静かなる戦争:ETR-01
ボルトアクション式の狙撃銃はロマンを感じるので初投稿です
「社長!こちらにいらしたんですか?!言ってくだされば迎えに行きましたよ!」
武器・兵器開発部門の総合責任者の西部鉄郎が武器の試作品を開発している所を見学しているとすっ飛んできて迎えに来なかったことを詫びてきた。
いや、自分も何かと社員がどのように作っているのかこっそりやってきて見るのが好きなんだよ。
決してサボっていたりするのを監査に報告するとかそういったせこい真似はしない。
あとまだこの時代にはサボるという言葉は登場しない。
元々サボるという言葉はサボタージュというフランス語が由来であり、これが大々的に日本で使われるようになったのは大正デモクラシー前後だったはず。
サボるの造語が広がったきっかけを作ったのは「蟹工船」という小説が初出だったと思う。
この小説では劣悪な労働環境や監督によるリンチなどの暴力行為に耐えかねた船乗りが相次いで職務放棄を行い、蟹工船の監督への対抗措置として船乗りたちが起こした反乱のようなものだ。
あの小説が登場したのは1920年代で共産主義がソビエト連邦を中心に広がりつつあった時代、そうした劣悪な環境に立たされた労働者が集団で反乱や破壊工作などを行いだすようであれば、それは経営者の責任である。
そうならないためにも働く人の環境を良い状態にしなければならない。
私の心掛けている経営者としての責務だ。
「いや、皆がどんな風に働いているのかちょっと見てみたくてね…そうだ、KJ-02と同時に開発しているETR-01の方はどんな調子だい?」
「ええ、ETR-01は既製品のシュミット・ルビン1889をベースに開発が進められています。口径を大型化し303ブリティッシュ弾を発射できるように改造を施している所です…しかし社長、本当にこの狙撃銃なるものを開発するおつもりですか?」
「うむ、この銃はあくまでも狙撃の腕が立つ兵士に供給する銃だ。有効射程800メートルで確実に相手をしとめることが出来る銃…その要件を満たしていれば陸軍は必ず採用してくれる。この銃は近距離での戦闘ではなく遠方から敵を一撃でしとめることが出来るようにしなければならないんだ。」
日露戦争、第一次世界大戦では機関銃が猛威を振るった。
一挺あるだけで制圧が行える機関銃はまさに歩兵からしてみれば恐怖以外の何物でもない。
第一次世界大戦で要塞攻略の際に機関銃による一斉射撃によって一日で一個師団が溶けたという話を聞いたことがある、一個師団は人数でいえば約5千から7千人…そうした膨大な人数をあっという間に殺傷してしまうのは実に恐ろしい。
機関銃の利点というのは連射が出来て、且つ弾切れと故障が起きない限り相手に対して有利に戦うことができる武器だ。
しかし、機関銃にも欠点がないわけでない。
まず機関銃は重い、第二次世界大戦で活躍したドイツ軍のMG42は約11キロあったとされている。アメリカ軍がMG42を持ち帰って独自に開発したM60なども10キロ以上あり、携帯するというよりも固定銃座として役割を担うことが多い。
そして武器が固定されるということは、常にその場にいなくてはならない。
すなわち、銃座の兵士は基本的に機関銃から離れることはできないのだ。
つまり、機関銃の有効射程圏外から機関銃士を狙撃することができれば、対要塞攻略を行いやすい上に、市街地戦になれば建物の屋上から味方の援護射撃を行うことが出来る。
ベトナム戦争では密林に潜んでいるベトコンがアメリカ軍の将校を遠距離から狙撃して暗殺を行い成果をあげて、世界各国の軍隊も狙撃部隊を編成して戦争時や有事の際に要人暗殺やテロリストの射殺に用いられる。
現代にも通用する狙撃銃の開発は短機関銃と並んで急務であり、何としてでもロシアとの戦争までには配備を間に合わせたいのだ。




