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私による近代日本改革記  作者: スカーレッドG
(旧)六月十二日
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六月十二日:告白

「陛下、その…即席めんのことですが、あの即席めんは私の発明品ではございません、あれは本来西暦1958年に発明される()()()()()代物でございます…発明した者はまだこの世に生まれておりません…私はこの世にいるはずではない人間なのです、202X年の未来からやってきた人間なのです」



正直に告白した。

自分が未来からやってきた人間だと。

精神転生してきたといっても混乱が生じるとおもうので、死んだと思われる202X年からやってきた人間であると告げることにした。

明治天皇は、目をすこし見開いて驚いたような様子をしながらも、日本帝国はどのような国になったかと尋ねてきた。



「………君は………未来からやってきたのかね?では、未来の帝国はどのような国になったのか教えてくれないか?」



「はっ………帝国は西暦1904年にロシア帝国との戦争に勝利し、アジアで初めて列強諸国の仲間入りを果たします。文化的にも1920年代初頭まではアジア随一の国家となり、歴史書でも西洋文化と日本文化が組み合わさって民主主義を尊重する平和な時代でした…」



日露戦争に勝利した日本はアジアで初めて白人国家を打ち破った国となり、その衝撃は全世界を驚愕させた。

さらに、日露戦争に勝利した日本は第一次世界大戦で英仏などの協商軍として参戦し、パラオなどのドイツ領だった南洋諸島を獲得し、まさしく大日本帝国の名に恥じない領土と領海を有する国家となった。

文化面でも大正デモクラシーが起こり、自由な言論を求める風潮が高まるなど民主主義運動が加速し、大日本帝国は開かれた帝国になるはずであった…。



「しかし、西暦1929年にアメリカで発生した金融恐慌が世界中で広がり、世界恐慌と呼ばれる大不況が起こりました。そのころの日本は関東大震災や経済不況からようやく回復しようとしていた時期に起こったのです、長期的な不景気により国民が不況と食糧難に苦しむことになり、一部の軍人らがそうした不安定化を招いていると判断した閣僚や首相を襲い殺傷する事件が多発しました。その中でも1936年2月26日には陸軍内部で大規模な政府転覆事件が起こり、反乱部隊によって帝都の一部が占領され、政府の重鎮が多数殺害されました。その中には陛下のお孫さんに当たる御方の老臣の方が殺傷され、自ら近衛師団を率いて反乱部隊を鎮圧しようとしました。この事件は反乱部隊が投降したことにより幕を閉じましたが、軍事的・経済的・政治的に見ても極めて不安定化した中で軍部が主導権を握って日本を立て直そうとします。そうした結果、軍事的解決手段を用いることになり、日本は中国大陸において中華民国などの諸外国との戦争を起こします」



「戦争を………?しかし、大陸と戦争をして軍は何を求めていたのか?」



「大陸での利権を求めて軍事行動を起こしたとされています。中国東北部に建国された日本の傀儡国家である満洲国は、現地に駐在していた関東軍が軍事工作を行い当時中国大陸の大部分を支配していた中華民国への対抗措置として建国されたと言われています。そして1937年に盧溝橋事件が勃発すると、日本は広大な中国大陸への侵攻を開始します。しかし、広大な中国大陸での作戦で首都南京を陥落させても、中華民国は重慶に首都を移して戦争を継続させます。陸海軍での派閥争いも激化し、そうした結果日本はアメリカなどから経済制裁を食らうようになり、燃料が枯渇し始めました………そして行き着いた先がアメリカ・イギリスを中心とする連合国との戦端を開いたのです」



…日本の数倍以上の工業力を持つアメリカやイギリスなどの連合国軍との戦争は初戦において日本が快進撃を続け、多くの太平洋地域を支配下に収めることが出来た。

しかし、ミッドウェー海戦による正規空母4隻の撃沈と、アメリカの総力戦に持ち込まれ日本は局地的には勝利する戦いもあったが、1943年の後半以降は防戦一方の戦いとなり、各地で捕虜になることを恥として万歳三唱をして敵に玉砕を仕掛ける万歳攻撃が多様される。

ペリリュー島や硫黄島では優秀な陸軍部隊による徹底した遅滞戦術により米軍の侵攻を足止めするも、物量作戦を押しとめることはできなかった。

そして1945年前半には日本海軍は壊滅的打撃をうけ制海権を失い、日本本土の上空を連合国軍の爆撃機が我が物顔に市街地への無差別攻撃を開始した。



東京大空襲を始めとする大都市圏への焼夷弾による攻撃は民間人を多く死傷させ、8月6日と8月9日に、広島と長崎に投下された原子爆弾は一瞬にして数十万人もの命を奪い、ソ連の参戦によって日本は無条件降伏を受諾し、日本が連合国軍の占領下に置かれた所まで話すと、明治天皇は目を閉じて帝国の悲惨な末路を遂げた帝国…大都市圏は焦土となり、荒廃した都市を想像したのだろう。

あのような悲惨な戦争だけは決して行ってはいけないし、その為にも政治では安定的な政策を行い、陸海軍間での協力体制は必要不可欠なのだ。

私はそのあと、帝国が解体された後の日本についても説明を行った。

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