妖精王の帰還3
賢治はなかなか眠る事が出来ず、ベットから抜け出ると窓のない露台へと出た。
見上げれば漆黒の夜空に無数の星々が輝いている。
星に詳しいわけでは無いが、いつも見ている夜空とはやはり何処か違って見えた。
露台の下はちょっとした庭園があり、その先は雲が続いている。所謂雲海というやつだ。
月明かりに照らされ、それだけで幻想的な雰囲気を醸し出している。
雲の上なので随分標高が高そうだが、用意された薄手のガウンを羽織っただけで特に寒さ暑さは感じない。
自分の常識が通じない事ばかりが一度に起き、神経が尖ってとても寝ていられる気分ではなかった。
今朝はいつもと何一つ変わらなかった。
目玉焼きとソーセージ、軽く焼いたトースト、インスタントのスープ。淹れ立てのコーヒーの匂いまで思い出せる。
そんな簡単な朝食をとってお昼前に公園へと出かけた。
非日常に巻き込まれたのはそこからだった。
突然降ってきた鉄骨、大蛇、喫茶店に突っ込んてきたトラック、竜巻……そして妖精王の治めるというこの世界。
未だに夢なんじゃないかと思いたくなる。
目を覚ませばいつものベットの上で、そろそろ起きてとリビングから優子の声が聞こえてくる。
そんな事を願って目を瞑るか、開けた時に見えたのは溜息の出そうな美しい夜空だった。
「明日月曜日じゃん……会社どうするかな……」
自分の両親は既に他界している。向こうでの優子の両親は居ない。
幸いにして突然の失踪を悲しむ親族は居ないものだが、流石に仕事はどうしようもない。
勤続5年。真面目にコツコツと仕事をこなしてきた。
中小規模のインテリアコーディネート会社の営業として大口の注文も受るようになり、娘も産まれまさに今これから!という気持ちだったのに、こんな事で無断欠勤になるなんて思いも寄らなかった。
そもそも、元の世界とこちらでは時間軸も同じなのだろうか?
既に向こうでは何週間も経っていて今更帰った所でどうしようもないという事もあるのではないだろうか。
そう思うと自然と深い溜息が漏れた。
振り返ると柔らかいベッドの上で優子と響が幸せそうに眠っている。
全てを捨てても2人を守らないとと思ったのは確かだ。
今でもそれは後悔していない。
ただ、優子が妖精王だの、響に凄い力があるだの言われても未だにピンとは来なかった。
元々幽霊だとか非科学的な事は懐疑的な方だ。
ただ、今日起こった偶然と言うには出来すぎている様々な事件に、自分達を妖精だと名乗る美しい種族の人々はその非科学的な事を受け入れなければ説明がつかなかった。
「眠れませんか?」
ボーッと雲を眺めていたら階下から声を掛けられた。
見ると露台の下にランプをもった人影がある。
月明かりの下まで近付いて来れば、それが昼間会ったジョバンニという青年であるのが分かった。
「1日で色々あり過ぎて、どうも眠れる気分じゃ無くて」
「宜しければお話し相手になりますが如何でしょうか。まだ聞きたい事か沢山あるようですし」
「そうだな、少し付き合って貰えると助かる」
そう素直に答えると失礼しますと一言声を掛けられ、ふわりとジョバンニが宙を舞った。
軽い風圧と共に先程まで遠くにいた顔が目の前にやって来る。
その翼は飾りでは無かったのかと驚いた。
「此処では皇女殿下のお眠りの妨げとなってしまうかもしれません。庭へ降りられませんか?」
「でもどうやって?」
失礼しますと再び声を掛けられると、ヒョイっと腰を抱えられ地面から足が浮いた。
思わずバランスを崩さないようジョバンニの首に手を回し捕まるような体制になった。
成人男性として程々の体重を自負している賢治だが、ジョバンニは重たい素振りも見せなかった。
そのまま手摺を乗り越え一瞬の浮遊感の後、階下の石畳の上に降ろされた。
「凄いな」
「慣れればもう少し遠くまでお連れすることも出来ますよ」
しかし、男とか女とか関係なくこれだけの美形に優しく微笑まれると思わずドキっとしてしまうのはいた仕方ない。