは、産後三日経ってからだった。
まず双子の名を教えられた。女の子がウインダリナ、男の子がエンダリオと名付けられていた。
「ご息女の魔力は素晴らしい。おそらくこの国一番と言ってよいでしょう」
夫であるフアマサタ公爵と彼女は医師からの言葉を聞いていた。その賛辞は大役を終えた彼女にはとても美味なもので酔いしれたかったが、彼女はもう一人の子供、息子のことが気にかかった。正妻の子は優秀だと聞いている。その子よりも優秀に育てなければならない。負けられない。
「息子はどうでしょうか?」
部屋の雰囲気が変わった。空気が重くなったように感じる。
医師があからさまに彼女から視線を逸らす。
「ご令息は…」
言い淀む理由が彼女には分からない。
「あの子は難病を持って生まれてきた。魔力も僅かしかない」
口を閉ざした医師に代わって、夫のフアマサタ公爵が口を開いた。
「えっ?」
なんびょう? まりょくもない?
「骨が柔らか過ぎて魔力がなければ体を保てない」
ほねがやわらかい? まりょくがないとからだをたもてない?
「双子に生まれたのが幸いした。ウインダリナの魔力をエンダリオは苦痛なく受け取ることが出来る」
ウインダリアナは魔力がアル。エンダリオには魔力がナイ。ウインダリナがエンダリオの魔力をウバッタ。そう、彼女のお腹の中でウインダリナが彼女の大切な息子エンダリオの魔力をウバッタ。
許さない、許さない、許さない。
エンダリオの体だって、本当はウインダリナがそうなるべきだった。エンダリオではない、ウインダリナが難病で生まれるはずだった。
許さない、エンダリオの魔力を奪ったことを。
許さない、エンダリオの健康を奪ったことを。
ソレを見るのも嫌だった。生きていることさえ許せなかった。だけど、ソレがいなかったら、彼女の大切な息子は死んでしまう。だから、彼女は我慢した。ソレが存在することを。
彼女は毎晩大切な息子に話しかけた。
「エンダリオ、本当はあなたが国一番の魔力を持っているのよ」
ソレから送られてくる魔力を上手く扱えなくて、彼女の大切な息子は中々ベッドから起きられなかった。ソレは、忌々しく元気に外を走り回っているというのに。
けれど、彼女の大切な可愛い息子は賢かった。魔力の扱い方を覚えるとすぐに元気になっていった。
大切な息子は元気になると彼女から取り上げられた。正妻の子とソレと一緒にいるようにされたのだ。
嫌だった。けれども、夫であるフアマサタ公爵の意向に逆らうことは許されない。
彼女は歯痒い思いをしながら、窓の外を走り回る二つの赤と金の光を見ていた。
彼女の息子はやはり素晴らしかった。誰よりも魔法の才があった。魔力を上手く使えるようになると難度の高い魔法を難なく細やかに使えるようになった。
ただ、使える魔力の量は少なかった。ソレから送られてくる膨大な魔力はほとんど体を維持するために使われ、魔法に使える魔力は人より少なかった。
彼女は悔しかった。ソレの魔力が息子にあるはずだったのに、と。ソレも時には役に立った。王太子の花を贈られ、王太子の婚約者に決まった。
彼女は勝ったと思っていた。会ったこともないフアマサタ公爵正妻の王女に。
彼女の息子は国一番の魔法使いに、忌々しいソレは未来の王妃に。彼女の未来は輝かしいものであるはずだった。
「ははうえ、ありがとうございます」
幼い頃と同じようにベッドから離れられなくなった彼女の大切な息子。
彼女は荒い息を吐きながら、椅子に体を預けた。全身が苛まれるように痛い。指一本も動かせないような疲労感もある。
「ウインダリナのために祈りましょう」
彼女の息子も激痛で辛いはずなのに毎回こう言う。今さら祈って何になるのか。
「な、ぜ、ウイン、ダリナ、と、はなさ、なかった、の?」
中々彼女の息は整わない。
息子がソレに魔力の話をしていたら、こんなことにはならなかった。ソレでもなく、彼女でも父であるフアマサタ公爵にでも話してくれていたら…。
「クラチカ伯爵令嬢が奪われたものを取り返すのに断る必要はない、と」
息子にソレに魔力が奪われていると教えたのは彼女だ。
「あなたの為を思って!」
「母上、それは違う。あなたは私をこんな体に産んだことを認めたくなかった。だから、全てをウインダリナのせいにした」
違うと言いたいのに言葉が出ない。
「あなたが欲しかったのは、揺るぎないフアマサタ公爵夫人の座。第二夫人という側室の座ではなく。そのために優秀な息子が欲しかっただけ」
「エンダリオ様、お休みあそばせ。魔力をそんなにも使われますと」
侍女の言葉に彼女の息子はゆっくりと目を閉じた。彼女から与えられた少ない魔力で彼は今日一日生きなければならない。話すことでも魔力を使う彼には言葉を紡ぐことも死活問題となる。
「フーラル様、戻りましょう」
侍女の言葉に二人の従者が動く。
彼女は息子を生かすためだけに飼われていた。
誤字報告ありがとうございますm(__)m