1章 第4話
美女店員を前に、湊人は懐かしい匂いと雰囲気の様なものを感じた。
「あの……何処かで会ったこと……??」
「えっ……??」
湊人の唐突な言葉へ困惑をみせる美女店員を前に……ナンパの様なことをしてしまった自分が恥ずかしくなり、湊人の顔は段々と赤みを増していく。
そんな湊人へ、早乙女が呆れた口調で、
「ちょっと……ナンパなんて見損なったわ……」
「ち、違いますよ! ナンパじゃありませんっ!!」
湊人は急いで言い訳をするが、早乙女は目を点にして暫く無言を貫くと、
「……まぁ、良いわ。そんなことより、店員さん……此処って、幻のコーヒー店とかだったりするの?」
急な質問に、黒髪の彼女は驚く様子を見せるが、直ぐに……
「いえ、此処はただのコーヒー店ですよ」
「そうだよね、幻のコーヒー店な訳ないよね……」
早乙女は少しばかり落ち込みながらも、言葉を続ける。
「まぁ……せっかく入店した訳だし、コーヒーを一杯いただくわ」
「畏まりました。あの、コーヒーの種類は、どうされますか?」
早乙女は少し頭を悩ませた後、
「貴女のオススメで、頼むわ」
「はい、畏まりました。では、あちらの席に、腰を掛けてお待ちください」
「分かったわ」
早乙女は返事を返すと、湊人と共に指定された木椅子に座り、木製テーブルに両肘を付いて、コーヒーを待つことにした。
早乙女は待っている間に、周辺を見渡してみる。
自分たち以外の客の姿は見当たらない。
と、
「あの、早乙女先輩……」
「え?」
「本当に、僕に奢ってくれないんですね……」
「ちょ、そんな悲しんだ表情で私の顔を見ないでっ!!」
両手で赤面な顔を隠す早乙女を、湊人は潤んだ瞳でジッと見つめる。
そんなこんな話を進めていると、湊人と早乙女の鼻膣は、甘苦く懐かしみのある香りをジンワリ感じた。
その後、店奥から湯気を立てる白いティーカップをお盆に乗せ歩く美女店員が、姿を現わす。
美女店員は湊人の目前立ち止まると、お盆上の白食器をテーブル上へ丁寧に置いて、
「エスプレッソ・コンパナになります……」
「ありがとうね」
早乙女はお礼の一言を述べると、白いホイップクリームが多量に浮かぶコーヒーを口へ運ぶ。
一口飲むと、生クリームの甘さとコーヒーの苦さが口内を占領した。
早乙女が味に癒されていると、美女店員が首を傾げて、
「どうですか……?」
「え、なにが?」
「はい、お味はどうでしょう?」
「普通に美味しいわよ……?」
早乙女が頭を悩ませながら一言述べるなり、美女店員はニパァと笑みを浮かべ、
「そうですか、有難うございます! 実はですね、これ……私の幼馴染が、唯一好きなコーヒーだったんです!」
「そうなのね。その幼馴染とは、今でも仲は良いの?」
問い掛けを受けた彼女の表情は、途端に暗くなり、
「実はですね……幼き頃に別れたっきりで……。今ではもう、顔すら覚えていないんです」
そんな情報を耳にした早乙女の顔にも、暗さは伝染して、
「そ、そうなの。なんか申し訳ないことを聞いてしまったわ……ごめんなさい」
「こ、此方こそ、気分を悪くしてしまいスミマセンっ!」
「そんな事ないわっ! 美味しいコーヒーをありがとうね!」
早乙女は店員にそう伝えると、空になったコップをテーブル上に置いて立ち上がった。
湊人も腕時計を確認しながら、立ち上がる。
時刻は、夜の十時三十八分。
クリーニング屋の営業は、終了している時刻だ。
三十分も過ぎると、流石に諦めの心は定まる。
「先輩……僕、外で待ってますね」
伝えると、早乙女はニッコリ笑みを浮かべて、
「愛華ちゃんは、直ぐに会計を済ませて君の所に行くよ」
「あ、はい……」
若干引き気味に返事を返すと、湊人は外へ出ることにした。
――二千二十三年 八月 二十五日(金曜日)
湊人は、香ばしい匂いを感じて目を覚ました。
「なんだか……美味しそうな匂いがする」
寝ぼけながら狭い部屋を見渡してみる。
と、
「あら、お目覚めだねっ! 昨晩、愛華ちゃんに、変な事をしなかったから、褒めて讃えよう」
「それは、どうも……」
何故だろう? 朝から美女に褒め称えられているのに、嬉しいという感情が湧かない。
そんな事を感じながら、部屋の壁に掛かった時計を確認してみる。
時刻は五時半。
少しぐらいなら、二度寝をしても大丈夫……。
湊人が再び布団内に潜り込むなり、
「ちょっと、愛華ちゃんの手料理が覚めちゃうわよっ!?」
早乙女の声が部屋に響いた。
それよりも、『手料理』だと……?
湊人はムクリと起き上がると、部屋全体を見渡してみる。
すると……小さな折りたたみ式テーブルに、二人ぶんの味噌汁や焼き魚、白米が並べ慣れているのが目に映る。
先目を覚ました時の良い匂いの正体は、早乙女の手料理だったらしい。
「朝からこんなご馳走……」
湊人が感動していると、早乙女は照れ臭そうに頬を赤らめながら、
「まぁ、家に泊まらせてもらったし……。今日は、給料日当日だから……」
湊人は、『給料日当日』と言う言葉に……自宅冷蔵庫内に、手料理を作れるほどの食材は揃ってなかった事を思い出す。
早乙女は、給料日当日の早朝に、近隣のコンビニへ食材を買ってきたのだ。
途端に申し分けないという気持ちが……
「……本当に良かったんですか?」
「私をなんだと思っているの?」
問い掛けられた湊人は、寝惚けている頭を精一杯働かせて、
「最近、彼氏が出来ないと嘆いている……」
「口を閉じなさい。それ以上言うと、愛華ちゃんは泣き叫ぶわよ?」
「それは、困りますね」
「でしょ。それよりも……」
早乙女は表情をコロッと変化させると、
「昨日、コーヒー店なんて行ったけ?」
「いえ、探しはしましたけど、行けませんでしたよ」
湊人が断言するなり、早乙女は自分の財布内から、紙切れのようなものを取り出して、
「これ、昨日までは財布に入っていなかった」
見せ付けられたのは、見覚えのあるポイントカードだった。
湊人が二日前の朝に、コンビニで捨てたポイントカードと、全く同じものだ。
「それは……」
「という事で、今日も付き合いなさい」
「え?」
「付き合ってくれないなら、其処にある朝ご飯は食べたらダメ」
湊人は昨日、缶コーヒーしか口にしていない。腹は限界を超えていた。
「分かりました。でも、今日はクリーニング屋へ行く用事があるので……」
湊人はそう言って立ち上がると、クローゼットを全開に開く。
内部を見せつけられた早乙女は、口をぽかーんと開いて、
「あら、スーツがない」
「だから、明後日の土曜日で良いですか?」
「……わかったわ」